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あやかしの棲む家  作者: 秋月瑛
其之漆 「隠された物語」
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其之漆「隠された物語(2)」

 今日は七歳になった美花が屋敷に帰ってくる日だ。

 叔父の家に預けられていた――とされている。

 屋敷の正門に姿を見せたのは、美花ただひとりだった。少女がひとり歩いて来られる場所ではない。

 美花を出迎えたのはたったひとり。菊乃のみ。

「お久しぶりでございます。お疲れかと思いますが、静枝様がお待ちしております」

「はい、もうへとへとです。麓[ふもと]の里までは叔父様に送っていただいたのですが、この山道は歩いてきたので」

 すでに菊乃は先を歩いていた。慌てて美花はあとを追う。

「あの、待ってください」

「…………」

「お母さまやお姉さまは元気ですか?」

「会えばわかります」

「そうだ、瑶子さんは?」

「彼女はなにも変わっておりません」

 庭は広く屋敷までの道のりは長い。

 だんだんと菊乃と美花に距離が出はじめた。菊乃の歩調は変わっていない。美花の足取りが重くなっているのだ。

「菊乃さん……屋敷の雰囲気が変わりましたよね?」

「さあ、わたくしにはわかりかねます」

 静かに、気配を殺したように、屋敷はただそこに佇んでいる。

 母も、双子の姉も、まだその姿を現さない。

 屋敷はまるで死んでいるようだ。

 それは屋敷の中に入ってからもそうだった。異様に静かなのだ。

 モノどもはただ息を潜めているだけなのか、それとも……?

 そんな静寂を破る騒がしい足音。廊下を駆ける幼い足音だ。床はとても音を響かせる。

 姿を現したのはるりあだった。

 突然の幼女を美花は躱すことができず、ぶつかると思った瞬間、るりあが急に足を止めたのだ。そして、そのまま逆方向に向かって駆け出した。

 少女の慌てた悲鳴がした。

「きゃっ」

 るりあを追ってきた瑶子の声だった。

 瑶子は菊乃といっしょにいる見覚えのある顔に気づいたようだ。

「あっ、美咲さまごめんなさい。るりあちゃん待ってぇ~っ!」

 深く頭を下げて瑶子は姿を消してしまった。美花と美咲を間違えたのだ。

 再び歩き出す菊乃。向かう先は当主の間。

「失礼いたします。美花様をお連れいたしました」

 と、菊乃が先に入り、続いて美花も部屋に足を踏み入れた。

 息のを飲む音が聞こえた。

 この部屋には鬼気が渦巻いていた。

 すでに部屋にいたのは静枝。

 そして、美咲。

 美咲は冷たい眼差しを美花に送った。口元は笑みを浮かべている。

「お帰りなさい美花」

「はい、ただいま帰りました。お母さま、お姉さま、お久しぶりです」

 正座をして頭を下げた美花を見下ろしている静枝。彼女は高い位置にした。

 何重ものベルト、そして鎖によって拘束され、車椅子に乗せられている。その片眼には真新しい眼帯。静枝は焦点の合っていない目で天を仰ぎ、頭をゆらゆらと揺らしていた。

「会いたかったわ美花。私の可愛い可愛い娘。そう、食べてしまいたいくらい愛する娘だわ。さあ、もっとこちらへいらっしゃい美花、美花、美花」

 美花はひざを浮かせて前へ出た。

「もっとこちらへ」

 さらに美花は促され近づく。

「手を貸して頂戴、私は美花に触りたくても、このような状態ではなにもできないわ。さあ、手を伸ばして、私の頬に触れてみて」

 言われるまま美花は手を伸ばし、静枝の頬に触れた。

 痩せこけた頬。肌は酷く荒れ、体温はほとんど感じられない。まるで死に向かっているような顔。

「傷にも触れてちょうだい」

 顔半分を被う火傷の痕。美花は指先でその痕に触れた。

「あ……」

 と、喘ぐような声を漏らした静枝。

「そう、そのまま……眼帯にも触れてくれるかしら」

 美花の手は震えていた。その指先でそっと眼帯に触れた。

 瞬間、静枝がもう片方の眼を剥いた。

「この眼はくれてやったわ。代わりに私は心の臓を喰らってやった。きゃははははは!」

 狂気。

 口を大きく笑う静枝に驚いてか、美花は全身を震わせて腰を抜かし後ろに下がった。

 そのようすを見て美咲は不気味にほくそ笑んでいる。

 静枝は頭をゆらゆらさせながら天を仰ぐ。

「さあ、戯れはおしまいよ。なぜ美花が本家に戻されたか、理由は言わなくてもわかっているわよね。そう、生き残ることができるのは片割れのみ。殺し合いなさい、そして相手の肝を喰らうのよ!」

 合図は突然だった。

 美咲が隠し持っていた短刀を抜いて、美花に襲い掛かったのだ。

 肌を刺す殺気。

「死ねーっ!」

 鬼の形相をする美咲を前に美花はたじろいだ。

「なにをお姉さま!」

 短刀は美花の腕を掠めた。

 傷が浅かったのか血は出なかった。

 刹那、美花は憎悪に満ちた瞳をした。が、すぐに瞳を潤ませ怯えた表情になった。

 時を同じく、静枝は冷静な眼光を光らせていた。だが、こちらもすぐに眼を泳がせ宙を仰ぐ。

 刃を再び向けられた美花は、背を向けて逃げ出した。

 目頭目尻が切れるほど眼を剥いて静枝が叫ぶ。

「追うのよ、すぐに追って殺しなさい!」

 無言で美咲は美花のあとを追った。

 当主の間に木霊する嗤い声。

 女の嗤い声は屋敷中に響き渡ったのだった。


 夕暮れの中、息を切らせながら美花は屋敷の外まで逃げてきた。

 屋敷の敷地を囲う柵は高いが、足をかけて登れないこともないだろう。

 美花は柵の竹に足をかけた。

 ぼきっ。

 弱くなっていた竹が折れ、片足が吸いこまれるように落ち、そのまま美花は状態を崩して転んでしまった。

 ぎょっと美花は眼を剥いた。

 躰が引きずられる。

 砂塵を巻き上げながら美花の躰が、足を引っ張られるように胴を引きずられる。

 すぐに止まったが、柵は遠ざかった。

「はぁ……はぁ……」

 息を肩で切りながら立ち上がろうと地面に両手をつき、顔を上げた先に――美咲が迫っていた。

 すぐに逃げようとした美花に声がかかる。

「待って、美花を傷つけるつもりなんてなかったの。演技のつもりが手元が狂ってしまっただけなの、許してちょうだい!」

 美咲は追うことをやめて足を止めている。距離を保っているのだ。

 それを確認した美花は足を止め、いつでも逃げ出せるように、背を向けたまま顔だけを美咲に向けた。

「どういうことですか?」

「お母様は狂ってるわ。姉妹で殺し合うなんて馬鹿げてる。あんなの迷信だわ、私は信じていない。美花は私にとって、ただひとりの妹なのよ」

「お姉さま……」

 心に深く感じたように呟いた。

 自然と二人の距離は縮まっていた。向かい合う双子は瓜二つ。

 美咲は鞘に収まっている短刀を差し出す。

「美花が持っていて。私が美花に危害を加えなくても、もしかしたらお母様が……」

「まさかお母さまが……そんな」

「自分の娘たちに殺し合いをさせるような外道よ、やりかねないわ。だったらこちらからやるしかない。そうよ、お母様を殺すのよ!」

 美咲の眼は血走っていた。

 動揺した素振りを見せる美花。

「そんなこと……そんなこと……できません」

「二人ならできるわ。……まあいいわ、考えておいて頂戴。お母様が痺れを切らす前に」

 短刀を手渡すと、美咲が足早に去っていく。

 姉妹が殺し合いをせずにいっしょにいるところを見られるのは不都合だ。

 しかし、すでに見られていた。

 屋敷の屋根のあたりでなにかが微かに輝いた気がする。あまりに一瞬で気づく者などいないだろう。それはレンズの反射だった。

 屋根裏部屋の小窓から双眼鏡を覗かせていた克哉。会話は聞こえなかったが、一部始終を見ていた。美咲が短刀を美花に手渡した場面もだ。

「さて、と。どうしたもんかな」

 屋根裏部屋を静かに歩き、足下に書かれた数字を確認すると、克哉はそこにある穴を覗いた。穴の真下は当主の間だ。

 車椅子の静枝。そして、もうひとりの女が部屋にいた。慶子だ。

「美花さんが帰ってきたんですって? まだ会ってないのだけれど、どこに行ったのかしらねぇ」

「さあ、もう二度と会えないかもしれないわ……うふふ、きゃはは」

 壊れた笑い声が響く。

 ふっと慶子が天井を見上げた。

 胸を鷲掴みにされるほど驚いた克哉だったが、その場を動かず穴から眼を離さなかった。今動いては危険だ。

 すぐに慶子は顔を下げた。

「気のせいかしら……それとも鼠かしらね。この屋敷には珍しい」

 そして、慶子は部屋を出て行く。

「美花さんを探してくるわね」

 ひとり部屋に残された静枝が、しばらくしてから天井を見上げた。静枝は克哉の存在を知っている。だが、何事もなかったように顔を下げた。

 ほっと溜め息をつく克哉。

「そう言えば腹が減ったな」

 安心して腹が空いてきたようだ。時間も頃合いである。

 克哉は別の覗き穴まで移動することにした。今度は台所だ。

 覗く前から美味しそうな匂いが香ってきていた。煮物だろうか、醤油の香りがする。

 台所では菊乃と瑶子はいつものように働いていた。日常どおりの行動。特に変わったことはしていない。指が五本ある腕をぶつ切りにしているいつもの光景。少し違うとしたら、配膳が一人分多いことくらうだろうか。

 白米と味噌汁と山菜、それに謎の生肉を菊乃はおぼんに乗せた。そして、それが当然というように勝手口から出て行く。

 その背中に瑶子が声をかける。

「ちょっと待ってください!」

 味噌汁を揺らさずに菊乃が振り返った。

「なんでございますか?」

「これもお願いします」

 おぼんに瑶子は柿を乗せて、にっこりと笑った。

 と、思ったらすぐに瑶子は不思議そうに首を傾げた。

「あれ? いつもより多くありません?」

「…………」

 返事をせずに無表情のまま菊乃は勝手口を出て行く。

 向かう先はどこか?

 菊乃は鳥居をくぐった。

 向かう先は祠だ。

 祠の入り口で菊乃は足を止めた。

「お食事をお待ちしました」

 と、声をあげてからおぼんを地面に置くと、早々に立ち去る。

 菊乃の背後に気配がした。

 陶器が微かにぶつかる音。

「少ない」

 不満そうな幼女の声。

 菊乃が振り返るとるりあがおぼんを持って立っていた。

「そうでございますか、ならこれで」

 隠し持っていた梨を菊乃はおぼんに乗せた。

 仏頂面だった幼女が、無邪気に笑って祠の奥へ姿を消す。

 微かだが菊乃は微笑んだ。

 そして、何事もなかったように屋敷に戻っていくように思われたが、足が止められた。

 菊乃の顔が向けられた先には美花が立っていた。

 近づいてきた菊乃に気づいて顔を上げた美花。その瞳は潤んでいた。

「……菊乃さん」

「どうかなさいましたか?」

「いえ……なんでもありません」

「もうしばらくすると夕餉ゆうげになります。それまでお部屋でお休みになられては? 部屋は昔となんら変わっておりません、もうお入りになられましたか?」

「……いえ……夕餉……えっ」

 美花は明らかに言葉を詰まらせて見せた。

 この屋敷の出来事を菊乃は見てきた。姉妹の殺し合いも何度も目にしてきただろう。当主の間の前の廊下に控えていた菊乃は、逃げる美花と追う美咲の姿も見ていた。

 にも関わらず、菊乃は何事もなかったようにしていた。夕飯の準備をして、部屋で休むことを勧め、殺し合いなどないように淡々としている。

 美花が眉尻を下げて尋ねる。

「夕飯はやはりお姉さまもいっしょなのでしょうか?」

「はい、昔も家族三人で食卓を囲んでいたではありませんか?」

「菊乃さんはご存じなのですよね? わたしとお姉さまがどのような関係にあるか?」

「はい、一族の仕来りでございますから」

 菊乃の声にも表情にも、感情が伺えなかった。

 美花は背筋をぞっとさせた。

「知っていて……今日は自室で夕食をとります。部屋まで案内していただけませんか?」

「かしこまりました。では美花様のお部屋まで」

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