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最外区としての位置づけである十七区、旧三鷹訓練所から東へゆくと、人々が住んでいる二つのエリアが壁によって区切られ……更に奥へ行くと、二枚に重なった防壁が現れる。
――第六層、人工防壁。
――第五層、魔術結界。
人類が進攻を許してはならない二重の防壁が、物理と結界を重ねて囲っている。
大がかりに作られた最外周……第九層よりも高さは無いが、『第六層』は河川の堤防もかくやといったその分厚さ。壁と呼ぶに相応しい大規模な作り。内側は城の構造と同じで、深く掘られ、壁の高さをかさ増ししている。水の張られてない空堀としての役割を持っていた。
――もっとも、城と違うところは、外部からの侵入を許さぬものではなく、内部からあらゆる存在を出さないため、行動を制限する〝檻〟としての位置づけ……。
空堀を渡るためには、鋼鉄で作られた跳ね橋を通らない限り、行き来することが出来ない。
崖の近くには活動に必要な補給物資、兵器、医療設備など様々な異界に向かう際に必要な施設が揃っている兵站基地がある。そんな徹底した建造物を作っておきながらも、人々は内部にいる『異形の者たち』の存在を恐れていた。
『第八区』を囲む『第五層』の内側――兵站基地の内部に一人の少女がいた。
彼女の居る場所は車両などが並んでいる空き地。
「うへー。緊張するなぁー」
北川あかりは、緊張によって冷えた手を揉み。腕に付いている『試験兵』である証の腕章が取れてしまわぬように付け直した。
彼女は第十七区旧三鷹訓練所の正装に身を包み、腰には剣を。背中に銃を背負っていた。
それ以外にも細かな装備を身につけ、集合の合図を待っていた。
「そんなに緊張することか?」
隣に並んだ少年は眼鏡の奥に冷静さを湛えたまま、特に表情を変えず言う。
彼もあかりと同じように正装と武器の装備をしていた。
「ハルミは何も考えていないからそんな風にいられるんだよ。…………ねッねッ。エイジは違うよねッ!?」
児玉英二はあかりに返事することなく、
「…………おいおい。晴道。見てみろよ。『関原』の正装って可愛くねぇ!?」
眼鏡の少年、佐久間晴道の肩に手を回し、特に内緒話でもない普通の声量で問う。
「フム……機能性よりも見た目に目が行ってしまうことは否めない。そして服よりも女子のレベルが高い気がする」
「そうだよ。おれもそう思ってたんだよぉ。さすが晴道! 思考がドンピシャだな」
「…………フ。当たり前だ。何年幼なじみやってると思っているんだ」
わざとらしく中指で眼鏡をあげる仕草。口角を広げて笑う姿は、どことなく悪賢い。
――ここは『異界』第八区。
第六層、第五層の防壁を超えた先にあり、異形によって占領された大地である。
一般的に〝前線〟と呼ばれる場所が、ちょうどこの場所から始まっている。
北川あかり、児玉英二、佐久間晴道を含む二十人近くの生徒。旧三鷹訓練所の二年生が、異界に臨む時に着用を義務づけられる『正装』を着ている。
そして、同じ場所で関原養成所の生徒たちも同じ学年、同じ数ほどいる。全員が試験兵と認識しやすいよう、腕に蛍光色の腕章を付けていた。
彼ら『試験兵』の階級が与えられた二年生たちは、初の合同実地訓練。
――第十七区、旧三鷹訓練所。
――第十八区、関原養成所。
関原とは三鷹と同じく、第九層の内側の土地に所を構え、
かつては『足立区』と呼ばれていた。
二つの学校との合同で行う異界訓練。
普段の訓練とは違い、空気は張り詰めていた。
談笑している生徒も何人かいるが、余裕無く引き締まった表情をしているのが大半を占めている。
英二と晴道は、そんな緊張感を欠いた少数であった。
男同士が繰り出す、下世話な話に花を咲かせているところに、
「っせい!」
踵で押すように、英二の尻を蹴飛ばしたあかり。
「いっでぇー。なにすんだよぉ!」
「あんねぇ。異界に来たってのに、女の子にしか目が行かないわけ!? 君たちは」
「…………だってぇ、そらぁ。目が行くよな? 他校の子だし。滅多に見れないし」
「…………男の性だ。あかりだってカッコイイ男が居たら叫ぶだろう?」
「叫ぶか。ばかもん。同じにするない」
本気で怒っているわけではないが、へそを曲げたあかりはむぅ、と頬を膨らませる。
「もっと緊張感をもってよ。もしかしたら、もう試験は始まってるかもしれないんだよ?」
「そうか? ぜんぜん始まってないだろ。……じゃあ、いつ始まっていても大丈夫なように、あかりは索敵を頼む。おれらは屈強なライバルたちの索敵を……いででで!」
懲りない英二の耳を、あかりは引っ張り上げる。
「取れる! ミミ取れるから!」
「班長である私の話を聞けないようだったら、こんな耳は取れればいいとおもうの」
関原養成所の生徒たちの視線を横目に、英二は力技でその場を離れさせられたのだった。
集団が待機している、つかず離れずの距離まで英二を引きずり、ようやく拘束していた耳を解放する。
「あー、ってぇー。耳の感覚がないぞ」
「それはそうだ。だって半分取れてるぞ。あかりが引っ張りすぎるからだ」
「マジィ!?」
「うそぉ!?」
「………………モチロン冗談だ。ほんとお前達は昔から変わらないな」
くつくつ笑う晴道に、お互いにギクシャクしていた英二とあかりは、釣られて笑った。
昔から変わっていないのは、単純に嘘を信じてしまう部分以外ににも、もう一つある。
一度、こうやって冗談の一つや二つ飛ばして思考をリセットしてやらねば、いつまで経ってもあかりは不満を言い続けるのだ。
ようやく二人の興奮が収まってきたところで、晴道が口を開く。
「…………今日の訓練。いったい何をするんだろうな」
「さあ。三年の先輩の話だと、訓練内容は毎回違うらしいじゃん。やっぱ異形と戦わされんのかね」
「ぶっつけ本番で? 獅子の子落としじゃないんだから、そんな無茶は……させないでしょ。でもでも、私たちって運が良いよねぇ」
心躍らすあかりは、両手を胸の前で握り合わせて、天を仰いだ。
英二と晴道が目を合わせる。
「まさか、あの『神乃班』が特別指導者として参加してくれるなんて……普通にサイファーやってても顔すら見れないって話だしぃ。超ラッキー」
あかりの心は別の所で、夢想に花を咲かせているようだった。
「…………なんか、すげえ怖そうだよな?」
「うむ。同感だ」
「鬼軍曹なイメージしかないぞ」
「うむ。共感だ」
「あんたたちねー。興味とかぜんぜんないの?」
阿吽の呼吸で、男子二人の首は右へ左へ、交互に動く。
まったくと、あかりはショートカットの髪を梳くって格好つける。
「興味は持つべきだよ。だって、話でしか聞いた事のない……神乃隊長は『人類最強』とまで言われた人。生きた伝説なサイファーだよ?」
「そりゃあ、気になるけども……神乃隊長って男だもんなぁ。お姉さんだったらマジ興味津々なのだけどなぁ。――ば、バカ。あかり。拳を振り上げてなにしようとしてるんだよ!」
むず痒そうな顔で、歯に衣着せぬ返答をする英二だったが、
またもや、あかりの怒りにまた触れ、慌てて逃げる体勢を整えた。
「……………………」
お姉さんがどうのこうのについて、晴道は賛同せず。あかりの顔を盗み見た。
「まったくエイジは……。でも神乃隊長ってどんな人かなぁ。まだ若いって言うし、長身のイケメンかもしれない。我が強くて手足がすらぁっとしてて。そしてかっこよくてクール。でもいざという時はすごく優しい。そんな人なの」
「…………まぁー。目を輝かせちゃって。どこの少女漫画だよ」
「――夢見るのも体外にしなさい。きっと前歯が二、三本抜けてる、ゴリラみたいな大男だ」
なんだかんだ言って、男子二人と同じくらい、
あかりも思考が薄汚れていたのであった。