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あやかしの棲む家  作者: 秋月瑛
其之陸 「黙して語らず」
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其之陸「黙して語らず(1)」

すべてを観て来た少女の物語。

しかし少女はそれを自ら語ることはない。

少女の辿った糸の軌跡。

 それは運命の糸が紡がれはじめた刻[とき]。

 自らの尾を飲み込んだ蛇に始まりも終わりもない。

 今や出口はなく、この地に囚われて、何度目の朝焼けを迎えただろうか。

 開いた小窓から屋根裏に差し込む光は、横たわる冷たい少女の頬を照らした。

 まるでその少女は屍体――否、ただの人形のようだ。

 男は力強く問うた。

「自分の名前がわかるか?」

 少女は瞳を閉じたまま、ぴくりともしない。

「生きろ、お前は生き物だ。目を開けろ、お前は生きている」

 さらに男は力強く言ったが反応はなかった。

 突然、赤子の泣き声が屋根裏に響いた。

 目を丸くした男は慌てて、ゆりかごで寝かされていた赤子に駆け寄った。

 赤子は二人。双子の姉妹だった。

「なんだ、どうしたどうした? なんで泣いてるんだ?」

 男は双子を交互に持ち上げながらあやす。

「漏らしてはないな……ただの夜泣きか?」

 考えていると、ぴたりと赤子が泣き止み、男は首を傾げた。

 気配がする。

 双子の赤子、自分自身、そして第四の気配。

 強ばった真顔で男は振り返った。

 男の瞳に歓喜と共に起き上がる少女が映った。

「や……ったぞ。まさか本当に……まだだ、重要なのはこれからだ」

 急いで駆け寄った男は少女の手を力強く握った。

 冷たい少女の手が男の温かい手で温められる。

「自分の名前がわかるか? 思い出すんだ、重要なことだ。生きているお前には生きている名前が必要だ」

「…………」

「お前の名前には花の名が使われている。どうだ、思い出せないか?」

「…………」

「名前のはじめは『き』だ」

「…………」

 少女の瞳には光が差しているが、とても弱い。

 男は少女を抱きかかえ、顔と顔を間近で向き合わせた。

「生きている記憶が必要だ。なんでもいい思い出せ、頼むから生きてくれ」

 懇願。

 だが、虚しくも少女の瞳から色が消え、ふっと魂が抜けたように力が抜けた。

「菊乃!」

 魂の雄叫び。

 男は其の名を呼んだ。

 少女の名は菊乃。

 瞳を彩る色が輝きはじめた。

 少女がつぶやく。

「……菊乃」

 半信半疑で確認するように、少女は自分の名すら覚えていないようだった。だが、反応したと言うことは、記憶の琴線に触れたのだ。

 記憶は神経が張り巡らされた糸ように構成されている。記憶から記憶へと伸びる糸の数、太さ、それらによって一つの記憶から、多くの記憶を呼び起こせるかもしれない。

「そうだ、お前の名前は菊乃だ。ほかになにか思い出さないか?」

「…………」

 少女は首を振り言葉が途切れる。男は急いで言葉を紡ぐ。

「思い出さなくても良いこともある。重要なのは今生きていることかもしれないな。俺の名前は克哉だ」

「……克哉……克哉様?」

「思い出したかっ!?」

「いいえ、けれどあなたのことを知っているような気がする」

 なぜか克哉は気まずそうな顔をして、菊乃から視線を外した。そして、話題を変えるように、双子の姉妹に歩み寄る。

「娘たちのことは覚えているか? 右にいるのが姉の美咲、もうひとりが妹の美花だ。俺の名前は忘れてもいい。二人の娘の名は心に刻んでおいて欲しい、いつか……」

 言葉は切られた。

 菊乃がじっと克哉を見つめている。なにか話したそうにしているのではなく、ただじっと見つめているだけ。

 迫られたように克哉は口を開く。

「ほかに話すことは……そうだな、妻は死んだ。娘を生んで死んだんだ……」

 うつむいた克哉の表情は、悲しみではなく怒りに満ちていた。顔を上げたときには、その表情は消えていた。

「いろいろと考えてみると、説明することも多いな。どれから順を追って話せばいいのか、なにか聞きたいことはあるか?」

「……ありません」

「聞かれても困るか。まず話すことは、もっとも重要なことだが、無闇に屋根裏を出ないで欲しい。ここは屋根裏部屋なんだが、この屋敷でもっとも安全な場所なんだ。今は静まっていて、ほかの場所もそれほど危険ではないと思うが、それでも無闇に歩き回れば危険を招く」

「なにが危険なのですか?」

 聞かれて克哉はすぐに答えなかった。

 言葉に詰まったのではなく、なにやら考え込んでいるようだ。

「……鬼だ」

 と、克哉は短く言い放った。

「鬼?」

 少女は少し驚いたような声を出したが、表情は乏しい。

「鬼と一口で言ってもいろいろいる。死人[しびと]をすべて鬼という場合もある。この場合はそれだろうな。やつらは悪霊の類だ。死んでこの地に取り憑いている――俺に殺されて」

 やつらと呼ばれた者たちは、克哉によって殺された。

 なぜ殺されなければならなかったのか?

 なぜ悪霊になったのか?

 そんなモノがこの屋敷に本当にいるのか?

 克哉は真剣な顔をしていた。

「俺のこと、気が狂[ふ]れていると思ったか?」

「いいえ」

「いや、俺はきっと気が狂れている。だが、やつらは本当に存在している。そして俺はやつらに呪われている。呪われているのは俺だけじゃない。やつらは末代まで呪う気でいるだろうな。正確に何代先の子孫かはわからないが、だいぶ先の子孫もおそらく呪われていたんだろうと思う」

 少しおかしな言い方がされた。菊乃がそこに触れることはなく、克哉の言葉は流された。

 そして、菊乃が相づちを打つこともなく、克哉は話を続けることにした。

「まさか呪いの原因が俺だったとはな。けど、不思議だと思わないか? 元を辿ればその呪いのせいで俺はここにやって来て、呪いを生み出すことになった。例えるならこうだな。自分が生まれる前の過去に遡って、自分が自分の両親を殺すとする。そうすれば俺は生まれなくなるから、両親は死なずに済む。両親が死ななければ自分が生まれて、過去に行って両親を殺す。時間というのは不可逆であるはずだから、初まりと終わりがちゃんとある。今の例えはありえないものの例えだが、もし本当に起きてしまったとしたら、初まりと終わりはどこへ行ってしまうのか?」

 克哉と菊乃は顔を見合わせた。

 しばらく見合わせていた。

 急に克哉は噴き出して笑った。

「すまない、変な話をしちまったな。昔はこうじゃなかったんだが、いつの間にか小難しく考える質[たち]になったんだ。いろいろあったせいだろうな」

「いろいろですか?」

 珍しく合いの手が入ったことで、克哉はすぐに答える。

「いろいろとあった。多くの謎や疑問、これから自分はどうするべきなのか。過去は未来に干渉できる……のか。未来もまた過去に干渉できるとしたら、それはもはや未来が過去を変えたのではなく、予定調和だったのではないか。ああ、すまない、また変な話をしてしまった。この話は時期を見て少しずつしよう、今はそうだな、これからの生活について、俺と二人の娘たち、そして菊乃を入れた四人で、この屋敷で生きていく話をしよう」


 克哉が屋根裏部屋の机に向かい雑記を書いていると、階段を何者かが上がってきた。

 振り向いた克哉。そこには菊乃がいた。

「早すぎるな。買い出しに行く前になにかあったか?」

「庭先に女が紛れ込んでおりました」

「里からも遠いし、屈強な男でも恐れて近づかないような土地だ。そんな場所に女なんて、おかしな話だな。で、その女はどうした?」

「発見したときには気を失っていたので、庭にある木に縛り付けて置きました」

「困ったな。気を失ったまま、里に捨ててくるのが最良だが……」

 克哉は椅子から立ち上がって、机の引き出しからなにかを出した。

「縛り付けた木まで案内してくれ」

 屋根裏を降りて玄関に向かう。

 廊下を走る物音が響いた。足音は二つだ。

 克哉が振り返った。

「大事な用があるから、絶対について来ちゃ駄目だぞ。お父さんがいいって言うまで屋敷の中から出ても駄目だ。わかったね?」

 言って聞かせたのは双子の姉妹だった。見た目で判断するなら、年の頃は四歳くらいだろうか。

「おそとであそぶのー」

 駄々をこねたのは美花のほうだ。

 困った顔をする克哉。

 救いの手は美咲から伸ばされた。美咲は美花の着物の袖をつかんだ。

「おとうさまをこまらせてはだめよ。あっちであそびましょう」

 双子だが、妹の美花よりも大人びている。加えて見た目よりも、口調が大人びている。

 不満顔の美花が美咲によって廊下を引きずられていく。それを見届けてから、克哉は改めて玄関を出た。

 屋敷に出てすぐに二人は顔に面を被った。木彫りの恐ろしい鬼の面だ。

 そして、庭の木に縛られているという女の元へ向かった。

 女はまだ気を失っているようだ。

 克哉はその女の顔を見て息を呑んだ。女は若い娘だった。

 鬼の面を付けたまま菊乃が克哉に顔を向ける。

「どうかなさいましたか?」

「この子のことは知ってる。まさかここで出会うなんて思わなかった。素性の掴めない謎の使用人だったが、ここで会ったということは、少なくとも人ではないだろう」

「人にあらずなら、なにでしょうか?」

「さあ、人でないという確証も今得たばかりで、正体まではわからない。敵か味方かもわからないが、少なくとも当分はこの屋敷で俺たちに仕えてくれると思う」

 二人が話していると、気を失っていた娘の閉じたまぶたが微かに動いた。

「う……うう……」

 呻きながら娘がゆっくりと目を開ける。

 目を開けた途端、視界に飛び込んできたのは二匹の鬼の顔。

「きゃーっ!」

 思わず娘は悲鳴をあげた。

 座った状態で木に縛られている娘は、自由な足をばたつかせて砂埃を立てた。

「助けてください、どうか命だけは堪忍してください!」

 怯える娘。

 克哉は笑いながら面を外した。

「あははは、すまない。脅かして済まなかった、俺は鬼でもないでもない。お前を取って食う気もない」

 そう言いながら克哉は娘の縄を解いてやった。

 自由になった娘はまだ怯えているが、すぐに逃げようとするそぶりは見せなかった。じっと目を離さないように克哉と菊乃を見据えている。特に菊乃を警戒しているようだ。その理由は――。

 克哉が気づいた。

「菊乃、鬼の面を外してやってくれ、この子が警戒してる」

「はい」

 鬼の面を外して素顔を晒した菊乃。表情には乏しいが、一見すればただの少女。

 自分と同い年くらいの菊乃を前にして、娘は少し安心したようだ。

「なんなんですか、あなたたち?」

「それはこっちの台詞だ」

 返したのは克哉。

 滅多に人の寄りつかない場所にある屋敷に現われた娘。人が寄りつかない――克哉の言葉ではこの娘は人ではないが、それでもなぜここにいるのか疑問を抱かずにはいられない。

 娘は困った顔をした。

「……あたし……あたしだれですか?」

 普通ならしないような質問だ。そのような質問をするとしたら、考えられるのはこうだろう。

「記憶がないのか?」

 と、克哉が尋ねると娘は頷いた。

「名前も思い出せません」

「そうか、ならお前の名前は仮に瑶子にしよう」

「いい名前ですね! まるでそれが本当の名前のような気がします」

「記憶を失ってさぞ大変だろう。良かったら記憶を取り戻すまで、この屋敷にいるといい。ただし、家の仕事などはしてもらわないと困るが」

「ありがとうございます! あなたのような良い人に出逢えて良かったです!」

 記憶を失っているというのに、落ち込むことなく明るい娘だ。

 菊乃が冷静な視線で瑶子を刺した。

「本当に記憶喪失でございますか?」

「本当ですよ、疑うなんて酷いですよ!」

 記憶喪失が本当と嘘か、それを他人が判断するのは難しい。

 菊乃に顔を向けられた克哉。

「疑っても仕方がない。人手が足らなくて困っていたところだ、ちょうどいいじゃないか……ん?」

 なにかに気づいて克哉は屋敷の影を見つめた。

「もう隠れても遅いぞ。困った娘たちだ……隠れてないでこっちに来なさい」

 克哉に言われ、双子の姉妹がおどおどとしながら現われた。

「美咲がいこうって……」

 涙目の美花。

「美花がそうしたがっていたからでしょう」

 きつい口調の美咲。

 双子でありながら性格に大きな違いがある。それは単純に姉と妹という役割のためか。その様子をじっと克哉は観察するように見ていたが、美花の瞳から涙が零れたところで口を挟むことにした。

「俺の言いつけを守らなかったのは二人とも悪い。今回は大事至らなかったが、俺たちが生きていくためには、守らなくてはいけない決まりがある。と、言っても、実際に恐ろしい目に遭わないとお前たちもわからないだろう。よし、二人とも晩飯は抜きだ」

「そんなおとうさま!」

 と、空かさず克哉に飛びついてきたのは美咲のほうだった。

「わるいことしたのだからしかたないでしょう美咲?」

 姉をたしなめる妹の姿。興味深そうに克哉は二人を見つめている。美咲は大変不満そうな顔を、言いつけをした克哉ではなく美花に向けていた。

 ぼさっと立っている瑶子に克哉が気づいた。

「家族を紹介しよう。俺は克哉、娘の美咲と美花、侍女の菊乃の四人で暮らしている。彼女は瑶子だ、しばらく家で暮らすことになった。仲良くするんだぞ二人とも」

「よろしくお願いします!」

 頭を勢いよく深く下げた瑶子。美花は笑顔ですぐに瑶子に抱きついてきたが、美咲は敵意のような視線を送りながら距離を保っていた。

「二人の娘はずっとこの屋敷で育ったものだから、人が珍しいんだ。たまに来てくれる行商人を遠くから眺める程度だからな」

 付け加えるように克哉が言った。

 すっかり美花は瑶子に懐いたようだ。

 克哉の微笑ましい横顔を菊乃が見つめていた。

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