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あやかしの棲む家  作者: 秋月瑛
其之漆 「隠された物語」
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其之漆「隠された物語(6)」

「起きてください花咲様!」

 菊乃の悲鳴めいた声が響き渡った。

 当主の間で目覚めた花咲。

 世界が真っ赤に染まっていた。熱い。屋敷が燃えているのだ。

 布団から飛び起きて花咲は辺りを見回した。

「いったいなにが起きたの!?」

「何者かが屋敷中に火を放ったようでございます」

「ほかの人たちは?」

「わかりません。わたくしの使命として、真っ先に花咲様のご無事を確かめに参りました」

「……っお父様!」

 花咲は天井を見上げた。

 煙は高い場所に昇っていく。

「私のことは大丈夫、ほかの人たちと早く屋敷の外へ逃げてください!」

 花咲は言い残して押し入れから屋根裏に上った。

 やはり煙はすでに屋根裏に充満していた。

「げほげほっ」

 巫女装束の袖で口元を押さえて花咲は克哉を探した。

「お父様!」

 克哉はベッドの上にいた。眠っているのか、気を失っているのか、それとも……。

 駆け寄って花咲は克哉を揺さぶった。

「お父様! お父様!」

 反応がない。

 焦る花咲だったが、その横には冷静な菊乃が立っており、脈と呼吸を確かめていた。

「まだ生きております。今はとにかく外へ運びます」

 菊乃は人とは思えぬ力で軽々と克哉の躰を持ち上げ、背中に担ぐと来た道を引き返し当主の間に下りた。すぐあとを花咲が追う。

 当主の間から縁側、そこから雨戸を開ければ外はすぐそこだ。

 先を走る菊乃は雨戸に体当たりをした。

 外れた雨戸が大きな音を立てて庭先に倒れた。その上を菊乃と花咲が駆ける。

 強風が吹いた。

 開かれた雨戸から屋敷の中に風が吸いこまれていく。

 次の瞬間、炎が龍のように屋敷の中から飛び出して来た。

 地面に放り出された克哉。

 花咲が叫ぶ。

「菊乃さんッ!」

 燃える華の中で菊乃の躰が溶けていく。炎に焼かれ、爛れたように顔が崩れ落ちる。泥にように特殊な肉体が溶けていくのだ。

「申しわけ……ご……ざ……」

 溶けた唇から言葉が零れ落ちる。

 地面に崩れ落ちた菊乃は炎に抱かれ魂も焦がされた。

 屋敷の中から甲高い奇声が聞こえた。

 般若の形相をした美咲が屋敷の中から飛び出してきた。髪を振り乱し、その手に持っているのは肉切り包丁。

「死ねぇぇぇぇぇッ!」

 妖しく光る刃は花咲に向けられた。

 刃は血を吸った。

 前に突き出された花咲の手が肉切り包丁を受けていた。刃は人差し指と中指の間に入り、手首まで切り裂いていた。

 重傷を負いながらも花咲は凜としていた。

「肉は断てても、この魂は断てません」

 芯の強い声だった。

 美咲は怯えた。眼を剥きながら口元を歪め、肉切り包丁を引き抜いて後退った。

「キィィィィッ! 美花、美花、美花ーっ!」

 肉切り包丁を振り回す美咲に大量の影が群がった。それは子蜘蛛だった。子蜘蛛と言えど、その大きさは人の顔ほど。十数匹の子蜘蛛が糸を吐きながら美咲に飛びかかる。

 美咲は糸を切り、子蜘蛛を真っ二つに断つ。

 しかし、子蜘蛛は次から次へと屋敷の中から這い出てくる。

 嗚呼、炎の道だ。

 身を焼かれた子蜘蛛どもが屋敷の中から波となって押し寄せてきた。

 炎を纏う子蜘蛛が美咲の躰にしがみつく。

 燃える燃える美咲。

 揺れる炎の中で美咲は狂い躍った。

「肉は焼かれても、この魂は焼くことはできない」

 美咲は艶笑を花咲に向けた。怖ろしい微笑みだった。

 着物が燃え、裸体となった美咲の股から、一筋の血が太股を伝わった。

 花咲は悟った。

 いつしか美咲は安らかな笑みを浮かべてた。そして、炎の華の中で息絶えたのだ。

 屋敷から蛍火のように光が夜空に昇る。

 その光景はまるで死者の魂が天に召されていくようだった。

 音を立てて崩れる屋敷。

 一つの世界がこの夜に消える。

 そして、訪れる朝。

 すでに東の空が輝きはじめていた。

 花咲は克哉に駆け寄った。

「お父様!」

 気道を確保して、唇を重ねる。

 命を吹き込むように、息を吹き込んだ。

 続けて心臓マッサージをした。

「お父様、お父様、お父様!」

 胸に手を置いて断続的に押す。

 人工呼吸と心臓マッサージを交互に何度か続け、ついに克哉が目覚めた。

「はっ! はぁはぁはぁ……静枝と静香がいた……臨死体験……か」

 からからの喉で声を吐き出し、額の汗を克哉は拭った。

 そして、克哉はなにかを探すように辺りを見回した。

「そういうことか!」

 克哉はなにかに納得したようだが、花咲は訝しんで何事かわからない。

 そして、短剣を抜いた克哉は、なんと美咲の屍体に刃を突き立てたのだ!

 肉の焼ける異臭がまだ立ちこめている。

 熱の残る黒い屍体の胸を切り開く。外側は焦げて炭になっていたが、中は生焼けだった。

 手を血みどろにする克哉の姿に花咲は戦慄く。

「お父様なにをなさっているのですか! 死者の肉体を陵辱するなど!」

「死の狭間で静枝と静香が教えてくれたんだ。魂の記憶は受け継がれると……もしもそうなら!」

 克哉は肉の中に手を突っ込んだ。

 屍体の胸から取り出される心の臓。

 まるでまだ生きているような美しい色をしていた。

 命の色だ。

 克哉は生温かい心臓を大事に抱えて走り出した。

 まだ花咲は克哉の行動を理解していなかった。けれど、ここは付いていくしかあるまい。

 向かう先に鳥居が見えてきた。

 るりあが立っていた。怯えた表情で洞穴の入り口から一歩入ったところに立っていた。

 朝日に落ちる巨大な影。

 克哉の躰を謎の影が覆い呑み込んだ。上空だ。克哉の頭上になにかいる。

 大蜘蛛が天から落ちてくる。

 間一髪で克哉は避けて地面に転げ回った。心の臓を大事に抱きかかえながら。

「糞ッ、ここに来て敵に回りやがったか!」

 すぐさま立ち上がった克哉は心の臓を花咲に託した。

「これをるりあに喰わせろ、怪物は俺がなんとかする!」

 短剣を構えて克哉が大蜘蛛に飛びかかった。

 花咲は父を信じて決して後ろを振り向かなかった。地面を力強く蹴り上げ、鳥居をくぐり、祠へと続く細道を駆ける。

 るりあは逃げた。洞窟の奥へと逃げ込んでしまった。

 朝日が差し込んでいるが、奥は深い闇の中。

 構わず花咲は奥へと進んだ。

「止まれ!」

 るりあの声が暗い世界に響いた。

 声はすぐ目の前から聞こえた。足を止めた花咲のすぐそこにるりあがいるのだ。

「美咲さんの魂です。どうかこれを喰らってあなたの一部にしてください」

 闇の中に花咲は心の臓を差し出した。

 呼吸の音だけが聞こえる。

 二人とも動かなかった。

 ふっと花咲の手のひらが軽くなった。心の臓が消えた。

 嗚呼、咀嚼音が聞こえる。

 るりあが美咲の命を喰らっているのだ。おそらく血を滴らせながら、唇を真っ赤に染めながら、むしゃぶりつくて喰らっている。暗闇の中でそれを感じることができた。

「ううっ……あああ……」

 突然、るりあが呻きはじめた。

 驚く花咲。

「どうしましたか!?」

「ああっ……おらは……苦しい……頭が……怖い怖い……」

「大丈夫ですか?」

 暗闇を手探りで花咲はるりあの躰を抱き寄せた。

「……違う」

 と、呟いたのは花咲。

 自分よりも大きな躰がそこにはあった。

 ここにいるのは、るりあではないのか?

 髪の間から生えていた大きな二本の角に花咲の手が触れた。

「あなたは誰ですか?」

「おらは……るりあ」

 その声は幼女のものではなく、もっと大人びた声だった。

「おらは輪廻を彷徨っていた……繰り返し繰り返し、同じような世界を繰り返し、何度も何度も時間を繰り返し……嗚呼、また過去に戻るのか……」

 洞窟の中まで響いてきた背筋を凍らす咆哮。外になにか強大な存在がいる。それも禍々しい存在だ。

 突然の咆哮を聞いて、花咲は震え上がった。

 そっと花咲の躰が抱かれた。温もりと安心感。まるでそれは母の胸の中。

 唸るように低い声が外から聞こえてくる。

「腐った世界はもういらない。世界などいくらでもあるのだから。充分にこの世界は楽しんだ。我に必要なのは廻り巡る世界」

 世界が揺れた。激震だ。大地の悲鳴、風の絶叫、雷鳴が轟いた。

「お父様……」

 不安に駆られながらも花咲はその場を動くことができなかった。

 穴蔵の中で息を潜め、震えることしかできなかった。

 外でいったいなにが起きているのか、想像するだけで恐ろしい。

 揺れが治まり、世界が静まり返った。

「ゆくぞ」

 るりあが花咲の手を引いて外へと向かう。

 暗い暗い世界から、明るい世界へ続く細道。

 外からの光が差し込み、るりあの姿がおぼろげに見えてきた。

 凜とした女の姿。幼女から幼女へ、るりあは変貌を遂げていた。

 魂と魄。

 美咲が持っていた設計図をるりあは〝取り戻した〟のだ。

 外の世界には鳥居だけが残っていた。

 屋敷が跡形もなく消えてしまっていたのだ。

 完全な消失だった。

「お父様は!?」

 人影すらなかった。

 辺りを見回した花咲は愕然とした。顔彩ったのは絶望の色。

 まるでそれは丘だった。

 屋敷の敷地内をぐるりと囲う巨大な蛇。その蛇は山羊のような角を持ち、自らの尾とを咥えていた。

 世界を震わせる声が響いてきた。響くというのは正しくないかもしれない。それは震動ではない。音として頭の中に入ってくるのではなく、精神感応だったからだ。

《鬼女るりあは再び過去を取り戻した。つまり再び永劫廻帰の輪が繋がれたのだ》

「なにを言っているの!?」

 花咲は言葉に出して問い質した。

《るりあは廻帰の歯車に囚われた存在なのだ。忘れていた過去を取り戻すことにより、時空を越える事象は発生する》

 時空を越える?

 まさか克哉は……。

「お父様はまた過去に行く運命を辿ったと言うこと?」

《この箱庭の世界にあったモノはすべて過去に還った。汝たちは力に守られた別の世界にいたために回避できたのだ。しかし我はそれを許さない》

 大蛇の片眼が零れ落ちた。

 それは大地を転がり、膝を抱えた人の姿になり、翁面を被った背の曲がった老人になった。

「わしの永劫を守るために、るりあには廻帰を繰り返してもらわねば困るのじゃ」

 翁面が不気味に嗤っている。

 汗すらも乾く鬼気。

 本物の鬼女が翁面の老人に押されている。

「覚えてるぞ、お前はおらに反魂[はんごん]の法を教えた神だな?」

 るりあの言葉に花咲は驚きを隠せなかった。

 嗄れ声で翁面の老人が嗤う。

「ふぉふぉふぉ、いかにもわしは神じゃ」

「神……あなたは荒ぶる邪神……いったいなんの神なのですか?」

 震える声で花咲は問うた。

「元はこの山に棲む蛇であった。いつしかこの山の主となり、土地神になったのじゃ」

「なぜ神のあなたがこんな真似をするのですか?」

「神も老いる。そして、死ぬ。忘れられた神、力を失った神の運命に諍[あらが]いたかったのよ。あたくしは永遠に美しい存在でありたかった」

 老人が女に変わっていく。

 艶めかしい裸体をくねらす妖女。蛇の眼をして、頭に山羊の角を生やした慶子に変貌したのだ。そして、その片眼には蛆が湧いていた。

「卵が先か、鶏が先か、どちらが先か。はじめは偶然だった。この廻帰の世界が生まれたのはね。あたくしはこの世界に眼をつけた。永劫に繰り返す世界を維持できれば、時間を支配することができるのではないかと。これはあたくしの実験なのよ。この箱庭は実験装置なの」

 慶子は愉しそうに笑った。

 壮大な実験であった。

 廻る廻る小さな歯車。

 花咲もその一つの歯車でしかなかった。

 しかし、この装置は歯車を一つ失っても動き続ける。

「すでに多くの分岐世界が存在しているわ。あなたたちが呪いだなんだと騒ぎ、それをこの世界で解決したところで、大きな渦は廻り続けるのよ。あたくしにとって、あなたたちのやろうとしていることは、無意味でしかないの」

「無意味といいながら、なぜこんなにも干渉してくるのですか?」

 鋭い声音で花咲は射貫くように言った。

 るりあが慶子に鋭い爪を向け飛びかかった。

 二人の躰が触れた瞬間、火花が飛び散りお互い後方に弾かれた。

 牙を剥いた慶子が微かに呟く。

「干渉している……」

 るりあも異変に気づきはじめていた。

「今の力は……大きな力同士がぶつかり合ったような……そして、なにか視[み]えたぞ」

 慶子の姿がいくつも視えた。違う場所、違う行動、無限にも思える慶子の姿が視えたのだ。

 禍々しい邪気を発して慶子が地獄から業火を喚んだ。

「再び地獄に堕ち、輪廻を繰り返すがいいわ!」

 るりあは構わず炎の中に自ら飛び込み、そのまま慶子の躰を押さえつけた。

「こいつとの繋がりを断て! この世界はこいつで繋がれている!」

 叫ぶるりあ。

 花咲は理解できなかった。

 数多の分岐世界。平行世界。永劫廻帰の輪はるりあによって繋がれた。世界の輪を繋ぐのはるりあの役目。しかし、世界と世界を繋ぐのは――。

 なぜ慶子は干渉する必要があるのか?

 分岐する世界は別世界として存在している。別世界として存在していては、歯車は噛み合わないのだ。

 すべての世界に同時に干渉する存在。

 るりあが視た慶子は個であり全である存在。

 まだ花咲は理解できずにいた。

 激震が起きた。

 稲妻が落ちる。

 るりあと慶子が歪んで見える。時空が歪んでいるのだ。二人が交わることで謎の干渉が起こっている。

「離せ、離しなさい、大変なことになるわよッ!」

 甲高く慶子が叫ぶが、るりあは羽交い締めにしたまま逃がさない。

 激しい音を立てながら慶子の角が折られた。

「ギィィヤァァァッ! 魔力の源を……おのれ、おのれ、お前の角もへし折ってくれるわ!」

 慶子の手がるりあの角に伸びる。だが、るりあは動じなかった。へし折った慶子の角を花咲の足下に放り投げたのだ。

「それで止めを刺せ! 毒をもって毒を制せ! ためらうなッ!」

 この状況の中で、るりあは母のような優しい微笑みを浮かべた。

 花咲は角を拾い上げ、全体重を乗せて慶子の胸に突き刺した。

「グガガガ……ギャアアアアァッ……」

 血の気の失せた顔で慶子は眼を剥き花咲を睨みつけた。

 角は慶子の躰を貫通し、そしてその後ろにいたるりあの躰も――。

 血の花がるりあの唇から咲いた。

 狂風が渦巻き、花咲の躰が吹き飛ばされた。

 慶子の逆立った髪が蛇の群れに変わる。

「下賤[げせん]な人間風情がァァァッ!!」

 大地に奔る蜘蛛の巣のような亀裂。

 天に現れた渦巻く空間が世界を吸いこむ。

 なにもかも、なにもかも、なにもかもを吸いこんでしまう。

 慶子とるりあが天に昇り渦に吸いこまれた。

 さらに花咲の躰が浮く。

 掴めるものはなにもなく、花咲は地面に爪を立てた。爪の間に滲む血。

 しかし、花咲も為す術なく渦に吸いこまれてしまったのだ。

 残されたのは鳥居。

 そして、屋敷があった敷地を囲み円を描く謎の土塊の丘。

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