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あやかしの棲む家  作者: 秋月瑛
其之漆 「隠された物語」
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其之漆「隠された物語(5)」

 まず口を開いたのは怪訝そうな慶子だった。

「誰?」

 鋭い口調は相手を殺すほどの鬼気を孕んでいた。

 そこに立っていた少女は巫女装束を着ており、歳は十歳くらいだろうか。長い黒髪、その瞳、その顔立ち、誰かに似ている。

 したりと克哉が笑った。

「この家の当主はまだ決まっちゃいけない。彼女こそがこの家の長女、静枝の本当の娘だ」

 衝撃が走った。

「嘘よ!」

 叫んだのは慶子だった。

「子供なんているわけがないわ!」

 美咲も追随する。

「そうよ、私たちを生む前に子供いるなんて、そんなことありえないわ! 何者なのこの女!」

 澄ました顔で少女は優しく微笑んだ。

「鬼頭静枝の第一子、花咲[かえ]と申します」

 その声も誰かに似ている。そうだ、美咲に、美花に似ているのだ。その姿も声も、物腰も双子の姉妹に似ているのだ。

 しかし、美咲の見た目は十四歳程度、花咲と名乗った少女は明らかにそれよりも年下だ。

 慶子は猛獣が咆えるように立ち上がって花咲を睨んだ。

「これのどこが長女なの、美咲よりも若いじゃないの! それに子供なんて……ッ!?」

 慶子はハッと眼を剥いた。なにかに気づいたのだ。

 克哉は花咲の真横に立った。

「この子が本当に静枝の娘だと証明するのは難しい。だが証言ならできる。なぜなら俺が父親だからだ」

 衝撃の連続に美咲は髪を振り乱した。

「ありえないわ、お母様とあなたが!? 馬鹿なこと言わないで!」

 けれど、美咲は二人を見て息を呑んだ。並んだ克哉と花咲が似ているのだ。

 克哉は少し哀しげな表情をした。

「君のお母さんじゃない」

 その言葉を美咲は理解できる黙した。

 克哉が続ける。

「君のお母さんは静香……だ。この屋敷の当主は、姉の振りをし続けていた静香だった。本物の静枝は俺の元でしばらく暮らし、子を産み、それからしばらくして、ある事情で命を落としたんだ」

 絶句した美咲は声も出せなかった。慶子も同様だ。菊乃だけが表情を崩さず、自らの意思で黙していた。

 衝撃の連続だった。

 克哉は煙草に火を点けた。微かに聞こえる咳き込む音。口を押さえているのは慶子だ。

 構わず克哉は煙草を吸いながら話しはじめる。

「どうして命を落としたのか、それは一族の呪いに関係する話だ。老化と寿命、その要因。君たち双子を蘇らせるために、静枝は命を捧げたんだ。静枝だけじゃない、歴代の当主たちはみんなそうしてきた」

「私は嫌よ」

 すぐに美咲が口を挟んできた。

「美咲お嬢さんは静香の子だが、その性格は静枝によく似ている。でも静枝は命を捧げた。静香の子のために、自分の命を捧げたんだ」

 克哉は吸いはじめたばかりの煙草を、縁側に出て庭先に投げ捨てると、当主の間に戻ってきた。

「生まれる子供は死産と決まっている。当主である母は、自分の魂を分割して双子を蘇らせるんだ。類魂の概念という奴で、魂は分割することができる。問題は別にあるがゆえに、呪いが発生するわけだが。

 静枝と静香の代では、二人とも生きているという特別な状況が生まれ、静枝は静香を生かすために、自分の魂を君たち双子に捧げた。本来ならば、命を捧げた当主は、鬼にその肉体を乗っ取られ、死人として生かされることになるんだが、鬼はそのときいなかった。静香は命を捧げず、鬼にも乗っ取られず、双子の肝を喰らうこともせず、一族の流れを確実に変えた。しかし、それだけでは一族の呪いの根本的な解決にはならない。この子は俺たちの希望だ」

 ――花咲。

 克哉は花咲の頭を撫でた。

「この子は七つになる。美咲お嬢さんと同じだ。しかし、花咲のほうが若く見えるだろう?」

 美咲の見た目は十四歳ほど。花咲の見た目は十歳ほど。

 一族が抱えていた急速な老化が軽減されているのだ。

 克哉が咳払いをして一気に話す。

「類魂というのは、一つの大きな魂の塊と考えてくれ。たとえば、静枝、静香、美咲、美花、個別の人格を備えた魂を持っているが、元は一つの大きな魂の塊から切り離された存在で、同じ集まりに属している。集まりは一つだけではなく、たとえば俺の魂が属している集まりや、女先生の属している集まりがあるわけだ。

 次に魂魄の概念だ。魂[こん]とは魂[たましい]のことだ。魄[ぱく]は躰の設計図だと思ってくれ。一族が欠落してたのは、この設計図のほうなんだ。双子ふたりを合わせて二十歳までの設計図しか持っていないがゆえに、急速な老化と早死にを招いてしまった。

 歴代の当主たちは、ある日突然懐妊した。本当に相手が存在していないのか、それはわからないが、相手の魂魄や遺伝子、それらを受け継がず自立して子供を産んだ。二十までの設計図が延々と受け継がれていたわけなんだ」

 気持ちよさそうに慶子が笑った。

「素晴らしい着目点だわ。花咲さんはあなたと静枝、二人の要素を受け継いだ子だから、呪いが薄れたわけね。双子の一人が生き残り、その一人が双子を懐妊していた状況では、絶対に生まれなかった状況ね。まさか双子が二人とも子供を産む自体が起きるなんて、一族の歴史の中では、永い長い歴史の中ではありえなかったことだもの」

 新たな分岐が生まれた。

 しかし、美咲はどうする?

「ねえ、私も妊娠するのかしら? 双子を死産するのかしら? あと六年で死ぬんでしょう? 私の問題は解決してないわ。当主になりたいわけでもない、そんなものこの女にくれてやるわ」

 立ち上がった美咲が当主の間を出て行く。誰も止めなかった。誰もあとを追わなかった。

 慶子は微笑みながら花咲を見つめた。

「当主の問題はどうしましょうね。美咲さんと花咲さんに殺し合いをさせて、生き残って者が当主になるっていうのはどうかしら?」

「私が美咲さんと殺し合う理由なんてありません。双子の片割れを喰らわなくていけないのは、設計図の補完ためです。設計図を補わずに、自立妊娠すれば、老化はさらに倍早く、死も早く訪れることになりますから、一族の存続に関わります」

 今でも二倍の早さで老化する。それが四倍、八倍と倍掛けになれば、三年も生きられないことになる。

 菊乃が気配を発した。

「当主の選定はこれまでの歴史で一度もございませんでした。資格のある者が、一人しか生き残っていなかったからでございます。例外的に静香様の例がございますが、静枝様は死んだものとされておりましたから」

「美咲お嬢さんは放棄したんだ。なら花咲が当主で問題ないだろう。一族の問題に使用人や部外者が口を挟む余地はないだろう? 花咲と美咲お嬢さんの合意があれば問題ない」

 克哉の意見に慶子がゆったりと口を挟む。

「そうね、でも花咲さんが本当に静枝さんの娘だったらの話だわ。それが証明できない以上は、当主は美咲さんよ。そもそも静枝さんと静香さんが入れ替わっていた話だって信じがたいもの」

「それはわたくしが証明いたします」

 菊乃は二人が入れ替わっていたことを知っていた。そして、支え続けていたのだ。

 髪の毛をかき上げて慶子が立ち上がった。

「まあいいわ。当主が誰になろうと、あたくしの目的さえ果たせれば。家庭教師として、呪いのほうは解明されてしまったけれど、うふふ」

 笑いながら慶子が当主の間を出て行こうとした。が、寸前で振り返った。

「当主の儀式はするのでしょう? 今日にも? それとも明日かしら? 七つのうちにしなくてはいけないのではなかったかしら?」

 言葉を残して慶子は去っていった。

 急に汗を流しはじめた克哉は、深い溜め息を吐いた。

「さっきの地震は警告か、それとも本気で潰しに来たのか。おそらく後者だろうな、花咲が姿を見せた途端収まりやがった。敵も様子見をすることにしたってことか?」

 言葉を終えると、瑶子の額の御札を剥がした。

 すぐに瑶子は目を覚まして飛び起きた。

「はっ、あたし……ええっと、どうしてたんですか?」

 何事もなかったように菊乃も部屋を出ようとしていた。

「朝餉[あさげ]の準備をいたします。瑶子さんも手伝ってください」

「は、はい!」

 瑶子は克哉と花咲の顔をじろじろ見ながら、仕方がなさそうに菊乃のあとを付いていった。

 屋敷は異様に静かだ。

 それが何かの前触れのようで怖ろしい。

 克哉はふと天井を見上げた。

「下りて来いよ」

 がたっと天井で物音がした。

 この屋敷には鼠すら棲んでいない。

「仕方ないなぁ」

 克哉は押し入れを開け、そこから天井に上った。

 屋根裏部屋にいた童女が逃げようとする。空かさず克哉は腕を掴んだ。

「鬼ごっこはおしまいだ。逃げることないだろ、俺のこと嫌なのか?」

 ふるふるとるりあは首を横に振った。

「だったら逃げるなよ。なあ、話はどのくらい聞いてた? 理解できたか?」

 別に睨んでいるわけではないだろうか、仏頂面でるりあは口を閉ざしてしまっている。眼はじっと克哉を見たままだ。

「怒ってるのか?」

「…………」

「どうしてだ?」

「…………」

「少しはしゃべってくれよ。花咲のことはもう知ってるだろ? あれ俺の娘なんだ。でも浮気じゃないからな、まだ起きてもないことなんだから……ってお前に言っても意味ないか」

 るりあが克哉の手を振り払い、そのまま飛び出して、屋根裏から消えてしまった。

 克哉は追わなかった。その小さい背中を見つめていただけだった。

「未来の俺、それとも別世界の俺は……どうしてあんなのと?」

「お父様」

 声をかけられて克哉はびっくりしたような顔で振り向いた。立っていたのは花咲だ。

「これからどうしますか?」

「正直ここからが難しいところだな。ここから先はわからないことだらけだ、たぶん代々の俺が体験したことのない歴史の分岐に突入したんだと思う。一族の寿命に関する問題は道筋が立ったが、俺が過去に行くことを食い止めるすべ……というか、その根本的な原因、つまりそれが以前発生したものなのか、仕組まれていることなのか。まあおそらくは後者だろうが、なら俺を過去に送り込むなにかを仕掛けてくるはずなんだ。そもそも俺を過去に送り込んで、一族の歴史を繰り返させる理由がわからない」

「仏教には『人間は悟らなければ、何度でも生まれかわり、生の苦しみを味わうことになる。これから抜け出すには解脱し 輪廻を断ち切るしかない』とあります」

「これが仏の所業と言いたいのか? 悟りを開けば、俺は繰り返す世界から抜け出せるのか?」

「いいえ、たぶん悟らなくてはならないのは……」

 花咲の瞳は澄んでいた。その中に世界を映し出している。克哉はその瞳の中に、ある面影を見た。

「まさか、そうなのか……いや、口に出してはいけない。これ以上は危険だ」

 その言葉を受けて花咲は深く静かに頷いた。


 たゆたうと揺れる紅い海。

 その海はとても浅く、巫女装束の少女が浮かんでいた。

 紅い水は少女を穢すことができなかった。その装束、その肌、その髪にすら、水の一滴も染みこむことはない。侵蝕を決して許さない。

 世界を覆う黒い影が渦巻いた。

「小賢しい娘だ」

 その声は童[わらべ]のようであり、老人のようであり、男か女かもはっきりしなかった。

 花咲が鋭く瞳を見開く。

 目の前で〝渦巻くモノ〟が嗤っている。影で覆われた顔なのに、怖ろしく嗤っていることは伝わってくるのだ。

 装束の上から〝渦巻くモノ〟は、花咲の躰をまさぐりはじめた。

「お前には三つ子孕ましてやろう。それとも五つ子にしようか。それでお前たちのやったことは泡となる。もう二度と我が眼を盗んで外のモノと交配などさせるものか」

 これまでそうして来たように、〝渦巻くモノ〟は一族の当主を孕ませようとしている。

 だが、花咲は少女とは思えぬ艶笑を浮かべ、〝渦巻くモノ〟をあざ笑ったのだ。

「私を孕ませる? どうやって?」

 刹那、〝渦巻くモノ〟が禍々しい鬼気を発した。

 花咲の股が装束の上からまさぐられている。

 そして、気づいたのだ。

「謀ったな!」

 狂風が吹き荒れた。

 〝渦巻くモノ〟が怒気を発している。

 花咲は闇を振り払いながら凜と立ち上がった。

「ええ、私は克哉と静枝の嫡男なのです」

 なんと花咲は男だったのだ。

 〝渦巻くモノ〟が後退る。

 紅い海が花咲を中心に浄化され、無垢に透き通っていく。

「ここは私の精神世界です。逃がしません」

 花咲はいつの間にか手にしていた神楽鈴を鳴らした。

 得体の知れない呻き声がした。

 〝渦巻くモノ〟が纏っていた闇の衣の一部が消失した。

 まるでそれは蛇のような眼。

 しかしそれは、山羊のような角。

 花咲は破魔矢を構えていた。

 波紋が立つ。

 そして、弓が引かれ、矢が放たれたのだ!

 射貫くまで刹那であった。

 遅れてやってくる絶叫の波。

 海が粟立つ。

 〝渦巻くモノ〟が螺旋の渦を描きながら消えていく。

「この苦しみ何倍にもして返してやる。新たな呪いを受けるがいい、永遠の輪廻の中で苦しみ藻掻くがいい!」

 邪悪な気が消えた。

 静まり返る世界。

 花咲の精神世界は穏やかに返ったのだった。

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