其之壱 「双生児(4)」
食卓はとても淋しいものだった。
侍女の菊乃と瑶子は主人たちと食卓を囲むことはない。るりあも姿を見せない。
淡々と箸を進め、私語を慎み、三人だけの食卓。食器の音すら立ててはいけない雰囲気だった。
この場に美花がいなければ、もっと淋しい食卓なのかもしれない。それとも、そんな感情すら抱かないのだろうか。
山里にある偏狭の村だが、食卓には生鮮野菜や新鮮な魚が並んでいる。魚は川魚だが、いったい誰が届けてくれているのだろうか?
この屋敷を出ることは出来ない。
出られるのは菊乃だけと聞いたが、全て菊乃が調達して来るのだろうか。疑問は尽きない。
美花は赤いお吸い物を口に運び、一番遅く食事を終えた。
全員の食事を終わったところで静枝が席を立つ。
「美咲さん、美花さん、あとでわたしの部屋に来なさい」
静枝は姿を消した。
美咲も美花に微笑みかけて姿を消した。
片づけをはじめる菊乃と瑶子。
慌てて美花も手伝おう茶碗に手を伸ばした。
「わたしも手伝います」
しかし、菊乃が茶碗を先に取った。
「わたくしたちの仕事でございます」
無愛想に菊乃は食器を運んでいってしまった。
少し哀しそう顔をした美花に瑶子は笑いかける。
「美花さんは何もしなくてもいいんですよ。そのためにあたしたちがいるんですから」
「でも、そういうの慣れていなくて」
「大丈夫です、すぐに慣れますよ!」
「はい、そうですね」
本当に慣れることができるのか、美花は自信が持てなかった。
美花は後片付けを終えた瑶子に静枝の部屋まで案内してもらうことにした。
日中の間でも暗い屋敷内は、黄昏時を過ぎるとその不気味さを増す。
行灯の光は廊下の奥まで照らしてはくれない。
美花は会話が途切れぬように努めた。
「瑶子さんはここに来て長いのですか?」
「いえ、まだ三年です」
「三年は十分長いと思います。その前は何をなられていたのですか?」
「実は覚えてないんです。行き倒れになっていた所をここの人たちに助けていただいたらしくって、それ以前の記憶は何も」
瑶子の年齢は見た目から察すると美花と同じくらい。まだまだ若い十五歳前後くらいに見える。三年前の瑶子はもっと幼かったのだろう。そんな歳からこの屋敷に住み、奉公していると考えると、心中を察したくなるが、瑶子の表情に悲壮の欠片もない。
こんな場所でなぜ屈託のない笑顔で居られるのか?
他の者の笑顔は皆、どこか壊れていた。
美花は訊かずには入れれなかった。
「ここを出たいとは思わないのですか?」
「思いません。ここはあたしの家なんです、ずっとずっと昔から住んでいるような、とても愛着のある住処ですから」
「そうですか……」
瑶子を見習わなければならないと思った。この場所でもそんな笑顔で笑えるように。例えどんな場所でも、己の心構え一つで変わるのだ。
二人が廊下を歩いていると、暗闇の先に物陰が見えたような気がした。驚いて美花は瑶子に顔を向ける。
「今、誰かいませんでしたか?」
「そうですか、あたし鈍感なんでわからないんです。他の人たちはみんな感じてるみたいなんでけど」
この話を追求していいものなのか、けれど瑶子の口調からはまるで恐怖を感じない。日常的で当たり前のこと、そこに何も恐れることはない。
美花が黙っていると、瑶子が悪気なく話しはじめた。
「るりあちゃんが一番良く見えているみたいです。そこら中にいるみたいで、いつも怖がって屋敷の中を走り回ってるんです。でもあたしはソレに何か危害を加えられたことはありませんし、たまに物音が聞こえるくらいで、ぜんぜん怖いものだとは思ってません」
「危害は加えないのですか」
では、いったい美花の足を掴み、躰中を舐め回すように触れたモノは何だったのか?
あれは危害と言わないのだろうか。
それからすぐに静枝の部屋の前まで来た。
「では、あたしはこれで」
軽く会釈をして去ってしまおうとした瑶子。
独りにされるのは心細かった。部屋の中には静枝がいる。けれど、そこに入っても美花は独りだった。
この屋敷で唯一心を許せる存在。
美花は手を伸ばした。
「待って」
その言葉をやっと言うことができた。
「何でしょうか?」
柔和な顔で瑶子は振り返った。その顔を見ると安心できる。
「あの、ここで待っていてくれませんか。わたし自分の部屋にもまだ独りじゃ帰れなくて」
「あはははは、この屋敷は大きいですからね。大丈夫ですよ、ここでお待ちしております」
にこやかに笑いながら瑶子は廊下で待っていてくれることになった。本当は部屋の中まで付いて来て欲しかった。けれど、それは無理な話だろう。
美花は緊張した面持ちでふすまを開けた。
部屋の中には二つの影が正座していた。静枝の他に美咲がすでにいたのだ。
ふすまを閉めて部屋に入った美花は、用意された座布団の上に正座した。
静枝が微笑みながら口を開く。
「二人とも良く聴きなさい。これから話すことは二人の命に関わることよ」
美咲の目つきが少し鋭くなった。美花もまた、少し驚いたように瞳を大きくした。
静かな、それでいて恐ろしさを背負う静枝。口を挟む隙をまったく見せず、二人を見据えながら話を続ける。
「美咲さんはもうわかっていると思うけれど、美花さんも気づいているかしら。貴女方とわたしの違い。わたしの見た目はそうね、二五歳前後……実年齢は数え年で十九歳」
若く妖艶な母であったが、見た目よりもさらに実年齢が若い。
そして、もっとも問題なのは、双子の姉妹の見た目は十五歳前後。
十九歳の女が十五歳の子を持てるものなのか?
本当は実の母子ではないのか、その疑問を持つのは当然かもしれない。だが、姉妹がその疑問を持つことはない。
静枝は淡々と言う。
「貴女方の見た目は十六歳、そして数え歳は八歳。それがわたしと貴女方の明確な違い」
二人の姉妹は二倍の速さで成長し、老化していたのだ。
そして、これが重要な一言だった。
「わたしはその呪縛を絶った」
つまりそれは静枝もまた、過去に姉妹と同じ運命を背負っていたのだ。
二倍で老化していく恐怖。
通常の人間よりも死を身近に感じ、特に『外』で育った美花はそれを強く感じていた。
美花は決して口を開ける状態ではなかったが、美咲は堂々と口を開いた。
「それはお母様が行っているアレと関係あるのでしょうか?」
「アレ?」
少し惚けた様子で静枝は答えたが、美咲は凛として核心を追及する。
「わたし知っておりますのよ、お母様と先生が何をしているか」
「何かしら?」
「人間を解体して丸ごと喰らっているのでしょう?」
「ふふふふ……きゃははははは……やっぱり気づいていたのね、お利巧さんだこと」
「そして、喰い切れない肉は食事に混ぜてわたしたちに喰わせていたことも。今日の夕食にも混ざっていたのでしょう?」
それを横で聞いていた美花は口に手を当てて吐き気を催した。
美花を見て鼻で笑う美咲。
「馬鹿ね、人間の血は呑めるのに、肉は喰えないの?」
「……だって……それは」
仕方なかった。
仕方なく人間の血を飲んでいた。
それが嫌で嫌で堪らなかった。
クツクツと嗤いながら静枝は話を戻した。
「人間の血を浴び、肉を喰らうのは美容のために過ぎないわ。貴女方は動物の血、特に人間の血を飲まなければ、老化の速さがさらに加速する。何もしなければわたしよりも早く死ぬでしょうね」
では、どうやって静枝はその呪縛を断ち切ったのか?
「貴女方が呪縛を解くためには、人間を喰らうしかない」
静枝の言葉に気性を乱して美咲が食って掛かった。
「それでは無理とご自分で言ったではありませんか!」
「そんなことは言っていないわ。たしかに貴女方がわたしと同じように人間を喰らっても呪縛を解けない。そう、同じでは駄目なのよ……」
美咲と美花は息を呑んだ。
そして、静枝はこう断言した。
「片割れを殺し、肝を喰らいなさい」
寒気と静かさが部屋を包み込んだ。
数刻の沈黙。
美花が大声で叫ぶ。
「できません!」
それは姉妹で殺し合うということ。同じ顔を持った相手を自らの手で殺めるということ。
精神的な自分殺し。
美咲は静かな表情をして、口を開く気配すら見せなかった。
静枝は自らの顔に残る醜い痣に触れながら遠い目をした。
「わたしにも姉がいたわ。別々に育てられ、出逢ったその日に殺せと言われた。代々我が家系は双子の姉妹が生まれ、同じ事を繰り返してきたらしいわ。だからわたしは姉を喰らって生き延びた」
そんなこと美花にはできなかった。
「姉を殺すなんて、できるわけない……」
涙ぐむ美花に静枝は頷いて見せた
「わたしもそうだった。わたしも美花さんのように外で育てられたから。別々に育てられるのが掟なのよ、双子に優劣を生むために」
微かに美咲の耳が動いた。だが、口を開かず無言のまま。
涙を流して躰を振るわせる美花。
無言のまま動じない美咲。
別々に育てられた双子の姉妹。
美花は涙を拭った。
「やっぱりできません。そんなことしなくても、まだ三十年……四十年は生きられる。お姉さまを殺めてまで長く生きたいとは思いません」
美咲も頷いた。
「そうね、長生きなんて興味ない。この鳥籠の中で何十年も生きなくてはいけないなんて苦痛だわ」
美咲の言葉に美花は心から安堵した。殺し合いをしなくて済む。
決して母を軽蔑しているわけではない。生きることに執着するのは動物の本能。
――でも、姉妹で殺し合うなんて間違ってる。
美咲は席を立って部屋を出ようとした。
すぐに静枝が呼び止める。
「待ちなさい美咲さん」
「まだ何か?」
「話は終わっていないわ」
「もう済んだでしょう」
「いいえ、まだ終わっていないわ」
美咲は座布団に再び座ろうとしなかったが、足と止めて静枝の話に耳を傾けることにした。
静かに語りだす静枝。
「先程、三十年と言ったわね。このまま二倍の速さで老化が進めばそうでしょう。しかし、過去に殺し合いをせずに生きようとした者がいたそうだけれど、数年と経たずに死んだそうよ。ちょうど十歳になったとき」
あざ笑うかのように美咲は反論する。
「ただの偶然でしょう」
「違うわ。この呪縛は体質ではないの、呪いなの。諍うことのできない呪いなのよ。双子の血が途絶えても、一族のどこかで双子が生まれ本家の養子となる」
「だからどうしたって言うの。別に構わないわ、あと一、二年で死のうと」
美咲はふすまを開けて部屋を出て行った、今度は止める間もなかった。
残された美花もゆっくり立ち上がり、涙を堪えながら部屋を出た。
冷たい廊下では瑶子が待っていてくれた。
美花は膝から崩れ落ちた。それを抱き支える瑶子。
「大丈夫ですか美花さま」
「…………」
美花は無言のまま、ただ涙を零した。




