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あやかしの棲む家  作者: 秋月瑛
其之伍 「異界の少女」
34/47

其之伍 「異界の少女(完)」

 慶子は息を呑んで目を丸くした。

「まあ、どこから入っていらしたの?」

「ちょっと緊急だったもんですみませんね」

 克哉はわざとらしく頭を掻いた。

「急用ですの?」

「そうなんで直球でお伺いしますが、姉妹にるりあを喰えば助かると吹き込んだのはあなたでしょう?」

「あたくしはただ研究の成果を教えただけで、吹き込むという言葉は悪意を感じますわ」

「研究の成果とおっしゃいましたが、証拠や根拠はおありで?」

 問い詰める克哉。

 本を閉じた慶子は眼鏡を直した。

「あの子は鬼ですわ」

「るりあですか?」

「ほかにいます?」

「あの子はこの屋敷でもっとも鬼らしくないと思いますがね」

「おほほほ、おもしろいことをおっしゃいますのね」

 慶子は破顔した。

 そして、慶子は妖しい笑顔で克哉を眼鏡の奥から見つめた。

「あなたは鬼をどのようなモノとお考えですの?」

「禍[わざわい]、疫病、見えざる力、死んだ人間、霊魂がそうなら、生き返った動物もすべて鬼ということになりますかね」

「あなたご職業はなんですの?」

「ただのルポライターですよ。名刺は切らせちまってるんで勘弁を」

 二人とも柔和な顔をしているが、眼の奥は少しも笑っていない。

 慶子は話の続きをする。

「鬼を喰らうのはあくまで緊急処置に過ぎませんわ。鬼の妖力を得ることによって、呪いを騙すとでも言うのでしょうか」

「つまり、美花ちゃんたちが衰えていくのは、なにかが欠けているからだと? それを補うために本来は姉妹を喰らわなければならない。しかし、今回はるりあでそれを代行しようとしていると?」

「それで足りなければ静枝さんを。もしかしたら、静枝さんを二人で分けるだけでも、平気かもしれませんわ。ただこればかりはやってみなくては、わからないのですの」

「仮説を実験で立証するわけですか。無駄死にもありえると?」

「一つの生命を生かしているのは、多くの死ですのよ。今朝の朝食には卵がありましたわね。姉妹二人の命を長らえさせるのに、一人か二人の死でいいのなら、安いと思いますわ」

 食物連鎖と死の尊厳。

 克哉は冷たい汗を拳で握った。

「あなたも信じてるんですか、美花ちゃんや美咲お嬢様が、このままなにもしなければ数年で死ぬって」

「さあ、それは立証されてませんもの。過去にそれをやったという記録は、残念ながらこの屋敷には残っておりませんでしたわ」

 そして、慶子は妖しく笑って話を続ける。

「もしかしたら、急速な老いも七歳から八歳ごろになると、自然と回復するのかもしれませんわ。姉妹で殺し合って、血肉を喰らう行為は無意味。時期的な偶然が重なり合っていると言うことも考えられますわ」

「もしもそうなら、馬鹿げた迷信に振り回されていることになりますね」

「ええ、本当に哀れな一族ですわ」

「本当なら」

「ええ、本当なら」

 ただただ残酷だ。すべてが無意味なら、なんと残酷なことをしてきたのか。取り返しのつかぬ過ちだ。

 慶子はこの上なく妖しく微笑んでいた。

「しかし、双子の女児が代々生まれ、老いが常人よりも早い怪異は事実。姉妹の肉を喰らわなくても平気という証拠もありませんのよ」

 克哉はだんだん苛立ちはじめていた。

「女先生、呪いを解明しに来たんでしょう? なんでもかんでも証拠や確証がないって言うんですか?」

「いくら理屈をこねても、実験をしなくては立証できませんの。そして、実験が行われた結果、一族の血脈が途絶えても、やり直しはできませんのよ?」

「その通りですよ、女先生。だからるりあの命も奪わせるわけにはいかないんですよ。たびたび女先生は屋敷の外に出られているそうですが、どうやって出てるか教えてくれませんかね?」

「あの子を外に連れ出すつもりですの?」

 話の流れからしてそうと思われるの当然。実際そうなのだから。

「俺としたことが感情的になっていたようで、るりあの話から切り出しちまいましたけど、そうですよ、るりあを外に連れ出して逃がします」

「あたくしが協力するとお思いですの?」

「それは難しいところですね。るりあを喰えと吹き込んだのはあなたですし」

「難しいとわかっていて聞きに来るなんて、図々しいのか、切羽詰まっていらっしゃるのかしら。あたくしの口から言えるのは、そんな方法など存在していないということ」

 言葉の真意は?

 克哉は問い詰める。

「外に出る方法は、重要な秘密なのはわかってますよ。あなたがうそをつくのも当然です。が、俺は一つの方法を知ってるんですよ」

「ならその方法をお試しになられて」

「別の方法を探してるんです」

「別の方法なんてありませんわ」

 急に慶子は克哉に背を向けた。

 克哉は慶子に手を延ばす。

「まだ話は終わって!」

「この家の氏[うじ]は鬼塚」

 慶子は克哉を無視して勝手に話をはじめてしまった。

「鬼塚とはつまり、平たく言えば鬼の死体安置所ですの。代々この家が鬼を使役しているのはご存じかしら?」

「さあ、知りませんね」

「うふふ」

 なぜか慶子は笑った。

 そして、また唐突に別の話をはじめる。

「洋燈[ランプ]の魔神をご存じ?」

「大抵の場合は、罪を犯した魔神がランプに閉じ込められ、次々と変わる所有者の願い事を規定数叶えないと、自由の身になれないってあれですかね」

「あなたが言う通り、死んだ人間が鬼なら、鬼塚に鬼は増える一方ですわね」

「さっきからあなたはなにが言いたいんですかい?」

「かえるべき場所があるのなら、そこにかえさないと鬼は増える一方と言っておりますの」

 二人が話していると、部屋の扉が大きな音を立てた。扉を叩くというより、激しく殴っているようだった。

 扉の向こうから声が聞こえる。

「大変です! 静枝さまが静枝さまが!」

 瑶子の声だ。

 落ち着いた物腰で慶子は歩き扉を開けた。

 部屋に飛び込んで来た瑶子が慶子にぶつかった。だが、謝罪の言葉はなかった。

「静枝さまが……ッ!?」

 眼を剥いた瑶子が口から血の泡を吐いた。

 ゆっくりと倒れた瑶子。

 その背後には血のついた包丁を握る少女が立っていた。

 慶子は平然と――いや、この場合は平然ではなく冷酷といえるだろう。表情ひとつ崩さず狂気に染まる少女を見据えていた。

「どうしかしましたの、美咲さん?」

「美花は? るりあもいないわ」

「いっしょに探しましょうか? でもその前に、お口は綺麗に拭いたほうが良いですわ」

 言われて少女は真っ赤な口を袖で拭った。


「さらに不味いことになったらしい」

 克哉は屋根裏でるりあに耳打ちした。

 屋根越しの足下には、まだ慶子と美咲がいる。二人が目を離した隙を突いて克哉は屋根裏に戻ってきたのだ。

「ここも時間の問題だ。急いで逃げるぞ」

 克哉はるりあを背負おうとしたが、それを拒否してるりあは先に進んだ。

 屋根裏を降りて、美咲と出くわさないように、廊下を急ぐ。

「こっちだ」

 と、克哉はるりあを誘導しながら走った。

 二人は屋敷を出た。

 向かったのは屋敷の脇に停めてあった克哉の車だ。

 るりあは克哉によって助手席に押し込まれた。

「いや!」

「俺だって嫌だ。美花ちゃんを置いていくことになるんだからな。だが美花ちゃんは殺される心配はない。となるとお前をどうにしかしなきゃならんだろ!」

「…………」

 大人しくなったるりあを助手席に乗せ、スバル360は走り出した。

 すぐに正面が見えてきた。固く閉ざされている。一度車から降りなくては先に進めない。

 下車した克哉は門を開く。扉が中心から左右に口を開け、外の世界が見えた。

 再び車に戻った克哉はゆっくりとアクセルを踏んだ。

「うっ!」

 呻いた克哉。横では同じくるりあも苦しそうにしていた。

 胸を締め付けられる感覚。

 見えない壁と座席に板挟みにされ、押しつぶされる。

「馬鹿な……外に出られる筈じゃないのか……」

 車ごと後ろに引きずられている。正確には、るりあと克哉を釣り針にして、車ごと動いているのだ。

 まるで屋敷に手繰り寄せられている。

 屋敷を囲う見えない壁など存在していなかった。

 そこにあるのは引き戻す見えない力だ。

 座席との磔から解放されたるりあは車から一目散に飛び出した。

 克哉がるりあの背に手を延ばす。

「待て!」

 るりあは待たなかった。

 向かったのはあの鳥居だ。

 すぐ後ろから克哉が追ってくる。

 細道を進み祠の中へ。

 闇に灯る明かり。祠の中には先客がいた。二人の影。

 燭台を持つ菊乃と、壺を大事そうに抱える――。

「美花ちゃん?」

 と、克哉はつぶやいた。

 少女は鋭い眼をして首を横に振った。

「美咲よ」

 克哉はすぐにるりあの手を引いて祠から出ようとした。

 しかし、るりあはその場から動かない。

「逃げるぞ!」

 再び克哉は手を引いて、出口に首を向けた。

 遠い向こうになにかが見える。

 鳥居の先で小さな影がうろついている。その手元でなにかが妖しく輝いている。よく見えないが、おそらく刃物。

 驚いた克哉は祠の中と外にいる少女を見比べてしまった。

 ――同じ。

 外にいる少女がこちらを向きそうになり、克哉はるりあを押して祠の奥に飛び込んだ。

 るりあの目の前に美咲。だが、美咲はるりあに手を出そうとしない。

 克哉は眉をひそめながら美咲を見つめた。

「ほんとに美咲お嬢様か?」

 頷いたのはるりあ。

 美咲は微笑んだ。

「お前を殺そうとした相手の顔は見分けられるようね」

 やはり美咲はるりあを狙っていた。

 菊乃が三人を奥へと促す。

「まだ出ない方が良さそうでございます。どうぞ中へお進みくださいませ」

 四人は祭壇のある突き当たりまで進んだ。

 美咲を警戒しているのは、るりあよりも克哉だった。その物腰と雰囲気、向けられている視線に美咲も気づいたようだ。

「私を警戒しているの? そんなに私は殺気めいたものを放っているかしら?」

「るりあを殺させはしないぞ」

「もうどうでもいいわ、そんなこと」

「ん!?」

 克哉は驚いた。

 るりあが逃げ出さなかった理由はこれかもしれない。襲われたときとは違う、美咲の雰囲気を感じ取っていたのかもしれない。

 なにが美咲に心境の変化を与えたのか?

 外にいる美花が関係しているのかもしれない。

 克哉は美咲と菊乃に視線をやった。

「静枝さんになにかあったそうだな?」

「死んだわ」

 美咲が冷たく言い、さらに続ける。

「美花に殺されたの」

 それを聞いた克哉は驚かずに、複雑で、悲しげな表情をした。

「まさかと思ったが……瑶子ちゃんを殺したのもそうすると……」

 その言葉と重なるように、美咲もなにかをつぶやく。

「美花だったものに……」

 だったもの?

 ここで菊乃が口を挟む。

「見抜けなかったわたくしにも責任がございます」

「なあ、いったい美花ちゃんになにがあったんだ?」

 と、克哉は美咲と菊乃の顔を交互に見た。

 美咲は祠の外へ向かいながら口を開く。

「美花の皮を被った化け物がいるということよ。いつからあれは美花ではなかったのかしら。この屋敷に美花が帰って来てから、それとも外の世界で、あるいは生まれた時にはすでに?」

 克哉は美咲を追う。

「馬鹿な、俺の知ってる美花ちゃんは!」

「演技だったのかもしれないわ。双子の私を騙すくらいですもの!」

 激しい怒り。美咲は怒号を祠に残し外に出た。

 細道を進み鳥居をくぐると、美花が待っていた。手には血塗られた包丁。

 美花が向けてきた凶器を受け流す美咲のこの上ない妖しい笑み。

「これが欲しいのでしょう?」

 そう言って美咲は持っていた壺のふたを開け、逆さまにして中身を地面にぶちまけた。

 ぼと、ぼとぼと……。

 不気味な音を立てて落ちた肉。

 薄紅色のそれはまだ動いていた。

 幾つもの、幾つもの心臓。

 壺の中に入っていたのは生きた心臓だった。

 美花が限界まで眼を剥いた。

 高く上げられた足が心臓をひと思いに踏みつぶそうとしている。

 菊乃が叫ぶ。

「それは危険でございます美咲様!」

 だが――遅かった。

 耳を塞ぎたくなるほどの絶叫。

 それとほぼ同時、屋敷が天から巨大な足で踏みつぶされたように潰れた。

 屋敷の一室で崩れる天井を見上げながら横たわり、全身の殺傷痕から染み出した血で彩られた慶子は、艶笑を浮かべながら呟く。

「嗚呼、魔法の洋燈[ランプ]が甘美に喘ぎなから壊れる」

 屋敷の外では突風が吹き荒れた。

 禍々しいほどの風。

 かまいたちがるりあの頬に朱い一筋を奔らせた。

 吹き荒れる風が呪詛めいた音を鳴らしている。

 眼を剥いたまま仰向けになって息絶えている美花。

 克哉、美咲、菊乃は地面に這いつくばって、なにかに身動きを封じられているようだった。

 無理矢理に立ち上がろうとした菊乃の肩が外れた。一度立ち上がったが、片膝をついてしまった。全身が重く重力に引っ張られているようだ。

 それでも菊乃は歩こうとしていた。

「狙いはやはり……怨念がるりあ様に……」

 菊乃の声は芯こそしっかりしているが掠れている。

 どうにか顔だけを動かせた克哉は、その視線をるりあに向けた。

「どうなってやがる!?」

 いったいなにが起きたのか?

 あまりのも突然で、あまりにも理不尽な力。

 るりあと菊乃の眼が合った。

 ひねり潰すという言葉があるが、今起きたことは言葉一つ一つの意味のまま。

 るりあによって菊乃の腕や脚や胴体がひねり引き千切られ、一瞬のうちに丸めて潰された。なんと無残なことを。だが血は一滴も出なかった。そして、ひねり潰されてもなお、菊乃は生きていた。

「……さま……やつらの……うを……」

 途切れ途切れだった言葉は、完全に途切れた。菊乃はもう動かない。

 恐ろしい眼をしたるりあは跳躍し、美咲に飛び掛かり心臓を手でひと突きにした。

 美咲は絶命した――心臓を喰らわれながら。

 血だらけの手と口で肉を貪る幼女の姿。

 まさにそれは鬼だった。

 克哉はるりあと眼が合った。

 行っている業に反する哀しげな表情。るりあは泣いていた。

「嗚呼、記憶が蘇る……おらは……なんということを……」

 血に染まった両手を涙が落ちる。

 今のことが嘘だったように、るりあは眼を血走らせて憤怒の形相を浮かべた。

「お前の苦しみはわしたちの慰めじゃ!」

 その声はたしかにるりあの喉から発せられていた。だが、るりあには似てもぬつかない、野太く嗄れた声だった。

 屋敷から猛烈な速さで巨大な影がやって来る。

 巨大な蜘蛛だ。

 ひとを喰らえるほどの大蜘蛛がるりあに向かって糸を吐いた。

「おのれ、化け物の分際で小癪な!」

 またあの声でるりあが叫んだ。

 その間に克哉は地面を這いながら落ちている心臓の山に向かっていた。

「こいつをどうにかすれば……あと少し」

 あと少しで心臓に手が届く。

 糸に藻掻きながらるりあが憤怒する。

「ぬううう……そうはさせるかぁぁぁっ!」

 まるで時が止まったようだった。

 風が静まり。

 その場にいた全員が息を呑んで動きを止めた。

 焦りを浮かべるりあは振り返った。

 動き出した時の流れ。

 鳥居の先で空間が渦巻いている。

 それはるりあがこちら側に来たときに似ていた。いや、それよりも大きく巨大な渦だ。

 風が泣き叫んだ。

 吸いこまれる。

 小さな屋敷の破片が空間の渦に吸いこまれた。

 次にるりあが――!

 最後の瞬間、るりあは克哉と瞳を交わした。

「克哉!」

 それは儚げな女の声。

 克哉は地面に爪を立てた。下半身はすでに浮いてしまっている。持ちこたえることはできなかった。

 渦は克哉をも呑み込んだ。

 そして、大蜘蛛も、巨大な屋敷すらも。

 なにもかも、なにもかも。

 やがて静まり返った世界に残されたのは、広大な荒野にぽつりと佇む鳥居のみ。


 異界の少女(完)

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