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あやかしの棲む家  作者: 秋月瑛
其之壱 「双生児」
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其之壱 「双生児(3)」

 美咲を追いかけたい気持ちはあった。

 それと同時に会いたくない気持ちもあった。

 それ以前にどこを探したらいいのか、道も何もわからないこの屋敷で、すぐに迷ってしまった。

 周りの部屋の入り口には全て赤い札が貼ってある。いったいその先になにがあるのか、好奇心よりも恐怖が先に立つ。

 静かな廊下を歩くたびに軋む音が鳴る。

 廊下の先は光も届かない暗闇。

 美花は息を呑んで足を止めてしまった。

 聴こえたような気がした。

 歩く音。

 それも上を歩く音。

 美花は天井を見上げた。

 平屋建ての上に部屋はない。そこにあるのは屋根裏。そんな場所から足音が聴こえる筈がない。

 しかし、美花はそれを完全に否定することができなかった。

 先程の会話――忍び込んだ者がいる。

 本当にそんな人がいるのか、いたとしても忍び込む理由は何か?

 美花は考えないように首を振って思いを消した。

 慶子も言っていた。『知るつもりはない』と――。

 そうだ、この屋敷には知らない方が良い事が多いのだろう。いや、知ってはいけないのかもしれない。

 廊下の向うに光が見えた。

 少し早足で歩くと、縁側に出ることが出来た。

 外の空気、外の景色、夕焼けの空。

 ここから見える世界が全てではない。庭の先には高い垣根があり、その先に世界は広がっている。

 今日から垣根の中が美花の世界になってしまうのだろうか?

 本当に外に出ることができないのか?

 縁側の先にわらじ並んで置かれていた。迷うことなく、考えることもなく、自然と美花はわらじを履いて外に飛び出していた。

 美花は外の世界に向かって走り出した。

 垣根がどんどん近づいて来る。

 どうして外に出てはいけない決まりがあるのかわからない。

 だって、あんな人の作った垣根なんて、すぐにでも飛び越えられそうなのに。

 急に美花の足が止まった。

「……何これ?」

 気持ち悪い。

 胸の底から沸いて来る気持ち悪さ。

 頭も痛い。

 誰かが美花の足を触った。

 すぐに地面を見るが、居る筈がない。

 誰かが美花の背中を、胸を、腹を、尻を、舐め回すように触った。

 これが境界線の怨念?

 美花は泥のような汗を流しながら外に出ようとした。

 自分の背よりも高い垣根だが、越えられない筈がない。目の前に、目の前にあるのに越えられない筈がない!

「きゃ!」

 一瞬のことで美花にも何が起きたのかわからなかった。

 気づいたら垣根は手の届かない遥か遠くにあった。

 そんな筈はない。垣根に手を伸ばし、あと少し、あと少しで手が届いた筈なのに。

 身体中を濡らす油汗。

 不快な気持ちなのは汗だけのためではない。まだ鮮明に残る身体を触れられた感覚。

「本当に外に出られない」

 それは誰かが決めた掟ではなかった。出ようと思っても出られないのだ。

 美花は自分に起きたことを思い出す。

 垣根に触れようとした瞬間、後ろに引かれたのだ。それはまるで身体を縄で縛られ、急に後ろへ引かれたような感覚。とても諍うことすらできない力だった。

 もう一度試す勇気は起きなかった。

 後ろを振り返ると大きな屋敷がある。

 どうしてか屋敷の中に入る気にもなれなかった。

 怖いのだ。どちらも怖い。

 垣根に近づくことも、屋敷の中に入ることも、どちらも怖かった。

 そして、この場でじっとしていることも怖く感じ、美花はどこに行くでもなく歩きはじめた。

 屋敷を囲む大きな庭。庭といっても庭園ではない。木もなければ草もない。枯れた大地が延々と続く庭。

 玄関からは裏手になるのだろうか、そこには小さな祠があった。

 小さな鳥居から続く石畳の道。その先に祭られているモノが何なのか、美花がわかる筈もなかった。

 誰かの気配がした。

 祠の陰からるりあが現れ、すぐに逃げようとしたのを美花が止めた。

「待って」

 るりあは背を向けたまま足を止めた。

 思わず呼び止めてしまったが、何を話していいのかわからない。

 美花が困っているとるりあが振り向いた。

「お前誰だ、美咲じゃない誰だ」

 少し片言のしゃべり方だった。

 美花は相手を怖がらせないように、精一杯の笑顔で答えた。

「わたしは美花です。今日からこの屋敷でお世話になることになりました」

「お前美咲に似てるな」

「はい、双子の妹なんです」

「ならお前も嫌い」

 るりあは走り去ってしまった。

 嫌われてしまった。

 何も知れない筈なのに、双子だというだけで嫌われてしまった。

 ――姉はそんなに嫌われる存在なのだろうか?

 その答えを美花は出すことが出来なかった。きっと答えは出ている筈なのに、自分が姉をどう思っているのか、その気持ちに気づいている筈なのに、答えを出すことは絶対に出来なかった。

 光と影。

 同じ姿かたちをした存在。

 美咲を否定することは、自分の存在も否定しているようで怖かった。

 恐ろしい美咲の表情を思い出す。あんな表情を美花がしたことはない。けれど、同じ顔ならば出来る筈。

 ――自分の中にもあんな狂気が存在しているのだろうか?

 恐ろしくたまらない。美花は胸が苦しくて気分が悪くなった。

 その場にしゃがみ込み、自分の体を抱いて震える。

「……わたしも……わたしは人間じゃない……お姉さまを見ればわかる……わたしも人間じゃないんだ」

 認められない。認めたくない。

 物心が付けば自分でも気づいてしまった。周りの子供と自分が違うことに気づかない筈がない。

 友達は気づいていただろうか?

 その点は養父母が気をつけていてくれた。おそらく美花に気を使ったのではなく、自分たちが迫害されるのを恐れてだろう。数年おきに引越しを繰り返した。

 ――悪魔の子。

 今なら確信できる。影でそう囁いていたのだ。

 涙が零れ落ちた。

 止まらない、止まらない、涙が止まらない。

 溢れ出す涙は枯れた地面に吸い込まれる。

「……死にたい」

 この屋敷にも馴染める気がない。かと言って養父母のところには帰れない。彼らはきっと喜んで美花を手放したのだ。

 帰るところはどこにもない。

 ふと美花の脳裏に浮かぶ自分の顔。違う、それは美咲の顔だった。

 自分と同じ顔を持つ存在。

 背格好も同じなら、アレも同じ筈だ。そうでなければ、姿かたちが同じの筈がない。

 美咲との距離は近づいては離れ、離れては近づく。

 はじめて姉の存在を知ったときの歓喜。思いを馳せた。

 しかし、実際に会ってみると想像とかけ離れた存在だった。そこにあったのは恐怖。

 でもアレの呪縛に姉も苦しんでいると思うと、美花は親近感と悲しみを共有できるような気がした。

 美花は涙を拭いてゆっくりと立ち上がった。

 今なら屋敷の中へ足を踏み入れることができそうだった。

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