<24>
始まりの時と同じブザーの音が轟き、試合終了の合図が知らされる。
蔵風遙佳が、ようやくその場所を探し当て、
地下駐車場に辿り着いたときには、全てが終わっていた。
倒れ、気絶する甲村寛人と、息を切らして立ち尽くす吾妻式弥の姿。
式弥にいたっては、ところどころ傷つき血が流れていたものの、命に別状はなさそうに見えた。
駐車場にある柱の一本は、茶色い枯れ枝のようなものがまとわりつき、天井まで伸びている。
枯れ枝が特に密集している部分には、式弥の短剣が突き刺さっていた。
そこには、この度の不正の元凶である魔道具があったのだが、遙佳はその事を知らない。
「……吾妻、君?」
「ぼ、ボク、……やれました……みんなの、ため――に」
振り向き、精も根も尽きた笑顔を見せる式弥は立っていることもままならず、ゆらゆら左右に揺れたのち、糸が切れたマリオネットのように、その場で倒れてしまった。
その――〝白い鴉〟は夢の中にも出てきた。
刻印を使ったときに見えた幻覚。
自分の中にある心が、虚像となって現れたのか、
あるいは、過去に見た姿を再現しているだけなのか。
自分には解らない。
翼を広げ優雅に飛ぶ姿。
ただ一つ。感じたことがある。
どこまでも飛び続ける一羽の鴉が、
何故かボクの目には、ひどく悲しそうに見えたのだ。
試合の終わった第二演習場にある救護室に、問題児たちが揃う。
ベッドには気を失って運ばれた吾妻式弥が寝ていた。
普段から頻繁に出入りする事のない救護室は、どこか空気が淀んでいる。
「本当に、……もうしわけない!」
その淀みを更に濁らせている人物。黒髪を暖簾のように垂れ下げ、谷原真結良は両膝に手を当てて班の仲間全員に向かって頭を下げる。
腕を組んで見つめる絵里は顔を歪ませ、
「はぁ? 理由が言えないってどういうことよ。アンタ……思いっきり打たれても文句言えない立場に居るのよ? こっちは死ぬ思いしたってのに、アンタは何も理由が言えない? なに、ふざけているの?」
絵里は事の真相を表面的であるが、知っていた。
彼女が監視カメラを通して盗み見ていたことを、真結良は知らない。
ただ気に入らないのは、今回の当事者、あるいは関わり合いがある者を庇っている――という点。お人好しもココまで来れば、迷惑の極みである。
「真結良ちゃん……それって、試合に関係あった事なんじゃないの?」
ぴくりと振るわせた体が、その通りだと示しているのを遙佳は見逃さなかった。
「ねえ、みんな……。今回は誰も悪くないよ。悪いのは不正をした甲村君の班なんじゃないかな?」
「勝てたことだし……俺はなんともおもっちゃいねえよ?」
「オレは――ゆるさないけどな」
十河は不満を表に出しながら、真結良を睨み付けた。
「お前のせいで、オレはさんざんな目に――」
「――まぁったく、お前はまだそんな事をいっとるのかトウガ!」
いきなり後ろから飛んで背中に抱きつくエリィ。
「勝ったんだからいいじゃろうに! それに我、会場の外で頑張ったんだぞ? 賞をもらえるとしたら『影ながら頑張ったで賞』じゃ。……やい褒めろ。さあ褒めろ。頭撫でてぎゅーしてチューしてくれよぅ!」
「――わ、私も……頑張ったんだけど、なぁ………………頭なでなでは、すごく羨ましいかなぁって思ったりして…………」
三つ編みを手で回しつつ、遙佳は誰にも聞こえないように呟く。
ごちゃごちゃになっている十河は背中に張り付いたエリィを振り払おうと声を荒げる。
それを見ていた絵里は毒気を抜かれたようで、
「とにかく。谷原の処分は日を改めて行うことにするわ――ソイツも目を覚ましたことだし」
式弥はゆっくりを目を開けて、むっくり起き上がる。
「あ…………れ? ……ボク……?」
誠はベッドに向かって歩き出した。
「おぉ! ようやくお目覚めか吾妻!」
どっかりベッドに座って目覚めたばかりの式弥の肩を叩く。
式弥は地下駐車場で投げ捨てたはずの眼鏡が、枕元に置いてあるのに気づき、回収してくれたことに感謝しながら眼鏡をかけた。
「お前が甲村を倒したんだってなぁ! すげえじゃん!」
「あ、ココは――いてて。ボクは、なにも……ただ、必死に……」
「無線ダダ漏れだったぜ?」
「え? ……えぇ!?」
ようやく自分が喋っていたことを、全員に聞かれていたと知り、まどろみが吹き飛び顔が赤くなった。一言一句憶えているわけではないが、それでも恥ずかしい。
「んで、お前刻印使えたんだろ?」
「……………………はい…………たぶん」
式弥はなんとか思い出してみるが、体のどこに刻印があったのか、加えて能力がどんなものであったのかもわからない。
感覚的に憶えていたのは、あの能力が働いていたとき『自分はどんなことでもやれる』ような気がしていた。痛みは一瞬あったが、全身に受けていたはずの銃弾は無かったこととして扱われ、甲村と剣で勝負したときも、斬られたという結果を無かったこととして攻撃を回避できた事があった。最後の方は能力も機能しなくなっていて、間宮十河と行った訓練が明暗を分けた。
――自分には無いと思っていた刻印を使えた。それだけで式弥には十分であった。
「……なんにせよ。お前が取った勝ちであることには変わりはないな」
「まあ――まかせた役割以上は働いたんじゃないかしら」
「うん……うん、うん」
「やったな! 手ぇ出せハイタッチだ!」
「もっと胸を張れぃ! ザコじゃなくなったのじゃからな!」
「よかったね。吾妻君」
「すまなかったな。吾妻。でも君がこうやって無事でいてくれてよかったよ」
真結良は薄く微笑む。その暖かい言葉に、胸が熱くなる。
右手に巻かれた、ミサンガを見つめて、式弥は思い出す。
――――アレは、いつのことだったか。
「……自分がダメだなんて、そりゃあダメに決まってるっしょ?」
小岩京子は少し難しそうな顔をしつつ、声を出して笑った。こちらが気落ちしたのに対して、彼女はそういう意味で言ったのでは無いと手を振って付け足す。
「人間って、みんなダメな存在なんじゃないのかなぁ。完璧な人間なんて誰もいないと思うよ? 誰が優れているとか、劣っているとか……そんなものは自分次第でどうにかできるようじゃなきゃ、あたしは困っちゃうんだけどなぁ」
京子は腰に下げている刀をそっと撫でた。
「だって、どうにもならなかったら、それこそ吾妻君の言葉の通り、どんなに頑張ってもダメなものはダメになっちゃうし、あたしは自分が優れていないから頑張ってるんだ。今よりもっと良くなっている自分になるためにね」
前向きな思考と屈託のない笑顔。ボクにはとても眩しかった。
「努力した全てが報われることはないだろうけど、無意味だとはこれっぽっちも思っていないよ。劣ってるって、思うことは――今の自分よりもっと良い自分になれるってことだもん」
腰に手を当てて胸を張る彼女は、期待するような目でボクを見た。
「もし、いつか吾妻君ががんばれるような事があったとして――その近くにはきっと君を見てくれる人が居るはず。喜んで笑えるときが、きっと来るはずだよ……今よりも、もっといい明日がきっとくる。だから諦めず――まずは自分を信じるところから始めてみようよ」
――今では彼女の言っていた事が少しわかったような気がした。
喜んで笑えるとき。それが今であるのだと。
「………………みんな、本当に……ありがとう――ございました」
こみ上げてきた熱が抑えきれず、式弥は眼鏡を外して、袖で目を拭う。
それは、この訓練所に来て初めて見せた、心からの――喜びだった。