<22>
絵里は遙佳の情報を元に、端末を操作し続ける。
「そうなってくると、やっぱりどこかで操作を……そもそもこの塔だけで管理できるものなの?」
塔にアクセスするのは思っていたよりも簡単だった。
ただ、簡単に接続できるレベルのものしか、表示できないのだ。
浅薄だったとは思っていない。手を伸ばせる限界まで伸ばしたが、望むものまでは届かなかった。根元の部分をコントロールするなど可能性はゼロに等しかった。それでもゼロではない数字に縋り、一筋の希望ほどもない試みに賭けてみたのだが、やはり失敗であったか……。
無線機がオープンになったままの間宮と荒屋。彼らの声を聞く限り、まだ戦いは続いているようだった。
――つまり、まだ誰も諦めていないということ。
当初の目的を達成できずとも、まだ自分に出来ることがあるはず。
そこで思い当たったのは、停止している第二演習場の監視カメラの復旧だ。
コレについては自分ができるスキルの範囲内。わざわざ機能をシャットダウンさせてあるのだ。……もしかしたら、カメラを使って不正を行っている何かを映像で捉えられるかもしれない。
カメラについては、大して長い時間を要することなく、塔のネットワークを通じて再起動させることができた。
――そこで絵里は、数台の映像だけ、どこかの屋内に設置されている映像があることに気がついた。
「なにこれ。地上――いや、違う。……地下? そんなところがあるなんて」
正確な場所まではわからないものの、地下は確かに存在しているらしく、四方を囲むようにして設置されているところから、よほど重要な場所であると直感した。
映し出されている場所は暗く、ハッキリとしない映像が送られてくる。
――複数ある内の一つに、絵里は目を剥く。
カメラのすぐ近くに立っていたのは、
細長い棒のようなものを持った谷原真結良の姿だったのだから。
「あいつ。なんでそんな所に居るのよ……」
…………………………。
……………………。
………………。
魔法陣が展開されている中央には一人の人間。
背中越しであるが、背丈は高く短髪。
真結良はその風姿に見覚えがあった。
「…………やはり、君だったか。安藤」
「谷原、真結良――ようやく、来たか」
振り向いた彼の姿に真結良は息を飲む。
落ち窪んだ眼窩。黒ずんだ隈。
骨折していた腕に、三角巾は身につけておらず、制服ごしにギプスの盛り上がりが窺える。
こんな短期間に、人の外見はここまで変わってしまうのかというほど、
彼が持っていた精気は失われていた。
――――安藤太一。
真結良が初めて訓練所に来たとき出会った、
優良生徒である小岩京子、畑野喜美子と共にしていたメンバーの一人。
「…………よく、ここがわかったな」
驚きの表情を作っているが、本心から驚いているようには見えなかった。
むしろ、なぜか嬉しそうな顔。
「訓練所の『特殊エリア』と同様に。この第二演習場で機能するトレーニングスーツも、磁石のようにお互いが干渉できない作用が働いている。…………スーツが実は〝電磁石〟であると知ったのはついさっき。電磁石であるからには電力。つまり魔力を供給するための術式がフィールドのどこかにある。……第二演習場みたいな広い廃虚の中にそんな大規模な術式を展開させておくことは難しいだろう。制御塔の存在は昨日知ったばかりだが、これだけの術式だ。…………現物を見たとき、あんな鉄塔一本でどうにかしているとは思えなかった。だから探した。地上でないのなら、地下にあるしかないと思ったからな。……もし術式に手を加えるなら、制御塔ではなく、制御塔から発信。管理している場所に――此度の不正を、裏で手を引いている君がいると踏んだんだ」
「どうして、俺がそんな事を企てていると、知ったんだ?」
「喜美子から聞いたんだよ。全てな。安藤……君が正にいま、地上で行われている代表戦に手を加えようとしている――とな。もし彼女がスーツの構造も話してくれなかったら、いまごろ私は地上の塔の前で右往左往していただろうな。説明を聞いていたから時間が掛かってしまったよ」
「は、ハハ。やはり喜美子は話したか。思った通り。……だからこそ、俺はココで待っていたのだがな――願い通りだ。こんな場所を探し当てられるかどうか心配だったくらいだ」
「話を聞いても信じられなかった。……どうしてこんな事を」
淡く光る地面の上で、彼はゆっくりと暗い天井を見つめた。
「京子が死んでからというもの、どうも自分の目標がなくなってしまってな。本当は立ち直りたかったんだが――。もうどうでもよくなっちまった」
真結良自身、忘れたわけではない。
小岩京子は彼にとって大切な人間であったと同じように、
自分にとっても余人を以て替えがたい存在であったのだから。
「だから……君は、こんな事を」
「まあ、問題児どもはとばっちりってワケだ。俺にとっては『居なくなって欲しい連中』だから好都合だった。この話を持ちかけられたときは、恐ろしく噛み合った運命のような物を感じたよ……良く喋るヤツだったが、ソレを引いても、この機会を与えてくれたことに、感謝している…………本当の目的は谷原真結良。お前だったからな」
「………………」
「最近……よく〝もしも〟の事を考えてしまう。……もしも京子が生きていたら、俺たちは真に良いチームになっていたはずだってさ」
「……………………ああ。私も――君と同じ〝もしも〟をずっと考えていた。彼女の死を、忘れた事なんて一時もないよ。君たちから離れた今も、それは変わらない」
彼にしても私にしても、一人の死が、大きな亀裂を生んだ。
気持ちはわかっていても、納得できない真結良は叫ぶ。
「でもこんなことは間違っている! 君がこんなことをして、京子が喜ぶはずがないッ!」
穏やかそうな彼の表情が一転。スイッチが入ったように安藤も叫んだ。
「やめろっ! アイツを引き合いにして俺に説教を垂れるな! お前に――お前なんかに何がわかるっていうんだ!」
堪っていた鬱積を吐き出すように安藤は頭を振る。
「俺だって、俺だって乗り越えたかった! でも、できないんだよ! どうしてもできない! 全て……全てやり直せたらどんなによかったことか!」
額に手を当て感情を抑え、目を閉じる。
しばらく黙っていたが、笑い声に混じって安藤は言う。
「なあ谷原。お前は……あの異形が来ることを知っていたんじゃないか?」
「な、なにをいってる」
寝耳に水の発言に、真結良は困惑した。
「あの異形が現れたのは、お前が原因だったんじゃ無いかって話だよ」
「そんな馬鹿なことが――どこでそんな話を」
「異形。……ブラックボックス。――……辻褄が、合うんだよ。あの男の話を聞くとな。…………何もかも――お前のせいだ。……谷原ぁ」
復讐の炎に燃える瞳。爛と灯る。
「あの、男? 誰のことだ。誰がそんな事を言ったんだ」
質問を答えで返すことはせず。彼は乾いた笑いを漏らした。
「ハ、ハハ……。それも、もうどうでも良い話だ。お前がここに来た時点で、オレの目的は一つだけ。お前と戦う事のみなんだからさ」
安藤は腰に下げている刀――優良生徒の証である刀をゆっくりと引き抜いた。
「……お前に関わった奴らも、京子のようにみんな――死ねばいい。地上ではとんでもない事になっているはずだ。あるいはもう――誰か死んでいるかもしれんな。用意された細工は二つ。この場所で展開されている魔術と、あの男が持っている魔道具…………俺を倒したとしても、もう一つの細工がある。どちらにしても絶望的だな」
安藤は本気だった。
刺し抜くような憎悪。思わずたじろいだ。
彼は大切な友達なのに……。
「安藤……どうしても、ダメなのか」
「くどい! 逃げて失うか、俺と戦ってあの連中を救うのか……二つに一つしかないんだよ。選べよ谷原。少しでも助けられる道を選ぶか。黙って去るかをな」
「私は、君と戦いたくない……だって、同じ人間なのに。どうしてこんな……戦わなければいけないんだ。話せば、きっと解決できるはずだ」
「まだそんな甘いことを言うのか谷原。……コレは俺の意趣返しだ。お前の意見なんか聞いていない。戦ったところで京子は帰ってこない。単なる我が儘なんだよ。わかってる。でもな、話し合いでどうにかなるような――そんな綺麗事じゃないんだよ。理屈なんかじゃない。――ココまできても、お前がまだ正義だの人道だのと、人を救えもしない理想をほざくなら、……いいさ。そこで突っ立って見てるがいい。俺はもう後戻りは出来ないんだ。俺は最後まで止めんぞ。どちらも笑える未来なんて、もうないんだよ」
真結良は首を振る。
目を瞑って退く事のできないものが……、
彼女の中にもあるのだ……。
「だめだ……君がやっていることは、決して許されないことだ。……私にはいま、守るべき仲間がいる。…………彼らはいま危険にさらされている。……だから私は、お前と戦わなきゃいけない道理がある」
「そうだ……その言葉を待っていた。だったらやることは一つだろう?」
安藤はポケットから、何かを取り出した。
――それは小さなガラス玉。
あの夜……男と取引した際に受け取った魔道具だ。
彼は顔の前まで持ってくると、強く握り、それを砕いた。
中からは霧に似た物体が爆発するように吹き出す。目に見えて濃密な魔力だった。
「俺も……俺だってなぁ! 腹ぁ、くくってんだよ!」
霧の中、安藤は叫ぶ。
全身の紋様が光り輝き、安藤の体を纏ってゆく。
霧はすぐに消え去り、光が収まると、全身には緑青色の鎧が装着されていた。
――鎧というには妙に生々しく、
例えるなら昆虫の甲殻に近いそれは、誰が見ても人外の外装。
彼の持つ――『固有刻印』において他ならなかった。
「ハア、ハァ。……グッ、う! ハ、ハハ。ナルホド……ココまで痛むモノなのか…………さあ、ドウスルんだ、タニハラぁアアアアッ!」
声帯にも影響を与えているのか、安藤の声はもはや人の発する肉声から外れていた。
私は、自分が恨まれようとも、今でも彼を掛け替えのない存在だと思っている。
喜美子は言っていた。
『安藤君を助けて欲しい』と。
――だから、私は。
俯いていた顔を上げ、真結良は凜と見遣る。
肩で息をしながら、今にも飛びかからんとする安藤。
彼女は手に持っていた、棒状の袋から中身を取り出した。
それは安藤と同じ……刀。
喜美子から託された、彼女の武器。
鞘から引き抜かれ、現れたは鋼色の刀身。
薄暗い中でも確かな力を持って煌めく。
鞘を放り投げ、片手で柄を強く握りしめる。
「私は救う。……あの時みたいに、もう手を拱きたくはない。誰も失いたくはない! 私の力で助けられる仲間がいるなら。彼らを助け……お前も救ってやるぞ、安藤!」
真結良は自らの首筋に手を触れる。
触れた先に浮かび上がってくるは、彼女の首をぐるりと囲む。
青く光る――まるで茨に似た模様。
薄いベールのようなものが彼女の周りを漂う。
それは半透明の、視覚化された大気。
周囲の空気が揺れ、覚めるかのように白く凍てる。
一歩。――踏み出す一歩。足下に出来上がる氷の結晶。
冷気によって空気が凍り付き、ダイヤモンドダストが流れた。
「ソレが……お前の――刻印」
「幸い、この場の魔力は十分に充満している。……いくぞ…………安藤ッ!」