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ParALyze~パーアライズ~  作者: 刻冬零次
第3話 【前編】
117/264

<3>

 寝覚めの悪さというものは、様々な原因がある。

 ――たとえば悪夢。うなされるほどの恐怖を感じた時に目覚める朝は、気持ちが重くなる。どんな夢かなど、憶えていないのが大半であるものの、それが良いモノか悪いモノかの印象だけは強く残っているものだ。

 時には身体的、精神的なバランスが崩れて、目覚めに影響するパターンもある。他にも――自分以外の外的原因。物理的な力によって無理矢理に覚醒させられるケース。

 どれをとっても、良い朝が迎えられることは無いだろう。



 ――正に、そんな寝覚めの悪さを体験した男が一人、

 第十七区、旧三鷹訓練所の男子学生寮。

 前触れもなく、腹に加わってきた。それはそれは強い衝撃をもって。

 …………間宮(まみや)十河(とうが)の朝は、最悪な起床を果たしたのであった。



「――――ぐぅッふぅ!?」


「クッハハハハハハハッ! グフゥじゃて、ぐふー。面白い声じゃのぉ! もっかい聞かせてくれ!」


 寝ていたのだから、完全に無抵抗状態での奇襲に、目を開いて腹を押さえようとする。

 だが、手は腹に届かなかった。

 代わりに両手に触れたのは、誰かの柔らかい太ももだった。


「ほう。寝起きでお触りとは、なかなか大胆なヤツじゃのう。トウガ」


「…………………………」


 ――――動揺も驚きもしない。ただめてゆくと共に怒りが湧いてくる。

 人が困ることなど意に返さないぼうじゃくじんな態度。

 自分の胸に垂れ下がっているのは、あでやかにしてとても長い銀髪。両目は薄く開いて、その瞳はピンクに似たうすべにふじ。吸い込まれるような不思議な色。微笑む口からは八重歯が覗く。

 腹にのし掛かっている人物が誰であるのかすぐに理解できた。

 …………いや、そもそも、こんなバカをする人間は一人しかいない。


「くっそ、エリィ……お前かよ」


「ぬむむう? お前かじゃと!? 別の女だったらお前は喜んだのか!? ハルカとかだったら良かったのか? われがいながらそんな欲張りをするのかトウガは!? 別に怒らないが、すこし嫉妬はするぞ」


 上下に体を動かし、その度にベッドが軋む。腹が潰れる。


「うっ。苦し…………叫ぶな。動くな。どけって。…………オレが言ったのは、そういう意味じゃない。…………それに、なんで蔵風がでてくるんだよ」


 朝から、とんでもないテンションを押しつけられて、耳が痛い。

 まだ少し腹に鈍痛が残っている十河は、ベッドに座って額を押さえる。


しょうりも無く……お前は。男子寮に入ってくるなと、あれほど言ってるだろ」


 ベッドの隅で女の子座りをしていたエリィは、


「別にいーじゃん。たまにはお前の部屋に遊びに行きたいときもあるのじゃよ」


「――それが、よりにもよって朝で。オレが寝てるときとか。……やめてくれ」


「やめんのじゃよ。われは好きなときにお前の顔を覗きに来たいし、お前だっていつでもわれの部屋に来るが良いぞ。一緒に寝てやっても良いぞ」


「……………………………………バカか。……頼まれても、お断りだ」



 二度寝しようとすると、エリィの暴虐が睡眠を許さない。

 仕方なく十河は着替えをするためにエリィを外に出した。

 出来るだけ早くしないと、廊下で騒がれては困る。

 シャツを脱いで、まだ重いまぶたを起こすために洗面台で顔を洗う。

 タオルで残った水滴を拭き上げて手を下ろしたとき、

 自分と目が合う。そして視線は下へ……。



 ――左胸には、巨大な傷痕があった。



 斜めに走る、十五センチほどのそれは、一生消えることが無い傷。

 傷に触れると、あの時の事を鮮明に思い出してしまそうになる。

 貫かれる衝撃。痛みをも感じる間もなく……何をされたのかをも理解できないままに。

 一方的な生のりゃくだつ。暗転していく視界と……薄れゆく命。

 触れる柔らかな手と、…………小さな欠片。

 思い出は――沢山あった。始まりから終わりまで。

 様々な出来事の果てに。今の自分がある。

 …………異界で過ごした五年。

 めまぐるしい毎日に、年月を感じる余裕さえもなく。

 日が沈んで、新しく太陽が昇る当たり前の事でさえも、心に染みる何かがあった。

 失い……得て……また失って。一度として同じ循環の無い時間。



 ――異界から帰ってきたことで、オレはなにもかもを忘れたかった。

 結論として……何もせず、黙って過ごすことが一番の方法だと行き着いた。

 忘れたいのではない……きっと、思い出すのが怖いのだ。

 炎と……真っ赤な雪。アレを思い返す度に、心臓が激しい音を立てて動こうとする。鼓動の原動力を憶えているはずなのに。外界での生活が長くなるにつれて、だんだんあいまいになってゆく。

 この熱さは、憎しみや恐怖であり、思い出したくない記憶でもあり……あるいは過去に置いてきた、抑えの効かない情念だったりする。


「――――なんにせよ、今のオレには不要なものだ」


 心で言っても、どうせ伝わらない。だから言葉に出して自らに言い聞かせる。

 もう終わった……もう、全て終わったことなのだと。

 過去までをも洗い流すように、乾き始めた顔へと、もう一度冷水を浴びせかけた。



 ――朝食は食堂で済ます予定だったが、思わぬちんにゅうしゃのせいで、同じ寮に住んでいる男子生徒たちにいらぬ誤解をされぬよう、自室で食べることとなった。

 異界で料理を教わっていた経験から、人並みに自炊ができる十河は、普段から自分に必要な最低限の食料を備蓄していたので、二人分を作るのは造作もない。

 といっても、単純に、数日前に購入した食パン。焼いたベーコンと目玉焼き。サラダといった簡素なメニュー。朝から手間をかける気は毛頭なかった。

 食事になると、普段から多くの言葉を発さない十河の口は、更に黙する。

 食べるのに集中したいというのが主な理由であるが、……単純に部屋での食事の際は一人だから、誰とも喋らずにいることが当たり前になっているだけとも言える。


「のう、トウガ。砂糖はないのか?」


 皿のベーコンだけを綺麗に平らげたエリィが手を突き出し、妙な要求をしてきた。


「……………………お前まさか、目玉焼きにかけるつもりなのか?」


「他に何があるというのじゃ」


 どうせ、他人が食べる物であって、求めるものにとやかく言う筋合いはない。

 それでも、目玉焼きに砂糖をかける習慣のない十河からしたら、異様な要求であった。

 棚の中から、砂糖の入った容器を差し出すと、エリィは嬉しそうな表情で、目玉焼きにいた。どっさりたっぷり。見ているだけで舌に甘みを感じてしまいそうだ。


「んふぅ~。このじゃりじゃり感と、とろとろ黄身のコラボレーション。歯ごたえ豊かで、のどごし不思議なハーモニィなのじゃ。…………こうやって、割った黄身の中に砂糖まぜて、白身を付けて。もむもむ……うくふふ。んまいのじゃー」


 ほわぁっと空を見上げて、幸せそうに顔を綻ばせる。

 未知との遭遇……異文化交流。こちらからしたら凄まじいインパクト。

 なるべく彼女の皿を見ないようにしながら、十河は自分が食べることに気持ちを集める。


「…………のうのう。トウガ」


「ん」


「こうやって二人きりで食べるのは久しぶりじゃのお」


「言われてみれば……そうだな」


「いつもだったらハルカとかマコト、たまにエリとなっつんもいるものなぁ」


「…………あぁ」


「今ではマユランも一緒だし。……そのうちヤツ(・・)も戻ってくるだろうし」


「朝から、アイツの話題を聞くとうんざりする。やめてくれ」


「クハ。すまんすまん」


 言いながらもエリィは楽しそうだった。


「トウガもちょっとは、仲間と仲良くなるべきじゃよぉ」


 深い意味もなく言ったエリィの一言に、十河の手が止まった。


「仲間――ねえ。……お前に人間関係のなんたるかを教わるとはな……」


「なんじゃそら。バカにしておるのか?」


「いや……異界に居たとき、オレがお前に教えた事だったようなきがしてな。前に吾妻あがつまがトラブルに遭ってるとき。お前……オレに言ったろ」


「あ、あれねー。そんなん言ったような言ってないような。お……憶えてないかも、しれないのじゃ」



 ――エリィはその件について、触れて欲しくはなかった。

 勢いと衝動的に言ってしまった内容であったが、

 口から出してしまった言葉は取り消すことはできない。

 あの言葉が過去の塞がらない傷口を裂き開いてしまったのだと。

 エリィは後になって、後悔していた。



「お前が…………お前がいたせいで(・・・・・・・・)、今のオレがいる。お前がいたおかげで……いまのオレがある。………………そして、今でもオレは………………――――お前を、恨んでいる(・・・・・)


 持っていた食パンをそっと皿に降ろして、エリィはうつむいた。


「だけど…………全部が全部……後悔の全てが。お前のせいだとは…………思わなく、なってきた。感謝をしていることも、あったはずだ。たぶんな」


 下げていた視線が、申し訳なさそうに上がって、確認するように十河の目を覗く。


「――今日は優しいな。どうしたのじゃ? ……なにかあったのか?」


「……………………」


 十河はなにも答えない。


「――――また、夢でも見たのか?」


「……………………そうやって、お前はまた見透かしたようなことを」


われはお前のことだったら、良く知っているし、もっとよく知りたいぞ……そんな態度を取るときはほとんどが昔がらみじゃもん」



 …………悪戯いたずらに、時間だけが流れてゆく。



 二人とも残った食事に手を付けず。

 エリィの皿にある卵の黄身が、固まり始めたころ。

 十河は、ゆっくり……自分の見た光景を、短く語った。



「…………〝赤い雪〟を、また見た」

「………………そうじゃったか」



 ――――それは、彼の……間宮十河の根底にある『最悪』

 苦しくもあったものの、確かにあった生きがいと……そこで得たささやかな幸せの全てを奪われてしまった出来事。

 過去が彼を呼んでいるのか。あるいは彼自身が過去に囚われているのか。

 どちらにせよ、つらい内容に変わりはなかった。双方の知る……共通の記憶。


「トウガ。お前は異界に戻るつもりはあるのか?」


「……〝三区〟にか? いまさら戻ったところで、なんになる」


「いやちがう。グラウンド・ゼロ(爆心地)じゃよ」


 一区から四区は円形に区分けされた土地であり、その中心地こそ異形の世界へと通ずる『扉』の役割を果たしている空間の裂け目。巨大な〝穴〟が開いている。


「あそこさえ塞ぐことができたら、もう異形は現れない。漏れ出る魔力も薄れ、残された異形は魔力がなくなりちっそくするだけ。…………全てが終わるのじゃ」


「…………塞ぐ。か。…………だが、ヤツら(・・・)は人間の侵入を拒むだろう。世間が呼んでいる『異形(・・)』なんかじゃ枠組みできないような『バケモノ』が――あの異界に潜んでる」


 オレなんかじゃとても、太刀打ちできないと、十河は言葉を濁した。


「……………………もし、真実(・・)を知ったら、どうなるんじゃろうかなぁ」


 苦笑いでエリィは冷めた食パンをかじった。


「…………さあ、な」


 十河が卵にフォークを突き立てる。膜が破れて中から半分固まった黄身が、ゆっくり流れ落ちた。


「いや……もし……もしも、お前やオレがおびやかされる時が来たら」


「きたら?」


「あの時のように……守ってやるよ」


 食べる手が止まり、エリィは少し困惑する。久々に聞いた彼の優しい言葉に、どんな反応をして良いのかも判断できず、目を泳がせながら恥ずかしそうに顔を染めた。


「く、クハハ。……うんうん。ありがとな。トウガ。……そこでついでと言っちゃなんじゃが」


「なんだよ」


 ――その『ついで』という言葉に、三文字以上の面倒くささが隠れていると察した十河は、懸念の表情に変わった。


「このあと一緒に学校抜け出して――」


「――ことわる」


「どぅえぇー。話の流れじゃと『よし、行くかエリィ。愛してるぜ』じゃろうがッ!」


 ぶーぶー、と、わざとらしいブーイングで両手の親指を下に向けた。


「ここのところ、抜け出すことが当たり前のようになってるだろ。本当にまずいぞそれは」


「だって、だって授業に参加してなくとも、われはぜんぜん問題ないし!」


 …………そう、コイツの記憶力は常人の頭を二、三個分ほど飛び出ていて、ちょっとしたことでも細部まで憶えているという、オレからしたら、うらやましくも面倒なスキルを持っている。こっちが忘れていることも良く憶えているのだから。


「瞬間移動できたらいいのになー。この学校にいないもんかの? どこでもワープが可能な、すごい刻印持ったやつ。トウガがもってりゃよかったのになー。よりにもよって刃物しか作れんとは」


「人を便利グッズみたいな扱いするんじゃないよ。そんな高度能力もってるやついたら、オレも見てみたいものだ。…………とにかく。オレは授業にでる」


「えーッ! やだ! われと一緒に、街へ繰り出すのじゃッ!! なーなー、朝の街は夕方よりも格別じゃよおおお。いこういこういこういこう。トウガぁあああああ!」


 とうとう椅子を揺らして駄駄をこね始めたエリィに、観念するしかないと思った十河であったが、このままの流れだといつもの通りになってしまうと危ぶみ、


「…………そうか。じゃあ間接的に報告してみるか」


「なに? 報告、……じゃと?」


「まずは、蔵風に言う。お前がまた学校を抜け出そうとしてる、とな。……そうすればその話は必然的に谷原に行くだろう。そうなったら耳が痛くなるのは、お前の方ではないだろうか?」


「ぐっ、ぐぬぬぬぬぬぬぬぅぅぅ。ギリリッ。トウガのくせにクソ小生意気な! ハルカはゴリ押しでかんらくできるだろうが、マユランはそうもいかないのじゃ。……われがマユランに弱いの知っておいて。しかもお前がマユラン嫌いだからハルカを通すという間接技。お前のそんな性格が憎らしくも愛おしい!」


 歯ぎしりしながら息を吸い込んで……脱力。


「だはあぁぁああ…………もう仕方ないのじゃ。いこう。授業いっしょにいこう。その代わり、今度の休みは一緒に、街へいこうなぁ」


 ほらほら、と。エリィは項垂れた頭。……銀髪の頭頂部を指さし。

 十河が理解できずに何もしないでいると。


「言うことを聞いたのだ。だから頭をなでるのじゃ。愛をもってなでるのじゃ。…………じゃないと、泣かずとも喚き散らすぞ?」


「……………………………………わかったよ。じゃあ目をつぶって、下向いてろ」


 その言葉をまるで予測していなかったのか、頭がぶるっと震えたエリィ。

 ゆっくりと頭を上げる。目は見開き『ウソじゃろ?』と言いたげな瞳には、期待の輝きがまたたいていた。


「ファファファ!? ままままままま、マヂか!? いままでこんなのなかった! 言ってみるものじゃの。言ってみるもんじゃのぉ! 目をつぶって、ってことは。まさか口と口のナデナデも期待しちゃっていのか!? かっはァッ。こりゃたまらんのッ!」


 頭を再び下げてエキサイト(大興奮)。両手で顔を覆い、ふるふる頭を動かすエリィに。


「オレは撫でてるのを見られるのが嫌いだ。だから決して、撫でてる姿を見ないようにな」


「………………はて? なんか昔話に出てくる〝どこぞの鶴〟みたいな言い分じゃな。まあ良い。はやくはやくぅ」


 十河は冷めた目つきで、エリィの頭にゆっくりと触れた。


「――うぁはうぅッ。あんぅぅぅ~。なでなでが体に染み渡るのじゃ~。嬉しくてちょっと鳥肌(トリハダ)。…………トウガって、結構……いや、見た目よりも、なんか……かなり指が細いな。それに無機質チックじゃの。心なしか指先がずいぶんと鋭く冷たい気がするぞ。……低血圧か? まあいい。良いのじゃそんなこと。たとえ冷たかろうが、撫でられてることには変わりあるまい! はぐはぐ(・・・・)にしておけば良かったとちょっと後悔じゃ」


 十河はとにかく無言で、頭をなで続ける。

 エリィはとにかく喜んで、頭を撫でられ続ける。

 ――――それが、十河が持っていた、フォークであることにも気がつかずに。


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