<9>
――繞る運命の壁。
――取り囲まれた命。
――日々腐ってゆく心。
――諦めてしまった連中。
――外界で目論む人間ども。
――確実に存在している矛盾。
――偶然と錯覚しがちな必然性。
――何かが増えれば、何かが減る。
――新しく生まれれば、古きが死ぬ。
――誰かを守れば、誰かが犠牲になる。
――誰かが笑えば、どこかで誰かが泣く。
――ゼロに保たれ続ける、プラスマイナス。
――絶え間なく、加速と減速をくり返す世界。
――破綻した倫理と、人間性が生み出す残酷さ。
――中枢機関が管理している、平和維持システム。
――疑心を生じさせている者は、決して少なく無い。
――膨らみ続けて止まらない。爆心地を心とする異界。
――負の坂をずっと下り続け、踏みとどまる気配はなく。
――水面下で抑えようとしているのだろうが、限界は近い。
世の中はプラスマイナスを行ったりきたり。
誰しも不運で有り続けることは難しい。逆に幸運で有り続けることも、また難しい。
シーソーのように、行ったり来たり。上がったり下がったりをくり返す。
振り子のように、右へ左へ。一定の振り幅で続いてゆく。
ゼロ……偏らず、いつでも物事は基点の近くにあり続ける。
では、いまの状況はどうなのだろうか。マイナスに傾き続ける人類の立場。もし……ゼロに戻る時が、いつか来るのであるのなら、そのゼロとは人類にどんな結果として、もたらされるのであろうか。
いつまで経っても終わらない『異形の者たち』と人類の戦い。
人と人とが争い続けてきた歴史の深さで言えば、大した年月は経過していないのだろうが、国の一つ二つが滅んだり、栄えたりしてきたのとは、ワケが違う。
今はまだ、誰も危機について、意識をしていない状態だろうが、
草部蘇芳は、いつか……とんでもない大事件が起こるような予感がしていた。
生徒の行き交いが激しい通路で、蘇芳は特に異彩を放っていた。
背は高く、制服の上にロングコート。そしてオールバックの金髪。
問題児の中でも、特に問題のある生徒として嫌忌されている彼は、他の生徒からは嫌われているというレベルでは収まりきらず、できうる限り近づかないようにするのが、本人の与り知らぬ暗黙の了解となっていた。
敵対心をむき出しにしているような、鋭い瞳。生徒たちはなるべく目を合わせないようにしていた。問題児の仲間たちが日頃から言われているような嫌味や、あからさまな噂話をしている者は誰一人としておらず、蘇芳が歩くところ――できるだけその場を離れようとする、あからさまな生徒の行動。
「………………………………」
別に蘇芳は、顔の知らない生徒たちに喧嘩をふっかけようとしているわけではない。
――舐められるのだけはごめんだ。勘違い野郎は一度でも自分が上であると勘違いしたら、最後の最後まで勘違いでいる馬鹿な人種だ。…………たとえば、重症を負わせるくらいの事をしなければ、認識を改めないから始末におえない。
日々の生活などに価値は感じておらず。誰からどう思われようが、どんな評価を下されようが。そんなもの一笑に付せばいいだけのこと。自分なりに、鈍くさい連中を――足かせになる人間どもを蹴落としてサイファーになる。蘇芳の目標は、ひたすら前を向き、入学した時から変わらずサイファーになることだけに照準を合わせていた。
草部蘇芳も、初めは問題児としての扱いは受けてはいなかった。
――同時に問題児の班にも在籍してはいなかった。
その外見から、悪い印象を受けやすく。見た目通りといったその性格は、生徒たちとの距離を更に引き離した。
たとえ謂われのない悪評を取り沙汰されようとも、後ろ指をさされようとも、自分をこき下ろそうとする人間がいようとも、誰にも屈したりしない覚悟があった。自分が進む道の中で誰かと班を組んで、一緒にやっていこうと思う気持ちは欠片もなく。班などとという存在は、余計な面倒を作り出す害虫において他ならないと思っていのだ。
そんな孤独を良しとした草部蘇芳が、偶然にも訓練所で見つけた少年が、間宮十河であった。
十河がディセンバーズチルドレンであると見抜いた蘇芳は、彼が所属している班の全員が、自分と同じ境遇を経験していた人間達であったことに心の底から驚いた。ただし同族からくる共鳴感のようなものはなく。むしろ偶然にしては集まりすぎている班の構成を不気味と合わせて、警戒すらしていた。
踏み込みも退きもしない蘇芳に対し、蔵風遙佳から背中を押す誘いもあって、
蘇芳は『問題児』の仲間入りを果たした。
全員と話して思った事は――間宮十河が別格であったことだ。
異界に居た時から培われてきた、草部蘇芳の『嗅覚』は優れていた。危険を、異質を、異常を、それらを嗅ぎ付ける能力は、ある種、才能の領域に達していた。そんな彼が、異界でも嗅いだことの無い、鼻が曲がるほどの『逸脱』が間宮十河から放たれていた。
その面の皮。下には一体――どんな本性が埋まっているのか。
いたずらに廊下を歩いているわけではなく、
蘇芳の目指す先は『特殊エリア』と呼ばれる訓練所にある建物。特殊エリアとは、主に魔術や刻印を訓練する区域で、許可さえ下りれば個人で刻印の訓練が可能だ。
学生証を持って、簡単な手続きをすませ、施設内にあるガラス張りの個室の中に入った。
部屋の中心には、定位置となる台座。台座の上には水晶のような球体が固定されている。
蘇芳は、台座に手を置いて、送り込まれてくる魔力を体の中に溜め込んだ。
『……カウントダウンを始めます。3……2……1……』
室内の中に響く機械音声。
台座から手を離した蘇芳は、黙って合図を待つ。
『……0』
開始のブザーが発せられ、いきなり中空に浮かび上がる、複数の透明な正立方体。くるくると不規則な回転をしながら、上下左右斜めと、予測できない動きをする。
蘇芳は溜め込んだ自らの魔力を、突き出した手のひらから光弾として放出させ、動き回る立方体に当てる。砕け散るターゲット。正確なコントロールで次々と数を減らしてゆく。
――コレも一つの魔術。魔力を制御し、圧縮した力を手から放ち、攻撃力を持たせる方法だ。
魔力を扱う上で初歩中の初歩。ただ、この訓練では四方に散らばっている動き回る標的へと確実に当てなくてはならない上級向けの訓練だった。一年生で行っている者は非常に少ない。
儀式や魔法陣などを組んで、物質を触媒にしたりと――それだけが魔術ではない。
単純に、体内にある魔力を操る事も歴とした魔術だ。制御ができるのとできないのとでは大きく差が開く。
たとえば、落下したら死ぬような高所からの着地。全身に魔力を循環させれば造作も無く行える。全身を強化しておけば、異形の致命的攻撃にも肉体が耐えられる。
一般的なサイファーも、最低限の魔術が使用できなければいけないという規程があるほど、魔術とサイファーには密接な関係性があった。
全ての立方体を打ち落としたあと……。
「…………わずかに、衰えたな。クソが」
懲罰房に入っていた数日間、なにもしていなかった事もあって、魔力の循環が鈍い気がした。
この訓練は、自分の刻印に影響してくることもあって、無視はできない。また調整をしていくしかないらしい。
――――ったく人生ってのは、かくもうまくいかねえものだ。
上手くいっていると思えば、急になにをやっても転がり落ちる。
どんなに順風に乗って進もうとも、いつかは追い風がやってくる。
世の中とは見えない何かによって辻褄を合わせられている気がする。
上手くいかないからこそ人生は小賢しく。そして……つくづく忌々しい。
蘇芳がもう一度、訓練をしようとした時――、
カンカンと、ガラス壁の向こう側から何者かが叩く音で、蘇芳は球体に乗せる手を止めた。
「スオーッ!」
馴れ馴れしく手を振る小さな生物は、恐らく無視したら扉を開けて押し入ってくるだろう。
蘇芳はガラス戸を開けて、エリィを下に見る。
「――――んだよ。エリィ」
「開口一番『んだよ』とはなんじゃ。『んだよ』とは!」
むがーっと両腕を上げても、蘇芳の頭のてっぺんに届かない小柄なエリィに対し、
「珍しいじゃねぇか。練習とか勉強とか嫌いなテメエが、なんで居んだよ」
「我がこんな〝お遊び〟みたいな魔力転がしなんかやるわけないのじゃ。……ちょうどトウガがトレーニングしたいって言うから付き添ってきたのじゃよ。始めたら時間が掛かるからのぉ。終わるまでフラフラしておったら、お前がいたっちゅーわけじゃ」
「間宮がトレーニング、だと? 異形をぶっ殺してから、真人間にでもなったのか?」
「まともじゃない言い方するのやめるのじゃ。トウガは元から真面目なんじゃぞ!」
「そうか。間宮が、ねえ。…………ヤツはどこにいるんだよ」
あからさまに何かを企んでいる嫌な笑い方を見て、エリィは言わない方が良かったのだろうかと、後悔するがもう遅い。蘇芳はエリィからトウガの居場所を聞き出すと、自分の訓練をやめて、部屋を出た。
普通に歩く蘇芳に対し、背丈の差からエリィは早歩きになって横に並ぶ。
「トウガの所にいって、何をやるんじゃ?」
「んなもん。実戦だよ……勝負に決まってるじゃねえか」
「ほんっと、スオーはトウガの事が好きじゃなぁ」
「………………ああ。だろうな。気にはなってる」
「――――まさか。こんな所にもトウガを好きな奴がおったとは! 我だってトウガのこと愛しておるのだぞ!」
「お前バカか? ふざけたこと抜かすんじゃねぇよ。オレが言ってるのはヤツの持つ実力の方だ。…………アイツはオレとの勝負を逃げ回ってるからな。力があるくせしていけ好かない態度で、のらりくらりと躱す。だったらテメエをエサに間宮のやる気を出させてやるのさ」
「なんでトウガのやる気と、我が関わってくるのじゃ?」
「オレがきっかけで喧嘩した時に、間宮が関わってきたことがあっただろ?」
「もちろん、ばっちり憶えているのじゃ」
入学してすぐに、乱闘騒ぎがあったのは一年生の中でも、まだ記憶に残っている者もいるだろう。ましてや渦中にあった人間からすれば記憶に強く刻まれている。
全ての発端は草部蘇芳が男子生徒を挑発したことで始まった。
そして相手が二人、三人になったところで、エリィと十河が偶然通りかかり、エリィにぶつかった生徒を十河が殴ったことで、十河も乱闘の中心人物を背負ってしまったのだ。
「ヤツはテメエに対して、病的に過保護な面があるだろ。……だからテメエをぶん殴る素振りでもすれば、ヤツはぶち切れて、勝負する気になるだろ」
間宮十河がそこまでして逆上する理由や、二人の関係性などに、蘇芳は興味がなかった。
――ただ、エリィが関われば、間宮が反応する。それだけで十分だ。
「戦いが好きなんじゃなぁ。スオーは。…………でも言いたいことがあるぞ」
「……………………?」
「本気になったトウガはマジで強いぞ? まぢで。二回と言わず、もっかし言っとくぞ。マジじゃ」
「…………それは、おもしれぇ。ますます間宮の力を見たくなる」
「のう、スオー」
「あん?」
「あまり、トウガを苛めてくれるなよ……こう見えても、我はお前もトウガも似たようなものだと思っているのじゃから」
「オレと、間宮が? バカ言え」
「果たしてそうかなぁ?」
見透かしたような、薄紅藤の瞳が、一点に蘇芳の瞳を貫く。
「お前だって、抗っておるのだろう? 大きな流れに取り込まれぬよう、置いて行かれぬよう、見限られてしまわぬよう。トウガは失い、お前はまだ失っていない何かを、守ろうとしているように見える…………その目は、まだ『持っている』瞳じゃ」
「知ったような口を利くんじゃねぇ。――ぶち殺すぞ」
「スオウ…………蛙程度の貴様が、あまり調子に乗って知ったような口を利くなよ? ボロ雑巾のようにへし折ってやろうか?」
ニマリと笑った、エリィの瞳に光は無く。
久しぶりに、蘇芳は背中に怖気が走った。
――蘇芳の『嗅覚』が発する。
鼻の奥から腐り落ちるような、とてつもない刺激臭。
「…………間宮も間宮だが、てめえもとんだ狸だな」
「――お互い、似たようなもんじゃろ。みんな、みんなみんな隠している。我らの班の連中は、みんな昔を話さない。……ソレは、みんな異界に後ろめたい〝何か〟があったからにおいて他ならないのじゃよ。だから同じ穴に、同じ班に集まった……みんなみんな、狸じゃよ。クッハハハハ!」
声を上げて笑うエリィは、いつもと違う雰囲気を漂わせる。
左耳にぶら下がっている、リング状の小さなピアスを揺らし歩く蘇芳は、
「オレが蔵風の誘いを受けて班に入ったのは……テメエらに興味があったからだよ。…………テメエらのいた第三区といったら、オレがいた隣の地区だったからな。…………正確な時期は覚えていねえが、パンドラクライシスが起こって、二年そこらの時に発生した〝黒い柱〟を知ってるだろ?」
「………………くろい、はしら?」
とぼけているのとは別の。本気で知らないと言った調子で、エリィは口ごもる。
「ほざいてんじゃねえぞエリィ。…………生き残った連中は皆知ってる出来事だ。……なんせ黒い光の柱が出た時は、真っ直ぐ空を……天をぶち抜いたんだ。どこにいたって目撃していたはずだ。三区ならなおさらだろうが」
「憶えていないのじゃ……だって、あの時あたり、は…………いろいろあったからの」
――――どこまで、しらばっくれやがるんだ。このクソ女。
知らぬ存ぜぬの態度に苛つかせられるが……エリィの言っている『誰も彼も何かを隠している』という点の半分は、当たっている。
オレは、異界であった出来事を自慢して話せるような生き方をしていなかった。
常に取捨選択し、少数を切り捨て、少数を見捨てて、
多くを囲い、長い時間を維持した。
守らなければいけないものを守りながら、
最後にはたった一つを守るために、築き上げてきた全てを切り捨てた。
…………あの、腐った〝ゲーム〟のせいで、
あらゆる人間関係が崩壊し、全員が敵になった。
――オレは守るべき最善を選び、貫いた。
その末に、今がある――絶対、サイファーにならなければいけない道が。
「……………………」
「どうしたのじゃ、スオー。やけに真剣な顔をしておるのぉ」
「――んでもねえよ」
エリィの気遣いをはね除け。十河が練習している場所に到着するも、十河の姿はなかった。
「あれれー? おっかしいのぉ。さっきまで居たのに………………っというか、我を置いてヤツはどこ行った!?」
「――肩すかしかよ。お前本当に、使えねえな」
背を向けて去ろうとする蘇芳のコートを、エリィが掴む。
「あぁ?」
「スオー。トウガを探すの手伝ってくれ! 我一人だと心細いのじゃ!」
「どうしてそんな事、しなきゃならねえんだ」
「いいじゃろー。一緒に探してくれぇー」
先ほどの威勢はどこへ行ったのか、涙ぐむエリィに対し、蘇芳は嫌味をたっぷり込める。
「ほんと…………どうにもならないほど、しょうがねぇ奴だなテメエは」