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あやかしの棲む家  作者: 秋月瑛
其之伍 「異界の少女」
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其之伍 「異界の少女(3)」

「待ってくださいよぉ!」

 廊下を走る瑶子は息を切らせながらるりあを追っていた。

 瑶子のことなど構わずに、るりあは前も見ず駆け回っていた。

 るりあが顔面から何かに飛び込んだ。

 見上げると不機嫌そうな美咲の顔。

「前見て歩きなさいよ!」

 瑶子もるりあも、その姿形は二人が出会ったときから変わっていない。

 しかし、美咲はどうだ?

 その容貌は色艶が出てきて、外見はだいたい一五に行くか行かないかだろうか。まだ少女も色濃く残っていて、妖しい色香を纏っている。

 瑶子は美咲の上等な着物姿を見て感嘆した。

「美咲さま、本当にお似合いです。うっとりしちゃいます」

 この日、はじめて袖を通した着物だ。晴れ姿と言ってもいいだろう。美咲がこんな姿をしているのには理由がある。

 るりあの腕が急に掴まれた。

 掴んだのは菊乃だ。

「瑶子さん、しっかり見張っていてくれなくては困ります。美花様に粗相があってはなりません」

 菊乃は瑶子にるりあを預けて玄関に向かって歩き出す。

 そのあとを美咲も付いていこうとした。だが、菊乃が振り返って美咲の足を止めさせた。

「美咲様は静枝様にお部屋にいるようにと、聞いておりませんでしたか?」

「聞いたわ。お母様の言うことなんて聞く必用なんてないわ。私は一刻も早く美咲に会いたいの、悪い?」

 反抗的な態度が伺える。

 菊乃は瑶子に目を移したが、すぐに美咲に視線を戻した。

「静枝様にご報告してまります。それから美咲様を迎えに正門に向かいます」

 早足で菊乃は姿を消した。

 美咲は玄関に向かう。

 それに付いていこうとしたるりあの腕を瑶子が引っ張った。

「駄目ですってば、今日はおとなしくしてくださいって頼んだじゃないですか」

「やだ」

「そんなこと言わないでくださいよ」

「やだ」

「うぅ~」

 困ってしまった瑶子。

 るりあは瑶子に掴まれた腕を引っ張って行こうとする。

 しばらくの間、二人はその場を動かず引張りをした。

 ここで綱引きを続けているわけにもいかない。なぜならこの廊下を美咲が通るはずだからだ。なので瑶子は折れることにした。

「ちょっとだけですよ、影からこっそり見るだけですからね?」

 譲歩した瑶子にるりあが向けた顔は、唇を尖らせた不服な態度。

 眉をハの字にして瑶子はほとほと困ってしまった。

「お願いします。今日はご家族の久しぶりの再会なんですから、邪魔をしちゃいけないんです。ご家族の対面が終わったら、それからるりあちゃんも紹介してあげますから、ね?」

「…………」

「あとで柘榴[ざくろ]をいっぱいあげますから、ね?」

「……わかった」

 返事はしたが、まだ唇は尖ったままだ。

「まだここにいたのですか」

 この場に戻ってきた菊乃に言われた。

 瑶子は慌てた。

「大丈夫です、ちゃんとるりあちゃんは大人しくできますから。ねっ、るりあちゃん?」

 同意を求めて瑶子は顔を向けたが、るりあはつんと唇を尖らせている。

 菊乃は静かな瞳で二人を見つめていた。

「言うことを聞かないのなら縄で縛ってください」

「そこまでしなくても」

 弱々しく瑶子は言った。

 隙を突いてるりあは瑶子の手を振り払い、菊乃に向かってあっかんべーをした。

 そして、るりあは逃げた。

 慌てる瑶子。

「ああっ!」

 菊乃の冷たい視線が瑶子に突き刺さる。

「早く追ってください。私はもう行きます」

 足早に菊乃は姿を消してしまった。

 瑶子は頭を抱えて重たい溜息を漏らした。


 逃げ出したるりあだったが、結局は瑶子に掴まってしまった。けれど、縄に縛られることはなかった。そして、影から見るということもできそうだ。

 屋敷の縁側から遠く正面門をるりあは見つめた。

 横にいる瑶子も懸命に目を凝らしている。

「ここからじゃ、あんまり見えませんね」

「よく見える」

「るりあちゃんは目がいいんですね。あたしは動体視力だったらいいんですけど」

 しばらく二人は正面門を見つめていたが、先にるりあが集中力を切らせてしまった。視線があちらこちらに泳ぎ回り、今にも躰が動きそうだ。だが、るりあの服はしっかりと瑶子によって握られている。

 るりあに気を配りながらも、瑶子は集中力を切らさずにじっと正面門を見つめている。

 やがて正面近くにいる美咲や菊乃に動きがあった。この位置からは垣根が邪魔して、屋敷の敷地外の状況を見ることはできないが、美咲たちの動きを見るに何かがやって来たようだ。

「美花さまが帰っていらっしゃったみたいですよ」

 瑶子に声をかけられたるりあが急に駆け出した。

「あっ!」

 急いで止めようとしたが間に合わない。るりあは虚しく伸ばされた瑶子の手の遙か先。

 一直線にるりあは正面門を向かった。

 向かってくるるりあにいち早く気づいた菊乃。

「やはりこうなりましたか」

 予想をしていたようだ。

 菊乃は素早くるりあを捕らえた。

 美咲はるりあなどに目に入っていなかった。

 山を切り開いた道を走ってくる軽自動車はスバル360だ。

 ゆっくりと走ってきたスバル360は、正面門に入る手前で止まった。

 運転席から顔を出した無精髭の克哉。

「どこに止めればいいですかねえ?」

 すぐに菊乃が応じる。

「ここまでで結構でございます」

「そんなこと言わずに、お茶の一杯でも飲ませてくださいよ。もうくたくたで、喉もからからで、美花ちゃんからもなんか言ってやってよ……あっ!」

 克哉の視線の先で美花は車を降りようとしていた。

 逸る気持ち抑えられなかったのだろう。車を降りた美花は一目散に美咲の前に行った。

「お姉さま、お久しぶりです」

「元気そうね美花。あのころとなにも変わっていない、〝見慣れた顔〟だわ」

 双子の姉妹は瓜二つ。服が違わなければ、まったく見分けが付かないほどだ。

 再会に浸る姉妹の横をスバル360がゆっくりと走る。菊乃が止める間もなかった。

 門をくぐったスバル360は停車して、再び克哉が窓から顔を出した。

「適当に停めさせてもらいますんで」

 断りを入れたが、強引には変わりない。

 ハンドルを握って再び顔を前に向けた克哉が眼を丸くした。

「おおっ、なんだガキか!?」

 フロントガラスにるりあがべったりと顔を付けていたのだ。驚くのは当然だ。

 また克哉が窓から顔を出した。

「どけどけ、どかないと轢[ひ]いちまうぞ」

 注意してもるりあは退こうとしなかった。

 仕方がなく菊乃がるりあを引っ張って捕まえた。そして、深々と頭を下げた。

「申しわけございません。幼い子のしたことでございます。どうか許してあげてくださいませ」

 と、顔を上げた菊乃は遠く縁側にいる瑶子に眼をやった。

 見られた瑶子は度肝を抜かれ固まった。るりあを追いかけて出るか出まいか戸惑っていたのだ。

「許すもなにも気にもしてませんよ。それじゃあ冷たいお茶でも用意していてください」

 そう言い残して克哉は車を走らせて屋敷に向かって行ってしまった。

 姉妹はなにやら話し込んでいたが、どうやら一段落したようで、美花は菊乃とるりあに顔を向けた。

「お久しぶりです菊乃さん。そちらにいる女の子は?」

「るりあ様でございます」

「るりあちゃんと言うのね」

 美花に見つめられたるりあは急に駆け出した。

 正面門から戻ってきたるりあは瑶子に抱きついた。

 瑶子は少し困った顔をした。

「ああ、ああ、素足のまま外に出て、そのまま上がっちゃ駄目じゃないですか。すぐに台所で流しましょうね」

 自分を抱きかかえて歩き出す瑶子をるりあは見つめた。

「あいつ冷たいお茶飲みたい言ってた」

「あいつって美花さまのことですか? 駄目ですよ、美花さまのことあいつだなんて」

 るりあは首を横に振った。

「男言ってた」

「男の方ですか? もしかして車を運転して来た方ですか?」

 今度は首を縦に振った。

 台所に着き、足を流していると、勝手口から何者かが入ってきた。

「お茶用意してくれました? って、さっきの子じゃないのか」

 入ってきたのは克哉だった。

 驚いた顔をした瑶子だったが、すぐに気を取り直して笑顔になった。

「こんにちは、運転手の方ですよね?」

「運転手っつたら運転手ですけど、職業は運転者じゃなくてルポライターなんで」

「ルポライター?」

「三流雑誌の記者ですよ。あと美花ちゃんとの関係は、美花ちゃんを預かっていた家の息子です」

「そうだったんですか! 美咲さまがお世話になりました」

「いえいえ」

 満更[まんざら]でもない様子で、克哉は無精髭を触りながら笑った。

 克哉はなにかに気づいて顔を下に向けた。服をるりあに引っ張られていたのだ。

「どうしたお嬢ちゃん?」

「男、男」

「男に決まってるだろ。俺が女に見えたらそりゃ重傷だ」

 瑶子はすぐにるりあがなにを言いたいか察したようだ。

「るりあちゃんはきっと男の方が珍しいんですよ。あたしもですけど。この屋敷には男の方がいないので、男の方と言えば定期便で荷を運んで来てくださる方を遠くから見るくらいで、るりあちゃんの場合は」

「男を知らないなんて可哀想だな。そりゃ、男が女を知らないのと同じくらい可哀想なことですよ」

 克哉が笑った。

 靴を脱いだ克哉が土間から床に上がった。

「おじゃましますよっと。さてと、美花ちゃんたちはどこかな」

「それなら屋敷に入ったらすぐに静枝さまのお部屋に向かわれたと思います」

 瑶子が克哉の背に声を掛けた。

 振り返った克哉は愛想よく笑った。

「どうも。ちょっと探して来ますんで、お茶用意してもらえます? 冷たいやつ。あとで取りに来ますんで」

 台所を出て行く克哉にるりあはついて行った。

 しばらく廊下を歩いていると、角を曲がって現れた三人が前を歩いて行くのが見えた。

 克哉はすぐに声をかける。

「美花ちゃん!」

 すぐに美花が振り返った。

「克哉さん、どこに行っていたのですか?」

「車を停めてたんだよ。これからお母さんに会いに行くんだろ? 俺も行くよ」

 だが、その前に立ちはだかる菊乃。

「静枝様は美咲様と美花様だけをお呼びでございます。静枝様にご挨拶なさるのなら、ご家族での話が終わってからになさってください」

 そして、るりあに顔を向けて話を続けた。

「るりあ様も決して邪魔をなさらぬように」

 すぐさまるりあは克哉の背に隠れた。

 克哉はるりあを抱きかかえた。

「そういうことなら俺らは退散しますか。台所で茶でも飲んで待ってますよ」

 るりあは駄々をこねるように足をじたばたさせたが、克哉は構わす抱きかかえながら歩き出した。

 しばらく歩き、三人の姿を見えなくなったところで、克哉が悪ガキのような顔をして口を開いた。

「お前も気になるんだろ。俺も気になるよ、静枝さんとやらも早く見たいし、帰って来た娘にどんな話をするかもな」

「降ろせ男」

「降ろしてもいいが、秘密の場所に連れてってやんないぞ?」

「なんだそれ?」

「いっしょに来ればわかるさ」

 克哉は屋敷の中を歩き出した。まるで道を知っているようだ。

 廊下を歩き、なにかを探すように克哉は辺りの壁を調べた。

「見取り図は頭に入ってるんだが、地図と実際の道は違うからなあ。あった、あったこれだ」

 木目の壁が開く。一見してただの壁だが、実は隠し戸になっていたのだ。

「お前なんで知ってる?」

 るりあは克哉を睨みつけた。

「恐い顔しなさんなって。企業秘密ってことで勘弁な。お嬢ちゃんと俺だけの二人だけの秘密だぞ、そういう秘密ってわくわくするだろ?」

「…………」

「しないのか。まあいい、とにかくほかの奴らに見つからないうちに、さっさと上がっちまおう」

 上へと続く階段。この屋敷に二階はない。そこにあるのは屋根裏だ。

 埃だらけの屋根裏部屋。長らく使われていなかったらしく、積もった埃に足跡一つ無い。

 克哉は唇の前で人差し指を立てた。

「静かにな。下にいる奴らに気づかれないように」

 屋根裏を歩きながら克哉は古びた手帳を取り出した。そこに書かれた何かを頼りに、ここで何かを探しているようだ。

 克哉の足が止まった。

 静かに床に這いつくばり、床の埃を払った克哉は、なにかを指差した。

 近くでしゃがみ込んだるりあはそれを見た。小さな穴だ。天井に開いた小さな穴。

 まず克哉がその穴を覗き込んだ。すぐに顔を上げて、指でその穴を覗き込むように仕草で示した。

 るりあは穴を覗き込んだ。

 見える。

 屋敷の中だ。

 そこはちょうど静枝の部屋の真上だった。

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