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安達原祥子は問題児達の戦いに戦慄を隠せなかった。
援護しようにも、仲間を含めた四人は密に差を詰めた状態で、とてもじゃないが運を天に任せた狙撃などできるはずがない。
更に、こちらの弾薬は先ほど蔵風遙佳に対し、無闇に撃ったせいで底が尽きかかけていた。
「どうすんのよ甲村。アイツらボコボコにされてるよ!」
散々聞こえてくる叫び声。悲鳴や気合い……恨みがましい罵倒が絶え間なく続いていた。
『…………奴らはこのままでいい。どうせこの試合は無法状態だからな』
「え? どういうことなの?」
『お前はそのまま、索敵を続けろ。俺たちの目標はあくまでフラッグだ……』
「蔵風はどうするのよ」
『小林に任せておけばいいだろ』
『いた! 蔵風! あたしの目の前にいる』
正に彼女を話題をしていたときに、小林佐織から通信が割り込む。
『逃がすなよ、応戦しろ。そいつさえ仕留めることができれば、後は総力戦で畳み掛けられる。俺が言ったエリアから絶対に出るんじゃないぞ』
東側で木霊する発砲音。どちらの銃撃なのかはわからない。
ただ、じっと祥子は佐織の通信を待つ。
長い……一体、どれだけ撃っているのだ?
やっと通信が入ってきたと思ったら、
息も絶え絶えになっている佐織の声が飛び込んできた。
『ど、どうなてんの! あの女……全然、弾が当たらない! あの動きなに!? あんなの授業でなんて習わなかった!』
声だけであるが、彼女がの混乱は、手に取るように伝わってきた。
『…………ああ、弾が弾が無くな――』
その時、酷いノイズが祥子の耳をつんざいた。
『ひッ、蔵風!? いや……く、くるなぁあああ!』
叫びと銃撃の音。今度は銃声と痛みを訴える声で、誰が撃ったのか予測できた。
無線機を通して聞こえてくる音と、実際に聞こえてくる音が被さって聞こえてくる。
『あ……あぁ。……ギャ! いたい、いたいいたいいたい! うっ、うう。なんで、どうして当たらないんだよぉ……ひっく。うぅ。あの子……あの子、わざと手足を狙ってぇ……。動けない、誰か……助けてぇ…………』
『…………なにやってんだ! 事前に話したエリアから出るなと言っただろうが!』
彼女の状況など気にもしない口調で、甲村は怒りのままに言葉を浴びせる。
「佐織、いま行くから、持ちこたえて!」
『あぐぅ! どこから、どこから撃ってきてるの。怖い……怖いよぉおお』
『バカ! 陣形を乱すな、お前はそこに居なければいけないんだぞ! そっちの方は効力が発動しないんだよ!』
初めて聞く彼女の痛哭に次ぐ啜り泣き。祥子の心にはもはや恐怖しかなかった。
「でも佐織がやられてるんだから、助けに行かないと、人数差でやられるわよ!」
甲村が発した〝効力〟というものが何であるのかを知らない祥子は、狙撃銃をその場に置いたまま、あらかじめ持ってきておいたライフルを携え、建物の屋上から下りたった。
走る先は佐織の居る場所。目で見えずとも、銃声が確かに聞こえる。
『まって! 待って。……もうお願い。降参。降参するから! も、もう止めてッ! うう、ああ……』
「まってて、佐織……いま行くから!」
祥子が呼びかけた瞬間――突然、通信が途切れた。
無音になったイヤフォン。
少しして……遠くから――同じ方向から何発かの銃声が響く。
それが佐織のものではないのはすぐにわかった。彼女の弾はもう無いはず……。蔵風遙佳が撃っているのだ。
薄ら寒さを覚えた祥子は少しでも音を拾って情報を集めようと、走りながら耳に集中した。
しばらく銃声が一定の間隔で聞こえ、……急にピタリと止まった。
嫌な予感が脳内を掛け廻る……。
『……あのぉ。もしもし。聞こえます?』
「――――――!!」
突然再開した無線機の通信に、全身の毛が逆立つ。
相手は無線機の持ち主である佐織ではない人の声。
――蔵風遙佳だった。
『一人、降参しました……もう、止めにしてもらえないかなーって。ダメかな?』
戦闘訓練にも関わらず、無線機を奪って交渉してくるなんて、
しかも、誰も聞こえていない。あたしだけに回線を繋いで喋っていた。
――舐めているにも程がある。
再び頭に血が上って、佐織の元に向かいながら、
「誰が、誰が降参なんかするものかっ。こっちに来い、蔵風!」
焦りと怒りと、不安と恐怖と――様々な感情が入り交じって、混乱に変わる。
思考は真っ白になって、どう行動して良いのかもわからなくなっていた。
何も無い、開けた空き地に入り、そのまま突っ切ろうとする。
「勝つのはあたしらだ! あたしらなんだ!」
不安を拭うために、何度も祥子は一人呟き続ける。一人欠けた今では勝算も何も無い。彼女の言葉は虚勢で有ることは誰の耳にも明らかであった。
『えっと。うん。わかりました……じゃあ』
――――ターン!
目と鼻の先で一発の銃声。それは音と同時に、自分の太腿へ痛みとなって知覚させた。
「ハ……あッ!?」
殴られたような衝撃に耐えきれず、立っていることも出来ず。その場に転がった祥子は、遅れて襲いかかってくる激しい痛みと共に地面の冷たさを感じ、ようやく撃たれたことを知る。
今更になって、自分が立っている場所は、撃ってくれと言わんばかりの場所だ。
佐織の悲鳴で恐怖に毒され、冷静な判断を失っていたのだ。
――いや、そもそもどうして、
最後に聞いた銃声はかなり離れているはず。
佐織が居た地点から、この場所まで瓦礫が障害になって短時間では来られないのに。
『――ごめんね。これも戦いだから。ルール上、降参する前に空砲を撃っちゃダメっていうルールはないはず、だよね? …………持ってるポイントを全損させて戦闘不能にしちゃうと指一本動かせないって話だから、一ポイントだけ残しておいたの。ちゃんと棄権するって約束してくれたしね』
そっと、物陰から現れた遙佳は、佐織の無線機を捨て、ゆっくりと近づいてくる。
「く、……空、砲?」
……なんて女。どう脅しかけたのかはわからないが。銃を時間差で佐織に撃たせることで、あたかも蔵風が遠くにいると、錯覚させるための罠を。
だから佐織の無線機を取り上げて、情報をこちらに与えないようにしていたというのか。
最後の銃声があった時には、
ここを通るであろうと――。
既にあたしを待っていた……と。
遙佳が佐織に撃たせていたのは『空砲』だった。
念の為にと持っていた物が、あんな場所で役立つとは思わず、使い道に関してはまったくの予想外であった。
「最後の警告です……降参して下さい。…………どうやら、貴女は効果が出ていないみたいだね――――もしもし、絵里ちゃん? やっぱり範囲で効力が発生しているらしいよ。全体じゃなくて――たぶん北西側の一角だけなんじゃないかな? だから誰も動かないんだと思うよ」
話に気を取られている隙に、
祥子はできうる最大速度をもって、
ライフルの銃口を遙佳に向けた。
だが――。
彼女が引き金を引くよりも早く、
遙佳の一撃が祥子の手の甲を躊躇無く撃った。
「ぁああああああああああああッ。手がぁアアアア!」
気を取られているような思わせぶりな態度を取っているつもりは無かった遙佳であったが、好戦的な態度を取った彼女に対して、反射的に引き金を引いていた。
弾丸は貫通も潰れもせず、綺麗な形を保ったまま地面に転がる。それでも手に、木の杭を打ち込まれたような痛みが襲う。祥子の意識は一瞬だけ白色に閃光する。
「ぎ、ぐッ…………痛い、いたいよぉ……」
「やっぱり、こっちに細工はないんですね」
「さい、――く? なんの、こと……よ。おまえも……甲村もっ! なにいってんだよぉおおおおおお!」
その形相に嘘偽りは無いと判断した遙佳は、
「さっきの続きだけど、棄権……してくれないかな?」
「ふ、ふざけるな……アタシが倒されても、きっと誰かが助けに来て……」
「うん。だから棄権して欲しいって思ってるの」
更に遙佳は彼女の足に向かって〝四発目〟の弾丸を加えた。広場に悲鳴が木霊する。
この声で仲間が来てしまったら大変だ。たぶんこないと思うけど。
「本当はこんな手段は嫌いなんだけど。このまま――仕方なく体に残り全部、撃っても……それでも降参しませんか? …………もう、やめようよ。ね?」
――例え、泣こうが喚こうが、私はそういうことが出来る。やむを得ず。
遙佳は悲しそうな表情をしていたが、隙は一切なく。引き金に指が掛かっている。
「膝、首。――顔。胸。指。お腹。行動不能まであと六発。痛い場所は良くわかってる。…………きっと耐えられないだろうし、耐えさせない。……やめようよ」
悲しそうな顔。それは心から彼女に対しての――何も知らない彼女に対して、最大限の同情と強迫であった。
宣言したら彼女の無線機も取り上げて、このまま動けない状態で置いてゆく。どこまでルールが働いているのかは知らないが、連絡を取り合ってまた行動を再開されても厄介なだけ。
――小林佐織から無線機を奪った本当の理由はそこにあった。
「ねえ。安達原さん。…………私も聖人君子なんかじゃないから、怒りたくなるときもあるんだよ? 嫌な事を言われたら悲しい気持ちになるし、いまこの試合に行われている事態に関して、皆には言ってないけど、私ほんとうに怒ってるの。……だから――いま胸の中にある感情のまま、私に撃たせないで」
遙佳は喉元の前に銃を突きつけた。
銃口の熱すらも肌に触れてきそうな近く。
祥子は硬直した体で、彼女の顔を見た。
本気だ……この女は本気でやる。
完全に自分が負けだ。
本能が〝敗北〟を意識した瞬間、
心の芯が、生々しい音を立てて、
へし折れるのを耳にした気がした。
「ごめんなさ……い。……うわぁあ、あああ……ああああぁぁ」
「降参……、ですか?」
突きつけられた銃はまだ退かない。
転じて彼女の声は優しさと、とてもつよい強制力を帯び。
この痛みから解放してくれる、救いの言葉のように聞こえた。
降参の宣言を言葉にして…………もう大丈夫なのだと安堵した瞬間、
――人目も憚らず、安達原祥子はその場で泣き崩れた。