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あやかしの棲む家  作者: 秋月瑛
其之陸 「黙して語らず」
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其之陸「黙して語らず(2)」

「困ったことがある」

 と、克哉が話を切り出した。相手は菊乃だ。

「どうなさいましたか?」

「屋敷の敷地から出られなくなった。菊乃はどうだ?」

「わたくしは問題なく」

「そうか……おそらく美咲と美花も出られないだろうな。昔もこの謎に直面したことがあるが、原因はわからなかった。今やっと糸口が掴めたな……おそらく瑶子が関わっているのだろう、彼女が来た時期と同じだ」

「瑶子に尋ねますか?」

「いや、本人に自覚がない可能性もある。記憶がないというのは本当だろうな。不便ではあるが問題はないと思う。菊乃と行商人がいなくなったら死活問題だが、何事もなければ未来まで安泰だ」

 手製の煙草の火を克哉は机に押しつけて消した。

「話はほかにもある」

「なにでございますか?」

「そろそろ一部屋空けようと思う」

 一部屋空けるとは?

 このとき、無表情の菊乃の顔がよりいっそう固い物に感じられた。

「まだ早いのでは?」

「たしかに奴らの力が弱まるのを待ったほうが安全だ。しかしそれでは俺はとっくに寿命が尽きて死んでいる。俺だってすべての部屋を開放することは無理だ。だから菊乃の力が必要なんだ、未来を託せるのは菊乃だけなんだ」

「わたくしはなにをすれば?」

「部屋の開放と奴らを使役する手順を教える。口頭で伝えるだけでは不安だから、実際に俺が一部屋空けて見せる」

 克哉は汗を掻いていた。冷や汗だ。それはこれから行う事は、そういうことなのだ。

 突然、菊乃が瞳を見開く。

「聞こえました」

「なにが?」

「悲鳴です、すぐに向かわなければ!」

 屋根裏部屋の階段を飛ぶように降りる。先を走る菊乃のあとを急いで克哉が追う。

 階段を下りきって隠し扉を開いた瞬間、克哉が袖口で口を鼻を覆った。

「酷い異臭だ……生き物の臭いじゃない。まさか封印が破られたのかっ!?」

 湿気が多く生暖かい。だが、背筋は凍るように冷たく感じる。

 克哉は辺りを見回した。

「どの部屋だ!」

「向こうから!」

 叫びながら菊乃が指を差した廊下を双子の姉妹が走ってくる。蒼白の顔。なにかしらの恐怖に追われているのは間違いない。

 すぐに克哉が娘たちに駆け寄ろうとしたが、新たな気配を感じて足を止め振り返った。

「どうしたんですか、怖い顔して?」

 瑶子だった。

「娘たちをたのむ、すぐに屋敷の外に連れ出すんだ!」

「え?」

 なにが起きたのか理解できない瑶子は唖然とした。

 次の瞬間、瑶子の首に赤い筋が横に走った。

 ずるり。

「きゃーっ!」

 叫び声をあげた美花と硬直した美咲を、克哉はすぐさま隠すように抱きしめた。

 見せてはいけない――床に転がったモノを。

 血の川が廊下を流れる。

「菊乃っ、二人を頼む!」

 瑶子に任せたのは菊乃と二人がかりで奴らを対処つもりだったからだ。だが、もう一人で立ち向かうしかない。娘たち、菊乃がいなければ、未来がない。

 過去は不変か?

 未来は不変か?

 克哉は横たる瑶子に目を配った。それが答えか?

「未来が変わるのなら、それは一種の希望だが……現状を打開しなければ絶望だ。死んでいいのは俺なんだ」

 ――生き延びてくれ。

 しかし、美花が菊乃の腕を振り解いて克哉に駆け寄ってきてしまった。

「おとうさま!」

「来るな、菊乃といっしょに逃げろ!」

 気がつけば美咲も傍にして、克哉の着物をつかんでいた。

「私が美花をそそのかして……ごめんなさい、おふだをはがしたせいで……」

「いいから逃げろ、菊乃ふた……っ」

 言葉に詰まった克哉。

 そこには首から下だけが落ちていた。頭部が消えてしまっている。血はまったく出ていないようだ。

 克哉は廊下に膝を付いて、二人の娘たちと視線を合わせた。

「いいか、俺が合図したら屋敷の外まで逃げるんだ。お父さんの言いつけは絶対だ、なにがあっても守るんだ。なにがあっても絶対に立ち止まらず逃げろ、絶対だ」

 二人の娘は無言で頷いた。

「逃げろ!」

 克哉は叫びながら短剣を抜き、黒い影に飛び掛かった。

「きゃっ」

 短い悲鳴が聞こえた。

 思わず克哉は振り返った。血溜まりに足を取られて全身真っ赤に染まった美花の姿。助けに行きたいが行けない。

 美花の真っ赤な手を美咲が力強く掴んだ。

「逃げるのよ、なにがあっても絶対に立ち止まっては駄目!」

 二人の娘たちが遠く離れていくのを見て、克哉はふと笑った。

「それでいい。さて、牢獄の中で元気にしてたか? その様子だと元気が有り余っているようだ、俺を殺したくて殺したくて仕方がないんだろう?」

 目と鼻の先に剥かれた眼があった。

 克哉を睨んでいる。怨んでいる。嫉んでいる。

 目の前の眼が血走ってどんどん赤くなっていく。

 生暖かい息が克哉の顔にかかった。

「ついに実体化しやがったか」

 短剣を握る克哉の手首は握られ止められていた。もう片手は相手の腕を押さえつけている。

 相手とは、克哉が言っていた奴らのことか?

 目の前にいるモノが奴らだとしたら、なんとおぞましい悪鬼なのか。

 土気色をした人形[ひとがた]のそれは、毛のない猿のようだが、体は猿よりも大きい。浮き出た肋骨、節々の骨が浮き上がっているほど痩せこけている。顔は直視しないほうがいい。大きく裂けた口から覗く牙や、飛び出そうなほど剥かれている赤い眼など問題ではない。

 造形ではない。狂気を鋭く放っているのだ。直視すれば気が狂う。

 みしみしをなにかが軋む音を立てた。

 苦痛に顔を歪める克哉。

 握られた手首の骨がじわじわと砕かれていく。

 短剣が手から滑り落ちた。

 武器を失った克哉が大きく投げられた。大の男が投げられて宙を飛ぶなど、どれほどの怪力か。

「うっ」

 床に叩きつけられた克哉に悪鬼が飛び乗った。

 鋭い牙が剥かれた。

 すぐさま克哉が首を逸らした。

「ぐ……ぐぐっ……」

 歯を食いしばる克哉。悪鬼の歯も食いしばられていた――克哉の肩の肉に噛み付きながら。

 首から口を離した悪鬼は血の滴る牙を再び剥いた。首を噛み切られれば絶命する。

 克哉は悪鬼の頭を掴んで押し戻そうとしたが、片腕に力が入らない。肩をやられて痛みに耐えるだけで必死だ。さらに最悪なことに、悪鬼には両腕が残っている。

 長く鋭い爪は研ぎ澄まされた包丁のようによく切れる。その爪で落とされたのが、克哉の横に転がっている瑶子の胴体だ。

 蠢いている。

 胴体の中、皮膚の下でなにかが蠢いているのを克哉は目撃した。

 息を呑む克哉。

 瑶子の体が内側から破かれ、毛の生えた長い脚が飛び出してきた。ひとの脚ではない。それは蜘蛛の脚だった。

 一種の脱皮のようだ。その胴よりも遥かに大きい大蜘蛛が這い出てくる。

「こ、これが正体か……」

 不気味に光る八つの眼に映る己を見ながら克哉は呟いた。

 敵か味方か、大蜘蛛が牙を剥いて襲い掛かったのは悪鬼だった。

 悪鬼も大蜘蛛を敵と瞬時に判断して、克哉を解放して飛び掛かる。

 粘糸[ねんし]が悪鬼の体を簀巻きにする。大蜘蛛が噴き出した糸だ。

 大蜘蛛は動きを封じた悪鬼を頭からかじり付いた。

 硬い物が砕ける音と柔らかい咀嚼音。

 頭を食われても悪鬼は足をばたつかせ、死ぬことはなかった。初めから死んでいるのだから、死ぬことはないのだ。

 克哉は辺りを見回した。目に入ったのは御札で封じられた部屋の戸だ。

「大蜘蛛よ、言葉がわかるなら従え! その戸を俺が開けたらすぐにそいつを押し込めろ。本当にすぐだぞ、一刹那も余裕はないからな!」

 すぐさま克哉は封じられた戸に駆け寄り、御札を剥がすと勢いよく戸を開けた。

 逆風だ。

 部屋から強い風が吹いてくる。

 大蜘蛛が前脚を器用に使って簀巻きの悪鬼を部屋の中に放り投げた。

 目の前を悪鬼が通り過ぎるとほぼ同時に克哉は戸を閉める。

 がっ!

 なにかが戸に引っかかった。

 鷲のような鋭い爪を生やした痩せこけたひとのような手。

「別の奴が邪魔しやがって!」

 元から部屋にいた悪鬼が外に出ようとしてきたのだ。

 刃が煌めいた。

 次の瞬間、戸が閉められ、すぐに克哉は御札を張り直した。そして、床に落ちた悪鬼の手首を見てから、それを切り落とした者に眼を向けた。

「大丈夫か菊乃?」

「克哉様たちをお守りするのがわたくしの役目なのに、無くした頭部を探すのに翻弄されて、なにも……」

「落ち込むことはない。最後の決め手は菊乃だ。もしも奴らが二人も出てきたら……考えただけで恐ろしい。体を直すのは少し待ってくれないか、屋根裏で待っていてくれ、先に娘たちを探してくる」

「克哉様の手当も早くしなければ、さらに酷くなります」

「俺は平気だ、少し肩を噛まれただけだ」

 克哉は怪我の手当。菊乃は怪我を手当するのではなく、直すのだ。

 そこに立っていた菊乃の姿は異様だった。自らの頭部をわきに抱えて会話をしているのだ。菊乃もひとではなかった。

 そして、そこに佇んでいるモノも。

「そこにいる大蜘蛛は?」

 菊乃が尋ねた。

「瑶子だ。見てわかるとおり、俺たちに敵意はないようだし、危害を加えるつもりもないらしい。意思疎通ができるかわからないが、どこかに隠れるように言っておいてくれ。俺は娘たちが心配だ」

 急いで駆けていく克哉の後ろ姿を見つめる菊乃。

「大蜘蛛と二人きりにされても困ります」


 ベッドに横たわる克哉の姿。

 まるで老衰。だが、顔はよく見ると若い。痩せこけた頬、目の下には隈、乾いた唇は割れてしまっている。

 ベッドの周りには囲むように、双子の娘たち、瑶子、菊乃が寄り添っていた。

 克哉が嗄れた声を発する。

「菊乃だけ残って、三人は席を外してくれないか……ゲフッ」

 少ししゃべっただけ、よからぬ咳が出る。

 後ろ髪を引かれる思いの娘たちが、瑶子に連れられて屋根裏部屋を去っていく。

 残された菊乃は克哉を見つめながら、無機質でありながら、悲しげな表情を浮かべているようだった。

「克哉様……わたくしも涙を流せればよかったのに」

「その逆で菊乃に泣かれなくてよかった。全員に泣かれたら、死ぬ方も後味が悪いからな」

「死ぬなんてとんでもありません!」

「いや、俺は死ぬ。どうせ遅かれ早かれひとは死ぬんだ……すまないと思ってる」

「なにをでしょうか?」

「菊乃だけを残して逝くことを……俺だけじゃない。これから先も、俺の子孫たちは菊乃を残して逝くことになるだろう。多くのものを背負わせてしまって、すまないと思っている」

 衰弱した顔は沈痛な表情を浮かべることで、より深い影を落としてさらに死人に近づけた。

 菊乃は枯れた克哉の手を優しく握った。

「わたくしは克哉様のお側にお遣いできて幸せでした」

「その好意につけ込んだ俺は本当に罪深い。記憶はいつから戻っていた?」

「…………」

 押し黙った菊乃。

「隠さなくていい、生まれ変わる前の記憶はすでにあるんだろう?」

「記憶は少しずつ取り戻していました。完全に思い出したのは、克哉様がこうなってしまった原因をつくったあのとき。克哉様と瑶子が鬼と争っているとき、わたくしは首を無くして動揺しておりました。克哉様の元に駆けつけるのが遅れたのも、それが原因でございます。わたくしがもっとしっかりとしていれば、克哉様が傷を負い、こんな結果には……」

「ならなかったとも限らない。それはわからないことだ、自分を責めるな」

「…………」

 責めるなと言われても、無言の菊乃はうつむいたままだ。

 涙は流せない。

 しかし、菊乃のまぶたは涙を流すように震えていた。

「底知れない恐怖でわたくしは動けなかったのです。鬼に首を落とされた瞬間、あのときのことが……」

「それは思い出さなくてもいいことだ。それだけは思い出して欲しくなかった」

「新しい奉公先のご主人様に手籠めにされた挙句、ほかの男たちにも……ああ、鮮明に覚えています。ついに気が狂れたわたくしは男のそれを噛みきってやったのです。そして仲間の男が刀を抜きました」

「それ以上は話さなくていい」

「…………」

 菊乃は震えながら押し黙った。

 再び菊乃は克哉の手を握り直した。

「わたくしを生き返らせてくれたことを感謝しております。克哉様のこともわたくしが――」

「それは無理だ」

「無理などとおっしゃらないで!」

「それができればすでに頼んでいるよ。だが無理なんだ。菊乃のを蘇らせたのは、本物の鬼の技術と道具だ。反魂[はんごん]に必要な道具や義体は、菊乃を蘇らせるのにもう全部使い切ってしまった」

「本物の鬼とは? わたくしがまた死ねば、克哉様にこの躰を渡せるのではないですか?」

「菊乃が死んだら、だれが俺を蘇らせる? 娘たちや瑶子では絶対に無理だろう。本物の鬼とはなにか、妻との出逢いの話はまだ聞かせてなかったな。妻は正真正銘の本物の鬼だった。名は――るりあと言う」

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