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――――旧首都は曇り空に包まれている。
煌びやかな電飾の灯火を保っていた不夜城の光景は、すでに過去のものとして扱われ。
夜が訪れれば、夜としての暗さが表れる。地上の光に変わって、有史以来、代わり映えのない光景である星明かりが、鮮明な輝きを取り戻しつつあったが――この曇天では見られそうにもない。
「あっはははは。ハハハハ。……いいぞ、いいぞ! 上手くいった。成功だ。ハハハハハハハハ。面白くなってきたッ!」
訓練所からさほど離れていないビルの屋上。
自讃する小柄な男の笑い声が、夜空に高らかと響き渡り、闇の中へ溶け込んだ。
計画の成功を――証として浮かび上がらせているは、彼が製作した地面の魔法陣。
いわば『簡易異界』の設計図である。
興奮が隠せない男は自らの腹を抱え、赤く――淡く輝く、人間の血で描かれた魔法陣が刻まれている屋上から、訓練所へと目を細め眺める。
立っている場所からでは何も聞こえてこない。ビルに当たった風が、屋上を追い越す際、乱れた気流となり、男の被っているローブと、頭を覆い隠しているフードを強く靡かせる。
強い風に当てられて、ときどき体をよろめかせながらも、耳を打つ風の音の中に、訓練所から慌てふためいた焦燥と、非現実に中てられた恐怖と悲しみの声が聞こえてくる気がする――光景を思い浮かべるだけで、孤独の笑いが漏れてしまう。
「この成功は大きい。この十七区が十分な環境でないとしても、時間を掛けさえすれば〝異界を作り出すことができる〟ということのなのだから」
……大きな混乱を呼ぶ。ただそれだけの為に、男は誰も考え付かない手段を持って、異界を作り上げた。長い――長い時間を掛けて。男は計画し、構築し、そして実行した。
寸分狂わぬ成果を現実のものとできたのは、ひとえに男が持っていた技術力において他ならない。どんなに魔術的知識があろうとも、計画に掛けられた時間は、相応の対価として払われている。
そして明日の太陽が昇る頃に、計画の全てが完遂され、警戒された訓練所では、二度と同じ事件を起こすことはできないだろう。
また時間を掛けて一から段取りをくみ上げる事は、もうできない。
計画の成功は第一段階。序章に過ぎない。
男の真の狙いは、混乱の先にあるものだ。
「ここからは高見の見物。……君たちの対応を知りたい。さてどう動く。この異常事態を、どうやって終息させるつもりなのかな?」
当事者が異界の近くで術式を展開し続ける。
いつ見つかっても不思議ではない、とても危険な行為だった。
男が潜伏するため、隠れ家に使っていた場所に敷いていた予防線など玩具に見えるくらい、立っている場所には、様々なトラップや――『保険』をかけておいている。
もし、この場所が発見されたとしても、絶対に逃げ切れる自信が男にはあった。
計画に絶対的自信があろうとも、『絶対』などというものは存在しない。完璧にして絶対などというものを行う存在がいるのだとしたら……それこそ〝神〟である。
神ではない男は、自分のできる最高の水準をもって、常人では打破できない強固な画策をもって恣意を満たそうとしていた。己惚れではない自信があった。
だから、発見されても逃げ切れる。
そもそも、発見されるとは思っていない。
「さあ、此度の『異界』をどう処理するというのだ……ブラックボックス。君たちの真実を見せてくれたまえよ」