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あやかしの棲む家  作者: 秋月瑛
其之陸 「黙して語らず」
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其之陸「黙して語らず(4)」

 いつのころからか、その部屋は代々の当主が使う部屋であった。現在の当主は鬼塚智代。娘は姉の静枝、妹の静香、七つの誕生日を迎えたこの日、妹の静香がこの屋敷に帰ってくる。

「わかっているわね静枝さん?」

「はい、わかっておりますお母様」

 向かい合って座る母の言葉に、一切の感情を挟まない口調ですぐに静枝は答えた。

 しばらくして、廊下から声が聞こえた。

「静香様をお連れいたしました」

 ふすまが開き、深々とお辞儀をした菊乃の後ろから、静枝と瓜二つの静香が部屋に入ってきた。

「お久しぶりですお母様、ただいま帰りました」

 智代の前に正座した静香は深々と頭を下げた。

「元気にしていたかしら?」

「はい、お母様」

「長旅で疲れたでしょうけれど、大事な話があるので聞きなさい」

 静香は不思議そうな顔をした。

 静枝は無表情のまま、遠く壁を見つめていた。

「貴女たちに残された寿命はあと三年」

 双子の姉妹は共に一つも表情を崩さなかった。

 不気味な笑みを浮かべながら、智代は話を続ける。

「生き残る方法はただひとつ。そのために静香さんは帰って来たのでしょう」

「はい、里親に聞かされております。しかし、嘘だと言ってください。姉妹で殺し合うなんて、そんなことわたしにはできません」

 涙ぐんだ静香を見て、智代は笑いながら歯を剥いた。

「私にはできないできないと言いながら、だまし討ちでもするのかしら? キャハハハ、いいわよ、どんな方法を使っても片割れを殺し、そして肝を喰らうのよ、さあ、はじめなさい!」

「できません!」

 と、静香が叫んだと同時に、静枝がすっと席を立った。

 無表情な静枝の手元で妖しく輝く短刀。

 静香は眼を見開いて怯えた。

「お姉様……そんな、やめて……やめてください!」

 短刀の切っ先が襲い来る。

 智代は嗤っている。

 血相を変えて静香は部屋を飛び出して逃げた。

「すぐに追うのよ!」

 響き渡る智代の叫び声。

 母の命令を聞き静枝が部屋を飛び出した。


 息を切らせながら静香は膝に両手をついた。

「はぁ……はぁ……」

「大丈夫でございますか静香様?」

 洋燈を片手に菊乃が尋ねた。静香は深く頷いた。

 洞穴を照らす淡い光。屋敷の敷地内にこのような場所はただ一箇所。

「本当にこの場所なら大丈夫なの?」

 心配そうに尋ねてきた静香に、菊乃は無表情に答える。

「この場所には加護がございます。なにがあろうと、お二人のことを守ってくださるでしょう」

 人の気配がした。

 入り口のほうから手で壁を伝って、明かりも持たずだれかがこちらにやってくる。

「お姉様大丈夫!?」

「ええ、たぶん気づかれていないわ」

 表情は厳しいが、そこには狂気の一欠片もない。先ほど妹を殺そうとしていた姉は、今はどこにもいなかった。ここにいるのは妹を想う姉だ。

「ごめんなさい静香、あなたに刃を向けてしまって」

 静枝は静香を力強く抱きしめた。

 すべては母を欺くための演技だったのだ。

 静枝は菊乃に顔を向けた。

「あとは静香が死んだことにして、鶏の血は用意できているでしょう」

「はい、ご用意できております」

 そう言いながら菊乃が近づいてくる。だが、その手に持っているのは折りたたまれた手ぬぐいだった。

 不意を突かれて静枝が何者かに羽交い締めにされた。

「どういうこと!? 静香、どうして静香がっ!」

 なにがなんだか静枝はわからなかった。まさか静香に羽交い締めにされようとは、思いも寄らないことで、理由も皆目見当がつかなかった。

 菊乃がにじり寄ってくる。

 逃れようと躰をよじらせながら静枝が叫ぶ。

「どういうことなのっ! 二人もお母様側だったの、んぐっ!」

 手ぬぐいで口と鼻を塞がれた。

 静枝の意識が遠のく。手ぬぐいに薬品が染みこませてあったのだ。

 力を失った静枝の躰を支えながら、静香は地面にゆっくりとしゃがみ込み、そのまま膝枕をした。

 膝の上で眠る静枝の顔を愛おしく見つめる静香。自分と瓜二つの顔。姉の頬を優しく指先でなぞる。

「本当に自分の顔を見ているみたい。でも一箇所だけ違う、目の下のほくろ。ここもお姉様と同じがよかった」

 静枝の頬に涙が落ちた。

「……さようなら」


 廊下にぽつぽつと落ちる血の痕。その血は当主の部屋まで続く。

「お母様のお言いつけ通り、静香を殺して生肝を喰らってやったわ」

 真っ赤に染まった短刀を手に、腕には血の滴る少女の首を抱えていた。

 物言いも、雰囲気も、静枝だが、その顔は――。

「静香にやられたのかしら、その顔は?」

 智代は尋ねながら、愉しそうに嗤っていた。

 顔半分に火傷を負い、痛々しく真っ赤に腫れ上がり皮膚が爛れた。

「ええ、思わぬ反撃に遭って。傷の手当てをしてくるわ」

 足早に部屋を出て行く娘の後ろ姿を見ながら、嬉しそうに嬉しそうに智代は嗤っていた。


 ある日の夜更け、屋敷に叫ぶような呼び声が響き渡った。

 すぐに菊乃が静枝の部屋に駆けつけると、そこでは滅多刺しにされた女が死んでいた。

「お母様を殺してしまったわ」

「智代様だったものでございます」

「そうね、たしかにこれは母とは呼べないわ」

 死んでいる女の顔はまるで般若のように恐ろしく不気味だった。

 静枝の着物は酷く乱れ半裸状態で、その手には血塗られた短剣が握られていた。

「私を抱きながら全部話してくれたわ。どうやら私たちが生まれてすぐに、お母様の肉体を乗っ取って入れ替わったみたい。今襲われたのは孕まして双子をまた生ませるつもりだったみたいよ。そして、双子が生まれたら肉体を乗っ取って、殺し合いを仕向ける。その歴史の繰り返し。けれどこれでおしまいだわ」

 自分を見つめている菊乃に顔を向けて、静枝は言葉を付け足す。

「服を脱がされて躰を少し触られただけよ。それ以上のことはなにもされていないわ」

「本当でございますか?」

「なにを疑うの?」

 菊乃の視線を静枝は追った。

 はだけた着物から覗く太股に走る一筋の赤い糸――鮮血だった。

 静枝は絶句した。

「っ!? 嘘よ、本当にそんなことはなかったのよ!」

 狂乱しながら叫ぶ静枝に背を向けて、菊乃は畳の血を調べていた。

「乾いている血がございます。わたくしを呼んだのは、智代様を殺してすぐにでございますか?」

「そうよ、すぐに廊下に出てあなたを呼んだのよ」

「記憶が途切れているということはございませんか?」

「そんなこと……時計が進んでいるなんてことが……四時間近くも、嘘よ」

 時計を確認して静枝は驚きを隠せなかった。

 まだ終わりではなかったのだ。


 苦しそうな顔をして静枝が大きなお腹を抱えながら、菊乃に肩を借りて歩いて行く。寄り添っている瑶子はあたふたしているだけだ。

 その場に慶子も駆けつけてきた。

「私にできることはないかしら?」

「なにもございません」

 にべもなく菊乃は申し出を断った。

 屋敷の外に出た静枝は台車に乗せられた。

「まさかそれで町まで?」

 慶子は眉を寄せて尋ねた。

 答えは返ってこない。菊乃は台車を引いて急ぐ。その方角を見て慶子は嫌そうな顔をした。

「そういうことね、なんの悪あがきかしら」

 小さく呟いた。

 台車は鳥居をくぐり、そこから台車を降りて洞窟の中へと入った。

 洞窟の奥は明かりで満たされており、先客がそこで待っていた。

「久しぶりね、会いたかったわ静香」

 そこにいたのは静枝だった。

 そして、菊乃に肩を借りているのも静枝。

「お帰りなさい、お姉様」

 菊乃に肩を借りていた静香の瞳から涙がこぼれ落ち、頬の焼けの痕を伝った。

 あの日から、静枝を名乗り続け、演じ続け、一時も静香に戻ることはなかった。けれど、このときついに妹の静香に戻ったのだ。

 悲しげな瞳で静枝は静香の火傷の痕に触れた。

「静香が自分の顔を焼いたと知ったとき、私も自分の顔を焼こうと思ったわ」

「やめて絶対に、お姉様にはその顔のままでいて欲しい。だってそれはわたしの顔だから」

「わかっているわ。けれど、静香が私の身代わりになったことは、絶対に許せなかった」

「それはなにが起こるかわからなかったから、お姉様には安全な外の世界で生きて欲しかったの。だから、だから会いたかったけれど、帰ってきて欲しくはなかった」

「そうはいかないわ。静香が私の身代わりになったこと、今は正しかったと思っているわ。これから話すことをよく聞きなさい、後戻りはできない、する気もないわ絶対に」

 静枝の瞳は鋭かった。

 姉がなにを心に決めているのか、静香は不安になって視線を泳がせ辺りを見回した。

 出産の準備のため、たらいや湯などいろいろと用意されている。だが、その中には数珠や香などの法具もあり、中でも目を引いたのは肉切り包丁だ。

 静香は怯えた。

「なにをする気なの……お姉様」

「今からやろうとしていることは大博打よ。けれど生き残るためにはやらねばならないわ。そのために私が死ぬわ」

 生き残るために、死ぬ?

 静枝はなにをする気なのか。

「私たちはもう何年も生きられない。試すまでもなく、それは事実として受け入れなくてはいけないわ。化け物が望むように殺し合いをして肝を喰らっていれば、もう少し長く生きられたでしょうね」

「まさかお姉様!?」

「私を喰らいなさい」

「そんなこと!」

「聞きなさい。どちらにせよ、ここでどちらかが死ななければ、死産の娘たちを蘇らせることはできないのよ。それはあなたもわかっているでしょう?」

 見つめられた静香は口を開かず、首を動かすこともしなかった。

 仕方がなさそうに静枝は菊乃に顔を向けた。

「話してあげて」

 促されて菊乃が口を開く。

「これまで死産でなかったことはございません。そして、歴代の当主たちは、誰もが己の命と引き替えに双子を蘇らせました。それが己の意思だったかどうかは定かではございません。なぜなら、歴代の当主たちはみないつの間にか入れ替わっていたからでございます。入れ替わりを終えた当主は、呪縛で決められていた寿命を越すことができます」

 すぐに静枝が続ける。

「けれど、今回は化け物に躰を乗っ取られていない。静香が殺したから」

 さらに菊乃が続ける。

「乗っ取るという表現は正しくはございません。入れ替わったときにはすでに、躰は鬼の物になっているからです。鬼の躰の中に当主の魂が取り込まれ、徐々に養分として取り込まれていくという表現が正しいかと」

 これを聞いて静香は厳しい顔をした。

「わたしがお母様を殺したとき、まだお母様の意識――魂があったということ?」

 静枝は目を伏せた。菊乃は凜として静香を見据えている。

「はい、その可能性はございます。しかし、智代様の魂を救う手立てはございませんでした」

 気にすることはない――そうとでも言うのか。

 しばらく静香は黙り込み、そして息を吐いてから深く頷いた。

「今さらだけれど、このままではわたしもお姉様も十歳で死ぬの? なにが原因で、もしかしたら死なないのではないの、だって一族の血は今まで堪えていないもの」

 過去に幾人がそれと同じ疑問を抱いたのか。その疑問を抱いた者の多くは、一時外で育てられた者たちだった。箱庭で育った片割れは、帰ってきた片割れを殺せ殺せと、疑問の抱かせぬまま育てられる。

 静枝はその中では例外であった。繰り返しの歴史の中で生まれる些細な誤差。その誤差は時を重ねるにつれて大きくなっていく。

 歴代の双子たちは、あらゆる方法で運命に抗おうとしてきた。

 菊乃が語る。

「過去に試そうとした姉妹がいなかったわけではございません。多くの場合は当主によって阻止されてきましたが、一度だけそれを行った姉妹がおりました。十歳になり突然死ぬわけではございません。およそ十歳を過ぎた辺りから、肉体が腐りはじめるのです。肉体が腐れば精神も腐りはじめ、最期は狂気に駆られ…… 一人が生き残り歴史は続きました」

 この屋敷の歴史を見てきた菊乃。多くを知る者である。だが、彼女はあくまで仕える者。自ら流れを変えることはしない。

 急に静香が苦しそうな顔をした。股の間から羊水が流れ出す。まるでダムが決壊したように。

 新たな死が生まれる。

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