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「パーアライズ! 隊長……前方に異形。『フォルスパエラ』を確認しました」
浅いながらも思考に浸っていた苑樹は、加藤の声に僅かばかり、反応が遅れた。
異界任務とは違って勝手が違う。自身の緊張感の緩さに、心の中で舌打ち。
加藤の言うとおり、十字路の脇から、のっそりとした動作で異形は現れていた。
何も言わなかったが、苑樹はすでに『地ならし』をした時、確認済みの異形だった。
フォルスパエラと呼ばれた異形。大きさは軽自動車ほどで、無数の足を巧みに動かし、互い違いに重なった、鎧のような灰色の甲殻を持つ全体像。
一見、超巨大化したダンゴムシを彷彿とさせる。甲殻の表面からは黄土色の、人の腕ほどある太さの触手を何本も伸ばしていた。頭の部分には黒曜石に似た光沢のある単眼がある。
お前ら出番だと言わんばかりに、苑樹は生徒たちに振り返った。
「何事も実戦だ……お前ら、総出でアレを殺れ。フォルスパエラの甲殻は堅い。触手には絶対に触れるなよ。瞬く間に焼き切られるからな。触手は簡単に切断出来る。全て刈り取ったのち、継ぎ目同士の隙間を狙って刃を差し込め」
各々、魔術兵器である剣や刀を引き抜き、苑樹の指示に従い発光する触手を狙って斬り付ける。
弾力の強いゼリーを断つ感触を感じながら、生徒たちは異形の触手を全て刈り取った。
自分を守る術がなくなり、フォルスパエラは囲んでいる生徒たちを高い鳴き声で威嚇しながら漆黒の単眼をせわしなくグルグル動かしている。
――まるで、ケーキに集まるアリだな。あるいはマンモスを狩る原始人ってとこか。
異形を追い込んで武器を構える姿は、苑樹から見たら平和的な光景に見えた。
同時に……これが人間の姿であるのだと、苑樹は実感する。
一匹の弱者に対して、集団で取り囲む光景。種族が違うというだけで、あの異形を殺すという行為に、なんの躊躇いも罪悪感も感じていない。
自分たちのためなら、どんな蛮行も人道であると……正義なのだと。
――きっと、外にいる人間どもなら、目くじらを立てて、
――尊い命がどうのと騒ぎ立てるのだろう。
生徒たちは一斉に襲いかかり、苑樹に言われた通り、甲殻の隙間を狙って刃を突き入れてゆく。
剣が差し込まれた傷口から、濃い黄土色の血液が大量に噴出する。
「ま、まだ動くぞ!」
「このぉ!」
「押さえつけろッ」
口々に言いながら更に刃を沈めさせた。初撃から致命傷となっていた異形フォルスパエラは苦痛による金切り声を上げながら、巨体を地面に沈めて動かなくなる。
生徒たちから、嬉しそうな声が口々に上がった。
「……………………………………」
――残酷であろうが、知ったことじゃない。
これが現実。勝てば官軍。負ければ賊にすらなれやしない。
生きるか死ぬか……これが異界での『正義』なのだ。
種を賭けての戦いに、非道も人道もあるものか。
――以前、苑樹はサイファーの代表として壁の外の上官や、立場ある各界の人間を含め、
『外界』の会議に呼び出されたことがあった。現実を直視していない連中が、人の常識に則って慨嘆し、現場の人間がいないのを良いことに、好き放題に言っていた。そのとき、苑樹は彼らの発言を遮るようにまくし立てた。
『安全な場所で能書き垂れるなら誰でもできる。自分ができないくせに、上から目線で勘違いをほざくんじゃねえよ。大馬鹿野郎。こんな会議室なんかで口舌を並べて、何も考えてない連中が考えた紙屑同然の書類が、人の命を救えた試しはあるのか? 一秒として現場を見てないお前らの出した指示が、実働部隊の助けになっていると思っているのか? 辟易するような指示を出されるたび、溜息をつきながらも遂行しなきゃならない前線の連中から、全幅の信頼を得ているとでも思ってるのか? …………ふざけるのも体外にしろ。今この瞬間でも、オレよりも歳が下のガキどもが異界で命を張ってるんだぞ。本当に国を守るために取り組んでるのかよ? いい加減、テメエらも命を張るくらいの気概を見せてみろ。金と保身しか頭にない老害ども。話を聞いてるだけでもうんざりだ。……代わりにテメエらが体張って、異形の一匹でも倒すだけの根性を示したらどうだよ。それができるんだったら、オレはこの無意味な馬鹿話について、口を挟むつもりはない』と。
それ以来、苑樹は会議に呼ばれなくなったが、彼自身、言いたいことは言ったし、今後無駄な時間を使わなくて済むと清々していた。
――あんなのに参加するくらいなら、ガキを生き残らせる可能性を増やすための教育した方が数万倍マシだ。ただし、この訓練が実戦で生かせるかどうかは本人たち次第……。
「異形は基本的に個体に特徴がある。しっかりと弱点を知っておけば、確実に処理することが可能だ。オレらは常に先人たちの努力を元にして、安全に行動できるようになっている。ソレをわすれるんじゃないぞ。死体はしっかり視界に入れておけ。死んだふりをして襲いかかってくるやつもいる。…………よし、次にいくぞ」
初めての大型異形を倒して、昂ぶっていた訓練生たちが落ち着き始めたのを見計らって、苑樹は次の目的地へと、移動し始めた。
『――――か、神乃隊長ォッ!』
彼らが移動を始めようとするよりも早く。無線機から声が響き渡る。相手は仙崎だった。
その声は明からに切迫していて、強い焦りが含まれている。
「はいはいー。ちょっと君たちストップ。ココで待機してね。全員四方全てを警戒して。敵を発見次第、全員に通達すること――いいね?」
同じ無線を聞いているのは神乃班のメンバーだけだ。
仙崎は八百メートル先の偵察任務を行っている最中だ。何かトラブルがあったのだと察した加藤は対応早く。生徒たちに号令をかけていた。
立ち止まった苑樹は耳に手を当てる。
「喚くな仙崎……なにがあった」
『パーアラっす! ……おいおいおいおいおいおい、やばい、やばいってッ! …………バカ野郎ォォオオッ! 今すぐそこから離脱だッ! 機材なんて捨てろ! 早く――』
青年の言葉が途切れた瞬間と、ずっと遠くで大気を振るわせる轟音が響いたのは、ほぼ同時だった。しばらくして、北東の空に、巻き上げられた土煙が小さく。高く登る。
試験兵たちは何事かと恐れおののき、訓練とは違う緊迫した状況を察し、言葉にすらならない状態だった。
「君たち、さっきも言ったよね。何事も冷静に対処することだ。…………ほら、見てみなよ。隊長なんてまったく動揺してないでしょ? さすがだよねぇ」
加藤も無線の声を聞いている。切迫している状況であろうとも変わらない態度。生徒たちにはあえて苑樹を引き合いに出すことで、彼らの緊張を緩和しようとする。効果は絶大。試験兵たちは不を抱えつつも、微動だにしない苑樹の背中を見て、幾分か気持ちを落ち着かせたようだった。
「…………おい、仙崎。……聞こえるか」
異常事態なのはわかっている。ただ……それは、ここでない場所での話だ。安全な場所にいるからこそ苑樹は、無線機から聞こえる混乱を黙って捉えようとした。
仙崎昂はちょっとの事でやられる人間でないことは判っている。向こうのタイミングに任せて報告を待つ。激しいノイズと荒い息づかいの後に。
『隊長ォ! 例の偵察隊がやられた! …………あ、あれは。異形を確認ッ! ……間違いない。〝ワーム〟っす! 一週間前にブッ刺した俺の剣がある。…………なんで、オレを無視して、一直線に…………隊長。そ、そっちにむかってるっすよ!』
「ワームだって? 最後に見たのは、ここから何キロも離れているはずだったけど……」
冷静にと言っていた、とうの加藤本人の顔が強張る。彼は自分の装備を改めて確認し準備を整えはじめる。
「…………担当官」
感情を殺している苑樹は短く、指で来いと合図をする。
慌てて駆け寄ってきた中年の担当官は苑樹が話す前に、持っていたOPCを差し出して、画面を見せた。
「あ、…………赤、赤が出てる……異常値ってことは、いまのは、異形……異形が」
カウンターを持つ手がガタガタと震えていた。
「いいから落ち着いて聞け。……ここから先、八百メートル地点で異形が現れた……相手は〝ワーム〟……知識は無いが、とにかくデカイ敵だ」
「ワームって、………………ま、まさか〝始まりの四十九体〟の一匹!?」
このまま失神するのではないかというほど、担当官は血の気が引いて青ざめる。
「そういうことだ。演習は中止する。担当官は今すぐ全員を壁まで後退させろ。ここらのバケモノも興奮して妙な行動を取るかもしれない。十分に注意しろ」
また、遠くで物が破壊される音が空に響く。さっきよりも近い。時間は限られている。
混乱して口々に喋る生徒たちを担当官は大声でまとめ、全員が来た道をゆっくり撤退し始めた。
「…………隊長。ヤツのでかさは流石にまずい。……区域全体に非常通達しないと、間違いなく死人が出ますよ」
近づき耳打ちする加藤。迅速な対応をしなくてはならない事態に、苑樹は舌打ちをした。
「なるほどな。この付近じゃ現れない『ラクタス』が居たのは、ヤツが原因か。どおりで奥地に行かなければ出てこないようなのが混じっているわけだ。奴らは来たくてここに来たんじゃない。押し出されてこの区域まで逃げてきたんだ。………………脳無しのバケモノ風情が、『寄生樹の森』を越えてここまで来やがって。……まあ、いい。わざわざ出てきたのなら好都合。加藤。本部にヨンクを確認したと伝えろ。オレとお前。仙崎、芦栂が対応。この場で討滅する」
短く『了解』と意思表示。すぐさま加藤は自分の無線機を使って、伝令を送った。
苑樹は引き続き、無線で連絡を取る。
「林藤……聞こえてただろ。……聞いていたとおりだ」
『うっぷ。もう、トイレ掃除はやだ……です。どうして、私が入ってないですか? やっぱり掃除を継続でしょうか隊長……』
「今すぐこっちに来て撤退組のサポートに当たれ。一人も死なすな。他にも好戦的な異形が混じっているぞ。気を抜くな」
『ぅやったー。………………あ、いえいえ。こんな絶好タイミングで異形とか、ふてえ野郎です。今すぐそちらに向かいますです』
………… 一週間前。神乃班は別の場所で、同一の異形と戦闘を行っていた。
異界の奥地に存在する原生森だったということもあって……特殊な地形での戦闘は困難を極め、ダメージを受けた敵は、致命傷に至らず。〝ワーム〟は逃走していた。
――仙崎が見まちがいであったとは考えにくい。あんなもの……同種の個体が居るはずない。
破壊音がくり返される状況が続き、報告をしていなくとも、音で周囲の兵士たちは異常を察知していることであろう。
苑樹たちは異形が移動する際、通過するであろう大通りを確保し、耳の無線機に手を当て、古都子に話しかけた。
「芦栂。………………報告」
『遠方。新たな粉塵を確認。仙崎くんの言う通り距離は離れているけど、確実にこちらへ近づいてきている。一分も掛からないかもしれないわ』
加藤はすでに装備を調えて、いつでも戦える状態。わざわざ口に出して指示するまでもないが、改めて敵に対しての確認を取る。
「加藤。あの時と変わっていないのなら……ヤツの表皮はとにかく分厚い。ムダ弾を使うなよ。戦闘準備だ」
「了解」
生徒たちがいなくなり、二人だけ立っている十字路。
更に破壊音が近づく。微かではあったが、衝撃が足の裏を伝わってきた。
建物と空の境目から立ち上る……土煙。数区画挟んだ奥にいるのは間違いない。
巨大な質量を持つそれは……まだ二人の前へ姿を現していないのにも関わらず、場の空気が重くなるような感覚に襲われる。
『………………きた。……目視で確認。二時方向ッ! 注意して!』
――古都子が言い終わるかどうかのタイミング。
すでに丈典と苑樹の耳には、体を引きずる敵の動きが聞こえていた。
彼らがいたすぐ三区画奥……廃虚である建物を倒壊させて、仙崎が無線で言っていたとおり、
――――異形〝ワーム〟が現れた。
突進した破壊音と、瓦礫の破片を体に纏わせ。コンクリートがまき散らされる。
ワームはその名の通り、体の長い蠕虫と変わらない姿。
ただ――そのサイズは常識を逸脱していた。
青白く……弾力のあるブヨブヨとした筒状。巨大な胴体。
全長は百メートルを超え、電車ほどの太い直径を持つ怪物。
異形の中でも特に巨体で……規格外の存在。
先端の部分には四本の腕が生えていて、目鼻は無く……すり鉢状の口には幾重にも重なった鋭い歯が円を描いて並び、個別に動く。
加藤の無線を聞きつけ、付近を巡回していた兵士たちが駆けつけ、
あまりにも大きな異形の姿を見て驚愕の色に染まる。
「おい。アレはお前らでは歯が立たない……一般兵は下がらせろ。サイファー《オレの班》だけでやる」
「し、……しかし」
「聞こえなかったのか? ココはオレ達だけでなんとかするって言ってるんだ。何度も……言わすな。邪魔になるだけだ。この騒ぎに乗じて、他のバケモノが壁に近づくかもしれない……お前らは後方の警戒に当たれ……オレ達の戦いに、巻き込まれるんじゃないぞ」
「り……了解しました」
去って行く兵士たちなど見向きもせず。ワームは高々と胴体を押し上げ、口からひどく粘ついた半透明の涎のような粘液を、地面へとボタボタ垂れ流す。
特に頭の良い異形でもなく……初めて出会った時から、つくづく品性のない生き物であると認識していた苑樹。
――きっと、一週間前に出会っていることなど……どこに詰まっているのか解らない脳は憶えてすらいないのだろう。
「久しぶりだな。バケモノ……何度も汚ねえツラして、オレの前に出てくるんじゃねぇよ」
冴え凍った瞳には、心からの嫌悪と、燃えたぎる憎しみに満ちた視線を放っていた。
殺気を感じ取ったのか、すり鉢状の口から唸り声を出してゆっくりワームは動き出した。
苑樹は敵の顫動によって生み出される地響きを足の裏で感じつつ冷静に、大きく空気を吸い込んで叫んだ。
「すぅ……………………パーアライズッ!! これより危険対象異形〝ワーム〟を討滅する! ……準備はいいか、お前らッ」
『こちら仙崎ぃ、もうすぐでケツに追いつくッっす。ヒャッホゥー』
『芦栂、ポイントを確保。いつでもどうぞ』
『……試験兵と確認しました。合流します。……あ。林藤です林藤です』
「加藤。……援護射撃。準備良し」
全員の伝達を聞き届けた上で、苑樹はゆっくりと腰に下げた二本の刀を引き抜く。
ワームは相手の出方を窺っているのか、いきなり襲うような事はせず、腹の底から鳴らしているのかゴロゴロとした音を出す。生臭さ混じる吐息。粘着質な涎を絶え間なく吐き出し続ける。
「何に引き寄せられたのか、知ったことじゃない。……あの時は、森の地形に助けられたのが幸いしただけだ。……今回は違う。二度目は無い。掛かってこいよ。バケモノ」
神乃苑樹は悠然と前へ、巨大な異形に向かって、臆せず歩き出した。