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「まったく…………朝から冗談じゃねーぜ。今日は厄日かよ」
謎のワニパーカー少女『トラ』に振り回された誠は、まだ一日の始まりにしかすぎない午前中にも関わらず、心身共に弱っていた。
校庭を上から見たいと言われ、屋上――何故か扉の鍵は壊れていた――から俯瞰した写真を収め。
予告もなく自分にレンズを向けようものなら『いきなり撮られるのは好きじゃねぇ。だから止めろよ』と言いつつ、ちゃっかりスマイル&ポーズを決めてあげる。
誰も居ない教室を探し、授業中の扉を開けてしまい気まずくなり。
カメラのバッテリーが切れたから寮に戻るから付いて来てとお願いされて、まだ早朝である一年生の女子寮前で待つという、いつかにもあったような既視感を憶え。
学校に戻るとき、偶然通りかかった名前の知らない教官を無断撮影し、凄まじい剣幕で怒るものだから、持ち前の体力でトラを抱えて逃げ。
ファインダーばかり覗いている彼女の足がもつれ、倒れそうになったところを助け。
――――木に登り、片足を噴水の池に突っ込み、ネコに引っ掻かれ、知らない生徒に笑われ。
短時間のあいだだったというのに、まだ東にある太陽が夕日に見えるほど、濃密すぎる時間を過ごした。
ようやく自分が成すべき授業の教室へ戻ったときには、
出入り口の扉から、わらわらと生徒が排出されている光景を、疲れた目で眺めていた。
「おおっと! ツンツン頭。ずいぶんと精気無い顔をしておるのぉ。クカカ」
「………………おう。もう今日は疲れたぜ。おかしな女子に憑かれてな」
「せっかく席を取ってくれたのに、そんなに大変だったの?」
「委員長ぉ。それがとんでもなく変なヤツでさぁ~」
思い出すだけで、目がチカチカする。
何度、正面からフラッシュを放たれたことか。
「変なアンタに変なヤツって言わせるなんて。ある意味すごいわね……どんな女なのよ」
「ワニのパーカー着た、トラって女。……………………ちょっと待ち。変なアンタってなんだよ。訂正しろよな!」
「ワニパーカー? なにそれ。へんなの。バカみたい」
でたらめとしか捉えなかった絵里は一蹴。
「…………大変だったな、としか言えないな」
真結良も誠が授業をさぼった行為に対して追求も責めもせず、大層面倒なトラブルに巻き込まれたものだと、ちょっとだけ同情した。
「ワニの、パーカー…………ふあぁ。……かっこ、いい」
誰にも聞こえない声で、那夏は自分がワニのパーカーを着ている姿を想像しているのか、興奮で顔を赤くし、宙を見上げてあんぐり口を開くのだった。
立ち話をしていてもしょうがないので、どこか座れるところへ移動しようと、遙佳の提案に賛成するメンバーたち。
「…………………………。…………ねむ」
授業が終わり、中途半端なうたた寝から起こされた十河の脳は半分、就寝状態だった。
誠に何があったのかなど聞いてはいなかったし、
移動中、仲間の会話も右から左へ流れていた。
いつもだったらエリィの絡みにも抵抗する所であるが、今日はやられるがまま。
絵里と那夏と誠は、前を歩いて話をしている。
「間宮君……眠そうだね」
横にいた遙佳は、心配そうに声をかけた。
「…………あさ、コイツがうるさくて」
「え。まさか、エリィちゃん? どうしてエリィちゃんが男子寮にいるのか、なぁー?」
自分の隣を歩いているエリィにむかって首を回し、感情を殺しながら話す遙佳。
「コイツの部屋、いっつも鍵が掛かってないのじゃ。無防備じゃよなぁ。いつでもウェルウェルカムカム言ってるようなものじゃ。……だから入ったのじゃ。今度ハルカも来るか?」
「…………………………………………………………………………い、いえ! いきません!」
「…………流石の我でもいま、ハルカの中にある葛藤とかが丸見えだったのじゃ」
「べ、べつに葛藤なんかしてないよぉ。 ………………また、遊びには、いきたいかなぁって思うけど」
「ふつうに遊びにいけばいいのじゃ。だってハルカはトウガの事、す――ムゴゴォ!?」
おしゃべりに口に蓋をする遙佳。
耳元で焦りと怒りの言葉をまくし立ててエリィを黙らせる。
「ぷっは! は、鼻まで塞いでくるとは、死ぬかとおもった……別に良いよなトウガぁ?」
まさか今の話を聞かれてしまったかと、焦る遙佳。
「…………なにが、だよ」
「今の話聞いておったよな?」
「女子の会話を盗み聞きするような趣味は、ない…………タダでさえ、眠くて頭が働かないのに。耳に神経行くわけないだろ…………。歩くので限界」
「軟弱じゃのぉ……後で、ひざ枕してやるぞ?」
「…………ことわる」
まったく面倒だと、十河は半分以上眠っている頭でもしっかり『ノー』を意思表示する。
もう何回目になるか解らない、欠伸を一つ。とうとう涙まで流れてきそうだ。
開いた口が閉じるや否やの所で…………。
「トーーーォォォオウガァァアァアアアアア~」
廊下に響く声。自分を呼ぶ誰かの声。
何事かと、本人が鈍い動作で振り返った瞬間。
強い衝撃と体を包む拘束力が、彼を襲った。
「久しぶりだね! 会いたかったよぉ~、トウガぁ! トウガーッ!」
「…………………………」
現れたのは、青く染めた長髪をポニーテールとして纏めた生徒。十河を呼んだ主は腰を落とし、満面の笑みを広げて抱きつきながら、ぐりぐりと十河の胸に顔をすり寄せていた。
腰に下げていた刀が動きに合わせて右に左に、ふりふり揺れる。
絵里、那夏、誠の三人も、いきなりの出来事に振り返れば、得体の知れない女子が十河に抱きついている光景に目を丸くする。
無論、他の生徒たちも『公然ハグ』に驚きを隠せないようで、周りの時間が止まる中、
「なっ! ナぁっ! ――ななニャぁつ!?」
一番最初に思考活動を再開し、反応した遙佳は、どこぞの有名絵画のように両手を頬に押しつけ、声にならない叫びを上げた。
誠はゆっくりエリィの隣まで歩み寄り。
「だ、誰だよあの美少女はぁあッ! なんで、どうして十河ばっかりなんだよぉ! 俺なんか俺なんかワニ……わに…………」
まるで受け入れられぬ現実に、嫉妬とも悲鳴とも言えぬ声で両膝に手を突いて喚く誠。
隣にいるエリィも驚いていたようだが『おー』と、冷静に腰に手を当て、余裕をそうに眺めている。そんな彼女に膝を付いたままの誠が顔を上げて。
「おいミニ子! お前いいのか!?」
「ん? なにがじゃ?」
「なにがじゃあ? ――じゃねーよ! 十河がかわいこチャンに抱きつかれてんだぞ。いつも好き好き言ってるお前がなんで冷静なんだよ!」
あぁー、と納得したようなしていないような。エリィは頬を掻き掻き。
「……だが、あやつは男の子じゃよ?」
「だろ!? だからそういって――なに? 男だと? …………はぁ!? オトコぉお!?」
誠の目には、どうやっても平均よりも背の高い、男子の制服を着た女の子にしか見えなかった。
いや、よくよく観察してみれば、女のように見えること以外、細かい部分は男の子だった。
「え? 男の子なのぉ?」
あまりにも十河が無抵抗なものだから、最悪の予感が頭の中で光よりも速い速度でグルグル。思考が周回遅れになって手が付けられない状態。青ざめた遙佳。すこし泣きたい心持ちになっていたところ、エリィの発言によって、なんとかギリギリ、終末が回避された。
「…………おい、お前はいつまで抱きついているんだよ」
とにかく眠い十河。抵抗する力は無かった。鈍い瞬きをくり返すだけ。
「あははぁ。久しぶりなんだからいいじゃない。――あ! エリィもいる!」
美少女……もとい美少年は十河から腕を解き、エリィにむかって走り寄る。
「エリィもひさしぶりぃ」
「おー、オリヤ~ン」
トコトコ走りよって、タックル同然の頭突きを青髪の美少年にたたき込み。
「「はぐーッ!」」
二人は当たり前のように抱きしめあって気持ちを表現する。
「ふふ。相変わらず可愛らしいね。エリィは」
「じゃろじゃろ? 我のまわりでちゃんとした人間の目が二つくっついてるのはオリヤンだけじゃよ。十河にも我を愛でるように言ってくれよぅ」
「もっと女の子は大切にしなきゃだよ十河」
「そうじゃよトウガ。もっと愛せ!」
「………………お前らが揃うと、ほんっとめんどくさいな。……くっそ、……頭痛い」
遠慮無く本心を言い、十河は目頭に手を当てて嘆いた。
オリヤンと呼ばれた少年は、メンバー全員をぐるりと全体を見る。
「あははは。ごめんね。急に割り込むような形になっちゃって。久しぶりに彼と会ったものだから興奮しちゃってさ」
青髪の少年はクスクス笑ってポニーテールを揺らす。
問題児たちの顔はみんな『どちら様?』といった表情であった。市ノ瀬絵里を除いて。
「…………まさか、間宮が『神貫班』の一人と知り合いだったなんて、意外だったわ」
絵里は彼の顔を知っているらしく、特に興味なく「ふぅ」と温度差のある息を吐き出す。
「市ノ瀬は、彼を知っているのか?」
「知ってるも何も……あぁ、そっか。アンタは転校生だから知らないのよね」
嫌味を含めた鼻での笑い。意に返すことなく真結良は絵里の言葉を待った。
「あの男子。一年生ですでに異界で活動している人間よ。階級で言えば『優良生徒』と同じ扱いの『準試験兵』だけど、ソレは単純に一年生でまだ実地試験が行われていないからよ」
「それじゃあ、彼が例の……」
真結良はようやく答えを掴んだ様子で、絵里から少年へと視線を移した。
向こうも真結良の存在に気がついたらしく、
「わぁ! アナタが、谷原さんだよね。岩見大尉から話は聞いていたんだよ」
「そ、うなのか?」
「初めまして。ボク、浜坂檻也っていいます。ヨロシクねぇ」
「ああ……よろしく」
嬉しそうに口角が上がると、綺麗に並んだ白い歯が見えた。
平均的な身長。腰に下げた刀。繊手までとはいかないものの、男子にしては手足は細長い。
目鼻立ちがはっきりしていて、見れば見るほど女子にしか見えない整った顔つきをしていた。
彼の名前は、真結良の記憶にも新しい。
代表戦を免除された例外。一年生最強とされる班に所属している一人。
――――ディセンバーズチルドレン。浜坂檻也。
「間宮と君は……知り合いなのか?」
はにかみながら、浜坂檻也は目を細めて。
「うん。ボク達は昔からの友達だよ。……同じ第三区。同じ自警団にいたんだから」
「おい檻也。あまり余計な事は喋るなよ」
檻也が余計な話をするのではないかと、落ち着きのなくなった十河は、眠たい頭を起こして、口を挟んだ。
「ハハ。ごめんね十河。……つまりそういうことなんだ」
真結良に向き直ってウィンクしてみせる檻也。つまりどういうことなのか理解できなかった真結良であったが、気取った仕草が似合う人間なのは分かった。
「実は、先輩たちの実地試験が一斉に執り行われるって話だから、しばらく異界活動はお休みになるんだよね。だからボクも一年生としてちゃんと授業参加させてもらうんだ」
「ほーほーほー。そうなのかぁ。まあオリヤンだったら、授業とか試験なんか楽勝じゃろ」
「そんなことないよエリィ。ボクだって毎日が挑戦だって思っているんだ。楽勝なんて思ったことはないよ。もし実技とかで手合わせできるなら、ぜひ十河と戦いたいなぁ」
「……………………オレは、お前ほど強くない。だから練習にすらならないぞ」
檻也は少しばかり驚き目を開くが、すぐに顔を綻ばせた。
「いやだなぁ、十河。……十河はボクのヒーローなんだよ? そんな十河が弱いはずないじゃないか。今だってボクは、十河……君に追いつくため、強くなろうとしているんだから」
後ろ手に少し前のめり。覗き込むような姿勢で、檻也は十河を見る。
「ボクが……ボクだけが十河の強さを知っている。この訓練所じゃ……誰も知らない十河をボクだけが知っている。訓練で十河がもし本気になれる時が来たとして。……その相手はボクであれるよう、君に近づけるようになるため、ボクは前に進み続けるよ。一度は生きることを立ち止まってしまったボクの手を引いて、歩かせてくれた君のように」
「…………………………」
「この前だって、十河は誰かの為に一肌脱いでいたじゃないか」
「…………ん? なんのことだ?」
「たしか…………君、そう君が、屋内広場で、感動する話をしてくれてた。思わず手が動いて拍手をおくっちゃったよ」
細指が、誠を指し示す。
屋内広場。……演説。……そして拍手。
誠が最近行った事で全てが噛み合うとすれば――いじめられっ子の吾妻式弥を助けた件。
「あァ! 思い出したぜ。お前だったのか! あのとき最初に拍手したやつッ!」
誠は思い出して指をさし返す。
「正解ぃ。だって凄く良い話だったから、つい応援しちゃったんだ」
「どこかで聞いた声だと思ってたら、やはり檻也、お前だったか」
「そうなんだよぉ。ほんとはあの後、十河に直接会いに行こうかと思ってたんだけど、勝手な行動をとるなって、班長に怒られちゃって」
怒られたと言うわりには、さほど反省してない様子の檻也。
「あれって、人助けしてたんだよね? 流石は十河だよぉ……変わってないね」
「……………………別に、そんなんじゃない」
またもや抱きついてこようとする檻也を手で押し戻し、めんどくさそうに腕を組む十河。
「本当は積もる話が山ほど、たーくさんあるんだけど、これ以上長居しちゃったら、仲間の人たちに迷惑かかけちゃうから、ボクはもう行くね」
ああ、と短く返事をして、組んでいた腕を解き、片腕を上げる。
エリィも名残惜しそうに両手を振って、檻也に別れを告げる。
「それじゃあね十河ぁ。…………谷原さん。よかったら今度、外界の話を聞かせてよ。…………班の皆も引き留めちゃってごめんねー」
駆け足で去って行く檻也を見送りながら、誠は頬をかきつつ。
「浜坂かぁ。なんか爽やかーって感じ。キラキラしてるっつーか。『ピカピカ王子』だな……愛想は良いけど、強そうには見えねぇなぁ。本当に一年最強なのか? …………というか、やっぱり女に見えるのは俺だけか?」
「我の友達を馬鹿にすんない。この『ビックマウス・アラヤ』め! オリヤンは強いんだぞ。異界じゃ、けっこう泣き虫じゃったが、でも強いんじゃぞぉ」
「……………………ミニ子がいうと、説得力ねぇなぁー」
話半分にも信じていない誠はからから笑う。
十河の横で立つ絵里はわざとらしく鼻を鳴らした。
「なんか……甚く執心されているようじゃない。間宮」
「アイツは昔からあんな感じだ…………今と過去じゃ、立場はもう違う」
いつの間にか消え去っていた眠気と、少しだけ気怠さのある体を覚醒させるため、
十河は大きく反り身をする。