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あやかしの棲む家  作者: 秋月瑛
其之壱 「双生児」
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其之壱 「双生児(6)」

 暖かな温もり。

 人肌の温かさだった。

 美花が目を覚ますと目の前には美咲の顔。

「お姉さま……」

「目が覚めたようね」

 美花の頭を撫でながら、美咲は膝枕をしていた。

 ここは美咲の部屋。

 とても質素な雰囲気で、家具は最低限必要な物だけ。

 鏡台に映る二人の姉妹の姿は、母と子の様でもあった。

 愛しい顔をしながら妹の髪を撫でる姉。

 膝枕で安らかに心を落ち着かせる妹。

 しかし、美花はふと恐怖に駆られてしまった。

 意識を失う前の出来事。

 浴槽に強い力で沈められ、もがけばもがく程に口に浸入して来る水。咳をすればさらに苦しくなった。

 美花は躰を強張らせた。

 だが、そんな美花を見守る美咲の瞳。とても和やかな瞳だった。

「ごめんなさい美花」

「どうして謝るのですのか?」

「妹への接し方がわからないの。とても嬉しい出来事なのに、その気持ちをどうやって表していいかわからなくて、だから風呂場ではあんなことになってしまって、決して貴女を傷つけるつもりはなかったのよ、愛しい妹だもの」

「……お姉さま」

 美咲のことを誤解していたのかもしれない。

 はじめの印象はとても恐ろしいものだったが、今はとても温かい。

 ――きっと、姉も接し方のわからない人なのだ。

 生まれた時から、この屋敷で育ち、外との交流もなく、毎日顔を合わせる限られる人々。

 絶対的な主従関係ばかりのある世界。母と子、主と侍女、教師と教え子。同世代の友達など一人もいなかった。

 姉もまた、疎外感を感じていたのかもしれない。

 美花がにこやかな顔をして美咲を見つめた。

「わたしにお姉さまがいると知った時、とても嬉しかったです」

「こんな姉で幻滅したかしら?」

「いいえ、これからも一緒に生きていきたい」

「そう、永久に過ごしましょう……二人で」

 二人は同じ部屋で眠ることにした。

 美咲の部屋に並べて布団を敷き、姉妹揃って床に就く。

 部屋を淡く照らしていた行燈が美咲の息によって吹き消された。

 静かに眼を瞑る双子の姉妹。

 安らかな吐息。

 静かな夜。

 そして、暖かな布団。

 美咲は静かに手を伸ばし、美花の手を握った。

 驚いた顔をして美花が首を横に向けると、美咲が静かな笑みを浮かべていた。

 美花はとても心が温かかった。

 こんなに安心して眠れる日はあっただろうか。これからは姉が傍にいてくれる。心強く、愛しく、これから生きていける。

 もしかしたら、一年か、二年先に死が待っているかもしれない。

 長く生きられてもあと三十年余りの人生。

 砂時計の砂は残り僅かかもしれない。

 それでも姉がすぐ傍にいてくれる。

 精一杯幸せな日々を生きようと美花は心に誓った。

 美花の手が美咲によって強く握られた。

 ――絆。

 その手を強く握り返そうとした瞬間、突然に美咲が覆いかぶさって来た。

「わたしは永久に一緒よ。美花はわたしの身体の中で行き続ける」

 冷たく静かな微笑。

 美咲が背中に隠し持っていた短刀を翳した。

「お姉さま!?」

 寝首を掻こうとした短刀を美花は手で受けた。

 握られた手から滲み出す鮮血。

 激しい痛みは胸まで届いて美花を困惑させた。

 ――信じていたのに!

 臓腑を抉られる程の裏切り。

 憤りよりも悲しみが美花を支配した。

 無我夢中で美花は暴れて足を蹴り上げた。

 腹を押さえてよろめく美咲。

「よくも姉のわたしを蹴ったわね!」

「……だって……どうして……」

「死ね!!」

 般若の形相で眼を剥いた美咲が襲い掛かって来る。

 美花は逃げることしかできなかった。

 血が流れ出す手を押さえ、部屋を飛び出して廊下を必死で駆ける。

 短刀を受け止めた傷は骨まで達していた。とても痛く、躰が芯から震え、涙も零れた。けれど、その涙は痛みよりも悲しみが零れたもの。

 ――お姉さまはわたしを殺そうとしている。

 死ぬことは怖くなかった。姉が傍にいてくれると思ったから。しかし、殺されることは怖い。

 同じ顔をした者に殺戮され、腹を裂かれ肝を喰われる。考えるだけでぞっとする。

 暗い廊下。

 ほとんど何も見えなかった。

 振り返ることもできない。すぐそこまで美咲が迫っているかもしれない。だが、振り向くことは恐怖で出来なかった。

 助けを叫びたかった。

 しかし、叫んだところで誰かが助けてくれるだろうか?

 双子が殺し合うことを知ってるのか、そんなことが行われるのに知らない筈がないかもしれない。

 助けを求めても裏切られたら?

 この屋敷の中には誰も味方がいない。

 美花は今日来たばかり。生まれた時からこの屋敷で育った美咲とは違う。

 広い屋敷と言っても逃げ場はどこにもない。

 逃げ場の限られた閉鎖空間。さらに出入りを封じられた部屋ばかり。

 走れば走るほど鼓動は高まり、血流が激しく全身を駆け巡り、手から流れる血は止まらない。

 廊下の行き止まりに来てしまった。

 振り返るしかなかった。

 意を決して美花は振り返った。しかし、眼は開けられなかった。

 今度は眼を開けられなくなった。一度恐怖で閉じられてしまった眼はなかなか開くことができない。

 視界を閉ざされた分、聴覚が鋭く研ぎ澄まされた。

 空気が流れる音。

 風が戸を揺らす音。

 足音は……聴こえた。

 美花は唾を呑み込んで、静かに目を開けて天井を見た。

 足音は廊下から聴こえたものではなかった。屋根裏から聴こえたのだ。

 この屋敷に棲むモノ。

 何がそこにいる?

 耳をさらに澄ますと、足音が近づいて来るような気がした。おそらく降りて来ている。階段を下りているようだ。

 そして、近づいて来ていた。

 逃げようと思った。けれど、足が動かない。

 広がる闇の先。そこは来た道を戻る廊下。その先には美咲がいるかもしれない。

 確実に何かが近づいて来ている。

 後ろだ、行き止まりの筈の木壁から、その先から下りて来る微かな音が聴こえる。

 微かな物音。

 それが何かわからず、美花は息を潜めて気配を探った。

 静かに開かれた。

 そこは開く筈もない木壁だった。隠し戸になっていたのだ。

 眼が合ってしまった。

 美花は全身を凍らせて死を覚悟した。

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