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あやかしの棲む家  作者: 秋月瑛
其之陸 「黙して語らず」
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其之陸「黙して語らず(6)」

「勝手になさい」

 車椅子に拘束された静枝はどこを見るでもなく、天井に顔を向けながら吐き捨てるように言った。

「はい?」

 と、瑶子は首を傾げてしまった。

 頭をぐるぐると回しながら、静枝は答える。

「その子を生かすも殺すも、勝手になさい。生かすのであれば、面倒はあなたが看なさい」

「は、はい」

 おどおどしながら瑶子はうなずいた。その背中に隠れている幼女。頭に二つの瘤がある。名はるりあだと、先ほど瑶子が紹介した。

 瑶子よるりあが部屋から去ったあと、静枝は付き添いの菊乃に視線だけを向けた。顔が真逆の方向を向いている。

「今の子が何者かわかる?」

「おそらく、本物の鬼でございます」

「ふふっ、答えが返ってくるなんてあなたはなにを知っているのかしら?」

「…………」

 るりあ。

 其の名を菊乃は知っている。だが、菊乃の本当の主人は、るりあと瑠璃亜の因果関係について、語らなかった。名前が同じだけなのか、それとも。

「黙さないで答えなさい」

 静かな口調に静枝は怒気を含ませていた。

「…………」

 菊乃は黙した。

 静枝は待っている。

 そして、菊乃が静かに口を開く。

「存じ上げません。なぜならわたくしは、すべてを知っているわけではございません」

「知っていることを答えなさい」

「わたくしのはじめのご主人様は、それについて語る時間がなかったのか、それとも意図して語らなかったのか、多くを教えてはくださいませんでした」

「はじめの主人……が、なぜさっきの鬼のことを知っているのかしら?」

「…………」

「また黙[だんま]り。昔、あなたの出自――出自という言葉が正しいかは置いといて、そのときもあなたは答えなかった。ほかにも過去について尋ねると、大抵は黙り。こうしてもっとも私の傍にいるあなたのことを、私はよく知らない。私が生まれたときには、すでにあなたはその姿でこの屋敷に仕えていた。歳を取らないのは瑶子も同じだわ。けれど、あなたはさらに異質だわ。この屋敷では異質。ひとでもなく、物の怪でもなく、あのときはじめてあなたが人形だと知ったときは驚いたわ、自分の首を切れだなんて言うのだもの」

 菊乃は口を挟まなかった。独り言のように静枝はさらに話し続ける。

「当たり前のことが疑問に変わるのは難しいわ。けれど、ひとたび一つ疑問が生まれれば、日常の全てが疑問に変わる。ときにそれは疑心暗鬼を生ず。娘たちについても……それは考えないようにしているのだったわ。嗚呼、今や自分自身も信用できない。私の判断は正しかったのかしら?」

「わたくしは静枝様に従うのみでございます」

「嘘ばかり。あなたは敵ではない、けれどどうやら私の味方でもないらしい。あなたの意図の先がどこにあるのか、そんな詮索は途方だわ。もう疲れたわ、生かされることに」

 一人で十[とお]、二人で二十、年数ではなく肉体年齢。いつか静枝が呟いた言葉だ。娘たちは五歳になった。まだ静枝は生きている。


 美咲と美花が生まれて七年。

 切り開かれた山道を走ってきたスバル360の前に菊乃が立ちはだかる。正面門をくぐる前にスバル360は止まらざるを得なかった。

 運転席から顔を出した無精髭の男。菊乃は表情ひとつ変えなかった。

「どこに止めればいいですかねえ?」

「ここまでで結構でございます」

「そんなこと言わずに、お茶の一杯でも飲ませてくださいよ。もうくたくたで、喉もからからで、美花ちゃんからもなんか言ってやってよ……あっ!」

 克哉の視線の先で車を先に降りた美花。

 向かい合う双子の姉妹。

「お姉さま、お久しぶりです」

「元気そうね美花。あのころとなにも変わっていないみたい。〝見慣れた顔〟だわ」

 再会した姉妹の横をスバル360が通り過ぎる。菊乃が止める間もなかった。

 運転席から克哉が顔を出す。

「適当に停めさせてもらいますんで」

 ハンドルを握って再び顔を前に向けた克哉が眼を丸くした。

「おおっ、なんだガキか!?」

 るりあがフロントガラスにべったりと顔を付けていたのだ。

 また克哉が窓から顔を出した。

「どけどけ、どかないと轢[ひ]いちまうぞ」

 るりあは引かない。

 仕方がなく菊乃がるりあを引っ張って捕まえ、そして深々と頭を下げた。

「申しわけございません。幼い子のしたことでございます。どうか許してあげてくださいませ」

 と、顔を上げた菊乃は遠く縁側にいる瑶子に眼をやった。

 看られた瑶子は度肝を抜かれたようで、目を丸くして固まっている。

 克哉が頭を掻いた。

「許すもなにも気にもしてませんよ。それじゃあ冷たいお茶でも用意していてください」

 そう言い残して克哉は車を走らせて屋敷に向かって行ってしまった。

 姉妹はなにやら話し込んでいたが、どうやら一段落したようで、美花は菊乃とるりあに顔を向けた。

「お久しぶりです菊乃さん。そちらにいる女の子は?」

「るりあ様でございます」

「るりあちゃんと言うのね」

 美花に見つめられたるりあは急に駆け出して行ってしまった。

 双子の姉妹を菊乃は屋敷の中へ導く。

「静枝様がお待ちでございます。どうぞこちらへ」

 久しぶりに帰ってきた屋敷を懐かしむように、美花はゆっくりと歩きながら辺りを見回している。

「美花ちゃん!」

 後ろから声を掛けられた。すぐに振り返ると克哉がいた。

「克哉さん、どこに行っていたのですか?」

「車を停めてたんだよ。これからお母さんに会いに行くんだろ? 俺も行くよ」

 克哉の前に菊乃が立ちはだかった。

「静枝様は美咲様と美花様だけをお呼びでございます。静枝様にご挨拶なさるのなら、ご家族での話が終わってからになさってください」

 隠れるように付いてきていたるりあにも釘をさす。

「るりあ様も決して邪魔をなさらぬように」

 すぐさまるりあは克哉の背に隠れた。

 克哉はるりあを抱きかかえた。

「そういうことなら俺らは退散しますか。台所で茶でも飲んで待ってますよ」

 るりあは駄々をこねるように足をじたばたさせたが、克哉は構わず抱きかかえながら歩き出した。

 そして、再び三人は静枝の元へと向かった。

 当主の部屋で車椅子に拘束され、宙を仰いでいた静枝。

「遅いわ。待ちくたびれて死にそうだったわ」

 三人を見て静枝は宙を仰ぎながらしゃべった。その顔は木乃伊のように痩せこけている。本当に今にも死にそうだ。

「嗚呼、しゃべるのも辛い。目も霞んでよく見えないわ。美花……もっとこちらへ、美花の顔をよく見せてちょうだい」

 見せろと言いながらも、静枝は宙を仰いだまま美花を見ようともしていない。

「はい、お母様」

 ゆっくりと美花は歩き静枝に近づく。

「もっと近く、顔をよく見せてちょうだい」

「はい」

 さらに美花が近づいた。目と鼻の先。

 美花の頬に枯れ枝のようなものが触れた。それは静枝の両の手だった。拘束が解かれている。

 ついに静枝が美花と目を合わせ、微笑んだ。

 刹那。

 美花が眼を見開いた。

 紅い花びらが撒き散らされた。

 美咲が息を呑む。

 そして、菊乃はただそこに立っていた。

 静枝の躰から伸びる不気味な六本の細い長い手。それは手と言うより脚だろう。蜘蛛に似た六本の脚が静枝の背中から伸びていたのだ。

 美花の頬に触れていた枯れ木のような手は、灰のように崩れ落ちた。

 続け様に美花も崩れ落ちるように倒れた。その心の臓には穴が開いていた。

 女の奇声が木霊した。

 叫んだのは美咲だ。

 美咲の手にはどこに隠し持っていたのか、短刀が握られていた。

 菩薩のような微笑みを浮かべた静枝。

 美咲が全体重を掛けた短刀が静枝の心の臓の位置を突いた。

「どうして美花を殺したの、この化け物めっ!」

「化け物であってもあなたの母よ。よく見なさい、そこにある美花の亡骸を」

 口調も表情も冷静な静枝。

 取り乱しながらも美咲は一瞬静枝の言葉に耳を傾け、倒れている美花に視線を向けた。

「……なっ、なに……この醜い猿のような化け物は?」

 もはやそこに美花の面影はなかった。目が眩むほど真っ赤な血を流して死んでいる不気味な化け物。

「美花は死んだのよ。おそらく四年前、いつの間にか鬼と入れ替わっていたのよ。もしかしたら屋敷を出て行く前に、私の娘は……」

 静枝の瞳から一粒の雫がこぼれ落ちた。

 六本の細長い脚がぐったりと畳に落ちた。

「騙し騙し生きていたけれど、もう限界だわ」

「お母様はなぜそんな姿に!」

 まだ美咲は混乱の最中にいた。

 菊乃は知っていたのか。そうでなかれば、動かずにそこでじっとしているはずがない。

「普段はどんなに言うことを聞く番犬でも、いざというときに手を噛まれては敵だと言うほかないわ」

 それは四年前のことは言っていた。蜘蛛の群れの叛乱。

「敵と背中を合わせた生活はぜす、私は共生を選んだのよ。使える物はなんでも使う、今日まで生き延びるためには必要だった」

 静枝の寿命はとうに尽きていた。それを生きながらえさせたのは、今目の前にある蜘蛛の姿だろう。

 話を聞いても美咲はまだ混乱している。

「わからないわ、わからないわなにもかも。お母様は狂っていた、いつも狂っていて会話もろくにできない状態だった。そんなお母様は過去に手紙を残していたわ。私と美花に残した手紙よ、そこには今前にいるお母様は化け物だと書いてあったわ。あの手紙はなんなの? たしかに目の前にいるのは醜い蜘蛛の化け物だわ……けれど、手紙に書いてあったような」

 美咲の背後で声がした。

「あの手紙はかく乱のため、そして鬼を炙り出すために書かれたものでございます。そして、鬼は美咲様ではなかった。そうとなれば、鬼はひとりしかおりません。二度も同じ手は食いません」

 二度目。

 封印された部屋から消えた鬼はどこへ?

 その答え。

 静枝の瞳から色が消えはじめた。

「姉妹で殺し合いなどさせない。二代続いて、私たちの勝ちだわ。嗚呼、長い戦いだった……」

 躰が崩れ落ちる。腐り、形を保てなくなった躰が、脚の先から崩れていく。

「魂[こん]と魄[ぱく]。私たちに足らないのは、設計図のほうよ。あとはそれだけ解決できれば……母の最期の願いを聞きなさい……私の魄は二十歳までの設計図を持って……いるわ……私を喰らえば……美咲は……あと六年……」

 静枝は事切れた。一族では最長であった。

 無表情のまま菊乃は静枝の屍体を短剣で切り刻みはじめた。

 そして、その躰から取り出した血の滴る真っ赤なモノを、半分に切ってから両の手に乗せて美咲に差し出したのだった。

「どうぞ、召し上がってください」

「…………」

 無言で美咲はそれを受け取り、背を向けた。

 ぼとぼと畳に染みをつくりながら美咲の足下に溢れ落ちる血。

 菊乃は天井に顔を向けた。

「るりあ様を連れてきてもらえませんか?」

 誰に言ったのか?

 反応はすぐにあった。

 押し入れから物音がして、天井裏から克哉とるりあが落ちてきたのだ。

 克哉は蒼い顔をして言葉を失っている。

 菊乃は残りを両の手に乗せてるりあに差し出した。

「どうぞ、召し上がりください」

 るりあはそれを奪うように受け取り、むしゃぶりついた。口と手を真っ赤にしながら、熟れた果実を頬張るように、ぐじゅりぐじゅりと雫を垂らして。

 突然、るりあの眼がかっと見開かれた。

 菊乃が静かに尋ねる。

「繰り返されてきた一族の記憶。思い出されましたか?」

「おらは……これは何度目の……嗚呼、克哉……おらのかわいい娘たちは……」

 るりあの言葉に克哉は驚く。

「俺がどうした?」

 突然、屋敷全体が激しい揺れに見舞われた。

 生臭い風が吹く。

 風に舞って御札が飛んできた。何枚もの御札が渦を巻いて飛んでくる。屋敷中を封印していた御札がすべて剥がれている。

「いったいなにがどうなってやがる!?」

 叫んだ克哉の片足が沈んだ。床が地面に沈んだのだ。

 さらに屋敷を遅う揺れは強くなった。天井が崩れ落ち、壁が剥がれ落ちる。

 逃げ出さなければ建物の下敷きになりかねない。

 しかし、激しい揺れで誰もが自由に動けず床に這いつくばっていた。

 床が沈んでいる。地盤沈下などではない。それは渦巻く呪いの重さだった。

 屋敷中に蜘蛛の子が散る。

 すでに菊乃は落ちてきた天井に両足を押しつぶされていた。それでも這って動き、見えていた少女の手を掴んだ。

「っ!?」

 菊乃が動揺を見せた。

 掴んだ少女の手は、腕から先が消失していた。

「これでなにもかも振り出しに……申しわけございません克哉様、これで終わりになるはずだったのに……」

 ぐしゃり。

 落ちてきた天井によって菊乃の頭部が潰された。


 大地を穿つ大穴。

 瓦礫一つすら残さず、屋敷と共にそこに棲むものは消えた。

 荒野に佇む女がひとり、鳥居を見上げていた。

「残念でした」

 その女も風のように消え、老若男女が混ざったようなひとりの嗤い声が残された。


 黙して語らず(完)

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