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あやかしの棲む家  作者: 秋月瑛
其之陸 「黙して語らず」
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其之陸「黙して語らず(5)」

 ある日のこと、屋敷に客人が尋ねてきた。

 客人とはいつぶりのことだろうか。

 翁面の老人。

 出迎えた菊乃は顔色一つ変えなかった。

「どなた様でございますか?」

「三つになった双子の片割れをもらいに来た」

「その約束はもう果たしたはずではございませんか?」

「約束は破られた。双子が三つになったとき、片割れを決められた里親に預けることになっておるはずじゃ。歴代の当主がそうしてきたように、智代もそうしろと命じたはずじゃが、お主はどうした?」

「…………」

 菊乃は黙した。

 老人は丸まっていた背を伸ばす。骨が鳴った。背が伸びるだけではない。その形が徐々に変わり、白髪の頭髪が色づいていく。

「規則をあまり曲げてもらっては困るわ」

 老人の声が若い女の声に変わった。その姿すらも、女だ。翁面で顔を隠しているが、見たことがある――この女。

「あら、驚かないのね。それともお人形さんには驚けないの?」

「同じ存在だとは思っておりませんでしたが、慶子様は十分に妖しげでしたから」

 そこに立っていたのは慶子だった。

「はじめから警戒されていたのね。どうりで私を見るあなたの眼差しが冷たいはずだわ」

「目的はなにでございますか?」

「この世界が永遠に続くことを願っているだけよ」

「おっしゃっている意味がわかりませんが?」

 慶子は笑った。愉しげに笑った。

「規則をあまり曲げられるのは困るけれど、あなたが智代の言いつけを破ったことは責めていないわ。それはそれで一つの選択肢ということで許すわ。ただあまり私の目の届かないことをされると、管理が大変で困るのよ。そう、だからこれは警告。あなたの守りたいものは私の人質だと思って。だから今回はこうしましょう、美花を外に出しなさい。里親はあなたの好きにすればいいわ、警告よ、これは」

「…………」

 黙した菊乃。

 慶子の顔を近づいてくる。鼻先が触れる寸前まで、慶子の顔は菊乃の顔に近づいてきた。

「言わなくてもわかっていると思うけれど、ここでの出来事は忘れてね、うふふ」

 軽い足取りで慶子は菊乃の横を通り過ぎて、屋敷の中へ入っていこうとする。

 菊乃が振り返った。

「双子の呪いの発端は、克哉様が行った反魂の失敗――ではなく、あなたが教えた方法通りに行ったためでしょうか?」

 慶子は足を止めない。振り返ることもない。

 さらに菊乃は言葉を投げかける。

「双子の殺し合いの発端は確実にあなたが仕組んだことでございます。あのときあなたに連れて行かれた美花様が、七つになってお帰りになられたときには……」

 慶子が足を止めた。

 ゆっくりとこちらに向けた慶子の顔は、まるで鬼気の形相を浮かべた蛇。

「今回も美花を里子に出しなさい」

 最後にそれだけ言って慶子は暗い屋敷の奥へ消えていった。

 わざわざ指定して来たと言うことは、そこになにかがあるはずだ。

 菊乃は当主の部屋へと急いだ。

「失礼いたします、菊乃でございます」

「お入りなさい」

 返事を待ってから、菊乃は障子を開けて部屋の中に入った。

 部屋の畳は酷く毛羽立っていた。まるで台車でも走らせたような跡がいくつもある。

「ちょうど良かったわ。厠に行きたいと思っていたところなのよ」

「すぐにお連れいたします」

 菊乃は車椅子を押しはじめた。そこに乗っているのは、顔に火傷の痕がある静枝だった。

 車椅子に乗せられた静枝は全身を拘束されていた。何本ものベルトを躰に巻いて自由を奪い、動かせるのは首から上のみ。顔色は酷く、頬や目元はくぼんで精気を失っていた。

 なんのための拘束だろうか?

 死相に近い表情を浮かべ、力すらあるとは思えない。暴れてなにかをするとは到底思えず、逃げ出す、自傷の恐れ、いろいろと考えられるが、やはり拘束の理由がわからない。

 菊乃に手を借りて用を足しおえた静枝は、再び拘束される。用を足す際に、拘束の一部を解かれていたのだ。

「自分で小便もできないなんて、哀れよね。そう思うでしょう菊乃?」

「…………」

「あなたの予想が正しければ、もう一年も保たないでしょう。一人で十[とお]、二人で二十、年数ではなく肉体年齢。生きながらにして躰が腐るって、どんな感じなのかしらねえ」

 大声で言ってすぐに、静枝は小声で話しはじめる。

「歴代の当主たちは化け物に取って代わられていたから、双子のひとりを里子に出したり、殺し合いをさせてきたわけでしょう。私には娘たちにそれをさせる理由がないわ」

「意味があるから行われてきたのか、それともただの座興なのかは、わたくしは存じかねます。どうするか、静枝様のご意志にわたくしは従います」

 慶子との約束では、美花を里子に出さなくてはならない。

 御札の貼られた部屋の横を通り過ぎたとき、静枝が口を開いた。

「その先にいる奴らなのかどうなのか、なにかにずっと監視されている気がするわ。こんな屋敷捨ててしまって、みなで外の世界で暮らすことはできないかしら?」

「わたくしはこのお屋敷に残ります」

「なぜかしら?」

「すべての部屋を開放することが、与えられている使命の一つでございますから」

「菊乃は私たちによくしてくれたわ。はじめは信用していなかったけれど、今は菊乃がいなかれば生きていけないわ。どうしてもあなたがここに残るというのなら、私も残らざるを得ないわ」

 車椅子を押しながら廊下を進んでいた菊乃の足が急に止まった。静枝が自らの足で歩いてたら、同じように動きを止めていただろう。

 開いている。

 床に破り捨てられ落ちている御札の切れ端。

 封印されていた部屋の戸が全開に開かれていたのだ。

「全員を私の部屋に集めなさい」

 静枝の厳しい口調が冷たい廊下に低く響いた。


 ひとりずつ静枝によって問い詰められたが、封印を解いた者が名乗り出ることはなかった。

 その間、屋敷の見回りをしてきた菊乃が戻ってきた。

 部屋には緊張が走っている。封印が解かれた緊張感ではなく、静枝の発する鬼気に双子の姉妹が当てられているのだ。

 菊乃はすぐに静枝の傍に行き、そっと話す。

「一通り見回っただけでは、見つけることができませんでした」

「隣の部屋に移りましょう」

 周りの目を気にして、静枝と菊乃は部屋を移動することにした。

 車椅子を押す菊乃と静枝の背中に声が投げかけられる。

「怖いわ、封印されていた部屋には悪霊がいたのでしょう?」

 不安そうな顔をしている慶子。口元が嗤っている。

「慶子に躰を向けて頂戴」

 静枝は菊乃に車椅子を動かせ、艶笑を浮かべながら口を開いた。

「この屋敷のそこら中に悪霊がいるわ。一匹逃げたからと言って取るに足らない存在よ。この屋敷の主人はこの私、この屋敷の支配者はこの私なのよ、キャハハハハ!」

 すぐに車椅子の向きは変えられた。

 慶子や娘たちと付きそう瑶子に背を向けた静枝は目を伏して、重い表情をした。

 隣の部屋に入って菊乃と二人きりになると、さらに静枝の表情は暗く重くなっていた。

「見つからないでは済まないわ」

「わかっております」

「私たちの隙を突いて、いつ襲ってくるかわからない。襲われるのは娘たちかもしれない。守りきれないわ」

「実を申しますと、見つかっていない鬼はもう一匹おります」

「っ!? ほかにも封印の解かれていた部屋があったというの!」

 声を荒げた静枝は、はっとして黙した。隣の部屋にまで声が届いてしまう。

 菊乃は隣の部屋に視線を向けた。

「現在静枝様がお使いになっております当主の部屋は、代々の当主の部屋でもございました。あの部屋にもかつて鬼が封じされておりました。しかし、あるとき、封印が解かれ、忽然と部屋の中から鬼が消えてしまったのです。それ以来、鬼の行方は杳[よう]として知れません」

 すべては語らなかった。

 当主の部屋の封印を解いたのは、翁面の老人。今、隣の部屋にいる慶子だ。

 静枝は知らない。

「もう一度、見回ってきて頂戴。そして、何事もなければ様子を見ることにしましょう。娘たちと慶子を一緒に行動させ、瑶子をつけましょう。私には菊乃がついていて」

「畏まりました」

 菊乃は意見しなかった。

 もし今回の封印を解いた者が慶子だとしたら、次になにをする気か。慶子、瑶子もまた慶子が仕向けた者、娘たちと共にして危険は及ばないだろうか。

 菊乃が自ら不安を口にすることはなかった。

 静かに瞳を閉じて静枝が口を開く。

「ねえ、娘二人をこの屋敷から外の世界へ……お願いできないかしら?」

 二人。

 慶子との約束では、美花と決まっている。

「畏まりました。準備をいたします」

 菊乃はそう返事をした。


 薪や藁に灯油をまいて火をつけた。

 一瞬にして高く燃え上がる炎が、ゆらゆらと菊乃の瞳に映る。

 薪と藁の隙間から、人の手らしきものが出ていた。

 すぐに菊乃は当主の部屋に向かった。

 そこで待っていたのは三人。静枝、美咲、美花。姉妹には直前に聞かせてあった、この屋敷を出ることを。

 静枝はこの屋敷に残る。

 母に背を向け部屋を出る。美咲は振り返ろうともせず、別れの挨拶もしなかった。美花は振り返った。

「お母様」

 涙ぐんでいる美花。母はなにも答えず、なにも表情に浮かべず。

「急ぎましょう」

 菊乃が二人を急かした。

 玄関まで行かず、締め切られていた縁側の雨戸を開けて、外へ出た。

 なぜ急ぐのか。時間に追われているのか、それとも別のモノに追われているのか、後ろからはなにが迫ってくる?

 車庫までやって来た三人を待っていたのは、おぞましい群れだった。

「きゃっ!」

 息を呑んで美花が短い悲鳴をあげた。

「なんなのあれ?」

 侮蔑しながら美咲が言葉を吐き捨てた。

 子蜘蛛の群れが行く手を塞いでいたのだ。子蜘蛛と言えど、それは大蜘蛛に比較しての大きさ、その大きさは人の顔ほどはある。それが何十という群れを成しているのだ。

 車は使えない。里まで幼い二人を連れて行くことはできるのか。

 菊乃は二人の手を引いて走った。

 だが、行く手に現われた新たな蜘蛛の群れ。車庫に群がっていた蜘蛛よりもさらに大きな蜘蛛たちだ。

 群れの中から大蜘蛛が一匹顔を見せた。

 一斉に糸が宙に飛んだ。

 菊乃は姉妹を抱き寄せようとしたが、間に合わなかった。

「美咲様!」

 蜘蛛たちの狙いははじめから一人。糸に巻かれ動きを封じられた美咲。大蜘蛛たちの糸は、通常の蜘蛛と比べものにならない強度を持つ。火には弱いが、この場で美咲を開放する術はなかった。

 一斉に蜘蛛たちが道を開ける。言わんとしていることはわかった。美花だけを連れて行けというのだ。

 菊乃は動かなかった。

「わたくしの主人はあなた方ではございません。わたくしの主人はお二人を外の世界へとのご命令でございます」

 警告だと、慶子は言っていた。その約束を破棄するのか?

 たとえ菊乃はそうしようとしても、それを許さない力がある。

 蜘蛛の群れが蠢く。子蜘蛛たちの背に乗って人影が運ばれてくる。静枝だ、静枝が捕らえられたのだ。

「私のことは構わないから、娘たちを連れて逃げなさい!」

 絶叫に近い叫び声を静枝はあげた。

 目の前にある選択肢を選ぶという行為。

「申しわけございません」

 菊乃は仕える主人の命に背いた。美花だけを連れて走り出したのだ。

 蜘蛛の群れの中から狂気に駆られた悲鳴が木霊した。

 決して菊乃は振り返らない。道は開いている。たとえその道が誘われた一本道だとしても、進むことを躊躇[ためら]わなかった。

 正面門を飛び出して、ついに屋敷の敷地の外へ出たとき、菊乃は地面にある物が落ちていることに気づいた。

 しかし、なにも見なかったことにした。

 ――そこに落ちていたのは、翁面だった。

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