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あやかしの棲む家  作者: 秋月瑛
其之漆 「隠された物語」
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其之漆「隠された物語(1)」

それは「もしも」が存在しない真物の物語。

夢から現実へ還ろう。

これこそが糸を辿り紡がれた世界。

 それは運命の糸を断ち切る瞬間。

 永遠と無限の狭間で、一筋の糸が煌めく。

 この世界にもしもは存在していない。

 失敗は許されない。やり直しなどできない。それが自然の摂理。

 静けさが怖ろしさを孕む夜更け。

 当主間には女がいた。

 鎖で手足を縛られ、車椅子に拘束され、自らは動くことのできない女当主。

 自由を奪われて、なにが当主だろうか?

 いや、手足が自由になろうとも、彼女に自由などなかった。

 この屋敷は鳥かご。

 手足の自由を奪われるくらい、なんのこともない。真の苦痛は魂の自由を奪われることだ。

 当主となった静枝はこの屋敷で生まれ育った。

 双子の片割れとして生まれ、三歳のとき、妹の静香がこの屋敷を出た。

 静枝はこの屋敷に残された。

 七歳になり、静香は屋敷に帰ってきたが、すぐにまた静枝ひとりが残される。

 この屋敷に残されるのは、いつも静枝だった。

 そのおよそ一年後、屋敷の敷地の外れにある祠で、静枝は双子を出産した。

 出産後から静枝は目立って変わりはじめた。出産のときになにかあったのか、それともそのあとになにかあったのか。娘たちには狂気を逸していると思われている。それゆえの拘束である。しかし、拘束を命じたのは静枝本人。

 静かに閉じられていた眼をカッと開く。

 天井からの物音。押し入れが開き、男が中から現れた。天井の住人――克哉。

 彼は数日前からこの屋敷の屋根裏に潜伏していた。この当主の間に入ったのは今日がはじめて。覗き見はしていた。

 顔を合わせた二人。克哉は柔和な笑みを浮かべ、静枝は硬い表情。

 娘たちが静枝のこの顔を見たら驚くだろう。見せたことのない真剣な眼差しだったからだ。普段の彼女の眼はいつも血走っていた。

 しかし、今は違う。

 先に口を開いたのは女当主。

「老けたようですわね」

「十年以上も経てばな、そのころ俺はまだ高校生だ」

 思い耽ったように遠い目をした静枝は、少し頬を赤らめたが、すぐに哀しげにうつむいた。

「わたくしはまだ十五歳、魄[パク]は二二歳かしら」

 静枝は齢十五。しかしその見た目は二十と少しくらいだ。

 顔を上げた静枝は克哉を見ているようで見ていない。

「どちらにせよ貴方は遠い。やっとあのころの貴方の年齢に辿り着けた……あっという間、しかしとても苦しく長かった月日」

 二人は以前から知り合いだったのか?

 いや、〝静枝〟はこの屋敷から一歩も出たことないはずだ。少なくともこの屋敷で〝静枝〟と名乗っていた者は。

 あのときのように、歴史は繰り返されている。三つのお祝いに、双子の片割れは外の世界に出され、七つのお祝いに屋敷に帰ってくる。そして、代々この一族は双子で殺し合ってきた。

「明日、美花が帰ってくるわ」

「あの子は元気に育ったよ」

「それはよかった……本当によかった……あの子は一族の希望ですもの」

 静枝の瞳から一筋の煌めきが零れた。

 あの子とは美花のことだろうか?

 克哉も美花のことを知っているのだろうか?

 一族の希望とは?

 鬼塚家は女児しか産まれない。それも必ず双子である。

 双子は心身共に通常の二倍で年を取る。それが呪いといわれている。これは単純な遺伝子の異常ではない。なぜなら双子で殺し合ったのちに――通常の歳の取り方になるからだ。

 静枝は嗚咽を漏らしながらむせび泣いていた。娘たちには決して見せたことのない姿。

「わたしにとって孤独な闘いだった……だれにも話せず……だれからも話を聞けず、信じた夜道を進み続けることしかできなかった」

「静……静枝は決して孤独じゃなかったよ。直接のやり取りはできなかったが、菊乃が繋いでくれていた。君からの言葉ではなく、菊乃が見聞きした情報を一方的に聞くだけだから、どうしても足らない部分はあっただろう。けど、彼女は君の想いを汲んでいてくれたと思う。君は本当によくやってくれたよ」

「ええ、わたし……私はどんなモノになろうと、自分を偽ってでも、やらなくてはならないことがまだあるわ」

 眼が紅く輝いた。

「私は愛する者たちのためなら、鬼でも邪でも、なんだってなりましょう」

 それはヒトの眼ではない。

「俺だって後戻りはできない。こうやって俺は姿を見せて、君と話したこともすぐに気づかれるだろう」

 克哉の視線は辺りを見回していた。

 これまで静枝と克哉は直接的なやり取りをしていなかった。二人の間には口伝だけでなく、

手紙でのやり取りもなかった。二人の間には菊乃が入っていたが、菊乃は静枝からなにも聞か

されていない。この屋敷から出られない静枝は監視されていると感じていたからだ。

 逆に菊乃が静枝に情報を伝えることもなかった。菊乃の役割は客観的に見聞きした情報を克哉に伝えること。そして、克哉の情報をもとに菊乃は独断で動く。

 菊乃という存在は、重要な存在でありながら、ある意味蚊帳の外にいる存在。

 屋敷の呪い、一族の呪い、菊乃はどちらの呪いにもかかっていない。

 静枝も克哉も口にはしないが、なんらかの力を感じていた。その外に菊乃はいるのだ。

 地響きがした。

 下から突き上げるような揺れだ。

 それはこの屋敷のみを襲う奇っ怪な地震であった。

 これがなんらかの力だろうか?

 部屋の隅で影が動いた。この場には完全に気配を消していた者がいた。菊乃だ。

「そろそろお時間でございます」

 夜は更けている。夜の住人以外は深く寝静まっている刻。

 静枝は恐ろしく冷たい表情をした。

「どうにか間に合ってよかったわ。残す封印の間はただ一つ」

「俺も手伝うよ」

 そう言われた瞬間、静枝の表情が柔和になった。

「あのころが懐かしく思える」

 静枝の瞼の裏には学生服の後ろ姿。

 克哉が部屋を出て行く。

 そのあとを静枝が菊乃に車椅子を押され追った。


 この屋敷には開かずの間がいくつもあった。

 時折、その部屋の中から殺気を感じ、激しい物音がすることもよくあった。

 この屋敷にはなにかいる。ヒトではないなにかだ。この屋敷の住人であれば、皆気づいているが、それがなんであるか知る者は限られている。

 屋敷は静かだった。これまで通り過ぎた部屋には、封印の護符が張られていなかった。静枝は言っていた――残す封印の間はただ一つ、と。

 開かずの間がいくつもあったのは、過去のことだった。

 最後に残された場所は、地上ではなかった。

 この屋敷を支える根だ。

 湿気が肌にまとわりつく、薄暗い地下であった。

 屋敷の地下、そこの地にひとが足を踏み入れたのは、何百年ぶりだろうか。

 光のなかったこの場所に、菊乃が薪を各所に置いて火を点けていく。火を結ぶと六芒星になっている。部屋の明かりだけでなく、呪術的な意味もあるのだ。

 地鳴りがして、空気が恐怖するように震えた。

「久しぶりだなァ、カツヤ」

 男の声が響いた。酷く嗄れた声だったが、芯は強く狂気を孕んでいる。

「俺はあんたのことを知らない」

「ここ数日か、おまえのことを感じてたぞ。カツヤ、カツヤ、カツヤーッ!」

 獣――それ以上、此の世の者とは思えない咆哮。

 その者は鎖に繋がれていた。金属ではない紙で編まれた鎖だ。弱い紙でありながら、それはこの怪物を捕らえ続けていた。

 元はヒトであった。今は骨と皮だけになり、土気色をした木乃伊のような存在。肉体からは力を感じられない。しかし、眼や内からは、凄まじい鬼気を放っているのだ。

 怒り、憎しみ、孤独。

 幾星霜の月日の内にその者が内包する力は強くなっていた。

 今までここに封じられていたのも奇跡に近かった。

 切っ掛け――切っ掛けさえあれば、封印は解かれる。

 その切っ掛けこそが〝克哉〟だったのだ。

 呪文の書かれた紙の鎖が黒い炎に焼かれる。

 思わず克哉は後退りをした。

「肌が焼かれそうな鬼気だ。こんな凄まじい妖力を浴びたのははじめてだぞ」

「あのころの私とは違いますわ。克哉さんは下がっていらして」

 車椅子が押されて静枝が前に出た。けれどその身体は拘束されてまま、自由を奪われている。

 地面がひび割れた。

 封印が解かれ、骨と皮だった躰が、筋肉質に隆々と盛り上がっていく。その者は片手でヒトの首をへし折るだろう。その牙はひと噛みで虎を仕留めるだろう。その眼は見つめられただけで、気の弱い者は死に至るだろう。

 かつてその者は賊の頭領であったが、今や鬼人。

 ヒトが鬼と化した姿。

「おれがなにをした? カツヤ、おまえにはよくしてやっただろう。なのに、この仕打ちはなんだ?」

「だから俺は知らん。知らんが、退魔師としての仕事はいつも通りする。あんたが何者でもそれは変わらない」

 克哉は短剣を握った。呪文の刻まれた魔導具だ。

 魔力、妖力、巫力、呼び名はいろいろとあるが、それらは精神と精神の勝負に用いる。つまり相手が物理的な存在ではない場合に直接的な攻撃を与えることのできる力だ。

 目の前にいる鬼人は、妖力と腕力を備えた存在だった。すでに克哉は敵の妖力に当てられてしまっている。たとえ克哉が妖力で優っていたとしても、筋骨隆々の巨人相手では肉体的に歯が立たない。

 正攻法では克哉に勝ち目はないのだ。

 克哉は地面を蹴って相手に飛び込んで行った。

 武器は短剣。攻撃距離が短く、それだけ危険に晒されることになる。

 だが、それは囮だった。

 隠し持っていたなにかを克哉が投げた。それは拳に収まるほどの物だったが、一瞬のして鬼人を被う蜘蛛の巣と化した。黒い網縄だ。

 網の中で藻掻く鬼人。

 その機会を見逃さず克哉は短剣を握り直した。しかし、ぞっと寒気がして後ろに飛び退いたのだ。

 鬼人の爪が空を掻いた。間一髪で克哉は本能的に躱したのだ。

 網縄を破って鬼人の太い腕が出ている。

 克哉は眼を剥いた。

「ご先祖様の髪で編んだ縄だぞ、なんて妖力だ!」

 網縄を引き裂いた鬼人はすぐそこまで迫っている。逃げなくては殺される。一撃でも鬼人の攻撃を受ければ、躰が引き裂かれるのは必定。

 世界が軋むような悲鳴があがった。

 静かな瞳をした菊乃の手には錠。

 ぽつんと残された車椅子。

 天井に巨大な影が張り付いている!

 八本の長い脚。

 まるでそれは……しかし、そこにある顔は女。

 いつの間にか克哉の横に立っていた菊乃が囁く。

「どうか、目をつぶっていてください」

 その声には愁[うれ]いが含まれていた。

 克哉は静かに瞳を閉じた。それが危険な行為なことはわかっていた。だが、静枝の願いだ。

 すぐに聞こえてきたのは猛獣の悲鳴。

 骨の折れる音が聞こえた。

 克哉は汗ばむ拳を強く握り、瞼が痙攣するほど目を強く閉じた。

 ばり……ぐしゃ……がり……

 やがて聞こえてきたのは咀嚼音。

 地下室に腐臭が漂った。

 微かにすすり泣く声が聞こえた。若い女の声だった。物悲しい声だった。

 克哉は胸を締めつけられながら瞳を閉じ続けた。


 その少女は屋敷の敷地内の中にいた。

 しかし、もっとも懐かれているのは瑶子だが、その一日の行動の大半は知られていない。

 まるで風のような少女だった。

 その少女は突然この屋敷に現れた。瑶子に話によれば、あの鳥居の傍で見つけたのだという。素性は不明だが、名はるりあというらしい。

 夜が深くなりはじめると、るりあは姿を消す。決して屋敷には近づかない。いったいどこを寝床にしているのか?

 広大な庭の片隅に鳥居がある。その先には祠があった。ずいぶんと昔からある祠だ。

 昼間でも中は暗い。夜ともならばなおさら。洋燈などがなければ、奥まで辿り着くことはできないだろう。

 克哉と静枝が当主の間で会うよりも数時間前、るりあは寝床である祠に帰ってきていた。

 少女は明かりを持たず、その眼だけを頼りに奥へと歩いて行く。ヒトには見えない祠の中が見えているのだ。

 最奥に辿り着いたるりあは近くにあった小石を拾い上げた。

「だれだ?」

 警戒した声音だ。

 静かな暗闇だった。

 ヒトの目ではその暗闇の中になにがあろうと見えない。

 ふっと気配がした。

「警戒しないで、私はあなたに嫌なことはしない。名前は……私には名前がないの。存在のしてないモノには名前なんてないでしょう?」

 少女の声だった。一見して柔らかい花咲く春のような声だが、芯はしっかりとしている。

 るりあはなにかを握った。それは少女が差し出した手だ。

 小さな手だが、るりあよりも大きい。

 るりあはその手に鼻を近づけ、よく匂いを嗅いだ。

「あいつの匂いがする」

「あいつ?」

「上に棲んでる男だ」

「うふふ、鼻がいいのね。あのひととはいっしょに住んでいたから」

 まだるりあは嗅ぎ続けている。そして時折、不思議そうに首を傾げるのだ。

 そっと少女の手が引かれた。

「ほかに行くところがないの。いいでしょう? 今日はここに泊めて。ううん、もしかしたらしばらくここにいることになるかも」

 るりあは頷いた。

 この屋敷では瑶子にしか懐いていないのに、この者には心を許したのだ。

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