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あやかしの棲む家  作者: 秋月瑛
其之漆 「隠された物語」
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其之漆「隠された物語(3)」

「まったくお食事に手を付けていないみたいです」

「それは困ったわね」

 廊下が話しているのは瑶子と慶子だった。

「あたくしが少し様子を見てきましょう」

 と、慶子は瑶子と別れ美花の部屋に向かった。

 廊下に置かれている夕食。まったく手を付けられていない。目の前の部屋は美花の部屋だ。

 慶子はふすまを開けた。

「おじゃまするわよ」

 声と同時に入ってきた無頼者に美花は酷く驚いた顔をした。

「け……慶子……さん」

「久しぶりね、なかなか挨拶に来てくれないから、あたくしのほうから来てしまったわ」

 慶子はぐっと美花に近づき、その距離は鼻と鼻が付きそうなほどだった。

 息を呑み込んで美花は躰を震わせた。

「挨拶はすみませんでした……いろいろあって」

「でも食事は摂らないと元気が出ないわ」

 艶めかしい音を立てながら慶子は舌舐りをした。

「ひっ」

 小さな悲鳴をあげて美花は一気に部屋の隅まで後退り、壁に背中を強くぶつけて止まった。

 悪戯に慶子はほくそ笑んだ。

「あたくしはあなたの味方よ、わかっているでしょう? こんな屋敷にいては疑心暗鬼になるのも無理はないわね。そうだ、湯でも浴びていらっしゃい。憑きもの落ちるかもしれないわ」

「…………」

 美花ののどが大きく動き、唾を呑み込む音がした。

「そ、そうします」

「懸命な判断だわ。着替えなどは瑶子さんか菊乃さんに運ぶように言っておきましょう」

 慶子は笑った。

 空気が冷えたように感じる。

 美花は脇目も振らず部屋を飛び出した。

 すぐに廊下でつまずいて床に手をついて倒れた。声もあげず、美花はすぐに立ち上がって、再び駆け出す。

 その背中を慶子はいつまでも眺めていた。美花が廊下の闇に消えるまで。


 脱衣所の籠[かご]に瑶子は寝衣を手拭いを入れた。

「着替えを置いておきますね」

「ありがとうございます」

 風呂場から美花の声が返ってきた。

 桶の湯を頭から浴びた美花。つぶっていた目元の水を拭おうとしたとき、背中に生温かいなにかが触れた。

「ひっ!」

 悲鳴をあげて美花は崩れるように倒れた。

「だ、だれ!?」

「私よ、美咲よ」

「お姉さま!?」

 急いで目元を拭い、開けた視界で美花は美咲の姿を確認した。

 一糸まとわぬ姿でそこに立っている瓜二つの少女。

「昔はいつもいっしょに入っていたわね」

 美咲は微笑んだ。

 それは昔のことだ。今はあくまで殺し合う仲。にも関わらず美咲は堂々と浴室に入ってきたのだ。

 急に美咲は訝[いぶか]しんだ。

 その視線は美花の胸に注がれている。

 瓜二つの双子のはずが、そこだけが違った。

「どうしたの……それ?」

 美咲の声音には憎悪が含まれていた。それとも怒りだろうか。

「これは……」

 と、囁きながら美花はその傷痕に手を触れた。

 胸のちょうど真ん中。切り開かれ、縫い合わされたような手術痕。古そうな傷だ。

「心臓の手術を……」

「心臓ですって? どうして、なぜ、病気かなにか?」

 怪訝そうに美咲が詰め寄る。

 美花は両手で傷痕を隠しながら尻をつけたまま後退る。

「心臓の疾患で……その……」

「私の心臓はなんの問題もないのに? 私たち双子なのよ? どうしてあなただけ?」

「どうしてって聞かれても……病気まで同じなんてことは……」

「見せなさい、触らせて、あなたの心臓の音を聞かせなさい!」

 伸ばされた美咲の手を振り払って、美花は風呂場を飛びだそうとした。

 だが、美咲は逃がさない。美花の華奢な腕を掴んで、振り回すように自分に引き寄せた。

「待ちなさい!」

「きゃっ!」

 体勢を崩した美花が足を滑らせ転倒した。

 鈍い音がした。

 浴槽に後頭部を打ちつけて美花が気絶してしまった。

 まったく動じず、美咲は冷笑を浮かべ美花を見下していた。

「呆気ないわね。嗚呼、つまらない」

 そして、美咲は風呂場を静かに出て行った。


 夜が更ける。

 丑三つ時。

 巨大な影が廊下を通り過ぎた。

 その影を見送って、小さな影は息を殺しながら、静かに静かに廊下を進んだ。

 静かにふすまが開けられる。

 盛り上がっている掛け布団に手を掛けた。もう片手には鈍く光る短刀。

 美花は狂気の形相で掛け布団を剥ぎ取ったのだった。

 ――だが、そこには丸められた座布団。

「いないだと!?」

 美花は背筋に鬼気を感じて振り返った。

 怖ろしいほど妖艶に微笑む美咲の姿。

 肉切り包丁が振り下ろされた。

 眉間に刃を受けて美花はうずくまった。

「ぎゃあああっ、おのれおのれおのれ糞餓鬼がっ!」

 傷は浅くなかったが、血は一滴も流れない。

 なぜならこのモノには血が通っていないからだ。

 美咲は容赦なく肉切り包丁を振り下ろす。何度も何度も、機械的に美花を切り砕いていく。

「ひぃぃぃっ、痛い、痛いぃっ!」

「死人なのに痛いだなんて不思議ね、うふふ」

 ずたずたに美花の顔が破壊されていく。

 指が散らばった、腕が落ちた、足が飛んだ。

 腹から内臓が崩れてきた。

 半ば肉塊にされながらも美花は動いた。鷲のように鋭い爪で美咲の顔面を抉ろうとしてきたのだ。

 しかし、その手も切り飛ばされた。

「ぎゃあああっ!」

「あんたなんて死ねばいいわ。何度でも何度でも死になさい。美花の敵[かたき]よ!」

「うおぉぉぉっ、知っていたのか、おれが入れ替わっていたことに!」

「だって美花は私の中にいるのだもの。すでに私は美花を喰らっているの、その肝をね」

「くそぉぉぉっ、なんて怖ろしい奴らだ。この屋敷の奴らは狂ってやがる!」

 肉塊が蠢く。その中に浮かび上がった男の顔。

 化け物は触手のようなもの伸ばして美咲を締めようとしてきた。

 肉切り包丁が触手を断つ。

 しかし、その触手は無限の地獄を体現するように、いくつもいくつも伸びて、美咲をなんとしても捕まえようとしてくる。

「きゃっ!」

 ついに美咲の腕が触手に捕まった。

 肌が焼ける。触手に掴まれた肌が焼かれている。

 突然、押し入れが開き、中から黒い網縄が蜘蛛の巣のように広がった。

 煌めく短剣が美咲を捕らえていた触手を断った。

 現れた男を見て美咲は驚く。

「だれ!?」

「正義の味方って奴ですよ、美咲お嬢さん」

 網縄に捕らえられた肉塊が呻く。

「オオ、カツヤ……謀ったなカツヤ……許さんぞ……呪い殺してやる」

「そうだよ、俺はおまえさんを利用した。美花お嬢さんに取り憑きやがったおまえを使役したんだ、すべて終わったら自由にしてやると約束してな。昔からそういう約束だったらしいからな」

「カツヤめ、おれたちになんの恨みがある……毒を盛って殺し、使役までして苦しめるなど、人間のすることか!」

「それは俺の知らない克哉だ。けど、その後始末は俺がする。じゃあな、おまえさんが本当の最後だ」

 浮かび上がっていた男の眉間に克哉は短剣を突き刺した。

 そして、それはただの肉塊と化した。

 かつて屋敷には悪霊たちが封じられていた。ひとの道を外れて毒殺された外道たちの成れの果てだ。そのすべてがついに此の世から消えたのだ。

 一つの呪いが解かれた。

 部屋に漂う腐臭。

 廊下から大きな気配がする。

「場所を変えよう」

 と、克哉が押し入れの中に入っていく。

「あなたはだれなの?」

 尋ねた美咲に克哉は柔和な笑みを浮かべた。

「君の遠い血縁さ。さあ早く、掃除屋がこの部屋に来る」

「どこへ?」

「この屋敷には屋根裏部屋がある」

「知らないわ、そんなもの」

 大きな気配はすぐ部屋の傍まで来ていた。

 二人は急いで屋根裏部屋に上がった。

 ひとが住めるように家具が置いてあることに、美咲は疑問を感じずにはいられなかった。

「いつの間に?」

「ずっと昔からさ」

「わからないことだらけだわ。あなたは何者なの? 美花に成りすませていたアレはなに?」

「一族とこの屋敷の呪縛を解こうとしている者。まあ本業はルポライターなんですけど。ところでアレが美花さんじゃないっていつから気づいてたんだい?」

「ひと目見たときから。美花が死んでいるのは前から気づいていたから」

「やっぱりそうか」

 美咲の行動はだれかに教えられたものではなかったのだ。

 ひと目見たときから。当主の間で美花を刺し殺そうとしたのは本気だった、し損じたのだ。そのあとはすべて演技。味方のふりをしつつ美花を追い詰め、最後は美花から仕掛けてきて罠にはまった。

「あの美花の躰は本物のものでしょう。心臓の傷を見て、すべてが確信に変わったわ」

「それについてはすまないことをした。もう手遅れだったんだ、だからそうすることにした」

「私に美花を喰わせたのね」

 場の空気が一気に冷え込んだ。

 克哉は深く頷く。

「そうだ」

「ある日を境に美花を躰の中に感じるようになったわ。それでお母様の話を思い出したわ。姉妹で殺し合い、相手をの肝を喰らわなければ十歳で死んでしまう。だから美花を殺しなさい、殺しなさい、殺しなさいと頭が割れそうなほど普段から言われていたわ。私は信じていなかったけれど、自分の中に美花を感じたとき、本当だったのだと知ってしまった。そして、おぼろげに美花の死を悟った」

 気丈な顔をしている美咲だったが、その瞳からは静かに雫が零れていた。

 克哉は咥えた煙草に火を点けた。

「美花さんは三歳のときにこの屋敷を出てすぐか、その前後か詳しいことはわからないが、あの鬼に躰を乗っ取られたんだ。その鬼は代々この屋敷の各部屋に封印されていたうちの一人だ。どうやって封印を解いたのか、なんの理由があって美花さんに取り憑いたのか、俺に使役されてもそのことは口を割らなかった……というより、あの苦しみ具合を見ると、言ったら地獄に落とされるって感じだったな。つまり、本当の黒幕がいるんだろうよ」

「黒幕?」

「目星があったが違った。鬼たちのボスかと思ったんだがな。だから本当にいるかどうかわからないさ。ただ藻掻いても藻掻いても絡め取られるっていうのかな。これまで君の一族は何度も呪いを断ち切ろうとしたが無理だった。俺も含めてね」

「あなたはどんな呪いにかかっているの?」

「それは難しいな。呪いにかかることが決まってるいる呪いとでもいうのか。簡単な話が、君たち一族の呪いを解かないと、俺も呪われるんだ」

 詳しい説明をしなかった。できないというほうが正しいかもしれない。

 克哉の一族は代々ある目的を持っていた。はじまりは〝菊乃〟と名乗った少女がもたらした。退魔師の家系に育ち、先祖から口伝されてきた秘密を克哉も聞いて育った。

 それでも克哉は懐疑的であった。気持ちが変わったのは、先祖から受け継がれていたとされる古い手紙を受け取ってからだ。克哉は驚いた、その手紙は自分が自分に宛てたものだったからだ。それでもにわかには信じがたい。

 そして、菊乃が克哉の前に現れた。克哉が高校生のころだった。

 菊乃は六歳くらいに見える少女を連れていた。

 ――この子を預かって欲しい。

 名は静香。

 引き取られた静香は克哉と分け隔てなく育てられた、つまり、退魔師として仕込まれたのだ。

 七歳になった静香は菊乃に引き取られ、再び屋敷に帰っていった。それから数年後、克哉もこの屋敷に来た。

 この屋敷にもう〝静香〟はいない。

「呪いを解く糸口はあるひとが残してくれた」

 呪いが解けるとは喜ばしいことではないか。なのに克哉は哀しそうに囁いたのだ。

 美花は克哉の瞳を見つめていた。その瞳になにかを感じている。

「あなたの目、美花に似ているわ……いいえ、私にも。そして、お母様も時折そんな目をしている」

「静枝さんか……そうだな、詳しい話を君にするなら、彼女には話をしてもらったほうがいいだろう」

「嫌よ、お母様は狂っているわ。あんなひととまともに話なんてできるわけがないわ!」

「君は静枝さんの目に気づいているのに?」

「…………」

「とにかく行こう」

 二人は屋根裏から当主の間に向かった。

 しかし、静枝はいなかった。

 屋敷の中は完全に静まり返っていたのだった。

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