<Epilogue>
――まともな日の光を浴びるのは久しぶりか。
随分と長い間、閉じ込められていた気はする。
…………いや、実際に長かったか。
何はともあれ……ようやく外に出ることが出来る。
「まったく――ちょっとのことで、ガタガタ騒ぐヤツの気が知れねぇな」
少年が懲罰房の施設へ収容されるに至ったのには訳がある。
同学年の生徒を背後から斬り付けて重症を負わせるといった罪を犯したのだ。
彼の行動は集団の実技授業のただ中に行われ、
被害者の生徒は、少年とは面識がなく、
加害者である少年も、説明を求められても無言の一点張り。
動機については一切が不明となった。
結果――周囲の不安を煽らせないため、訓練中の事故として処理されたそれは、
日頃から札付きの〝悪〟として持たれていた問題児たちの芳しくない印象を、最底辺にまで失墜させたのだ。
外の景色を心の中で描いていると、扉の錠が外れる音で現実に戻された。
描く必要は無い。カウントダウンは始まっているのだ。……指示されるまま少年は従う。
控え室で書類による手続き。
懲罰房に入る前に所持していた私物の返却。
訓練所で支給されている携帯端末。ロングコート。腕時計。ステンレス製のバングル。財布。
……漏れなく全て揃っていたが、いかんせん入っていた時間が長く、彼は一部を除いて入る前に何を持っていたのか憶えていなかった。必要最低限の物しか所持していなかったはずであったが、仮に財布から幾らかの現金を引き抜かれていても気がつかなかったかもしれない。
コートに袖を通し、バングルを左手首にはめ、時計も同じ左手に巻く。
再び手続き。承認にしばらく掛かると言うものだから、少年は一人しかいないソファーに、両腕を広げてどっかりと座り、態度悪く長い足を組んだ。
いよいよ自由への秒読みがカウントされる。態度には出さないものの、片足を揺らしてリズムを取っている。少年は内心、少し浮き足立っていた。
目を瞑りながら待っていると、出入り口のドアが開かれた。
足のリズムを止め、反射的に音のした方へ視線を向けると、一人の男子生徒が控え室に入ってきた。身長が高く、がっちりとした体型。厳格をそのまま顔に表したような風貌だ。
生徒は座っている少年を一目見て、徐々に険しい表情が更に険しくなってゆく。
「…………あ? なんだよ。オレの顔に何かついてるのか?」
長身の生徒を一瞥するなり、ソファーから睨み上げたまま、敵意を向けた。
相手が見てきたからこちらが声をかけた。なのに何の反応も示さない生徒を、いぶかしげに少年は目を細めて更に言う。
「ほう。よく見れば…………お前の面……憶えてるぞ。同じ一年のくせにずいぶんと立派な刀ぶら下げてやがった一人。優良生徒のデカブツ。…………クックククク。笑える。ご大層な刀も取り上げられて、優等生さんがなにやったんだよ」
立ち尽くしていた生徒は、こんな場所で……あろうことか一番見たくない顔と出会ってしまったことに体が固まっていたのだ。
目の前で偉そうに座っている彼に……見覚えがあった。
皮肉を混じらせた余裕顔。人を苛つかせる反抗的な言動。
ようやく生徒が、少年に対して不快感をあらわにしつつ、ゆっくり口を開いた。
「お前――問題児の……」
二人はお互いに面識だけある間柄であった。
――――過去にあった生徒同士の乱闘騒ぎ。
『主犯側』の少年と、
『鎮圧する側』の男子生徒に別れて、拳を振り合った関係。
その出来事を境に、少年を筆頭とした問題児の全員を、
男子生徒は人一倍、毛嫌いするようになった経緯があった。
どうやら未だに自分の事を恨んでいるらしいと少年は気がつく。落ちくぼんだ眼下で、燃えるような憎しみが沸き上がっているのを見逃さなかった。
「問題児だからなんだってんだ、デカブツ。……見下した言い方しているようだが、ここに来ている時点で、同じ穴の狢だろ?」
「――黙れ」
「ククククク、そうかっこつけんじゃねえよ。なにやったんだ? ……いや、聞かずとも解るさ。どうせクソにもならないような、下らない事だろう?」
「……………………」
押し黙る彼を見据えたまま、少年は滑稽だと言いたげに鼻で笑い、
「図星かよ。……どんなことにせよ、ココに来る時点で、しょうもねえ理由なのは透けて見えるぜ」
「貴様に――貴様に何がぁああああ!」
その一言が、生徒の逆鱗に触れたのか、急に彼は叫びだし、拳を振り上げて少年に向かって飛びかかった。
少年の反応は素速く。後退しつつ、コートに触れられぬよう、裾を引く余裕を見せ、
拳によるストレートをするりと躱し、すかさず前へ進み出た。
「ハッ!」
笑いにも気合いにも似た掛け声と共に、斜め上へ掌底を突きだす。
吸い込まれるようにして顎に直撃。強い衝撃に体がフラリと揺らぎ、少年はすれ違い様に足を掬う。鮮やかな連係攻撃に何もできず相手は倒れ込んだ。
「あの時はそれなりに数がいたから、テメエに押され負けたが……サシでオレに喧嘩売るとか、頭おかしいのか? ……調子に乗るな。死にてえならそう言えよ……チッ、汚ねえな」
倒れた上にのし掛かり、腕を取り押さえ、自分の手に付いた返り血を、彼の背中に撫でつけて拭き取った。
歯を噛みしめて唸る生徒に、少年は顔を近づけ。
「あの時の借りを返す意味も含めて、この場で殺してやりたいとこだが……アンタついてるぜ。今回は情けをかけてやるよクソ馬鹿野郎。オレはようやく出られる身だ。またやらかして出戻りする気はさらさら無い。オレの代わりに良い懲罰房生活を送れよ」
「――――おい! 何をやっている!」
教官が駆け込んで、騒然としていた現場に息を飲む。
「まーて、まてまて。オレはなんもしちゃあいねえよ…………このデカブツが殴りかかってきたから対処したまでだよ。こういうのは正当防衛にならないのか? 黙って殴られてやるのも校則で定められてるのか?」
慌てて拘束していた手をふりほどき、少年は両腕をわざとらしく挙げた。
「そうなのか? 安藤……」
「――ぅう」
地面に手を突いたまま安藤はなにも言わなかった。
「ククク、何が問題児だ。この訓練所には、オレよりもよっぽど問題アリな連中ばっかいるじゃあねえか。まあどいつも雑魚だがな。……そう思うだろ? 教官さんよ?」
言葉に出来ず、ただ苦虫を噛みつぶしたような顔で少年を見る教官。
「優良生徒も落ちたもんだ。まったく――そんなランク付けにぶら下がっている連中のきがしれねえな。……まったく傑作だぜ」
「くそおおおおお! おまえなんぞに何がわかるんだよぉおお!」
逆上してまたもや掴みかかろうとする安藤。
「…………も、もういい! さっさといけ!」
「ハイハイ。……それじゃ、良い缶詰生活をしろよ? アンドウ」
――初めて会ったときは、忌々しい生徒の一人としか認識していなかった。
ようやく知った彼の生徒の名前を、さも親しいかのように、
……少年は皮肉をたっぷり塗り込めて嗤った。
怒りにまかせた安藤の声と、高らかに少年の嘲る笑い声。
暴れようとする安藤を取り押さえようと新たな教官が部屋に入ってくる。
少年が懲罰房の建物を出て、日の光を浴びるまで、しばらく混乱は続いていた。
――――まったく、なんて日だ。最高すぎる。
のっけから幸先よい、学校生活の再スタートだ。
懲罰房のある施設は、学校から離れていて、
徒歩で行くと、最初に見えてくるのは学生寮。
本来ならば、真っ直ぐ帰途につくのであるが、
少年は数日前〝隣人〟が話していた事件について興味があった。
学生寮を通り過ぎ、学科エリアへと到着。夕刻にはまだ早いが授業も終わりらしく、生徒達は自由に放課後を過ごしている。
目的地は中庭。学科エリアを通り抜け、
固有刻印を訓練するための特殊エリアとの間に設けられた空間に足を運んだ。
――考えなくてもわかっていたが、事件があったような姿は微塵もなく、
校舎内部を突っ切ったとき、一階の一部区画が工事中というのは、もしかしたら事件に関係があったのかもしれない。
「…………………………コレのことか」
中庭に目をこらすと、ところどころ虫食いのように無くなった不自然な芝をみつけた。
懲罰房を出る前。施設の管理をしている人間に事件について問うたが、
一方的に会話を打ち切られ、はぐらかされてしまった。
巷語には関心を持たない少年であったが、
今回の事件をひた隠しにしようとする大人たちと、
あからさまに不自然な名残を見ると……些か所か、大いに興味を惹かれた。
「おい……アンタら」
ちょうど中庭を通りかかった二人の男子生徒に声をかけた。
「――ん? 俺ら?」
「ああ。そうだよ……聞きたいんだけどもよ。この中庭でなんかあったのか?」
「なんかも何も、ずっと噂になってたろ。……この訓練所の内部で『異形の者たち』が、現れたとか現れなかったとか」
「……………………」
――ビンゴ。ここがまさしく事件現場って訳か。禿げ上がった芝が全て事件に関連しているとするならば、異形はかなりの大きさ。あるいは俊敏さを持っていたのだろうか。
結構な数があるようだが……異形が二本足とは限らない。残された痕跡からフォルムについて想像するだけ無駄だというのは異界にいた経験上、良く理解しているつもりだ。
そりゃあ自宅謹慎すっとばして〝隣人〟も懲罰房を食らうわけだ。ってかなんで三回も執拗に現場へと乗り込むとしたのか、そっちの方が気になる。
今となっては、名前も顔も知らないのだ。調べようがない。
もし異形が、オレが閉じ込められていた場所に来ていたら、一発であの世行きだ。
「チッ。…………そもそもバケモンの侵入なんか許してんじゃねぇよ。ヘタレどもが」
一人舌打ちをした少年は続けた。
「――で、その異形は誰が殺ったんだ?」
睨み付けるように問う少年に対し、
「おいちょっと。待て。お前一年だろ? オレたち二年だぞ」
少年の横柄な態度に、隣の生徒が眉を顰めた。
「……はぁ? だからなんだよ」
「ちょっとは礼儀を弁えたらどうなんだよ」
「礼儀……ね。ククク。鏡見てから言え。そんなツラしてるのか?」
「なァ!?」
今にも怒りが爆発しそうな生徒を収めるため、耳打ちした。
「お、おい。……あいつ、見たことある。ほら、入学式で乱闘起こして……この前、一年の生徒に斬りかかったっていう問題児だ……」
二人とも彼の素性に思うところがあったらしく、
「――…………行こうぜ、『問題児』とは関わらない方が良い」
「あ、……あぁ」
そそくさと去って行く背中を見つめながら、
少年は鼻を鳴らして不満そうに。
「ハッ! ……んだよ。あの様子じゃ、誰も知らねえのか……つかえねぇな」
情報が無いなら諦めもつくのだが、少年は事件に興味を持っていた。
踵で軽く地面を掘ってみるが、湿った黒土が現れるばかりだった。
――異形が現れただけでも大ニュース。〝ずっと噂〟になっていた程の話だ。噂はかなり大きいモノになっているのだろう。そして、その事件を収めた生徒。あるいは軍人がいたのなら、事の顛末まで話の種になっていてもおかしくはない。だというのに序開きは知っていても、事の成り行きに関わった人間を知らないってのは、いったいどういうことだ?
「なんだなんだ? ――オレの居ない間に、何とも面白い事が起こってんじゃあねえか」
一人ぼやく少年は眉間に皺を寄せ、嘲笑うかのように口元を歪めて動かしていた足を止め、天を仰いだ。
久々に吸う、部屋以外の空気を鼻から取り込む、
胸一杯に――それ以外の不穏な〝何か〟をたっぷり肺に入れ、咀嚼するように溜め込み。
吸ったときよりも長く……長く。時間をかけて口から吐き出した。
彼はオールバックの髪を撫でつけ。
「さぁて、行くか。……馬鹿どもは、相も変わらずバカやってんのかァ?」
――向かう先は少年が所属している班。
長らく欠員していた、最後の一人。
久方ぶりの再会に、奴らがどんな顔をするのか想像しながら、悪意の混じった笑み。
問題児――草部蘇芳は足取り軽く。コートをたなびかせて歩み出した。