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あやかしの棲む家  作者: 秋月瑛
其之伍 「異界の少女」
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其之伍 「異界の少女(5)」

 陽はまだ東よりに昇っている。

 克哉は開かれた正面門の前に立ち、なにかを調べているようだった。

「覚悟はしてたが、本当に出られないんだな」

 叩く仕草をした克哉の手は、なにもない空間にまるでぶつかったようだ。ぶつかると言っても、硬いものではなく、柔らかく弾力性のものに当たった感じだ。

 煙草の箱を出して克哉だったが、中身を見てすぐに握りつぶした。

「しまった、長居するならもっと持ってくりゃよかった……ん?」

 視線に気づいて克哉は振り返った。

 そして、少し視線を下に向ける。

 立っていたのはるりあ。なにかを克哉に差し出している。

 克哉は驚いた顔をしてそれを受け取って、まじまじと目と鼻の先で眺めた。

「同じ銘柄だ。どこで見つけた?」

 それは克哉が握りつぶしたのと同じ銘柄の煙草の箱だった。

「あっち」

 と、るりあは短く。

 これだけではわからない。

「あっちまで案内してもらえると嬉しいんだが」

 急にるりあが走り出した。

「おいおい!」

 慌てて克哉も走り出す。

 るりあが克哉を連れてきたのは、あの祠だった。

 祠に足を踏み入れた克哉はライターの火を点けた。

「ずいぶん暗いな、ライターよりも蝋燭のほうが良さそうだ」

 細いライターの火を頼りに奥へと進む。

 銅鏡と香木が備えられている石造りの祭壇。

 るりあは祭壇の下辺りを指差した。

「この下」

 克哉は祭壇を力一杯押した。大の男でもかなり重たい作業だ。

 一息漏らした克哉。

 祭壇の下に現れた空間に火を向けた。

「護符だな。それにこれは……」

 克哉が手にしたのは鞘に収まった短剣だった。

 ふっと克哉は笑った。

「信じてなかったわけじゃないが……これはこのままにしておくか」

 短剣を戻し、ほかの物も調べた。

 額に入れたらセピア色の古ぼけた写真。

 和服を着た一〇代後半とおぼしき女。

「えらいべっぴんだな。立派な角が生えてるのはあれだが」

 写真の女には二本の角が生えていたのだ。

 克哉は視線に気づいて振り返った。角の生えた少女が見ていた。

「べつに角が生えてるのが悪いって言うんじゃないぞ。角が生えてようが、べっぴんには変わりないからな」

 額を収めると、今度は額にも入っていない写真を手に取った。

 振り袖を着た双子の姉妹が写っている。一目見ただけでは美咲と美花に見えるが、写真の裏には万年筆で『静枝』『静香』と書かれていた。

 さらにもう一枚、二人の顔をがよく写っている写真があった。よくよく目を凝らすと、双子の片割れの目の下あたりに二つのほくろがある。ほくろがあるほうが、静枝か静枝か、それは今となってはわからない。なぜなら現在の静枝はほくろの場所に酷い傷痕があるからだ。

 克哉は写真を収めると、祭壇を動かして元に戻した。

「出るぞ、火がもったいない」

 出口に向かって歩き出す克哉。るりあもついて歩いた。

 暗い祠から出ると、外が眩しく感じられる。

 そのまま玄関に向かって歩いていると、誰かが玄関から出てきた。

 美咲だろうか?

 美花だろうか?

「探したわ」

 恐ろしい顔をして少女をつぶやいた。

 首を傾げる克哉。

「俺になんか用ですかい?」

 少女は克哉を押し飛ばして、後ろにしたるりあに飛び掛かった。

 陽を浴びて反射した凶器。

 包丁がるりあに突き刺さろうとしていた!

 慌てて克哉が凶器を持った少女の手首を抑えた。

 玄関から聞こえる悲鳴。

「やめてお姉さま!」

 だとしたら、るりあに襲い掛かったのは美咲だ。

 しかしなぜ?

 包丁の切っ先はるりあの胸の先で震えていた。

 克哉は手首を握る手に力を込め、美咲に包丁を落とさせた。

 すぐに美花が駆け寄ってきた。

「どうして! どうしてお姉さま!」

「答えはわかっているでしょう美花!」

「だからと言って、その子の命を奪うことは――」

「構わないわ! 私たち以外なんて、どうなろうと知ったことではないもの!」

 喚き散らす美咲は手首を掴まれながら暴れた。

 るりあは逃げた。

 渦巻く狂気から逃げ出した。

 無我夢中で逃げた。行く当てなど考えていなかった。この閉ざされた世界に逃げ場などあるのだろうか?

 るりあは勝手口から屋敷の中に逃げ込んでいた。

 そして、自然と足が運ばれていたのは、繭玉の世界。

 いつか慶子から与えたらた鍵で、るりあはこの場所に逃げ込んだ。

 扉の鍵は錠だ。ここには内鍵もなく、窓は天井近くにある嵌め殺しの格子窓。追い詰められれば逃げ場はない。

「助けて……よ……」

 るりあは呟いた。

 部屋中の繭玉が蠢く。

 中でも片隅にあった繭玉は、ほかの物よりも激しく蠢いていた。

 嗚呼、繭が割れる。

 内側から破られた繭玉から、か細く粘液にまみれた人の手が出てきた。

 なんということだ、それは人の形をしているが、人とは呼べない。

 肉は爛れたように崩れ落ち、眼球が床に転がった。

 ぐしゃり。

 不気味な音と立ててそれは床に落ちた。

 それは泥だ。

 肉の色をした泥だ。

 あまりに不完全なままこの世に出てきてしまったモノ。

 その末路。

 か細い呻き声が木霊した。

 息絶えた。

 そこに残ったのは吐瀉物[としゃぶつ]のような肉塊。

「可哀想に」

 女の声がしてるりあは振り返った。

 こんなに間近にいたのに、声を聴くまで気配がしなかった。

 そこに立っていたのは慶子だった。

「無理をさせるからですのよ。ほかの子にはくれぐれも無理をさせないように」

 この一部始終はるりあのせいだというのか?

 るりあは残酷な悲しみを顔にした。

 ここにはいられない。

 逃げ出そうとした小さな背に声を投げかけられる。

「この世界に逃げ場なんてありませんことよ」

 その言葉を無視してるりあは部屋を飛び出した。

 屋敷は広い、庭も広大だ。それでも外の世界に比べれば、なんと狭い箱庭の世界なのだろうか。

 どこへ逃げる?

 どこに隠れる?

 残された選択肢はどのくらいあるのだろう――この箱庭の世界で。

 るりあが逃げ込んだ場所は屋根裏だった。

 昨日、るりあと克哉が足を踏み入れるまで、長らく使われていなかった屋根裏部屋。住人たちもここの存在を知っているのかいないのか。

 この場所に逃げ込んだるりあだったが、すでに先客が待ち構えていた。

 身を強ばらせたるりあ。視線の先にいたのは克哉だった。

「俺は敵じゃあない。無闇に動き回るとすぐに見つかっちまうぞ」

 その言葉、信じてよいものなのだろうか?

 るりあがこの屋敷に来て、およそ二年。美咲に刺されそうになったのは、今日がはじめてだ。

 一寸先は闇。

 二年間起こらなかったことが、今日起きたのだ。

「捨てろ」

 るりあは克哉を睨んで言った。

「なにをだ?」

 心当たりがないような言い方で返した。

「短刀捨てろ」

「そんなもの持ってない」

 無いと答えた克哉をるりあは射貫くように睨んだ。

 溜息を漏らした克哉は根負けした。

「わかったよ捨てるよ。でもな、これは短刀じゃなくて短剣だ。些細に思えるが、俺にとっちゃ重要なことなんだ」

 克哉は隠し持っていた短剣を鞘ごとベッドに放り投げた。

 るりあはその場を動かない。克哉もその場を動かない。

 先に痺れを切らせたのは克哉だ。

「敵じゃあないって言っても、はいそうですか、なんていうのはお人好しのすることだ。でも問題は証明する術がないってことなんだよ。とりあえず俺の言えることは、ずいぶん昔に死んだ野郎の遺言で、死んでもお前を守れって言われてるんだよ、しかもお前も死ぬなだとよ。矛盾してるだろ言ってることが。遺言は遺言なんだが、俺がお前を命張ってまで守ってやる義理はないってのは先に言っておくぞ。でもなるべく助ける」

 語尾を強めて一気に言い切った。

 るりあはまだ克哉を睨んで離さない。

 構わず克哉は歩いた。

 るりあは目で追ったが、それ以上の行動をすることはなかった。克哉がなにをするのか最後まで見守った。

 椅子に腰掛けた克哉は、顎をベッドに向けてしゃくった。

「お前はそこに座れ、短剣もお前が持ってていいぞ」

 言われたとおり、るりあは埃立つベッドに座った。だが、短剣は手にしなかった。

 二人はなにも言わず時間が過ぎた。その間、克哉はるりあから目を離して、床を見たり天井を仰いだりしていた。

 しばらくして、再び克哉はるりあに顔を向けた。

「まず、お前が狙われた理由からだな。美花ちゃんから聞いたんだが、姉妹の片方を喰らわずに助かる方法は、母親とお前を喰らえばいいと助言されたそうだ。美花ちゃんは当然それに反対だそうだ、普通はそれが当たり前だよな、外の常識なら。問題は美咲お嬢様のほうだ、あれはやるぞ、母親も殺すかもしれん」

 助言をしたのは誰だ?

 るりあは黙って聞いていた。

 口を挟まないるりあを確認して、克哉はさらに続ける。

「殺される前に美咲お嬢様をやるか?」

「…………」

「お前がうなずいても、それをやらせるわけにはいかない。遺言でな、美花ちゃんと美咲お嬢様も頼むって言われてるんだ。最終的に選ばなきゃいけなくなったら、お前を優先しろとも言われてるんだが、俺は死人が出ることには反対だ。だからこの案は却下だ。別の方法でお前を助ける」

 なぜるりあが優先させるのだろうか?

 そして、遺言の主はいったい誰か?

 少し克哉は黙り込んだ。また床を見たり天井を仰いだりしている。しばらくして、るりあを見て口を開けたが、その口を閉じて再び別の方向を見はじめた。

 またしばらくして、克哉はるりあに顔を向けた。真剣な眼差しだ。

「俺はこの屋敷から出る方法を知っている」

 さらに言葉を続ける。

「この屋敷の中にも何人かそれを知っている奴がいるはずだ。出られないんじゃない、出ないんだ。そして出さないんだ」

 屋敷の敷地を覆う見えない壁というべき何か。かつてその壁を越えた者がいる――美花だ。

 克哉は前に美花を預かっていた家の息子だと説明した。

「美花ちゃんがうちに来たのは彼女が三歳のときだ。美花ちゃんの話によれば、姉妹が三歳を迎えたあとの特定の日、その日に限って外に出ることができると説明されたらしい。実際は大嘘なんだがな。この屋敷の住人は、あることをすることによって外に出ることができる。例外も一人だけいるそうだが」

「あいつ姿たまに見えない」

「菊乃だろう?」

 るりあは首を振った――横に。

 驚いた顔をする克哉。

「違うのか?」

「もうひとり」

「それは知らなかった。もうひとりいるのか?」

「あいつ」

「あいつじゃあ、わからないだろう。それはだれなんだ?」

「女」

「この屋敷は女しかいないだろう」

 静枝、美咲、美花、瑶子、菊乃、慶子。

 克哉は小さく頷いた。だれかわかったのだろうか?

 そして、今度は大きく頷いた。

「この話はあとにしよう。肝心な出る方法なんだが、それは……」

 るりあが克哉に飛び掛かった。

「言うな!」

 大の大人が押し倒された。天井に響く物音。

 克哉は苦しげに顔を歪めた。掴まれた胸が肉ごと持っていかれそうだ。

「離せ、言わないから離せ! これ以上やるとガキでも承知しないぞ!」

 怒号が響く。

 るりあは克哉を睨みつけながら飛び退いた。

 肌着に滲む血。爪の痕だとすぐにわかる。克哉は傷を押さえた。

「お前、知ってるな?」

「…………」

「わかった、この方法はなしだ。そうなると、俺もどうやって外に出るか。さっきの話に戻していいか、もうひとりって誰なんだ? そいつに話を聞けば外に出る方法がわかるかもしれない」

「せんせい」

「先生って呼ばれてるんだな? やっぱりあの女先生か。意外というか、あの先生の情報はほとんどないからな、鍵を握ってるとは……たしか美花ちゃんと美咲お嬢様が話していたな」

 運命を抗う術を調べていた静枝が一人では限界を感じ、そこで呼ばれたのが慶子だった。

 克哉は手帳を広げてなにかを確認した。

「女先生の部屋はあっちだな。お前も来るか?」

 るりあは首を横に振った。

 離れにある慶子の部屋を克哉は覗いた。

 西洋風の作りになっている部屋で、眼鏡を掛けた慶子が本を読み耽っている。

 克哉はるりあに耳打ちをする。

「お前は穴から覗いてろ、俺一人で話を聞いてくる」

 天井裏にあるのは覗き穴だけではなかった。天井板が外れ、部屋に侵入できるようになっていたのだ。

 克哉はそこから慶子の部屋へと降りた。

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