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加藤丈典が話し終わっている頃。
二百メートルほど離れた場所で、神乃苑樹が引き抜いた刀を振り下ろしていた。
一刀のもと、一腕二足を持つ異形の体が斬り付けられ、為す術も無く血を流し、断末魔の暇も与えられぬまま崩れ落ち、絶命した。地面の上で痙攣し続ける異形を見ながら、
「ラクタス……か」
苑樹が指しているのは、異界に行くとよく出会う異形の名前。頭は悪いものの、集団で現れると連携し、狡猾に立ち回る。異界で目撃する頻度は多いが、普段は壁の近くに現れない個体だ。
「………………ここのエリア担当は、なにやってんだ」
苑樹は定位置を確保した古都子と専用回線で会話をしている。高所からの索敵。極力銃声を響かせたくないので発砲を――というより発砲をするまでもないが――避けて苑樹に敵の居場所を知らせ、試験兵に与えるであろ脅威を排除していた。
比較的〝弱い部類〟とされる異形しか、このエリアにいないからこそ、人間は拠点を置くことができ、同時に訓練生の演習として使用されている。ただ異界では常に当たり前などと言うものは存在しない。弱い異形しか居ないなんて認識は人間がそう考えているだけで確実性は無い。
自分の目で確かめなければ信用できない性格の苑樹は、念を入れて訓練生たちが来る前に入念な下地を作っておこうとしていたのだ。
『確かに、少し多いわね。北東、向こう側の区画にも一匹いる。…………いくら異界の中とはいえ、この付近は人間に支配権があるはずなのに』
「…………殺傷能力は小さいから、大した脅威にはならねえが――なにか引っかかるものがあるな。数で来られると厄介だが、一匹そこらだったらガキどもにやらせるか」
苑樹は周囲に注意を張り巡らし、あらかた危険と思われるべき異形の排除を完了させた。
――――計八匹。
試験兵の生徒に相手させる異形を除けば、危険になるであろうと判断し、処理した数が八匹。コレが多いのか少ないのかと問われれば……多すぎた。
「どうなってやがる。この小さい区画に、八匹もラクタスだと?」
『どれも小型だけど、奥にいるようなのばかり。確かにおかしいわ』
不審である。二人の意見は綺麗に投合していた。
『訓練は、中止させた方が良いのかしら?』
「芦栂……いつだって異界はおかしな事ばかりだ。多少予定と食い違ってるからといって、ストップ入れるわけはいかねえだろ」
非情な言い方ではあるが、苑樹の意図するところはおおかた理解できる。どんなに作戦や予定を組もうとも、思い通りに行かないのが異界なのだ。多少のイレギュラーなど、無いに等しいもの……。
「このままやらせるぞ。……加藤。地ならしは済んだ。後は好きにやれ」
逐一、無線で現地の動向を聞いていた加藤は、生徒たちを引き連れて、市街地の中を行進する。
「了解でーす…………さって、はいはいみんな。こっちの十字路に集合。なるべく中心にあつまってねー」
しっかりと列を作って静止する生徒たち。
加藤は自分の荷物から、何かを取り出す。左右に手持ち用のハンドルが取り付けられた、黒色の分厚い端末であった。
複数のボタンと、小さな画面。カメラレンズみたいな丸いパーツが組み込まれている。
「これ『オーバーフェーズカウンター』っていうんだけど。もう授業とか実戦訓練では習ってるよね? 科学の力ってすっごいよね。仕組みは魔術兵器の雛形になってる『レムシステム』が使われていて――って、こんな雑学いらいないか。たぶんテストに出るわけでもないし。………………いわゆる『異形探知機』ってやつ。この外見。ぱっと見、ゲームギアみたいだねぇ。…………あ、しってる? ゲームギア。あ、知らない。うっそぉ。知らないの。…………あっそう。ジェネレーションギャップだねぇ…………おじさんショックだよ」
いつの間にか、お兄さんがオジサンに変更されていた事に生徒たちは全く気がついていない。とてもしっくりくる単語であったが故に。
「僕らサイファーの多くは、異界に入る際に、目的地が決まっている。そこで絶対に外せなくなってくるのが、現在位置の確認だ。行くのは簡単だけど、元来た道を帰るのが、難しくなる場合がある。……GPSは空間が歪んでしまっている異界じゃ、全く機能しなくなっているし、電波はもちろんのこと、一般的に空間を飛ばしてやり取りする機械ってのは、奥に行けば行くほど用を成さなくなってしまう。そこで必要になるのが、この端末ってわけ。探知機以外にも、わりと正確な位置情報を割り出してくれるんだ。…………君たちが普段から利用している、その無線機も特別製なんだよ。……オーバーフェーズカウンターと同じ作りをしていて、端末と連動させ、おおまかな居場所を知ることが可能だ。……もし異界で無線機が壊れてしまったら、機械を直すのとは訳が違うから、まず修理はできない。壊さないようにした方が良いよ。僕はそれで大変な目にあったことがあるから」
端末を操作しながら、加藤は車のハンドルを握るようにして前に突きだし、自分を軸にしてぐるりと一周。
「最近のはもっと小型化されているって話だし、精度も上がっていると聞く。ヘッドギアバージョンなんてのも開発されてるんだってさ。凄いよねぇ」
加藤の話に、誰も相槌を打たず、無言で頷くだけ。
――突き立てた丸太たちと話している気分だった。
「このカウンターだけども、結釘とは違って、刻印がなく魔力が使えない一般の人間も、使用することが可能だ。多くが索敵担当の人間に渡されていて、とても希少価値の高いものだから、一人一台ってわけにはいかない。かさばるしねぇ。…………基本。『パーアライズ』の号令を出すのが、索敵担当だ。ほら……少し見えにくいかも知れないけど、この画面の端っこ。いま〝黄色〟を示しているだろう?」
画面には、カメラを通した向こう側を映し出している風景と、右端にメーターのようなものが上昇して黄色を示していた。
「――――これ、いま近くに異形がいるって合図」
話を聞いた途端、生徒たちがどよめく。
加藤は、心配しないように皆を落ち着けた。
「カウンターは、敵……つまり異形の持つ魔力と動体反応を見知して、遠近を判断している。魔力の大きさを調べて出てくる色は全部で四つ。安全値の『グリーン』……異常値の『イエロー』……危険値の『レッド』――そして、測定不能の『パープル』多くがグリーンかイエローだ。異形がいるのは間違いないが、ちゃんと警戒をしていれば、そこまで心配する事じゃ無いよ。こちらの準備が整っていない状態での遭遇のほうが、何倍も恐ろしい。そのための索敵なんだから。……ちなみに、脅かす訳じゃないが、この反応でレッドが出た場合は、非常にまずい。パープルに関しては僕も見たことがない。ここらじゃ両方ともまず無いだろうけどね」
加藤は緊張感なく言って、集団から離れた場所で立っていた男に声をかける。
「…………担当官さん」
「……………………え? ――――――は、はい?」
加藤に言われて、まさか自分に話しかけられているとは思わず、生徒たちから離れた場所で同行していた男は、完全に隙を突かれた。
「担当官さん……異界経験は?」
「何度かありますが、奥に言った事はないです」
「よろしければ、索敵を行ってもらってもよろしいですか」
「――了解しました」
カウンターを受け取って、担当官は不慣れな手つきで、端末をかざす。
「大人数で行動する際は、一人が索敵を担当し、周囲が目視で陣形を組むことになる。十字路に集まって貰ったのは、見通しの良い場所を確保することによって、周囲の異形をいち早く確認できるようにするためだ。戦う事も重要だが、索敵担当は全員の命を握っているといっても過言ではない。敵は我々のように道を歩いているとは限らない。道や建物は人が作ったものだ。異形にこれらの常識は無いものだと思ってくれ。……壁、瓦礫の隙間。建物の高所。天井。ありとあらゆる所が、やつらの移動手段として使われる。注意して目を向けておくように」
観光ガイドさながらの説明をする加藤。生徒たちは一言一句聞き逃しはしまいと、一心に聞いていた。
「まだ、こんなところでモタモタやってるのか」
そこへ、コートを揺らしながら、道の角を曲がって苑樹が現れた。
彼が姿を現しただけで、生徒全員の緊張感が数倍になって膨れる。
「……カウンターなんか使ってるのか?」
「いや、使わない我々の方がおかしいんですよ。ほとんどのサイファーは、使ってますよ?」
「…………………………そろそろ。実戦に移行するぞ」
「だってさ。いよいよだよ君たち。異形とご対面だ。気を引き締めていきますか」
苑樹を前にして、ずんずん進んで行く。
比較的、平均よりも身長の低い苑樹。気持ち早歩きで移動していた。
「この区画は基地から近く、魔力が薄いということもあって、活発な異形は少ない。ただ……奥に行けば行くほど、好戦的な生き物が多くなり、中には独自の魔術を使う連中までいる。異界の中では、ほんの少し判断を遅らせるだけで、自分の命のみならず、同行している仲間全員の命も危険に晒される……勝手な判断はせず、常にコミュニケーションを取れ」
口々に『はい』と返事。目線は前を向いたまま、苑樹は続ける。
「……常に学べ。そして生かせ。誰もが死ぬために戦ってるんじゃ無い。生き残る為に戦っているんだ。…………どんな状況でも、生き残ることを最優先に考えろ。仲間を生き残らせるために尽力をつくせ」
索敵をしていた担当官が慌てた様子で加藤を呼び、オーバーフェーズカウンターを受け渡す。加藤は画面を注視し、渋い顔つきに変わる。
「戦闘でも、基本行動中でも刻印は大きな役割を果たす。他者の強い魔力に晒されると、刻印が反応し、場合によっては痛みを感じることがある。誰しもそうなるわけでは無いが、異界の中で刻印の感覚はOPCよりも高い精度をもっている。機械に依存しすぎると、いざ使えなくなった時に何もできなくなってしまうぞ」
淡々と説明を重ねる苑樹。彼は自分が出来ないことを他者には押しつけない。
異界の奥に行く限り、コレは最低限できなければいけない事であると、経験上知っているからこそのアドバイス。
――なのに、出来ないヤツが多すぎる。
ディセンバーズチルドレンとして、救出される前から、苑樹は異界の中で生きてきた。
時には複数で生活を共にし……でも、最後には一人になった。
弱い人間はふるい落とされる。地球上で当たり前のように行われ続けている弱者と強者の関係。
人間は『生きる』事を当たり前のように思っていて、本当に『生きる』とはどういうモノであるのかを忘れてしまっている。それに気がつかない限り……当たり前では無いのだと認識しない限り、異界で生き続けることなど不可能だ。