<20>
「…………この短時間で、だいぶ立派になったね」
予定通りだと誇らしげに、男は地下にあるボイラー室の『生きた壁』を眺めた。
男が作り上げた肉塊は、丸々一日の時間を掛けて肥大化し、今となっては天井に届きそうなほどだ。昨日と比べて、六倍近い巨大な球体になっていた。
脈打つ皮膚。中では何かが確実に育ち――そして今宵――産まれようとしていた。
「魔術によって命を作るのは、簡単な事では無い……それこそ幾億数多存在している理論の海から、ほんの一滴の答えと、見つけた答えの中で更に試行錯誤をしなくてはならない。それこそ膨大な時間と魔力と労力が必要になるのだ。君の存在は全く新しい試みだった」
男は球体に語りかける。静かな子守歌をうたうように。
肉塊の脈が、徐々に速くなってくる。内部からたたき上げられ表面が膨らむ。
男は二、三歩後ろへ下がり、事の成り行きを見守った。
不定期に胎動が続く。しだいに糸で繋ぎ止められた皮膚同士の縫合が千切れてゆき、中から夥しい量の血液が流れ始める。
次々に裂けて。傷となり。中から膨張させていた本体が、一気に裂け目から飛び出し、地面へと転がり落ちた。
血と肉片と、臓物の膜に覆われ、蹲った姿で呼吸する――何か。
「異形化した魂と、組み替えられた『傀儡』の体……まったく新しいハイブリッドの誕生だ」
表面に包まれた薄膜を破り、中から現れたのは人型の生物。ただし、手足が同じであるだけで、それ以外は根本的に違う。
……灰色の皮膚。獣のような細長い頭部。唇の無いむき出しの歯。細長い瞳孔を持つ両目。肩の部分からは、触角のようなものが無数に生えていた。
――――男が生み出したそれは正に、おぞましい異型の生物であった。
「…………転生、おめでとう。今日が君の誕生日…………いや、再誕日だ」
「ォォォ……オオ………………オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」
重く、深い叫声が地下室に反響して、大気を揺らす。
あまりの叫びに男は大げさに耳を塞ぐ。冗談交じりではあったが、まともに聞き続ければ、鼓膜がどうにかなってしまいそうだった。
「いいねいいね。強そうだね。いや、強くなくては困る……強く作ったつもりだから、期待している以上の成果を上げて貰わねば、こちらも頭を抱えてしまう。さすがに何度も作ることはできないのだからね…………とにかく、お前には時間を使わされた」
「グアアアアアアアアアアァアァァッ」
自分の体がようやく自由に動かせることを知った異形は、腕を振り上げ、男に向かって拳を叩き落としてきた。
「おいおい……出会って早々。主人であるこの余に向かってくるとは、無礼も甚だしいな」
鋭い眼光をもって、かざされる手。
男は一歩も退かず、人の頭以上もある巨大な拳を、難なく受け止めてみせた。
「力はまあまあ、あるね……うん。悪くない。……………………だが、少し頭が悪いな。圧倒的な力量の違いというモノは、顔を合わせたときから、察せるくらいじゃないと、生きていけないよ?」
男の手のひらからは、薄い膜が広がっていた。
魔術障壁……男は魔術が使えるのだ。
抑え込んだ拳は進むことも戻ることもできず、異形は唸りながら混乱する。
「かつての記憶がまだ残っているのか。あるいは本能のままに他者を傷つけようとしているのか…………貴様がまずやらねばならないことは跪くことだ……余を誰だと思っている」
「ガ……ゥガアアア」
「――――跪けッ」
返答も許さない命令。男がもう片方の手で地面を指さすと、
抵抗気味だった異形の膝が勝手に曲がり折れて、地面に膝を沈めた。
異形にも自分が取った行動に理解ができず、細長い顔を男に向ける。
「――――そう。どちらが上なのか。理解しろ。主は余だ……まだ解らないなら、体に教え込んでもいいんだぞ?」
膝を突かされようとも、まだ忠実とは、ほど遠く。
声を荒げ威嚇をしながら、手を伸ばし握りつぶそうとする。
「………………………………つくづく。頭が悪いな」
人さし指を掲げ、何かを描くかのような動作。その後、異形に向かって空気を縦に撫でる。
すると、目には見えない力が空気をまとめ上げ、一陣の風を生んだ。
――圧縮された大気が、異形の体を通過したとき。
肩から、異形の腕がこぼれ落ちた。
風は天井に叩き付けられ、その衝撃によって二本の深い傷ができる。
重さのある腕が二本、床に落ちた音。
異形の両肩からは灼熱の血液。滝のように流れ出し、
苦痛による獣の悲鳴が、地下室を振るわせた。
震えてなお動かぬ足。切り離された両肩を左右に振りながら上半身を曲げ、涎を吐き出し、地面に頭をこすりつける。
ただ……その痛みはわずかな間だけ。切り取られた肩から、めまぐるしいスピードで断面の肉が盛り上がり、瞬く間に腕として形を取り戻したのだ。
「ウグロォォォォ…………?」
再生された自分の腕と、地面に落ちている元両腕を交互に見て。異形は男に向き直る。
「それが……貴様の力だ。なかなか高度なものを持っているね。非常に死ににくい体……さて、己が能力を知り、自信が付いたところで、どうだ……まだ余に刃向かってみるか?」
「…………………………………………」
「貴様は頭が悪いが…………いい加減、獣の真似事は辞めたらどうだ? 余の言葉を、理解しているのだろう?」
喉を鳴らしているような、音を立てて、異形は自ら跪き、
もう敵意はないと。攻撃しない証として。新しく生え替わった両腕を差し出した。
「立て………………改めて問おう。貴様の主人は誰だ?」
「………………ウ。……………………ア、ナタ」
異形は初めて言葉を発した。
喉の奥から、こみ上げるか細い声。……異形は泣いていた。
涙を流す機能を持っていないが故に、涙は流れず。
僅かばかりに残っていた人の心が、奥底で悲しみ、嘆きをあげていた。
「そう悲観するな。貴様はもう人ではない…………今ではその残り滓にしかすぎない」
わざとらしく男は自分の腕を広げ、首を左右に振った。
「貴様はもうどこにも居場所などない。……貴様を理解しているのは、余しかいない。…………よく考えろ。……改めて、その頭で、よく考えるんだ。一度だけ選択肢をやる。どちらを選らんでも、構わない…………『余に付いてくるか』……『ここから逃げ出すか』だ……」
「………………ウグゥウ」
異形は動かず、ただ頭を垂れたまま、男の選択を……付き従うことを受け入れた。
たまらず、響き渡る高笑い。
男は心底、楽しそうに腹を抱える。
「そうだ! それで良いのだ! 誰が貴様の存在を理解してくれる! そんな姿の貴様を、どのようにして受け入れてくれるというのだ! この場に残る以外に、何があるというのだ! 救済など最初から無いのだよ。…………今の貴様になら、余の名を告げよう」
男は三日月の笑みを浮かべながら、自分の名前を。己の存在を名称する言葉を告げる。
――聞いた事のない名前であるのに。異形は聞き覚えがあるような気がした。曖昧にして懐かしい響きであった。
「さて、立場が明確になったところで、貴様にはやって貰いたいことがある。やることは簡単――殺戮だ」
「――サツ。リク」
「明日……実験と検証をしたいと思ってね。難しく考えなくて良い………………ところで、話は変わるが、貴様はいま『唄い声』が聞こえるかい?」
「…………ウ――タ?」
「ああ。いいんだ。忘れてくれたまえ――どうせ、ごく一部の者しか聞こえないのだろう。…………この唄は、余とは全く関係のないことだ」
男は一度話を区切り、室内を歩く。
獣の臭いと、むせ返るような血の臭いが混じる地下室。
ビシャビシャと、男が平然と歩く度、粘着質な鮮血が奏でる足音が室内に響く。
獣の呼吸が、男の歩く方向に向けられ、彼が立ち止まると呼吸のする方向も止まる。
「余にとって、今の世界はあまりにも矛盾と、解せない事が多すぎる。様々な謎が絡まっている状態なのだ。赴くままに行動するには、あまりにもリスクがありすぎる。よって……これらの謎を一つずつ解いてゆこうかと思ってね……君は、大きな引き金となるんだ。是非とも余に成果を見せてくれたまえよ」
異形は、今度こそ自らの意志で、欠片ばかり残っていた人の心を喰い潰し『獣』となる。
自らが主と定めた者の前で、巨大な咆吼を上げた。
響きに揺れ……傷ついた天井から埃が落ちてくる。
「そうだ! それでいいのだ! 君はもう『異形の者』だ! …………アハハハハハハ。狂気は目には見えないもの。心がすり切れ、精神が腐り。自我の崩落。存在の否定。苦しみ。逃避、劣等、悲愴――それらが織り成した果てに華啓いた、君の姿は故に美しいッ! 前世の愚劣な君とは別人だよ。………………さあ、舞台は整った。『堊』を始めようか! 滅ぼすことなき混乱を。清浄なる異常の渦を。手始めにこの矮小なる世界を引っ掻き回してみようじゃないかッ!」