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―――― 一方、仙崎昂は芦栂古都子に言われたとおり、
全速力で試験兵たちが訪れる予定の現場に駆け込んだ。
そこは横にだだっ広い空き地で、建物を崩し、見晴らしを良くした、市街地との境界線だ。
余計な建造物は一切なく、異形の一匹でも境界線を渡ろうとすれば、よく目立つ。
すぐに何者がいるのか確認できるよう、あえて障害物を取り除き、平らにされているのだ。
平地のど真ん中。一脚の錆びたパイプ椅子に座っている男がいた。
しっかり手入れのされた黒髪。ほどほどの体型。背丈は平均よりもすこし低い。
椅子の横には鞘に収められた刀が二振り立てかけられていて、膝の上には―― 一瞬、机かと見まちがうほどの、幅広な大剣が乗っている。
全て金属で形作られた灰色の鉄塊。刀身の表面……根元部分には『04-ANWS』と小さく、主張しない程度の刻印が彫られている。両刃に武骨な鍔。柄は滑り止めの包帯が巻き付けられていて、手垢と血によって変色。継ぎ目がないほど硬質化していた。それは幾度となく振られ、握られていた時間の経過によって作られる――持ち主と剣が戦場を駆け巡ってきた、確かな証でもある。
男は自前のハンカチで大剣の刀身を細部まで磨いていた。
神経質なほどキレイ好き……というほどでもない、行動の本質に意味はなく――ただ、やることが無いから、というだけの時間つぶし。…………だったのだが、拭けば拭くほど汚れが取れる。自覚なく男は剣磨きに没頭していた。
「せ、仙崎。ただいま――戻り……ました」
後半につれて声が落ち込んだのは、不安による現れがゆえ。
声をかけても無視。口を真一文字にしたまま。剣を磨く姿。
その無言が、仙崎の背中に汗をかかせた。
磨く手を止めて、柄を握る。鉄と手の肉がギリッと噛み合い、剣が簡単に持ち上がる。
男の身長はありそうな程の鉄の塊。目測で質量を予測しても――単純に三十キロ以上はあるであろうその剣を、手首を上に返すだけで動かす。剣の圧力で押しのけられた空気が風となり、音を立て唸る。
地面と平行にされた剣の刃に自分の目線を通し、切っ先まで刃こぼれが無いかと確かめる姿。椅子に座っているバランスをなんら崩すことなく、鉄塊を片手で持っている。片方の皿だけに重りが乗っているのに、釣り合いが取れている、物理の常識を無視した天秤に似ていた。
――彼の剣は、タダの剣ではない。対異形武器。…………魔 術 兵器である。
魔力を通すだけで、物質の強化や重さの軽減を可能とするそれは、サイファーになくてはならぬ道具だ。
ただ……男が持っているのは普通のサイファーでは所持できない特別製。
人間の身長を優に超える『大型異形』を想定して作られている。見た目通り攻撃力は折り紙付き。一振りした刃に触れたら、人間など木っ端微塵になってしまうだろう。
それなりの地位にいるサイファーであるなら、申請さえ取れれば、似た物を製作してくれるだろう。
ただ、全サイファーの中で、この剣を持っているのは、目の前の男だけだ。
…………所持できないのではなく。正確には扱える人間がいないといった方が正しいか。
過去に、仙崎は軽い気持ちと好奇心で、この大剣を持たせてもらったことがある。
初めて持った感想は『使いやすい』
どうして、周りの連中は通常サイズの剣を好んで使いたがるのか理解に苦しんだ。
――だが。二、三回振ったところで、その本質にある凶悪さを思い知る。
剣は桁違いの魔力を消費するのだ。普通に自分の固有刻印を使うよりも多く消費し、
魔術兵器の刀剣を十本まとめて扱っているのと同等くらいの大食いだったのだ。
魔力を送り込まないと、たちまちに絶大な物理的過重へと変ずる。
とてもではないが、威力が保証されようとも実戦で使えないのならば、役に立たない。
自分から進んで鬼籍に入るのと変わらない武器を背負って、戦場に立とうとする命知らずなど、いるはずもなく。
――つまり、男は……常に大剣へ魔力を送り込み、重さを制御している。
非戦闘時であろうとも軽々扱う姿が目立つ。まるで呼吸するように魔力を取り込み、自分の物として転換し、魔力を流し込み続けているからこそできる芸当なのだ。
普通の魔術兵器は、いくつかの魔術が搭載されていて、武器にある多重回路に魔力を注げば全ての魔術が発動する仕組みだ。刀であれば、切れ味と頑強さ、重さの軽減などが同時に発動する。
男の持つ剣は、それらを全て独立させている。一つの魔術につき単一の回路。この構造によって、スイッチを切り替えるように余計な能力と消費量を限界まで抑え込むことができ、実際にその目で見たことはないのだが、剣には普通ならば付属しない『特殊能力』を複数持たせているのだそうだ。
無意識の領域に入り込んでいる――魔力制御。
戦闘に置いては絶妙なバランスをもって、コントロールしているのは想像に難くない。
実際にどんな制御を行っているのかは、本人しか理解できず。
『斬るときだけに、重さのコントロールから別の回路に切り替えて魔力を通せばいい。難しくはない。単純な話だ』そう当たり前のように言ってのけた説明は、まるで参考にならず、仙崎の想像を遥かに超えていた。
わかった事と言えば、武骨にして大雑把な剣は、精密機械もかくやというほどの繊細作業を要する武器であり。
大剣――『アンワズ・ニーヴェルホッグ』の性能過多もさることながら、
仙崎の所属している班の隊長……。
難なくソレを扱う――神乃苑樹は、
間違いなく人の理から抜きん出ている『怪物』だった。
「…………おい、仙崎」
「は、はいっす!」
そんな常識の枠から遠く離れた男に対して、
仙崎は畏怖と同時に、心からの尊敬と絶対的な信頼を置いていた。
「随分と元気が残ってるじゃねぇか。良いことだ……いま、無線で芦栂から聞いたぞ」
座りながら剣の刃を、指でなぞる。
嫌な予感。だとしても笑って誤魔化すことしかできず。
「ま、まじっすか。へへへへ。………………こ、困ったなぁ」
苑樹から怒っている様子は感じられないが、普段から怒っているような顔をしている人の腹の底を知るなど、仙崎にはできなかった。表情から感情を読むなど無駄である。
苑樹は地面に大剣を突き立てた。重さに任せて地面がひび割れて沈む。
背もたれに深く腰掛けて足を組み、初めて仙崎昂を座ったまま見上げ、視線を交わした。
「…………なら、まだ残ってる元気使って、貴様に偵察任務を与えてやる。単独で行ってこい。ここから北東八百メートル先。偵察任務に当たってる小隊がいる。……確認してこい。三十分以内にな」
「そ、そんな。直線距離で八百だけど、安全確認しながら迂回してったら、倍はあるっすよ。それを往復。フル装備で時間制限なんて、マラソンと訳ちがうっすよ」
「……もう二往復追加して欲しいのか?」
「いってきますです!」
ヘタな抵抗は余計な罰を増やすだけだ。
そういった危機回避においては、人一倍敏感。それが仙崎昂という男だ。
走り出した仙崎。ちょうどゆく手には一人の男がこちらに向かって歩いてくる最中。
「ん? 仙崎くん。お出かけかい?」
中年の男性。無精髭を生やして、長い髪を後ろでまとめている。他のメンバーと同じ、黒いコートに身を包んでいる。年齢の割には貫禄を感じさせない。班のナンバースリー。
「あ……加藤さん。ちょっと偵察隊の偵察に行ってくるっす」
「偵察隊の偵察って。………………なるほど。また、なにかやったんだな」
ほとんど、意味を成さない任務内容。それでも、たった一人で異界に進ませるということは、それだけ彼の事を信頼している何よりの証拠でもあった。
余計なことするからだよ、と言わんばかりに嫌味なく。鼻で笑う。
「仙崎くん!」
「あ、はい!」
ほら、と投げて渡した無線機。
「忘れたら、もっと怒られちゃうぞー。道中気をつけなよ」
「ありがとうございます。いってきまーす」
市街地の方へかけてゆく青年を遠い目で見送りながら、
「元気だねぇ。……若いっていいねぇ」
愚痴なのか羨んでいるのか。どっちとも取れるニュアンスで加藤丈典は独りごちに呟いた。
入れ違いになる形で、加藤丈典は神乃苑樹の元へ足を運んだ。
ほとんど変わらない姿勢で、苑樹は睨む形で腕を組みながら、仙崎が走り去った方角の市街地を見つめていた。
「ヨッ、隊長。せっかく息抜きできる時間なのに、そうやってずっと気を張ってて、疲れないんですかい?」
無精髭の生えた顎を撫でながら、いつも通りに声を掛ける加藤。
仙崎昂よりも苑樹の方が年上で上官ということもあるが、苑樹よりも下の階級でありながら加藤は年上という、複雑な立場に彼はある。
立てかけていた二本の横に、地面に突き刺された剣。
もうあと少ししたら、またこれらを振るわなくてはならないのだ。
ほとんど無視に近い形で反応せず。少しだけ首を傾けて、苑樹は口を開いた。
「オレは……この戦いに意味があるのかと、良く思う。異形を殺し続けて。何年もひたすら殺し続けた。犠牲者は数え切れないほど見てきた。だが実質……人類がプラスとなる戦果は微々たるものだ」
「まあ、そうだねぇ。でも何もしなければ悪化の一途を辿るだけじゃないのかな?」
あまり深く考えてはいませんよと、加藤はポケットからタバコを取り出して火をつける。
苑樹は風で流れる煙を目で追いながら、
「…………この後、ガキどもの訓練が始まる。…………なあ、加藤さん。アンタはどう思う?」
「どうって? なにがです?」
「何人来るのかは知らないが、試験兵を終えたら正式にサイファーの仲間入りだ。…………一年後、二年後に死ぬかもしれない人間を、訓練するって、意味があると思うか?」
返答の第一声はたっぷり時間を空けた間があり、
加藤は溜息にも似た煙を吐き出した。
「死ぬ人間は、死ぬ。そういうふうになちゃうんですよ。どうやっても。…………けれど、生き残る人間は生き残る。何もしなければ死ぬだけだ。備えなければ何もできない。このご時世。若いからとか老いているからとか、そんな四の五の言ってる場合じゃないってのは、異界に入っている僕たちだから言えることさ。…………何も知らない〝オエライサン〟には言って欲しくない言葉だ。こういう言葉を、解って言える人間は、けっこう少ない」
「…………………………」
「僕たちはトップクラスのサイファーだ。己惚れで言っているんじゃ無いよ? 数字が語っている事実だ。…………そんな実績を上げている僕たちでも、爆心地までの踏破距離は六割が良いところだ。常に生きて帰っている、が前提だけどね…………六割から向こう側は『上位種』が確実に居るから、もう班単位の戦力だけじゃどうにもならないのが現状だ。いずれかどこかの区で大規模な掃討作戦を……各地のエリアで要となっている異形のどれかを討伐して、風穴を開けなければならないし」
吐き出す煙が風に乗って、苑樹の横に流れた。
「話は回りくどくなっちゃったけど、教えることに意味は有ると思う。僕らの経験と技術を。生き残るために作り続けた活路を。下の世代に話すことで生きることに繋げられたら……それは死ぬかも知れないじゃなくて、生き残るかも知れない可能性を広げる訓練……なんじゃないかな?」
「オレはアンタがリーダーになればいいのにって、いつも思ってる」
「………………似合わない言葉だねぇ。それは君より、歳が上だからかい?」
「違う。アンタはなんだかんだ言って人を見る目がある。それに人の心を動かす術を知っている。俺なんかよりかは、よっぽど上手くやれる」
普段は彼が隊長ということもあって、上下関係をハッキリさせるため、加藤自らが呼び捨てするよう指定していた。よって、普段は『加藤』と呼び捨ての苑樹であるが、二人でいるとき、苑樹は加藤のことを『さん』付けで呼ぶ。
年齢が離れているというのも一つの理由であるが、
一番の理由は、精神的な成長にある。
――――初めて、加藤丈典が、神乃苑樹と邂逅したのは、何年も前の話……。
まだ二十歳にも満たない苑樹が『帰還者』として帰ってきたとき、当時の上官である岩見大悟の名指しによって、加藤が苑樹のお目付役として抜擢されたのだった。
最初に感じた印象は、茨のような……人間を辞めたサイボーグ。礼儀を弁えないクソガキ。
生きるために必死になりすぎて、人としての情愛などを異界の中に破棄し、残ったのは、生き物として切り外すことのできない生存本能と、異形に対する深い憎しみ。そして、残忍とは違う種類の……生きる為ならば何者をも殺すであろう。自分の為なら手段を厭わない、氷のような非情さ。
まともな会話もせず、受け答えもしない。何を考えているのかも解らない。
――耐え難い地獄を生き抜いてきたのだ。見た目はまともだが、
『きっと、とっくに頭がイカれちまってるよ』と加藤は出会った直後。そう思っていた。
ただ、彼がディセンバーズチルドレンとしての初陣で見せた成果を、加藤は今でも忘れられない。圧倒的な能力と戦闘センス。仲間の連携や援護が、逆に彼の足かせになっていた有り様。異界で生きていたウソのような話を、行動で……体一つで示した。
――――彼が『怪物』と呼ばれる所以と功績を肉眼で見てきた加藤は、歴然とした力の差を見せつけられ、少年時代の彼に対して『このガキが上司になっても、文句はいえないな』と少し先の未来を暗示していたほどであった。
班の中で、誰よりも近くで苑樹を見てきたのは、加藤である。
だからこそ、彼は……苑樹の考えを否定した。
「僕は君が隊長で居ることに、意味があると思っているよ」
「……………………」
「外界の連中、ブラックボックスの一部の人間が求めているのは、宣伝効果のある人間。英雄としての象徴。お飾りだけの看板があれば、なんとかなると思っている。…………だけど、この場に立ってる僕たちは違う。一パーセントでも生き残れる数字を伸ばしてくれるのならば、犬にだって指揮権を譲ってやってもいい」
「……………………まったく、アンタらしい意見だよ――オッサン」
「そっちもしっかり隊長努めて、僕らを末永く生かしておいて下さいよ――クソガキ」
お互いが心の内を知り、解っていたからこそ、冗談であると二人は笑い合うことをせず、
共に生きてきた年数があったからこそ、表情で伝えずとも軽口で言葉では伝えられない心を交わした。
会話は聞こえずとも、視力の良い芦栂古都子は、遠目で二人の男が話しているのを見ながら、
「…………いま、あの中には入れないなぁ」
男同士の会話に入り込むのもちょっと気が引けるというのもあったが……珍しく、気を緩めている苑樹の背中を見たら、声をかけるのが申し訳なくなってしまう。
――――もう、少しくらいは保たせられるかな?
「どうしたんですか。副隊長。…………はやく行かないと、時間オセオセじゃありませんでしたっけ」
隣で不思議そうに見上げる林藤佐奈香に対して、
「そうだ。林藤さん。……仙崎くんは、神乃くんからお叱りをうけて、どこかへいってしまいまいましたけど…………林藤さんは、どうする?」
「――――ふぇ? ど、『どう』とは。いったいどういうことで、しょう」
優しいお姉さんといった感じの言い方であるが、どこか邪悪な心根がニッコリ笑って、薄目の隙間からじっとりとこちらを見ている気がした。
「あ、ごめんなさい。生徒さんに担当官さん。……少し待機でお願いします」
後ろからついてくる試験兵と二人の担当官に振り返り、古都子は手のひらを見せて振る。向き直って再び佐奈香を見つつ。
「このままじゃ、きっと凄い罰を受けちゃうと思うの。班では女の子は私と林藤さんしかいないし、ココは同姓のよしみということで、私が林藤さんを別の罰則をもって逃がしてあげようかなって、そうおもっているの」
「ほ、ほんとですか。…………隊長の罰は怖い。ブルル……思い出しただけで寒気がするです。性別関係なく平等に扱ってくれるところが、良いところでもあるけど、隊長の場合は……ときどき、えげつないのですから」
眠そうな顔つきの佐奈香は思わぬ助け船に表情が輝く……っといっても微々たるもので、一緒に過ごしている班の仲間でしか解らないほどの違い。
「――さあ林藤さん、どうする?」
「ぜひ。副隊長。罰を、……この私に罰をくださいですッ!」
「急に強調して叫ばないようにね。後ろの子たちから、なんかすごく勘違いめいた視線を浴びせられている気がするから」
それじゃあ、特別に軽い刑をあたえてあげます、と天使のような微笑みで人さし指を立てて、林藤佐奈香に判決を言い渡す。
「では林藤さん。今から戻って、屋外トイレの清掃を命じます。間違わないで欲しいのは『屋内』じゃなくて、あの『屋外』の方よ? …………しっかり、キレイにしてね?」
目が点になって、時が止まった佐奈香は慌てた様子で『ちょっとまて』といわんばかりに食いついた。
「そんな。そんなそんな……ふ、副隊長。アレはもはやトイレとは呼べない。惨状が――」
「イヤ、なの?」
「……いえ。…………うれしいです。……いってきます。嗚呼、うれしいなー。仙崎の方がぜんぜん良い。…………もう……思い出しただけで……きもちわるくなる。――しゅん」
天使の顔をした閻魔大王から下された、死刑宣告同然の『トイレ掃除』を言いつけられた林藤佐奈香は死んだ目で地面を見つめながら駆け足で基地へと戻って行くのであった。
佐奈香を暖かい眼差しで見送くる古都子は、
「さって……すこしは時間が稼げたことですし、行きましょうか」