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あやかしの棲む家  作者: 秋月瑛
其之伍 「異界の少女」
29/47

其之伍 「異界の少女(1)」

角の生えた少女が屋敷に迷い込む。

果たして何ゆえに導かれたのか?

少女が握る秘密の糸が紐解かれる。

 それは運命の糸が辿り着いた先。

 結ばれている限り、そこで必ず出逢うのだから。

 彼[か]の面[も]のは呼ばれて此処に来た。

 屋敷の中を案内し終わった瑶子は、次に庭を案内することにした。

 遠くに見えてきた鳥居を指差す瑶子。

「あそこに見える鳥居の先には祠があります」

「どんな祠ですの?」

 と、慶子は尋ねた。

「すみません、鳥居にはあまり近づかないですし、祠にも入ったことがないので、具体的には答えられないんです」

「なら今日は一緒に祠に入ってみましょう。それがいいわ」

「そ、それは……なんだか怖いですし」

「大丈夫よ、一緒に入りましょう」

 慶子は不安そうな瑶子の背中を強引に押した。

 鳥居から続く細道の先で、祠が口を開けている。

 背中を押され、瑶子は鳥居をくぐろうとしていた。

「駄目です、これ以上は……あれっ?」

「どうなさいましたの?」

 慶子は背を押していた手を離した。

 何かを見ている瑶子。

 その何かとは?

「……糸」

 つぶやいた瑶子。

 慶子は瑶子の背で妖しく微笑んでいた。

「どこに糸なんてあるのですの?」

「えっ、見えませんか? 眩しいくらいに輝いている糸があるじゃないですか?」

 その糸に瑶子は手を伸ばした。

 細道のずっとずっと先まで伸びている糸の先。

 糸の先には何がある?

 瑶子は瞳に色を宿さず糸を手繰[たぐ]り寄せた。

 引き寄せようとすると、張り詰められる糸は、その先に何かがある証拠。

 ぐいっと瑶子の躰が逆に引っ張られた。

 向う側からも力が掛かっている。

 糸の先で空間が歪んでいる。

 その先で蠢く塊。

 あの先にいるのはいったい何か?

 慶子がつぶやく。

「まるで芥川龍之介の小説。糸が切れないように、今度こそしっかりと手繰り寄せてあげなさい」

 糸の先に群がる亡者ども。

 まるで地獄から極楽を目指す罪人たち。

 その光景は芥川龍之介の描いた蜘蛛の糸。

 糸の群がる者どもは、老人のような顔をした毛のない猿のような者ども。

 かの小説では、カンダタは己だけが助かろうと、糸にぶら下がり下から群がってきた者を落とそうとした。そして、糸は切れてしまうのだ。

 しかし、ここにカンダタはいない。

 先頭で糸を掴んでいるのは、角の生えた少女。

 少女は他の者を蹴落とすこともせず、ただ黙々と糸にしがみついている。

 不気味なものどもは、少女の服や腕や首、髪までも、掴めるところならばどこでも掴んだ。

 必死なのだ。

 こちら側にこようと必死なのだ。

 そこまで必死にさせる理由は何か?

 こちら側に来たいからか?

 それともあちら側を出たいからか?

 兎にも角にも、必死に藻掻いている。

 髪の毛を引っ張られた少女の顎が上を向く。苦痛の表情をするが、声は出さない。

 瑶子は糸を手繰り寄せ続ける。決して自ら糸の先に近づこうとはしない。境は鳥居。鳥居が隔てる境界線。

 少女の腕が鳥居をくぐり、そこに掴まっていた枯れ木のような手が崩れ落ちるように離れた。

 墜ちていく。

 次々と不気味なものどもが墜ちていく。

 少女の頭や肩が鳥居をくぐると、さらに墜ちた。

 ぼろぼろと剥がれ墜ちていくのだ。

 あと少し、あと少しで少女の足が鳥居をくぐる。

 不気味なものは執念深く少女の足首に爪を立てしがみつく。

 呻くような声が聞こえてきた。

「極楽……極楽……」

 不気味なものが念仏でも唱えるように呻いている。

 慶子は微笑んだ。

「こちら側も地獄ですのよ」

 少女は完全に鳥居をくぐり、最後に残っていた不気味なものもついに墜ちた。

 もう糸はない。

 歪んだ空間もなかった。

 はっとして我に返る瑶子。

 足下には今にも絶えてしまいそうな息づかいの少女。慌てて瑶子は少女を抱きかかえた。

「だいじょうぶですか?」

「…………」

 返事はなく、息も果てそうだが、少女の眼は業火を宿したように、瑶子を睨みつけていた。

 慶子は瑶子の肩越しに少女を覗き込んだ。

「角がありますのね、この子。まるで人を喰らう鬼のよう」

「きゃっ」

 急に少女は瑶子を押し飛ばし、髪の毛を振り乱しながら、駆け出してこの場から逃げてしまった。

 素早い動きでもう少女は影も形も無い。

 唖然とする瑶子。

 慶子が声をかける。

「早く探さなくて宜しいのですの?」

「あっ、はい! 案内の途中ですけど失礼します」

 お辞儀をして瑶子は駆け出した。

 残された慶子も瑶子が消えてしばらくしてから、ゆっくりと歩き出した。

「あたくしの手を煩わせるなんて、瑶子、あなたはなんのために此処にいるのかしら」

 呟いた慶子はなぜか愉しそうな顔をしていた。


 髑髏の丘。

 地面に掘られた大きな穴は、いつしか骨で埋まり、なにかの拍子に頭蓋骨が頂上から転がり落ちるほど、骨が積み上がっていた。

「ここにいたんですか、探しちゃいました」

 後ろから声を掛けられて少女は振り返った。

 立っていたのは瑶子。

「もう逃げないでくださいね。取って喰ったりなんてしませんから」

 冗談なのか、瑶子はにこやかに笑って見せた。

 少女は瑶子を睨んだまま動かない。警戒しているのは間違いない。

 髑髏の丘。角生えた少女。詰め寄る瑶子。

 角生えた少女は異様と言えるが、ここにあるモノたちはさらに異様だった。

 静かに瑶子が近づいてくる。

「だいじょぶですよ、だいじょぶですからねぇ~」

 近づいてくる瑶子を前にして、少女は左右に目をやり確かめた。

 地面を蹴り上げ、一気に駆け出した少女。

 しかし、腕が掴まれた!

 逃げようとした少女の腕は、瑶子によって強く握り締められていた。

「だいじょぶですから、ね。逃げないでくれますか?」

 少女が己の姿が見えるほど、瑶子の瞳が近くにあった。

 腕を掴まれ、こんな間近まで詰め寄られても、少女はなおも逃げようとした。

 激しく腕を振り解こうとする。何度も何度も振った。思いのほか瑶子の力は強く、まったく振り解けそうになかった。

 このままでは逃げられないと知るや、少女は己の腕を掴む瑶子の手に噛み付いたのだ。

「痛っ」

 顔をしかめて短く漏らした瑶子。それでも少女の腕を放さなかった。

「だいじょぶですよ。ほら、怒ったりしませんし、あなたに危害を加えたりしませんから、ね?」

 手の甲から滲む鮮血。

 傷を負いながらも瑶子はにっこりと笑っていた。

 緊張の糸が極限まで張り詰める。

 睨む少女。

 微笑む瑶子。

 表情こそ違えど、二人はせめぎ合いた。

 しばらく二人は動かなかった。決して眼を離さず、その瞳の奥から相手の心を探るように。

 そして、勝ったのは瑶子だった。

 少女の全身から無駄な力が抜けるのがわかり、瑶子は腕を解いた。

「お名前は?」

「…………」

 腕を解いても逃げることはなかったが、警戒は解けたわけではないらしい。少女は未だに睨みを効かせている。

「傷の手当てをしてあげます。だから一緒に行きましょう?」

 瑶子の目の前にいる少女は躰中に傷を負っていた。それはあのものたちが付けた傷だ。この少女と共にこちら側へ来ようとしていた不気味なものども。彼らは肉を抉るほど強く少女にしがみついていたのだ。

 少女からの返事はなく、動こうともしない。

「今朝届いたばかりの果物もありますよ?」

 食べ物で釣ろうとする瑶子。

「それとも野菜にしますか? 新鮮なお肉もありますよ」

 少女の唇が微かに動く。

「……み……」

 よく聞き取れない。

 瑶子は少女の唇に耳を傾けた。

「もう一度お願いします」

「……み……ず」

「みず……お水ですか?」

 尋ねる瑶子に少女は頷いて見せた。

 嬉しい気分を現すように瑶子は満面の笑みを浮かべた。

「喉が渇いているんですね。井戸ならすぐそこです、一緒に行きましょう」

 瑶子は少女の手を差し伸べた。

 しかし、手を繋ぐことは無視された。

 寂しそうな顔をしながら、瑶子は前を歩きはじめた。後ろからは少女が子鴨のようについてくる。

 井戸はすぐに見えてきた。すると少女は瑶子を追い抜いて駆け出した。

「あっ」

 小さく漏らしながら瑶子が手を前に出すが、少女は止まらず井戸まで駆けた。

 井戸についた少女はすぐさま滑車を回して水を汲んだ。

 地下深い水面から桶で運ばれてきた冷水を、被るようにして少女は飲んだ。口の端から溢れ、全身に掛かるが気にしていないようだ。よっぽど喉が渇いていたのだろう。

 喉を潤した少女は瑶子に顔を向けた。

「るりあ」

 短く呟いた。

 首を傾げる瑶子。

「るり……あ?」

 少女は頷いた。その瞳は依然として鋭さを持っているが、恐ろしいという感じはしない。瑶子に対する敵意はないが、まだ常に周りを警戒しているようだった。

 瑶子も頷いた。

「それがお名前ですか?」

「…………」

「ああっ、また黙らないでくださいよ。るりあちゃんでいいんですよね?」

「…………」

「ええっと、あたしの名前は瑶子です。今からるりあちゃんとあたしはお友達です。だから仲良くしましょう?」

 少女は難しい顔をした。なにを考えているのだろう?

 しばらくして、少女は握った拳を瑶子に向け、小指だけを立てた。その仕草と言えば。

 同じように瑶子も小指を立てた拳を出して、少女の小指と自らの小指を絡めた。

「指切りげんまん、うそをついたら閻魔様[えんまさま]に舌をぬ~かれる」

「やだやだ、舌を抜かれたら餓鬼道くらい辛い」

 閻魔の裁きによって下る六道[りくどう]のひとつ餓鬼道[がきどう]。罪人が常に飢えと渇きに苦しめられる場所。

「指切った」

 強引に瑶子は指を切った。

 少しるりあは怯えているようだ。

 瑶子は笑顔を送った。

「これで絶対にお友達です。仲良くしなきゃ駄目ですよ?」

「……うぅ」

 るりあは弱った声を漏らした。

 このとき、るりあからはあの鋭さが消えていた。そこにいるのは幼い少女。警戒もいつの間にか解けたようだ。

 るりあの手が瑶子によって握られた。振り払うことはしなかった。手を繋いで歩き出す二人。

「傷の手当てしましょうね」

「平気」

「え? あっ本当だ。もう治っちゃってますね、良かった」

 滲んだ血の痕は残っていたが、傷痕は残っていない。人とは思えぬ治癒力だった。

 一目見ただけでは人と変わらぬが、すぐに角に気づくだろう。その角も動物のそれとは違い、瘤[こぶ]と言われれば瘤とも言える。ただ、二本はあまりにも綺麗に生えそろっている。

 そして、るりあいったいどこからやって来たのか?

 謎多き少女だが、瑶子はあまり気にしていないようだ。

「なにか食べます? それとも……そうだ、まずは静枝さまにご報告したほうがいいですよね。静枝さまはこの屋敷で一番偉い方です」

「釈迦よりもか?」

「お釈迦様はこのお屋敷には住んでおられませんから、お屋敷で一番は静枝さまです。あたしは屋敷でお仕事をさせてもらっていて、静枝さまの身の回りのお世話をさせていただいています」

 歩きながらしゃべり、二人は勝手口から屋敷に入った。

 台所の土間でポンプから水を汲み、履き物を履いていなかったるりあの素足を濯いだ。

 草履を脱いだ瑶子はるりあと共に床に上がった。

 冷たい廊下。

 屋敷の中は静まり返っていた。

 そこに響いた大きな声。

「だれか! 早くだれか来て頂戴!」

 幼い少女の声だ。

 瑶子はるりあの手を引いて早足で歩いた。

 開いた襖[ふすま]から廊下に顔を出しているのは、美咲だ。歳は五つだが、見た目は十[とお]ほどに見える。

 駆け寄ってきた瑶子と美咲は目が合った。だが、目はすぐにるりあに引かれた。

「だれその子?」

 不機嫌そうな声音だ。

「るりあちゃんです。さっきお友達になりました。それでご用はなんですか?」

 瑶子は尋ねた。

「虫ピンを切らしてしまったの。新しいのなかったかしら?」

「う~ん、探してみないとわかりません。でも今はるりあちゃんを静枝さまのところへ連れていかなきゃいけないので、あとでよろしいですか?」

「あとでもいいから急いで」

 無愛想に言うと、美咲は自室に入って襖を閉めてしまった。

 閉まった襖に瑶子は声を掛ける。

「菊乃さんにも伝えておきます。それでは失礼いたします」

 軽く頭を下げた瑶子。

 再びるりあは瑶子に連れられ歩き出した。

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