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あやかしの棲む家  作者: 秋月瑛
其之肆 「紅い世界」
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其之肆 「紅い世界(5)」

 美花は読み終えた手紙を震える手で美咲に返した。

「信じられません」

「何がかしら?」

「全てです」

「それが外の世界で過ごしてきた美花の反応というわけね」

 美咲は艶やかに笑い言葉を続ける。

「私もよ」

「え?」

「美花とは違う意味でしょうけれど」

「どういう意味ですか?」

「何が信じられないか具体的に言ってご覧なさい」

 少し高圧的な言い方だった。

「何よりも母が物の怪だなんてそんなこと」

「私はありえないことではないと思うわ。私が疑っているのはそこでなく、手紙を書いたのが本物の母かどうかという根本的な話。母ではないのなら、誰が書き、私たちに何をさせようとしているのか。ねえ、美花は自分のことを人間だと思っているのかしら?」

「……わたしは」

「外で過ごしてきて、感じることがあったでしょう?」

「人間です」

「嘘ばっかり。そんな自信のなさそうな顔しないで頂戴。私は別に自分が何者であろうと関係ないの。もしも母が物の怪で、その腹から生まれたのが私たちだとしても、何か困ることがあるかしら?」

 生まれてからずっと美咲はこの屋敷で過ごしてきた。

 片や美花は外の世界で過ごし、この屋敷という世界に戻ってきたのだ。

 黙り込む美花。

 美咲は物悲しい顔で美花から視線を逸らした。

「私はこの屋敷での生活が嫌で嫌で堪らないわ。でもこの屋敷でずっと過ごしてきた私よりも、外の世界を知ってしまった美花のほうがずっと不幸だわ。ねえどうして戻ってきてしまったの?」

「お母様から大事な話があると手紙が届きました。とにかく実家に帰ってくるようにと。わたし嬉しかった、だってずっと想像してきたお母さまやお姉さまに初めて会えるのですもの。それがこんなことになるなんて」

 双子の姉妹の殺し合い。

「私も美咲のことを想像していたわ。双子というだけで何も知らないのに、なぜか大切に思っていたわ。きっとお母様のお陰ね」

 美咲の浮かべた笑みは苦笑と艶笑の狭間だった。

「お母さまのお陰?」

 尋ねてきた美花を鋭い視線で美咲は睨んだ。

「教えてあげるわ、お母様になんて言われて来たか。殺せ、殺せ、殺せ、双子の妹が目の前に現れた殺しなさい! 気が狂いそうになるほど、何度も何度も言われ続けてきたわ。私はその度に、洗脳されるどころか、反発心を覚えていったの」

「嘘ですそんなの!」

 あまりの美花の勢いに美咲は息を詰まらせ後退った。

 次の瞬間、美咲は急にどっと笑ったのだ。

「あはははは、なぜか安心してしまったわ」

「えっ、なぜ笑うのですか?」

「気にしないで……うふふ……本当に安心したわ。よかった、本当によかった」

 そして、表情を一変させて美咲は真顔になったのだ。

「何があろうと美花のことは私が守るわ。美花はただひとりの双子の姉妹。私の一部と言ってもいい存在だと確信したわ」

「お姉さま……」

「だから美咲は私のことを信じなさい、何があろうとも、何が起ころうともよ」

 それは〝何か〟をする宣言とも取れた。

「私はお母様を殺すと決めたわ」

 美咲の衝撃的な発言に美花は言葉を失ったのだった。


 静枝は臨月を迎えたお腹を摩りながら、祠の中で香を焚き、待ち人が姿を見せるのを眺めていた。

 祠にやって来たのは菊乃だった。

「お待たせいたしました。このような場所で、どのようなご用件でございますか?」

「誰にも邪魔されない場所で、あなたと向き合って見たかったのよ。この場所なら大丈夫でしょう、あなたが知っていることをすべて聞かせて頂戴」

「…………」

「黙りね。あなたはわたしが生まれた時にはすでに屋敷にいたわ。それを言うなら、瑶子も同じだけれど、あなたと瑶子は明らかに違う目的で存在していると思うのよ。この屋敷の中でもっとも異質なのはあなただと思っているわ。おそらくあなたは多くの秘密を知っている。にも関わらず、あなたは黙して語らず。でもそれを許すのも今日までよ。もう背に腹を変えられないの。どんな手段を講じようとあなたの口を割らせるわ」

「…………」

 菊乃は黙ったまま。

 静枝はそっと菊乃に近付き、その首に手をゆっくりと伸ばした。

 まったく動じない菊乃。顔色一つ変えない。

 か細い首が静枝の手によって絞められた。

 菊乃の黒瞳に映る女の顔。

「いやっ!」

 静枝は怯えて菊乃から離れた。

 蒼い顔をして脂汗を滲ませた静枝は咳き込んだ。立場が逆の反応だ。

「大丈夫でございますか静枝様?」

「うっふふ……わたしのほうが心配されるなんて。あなたが動じないことはやる前からわかっていたわ。あなたは例え躰をばらばらに切り刻まれようと、絶対に口を割らないでしょう。だからあなたから何か訊くことを諦めていたのよ。でもお願いよ、お願いだから、あなたの知っていることを聞かせて頂戴。生まれてくる娘たちのためなのよ!」

「…………」

 無機質な表情のまま菊乃は何も返さなかった。

「あなたしかもう頼れないのよ!」

 必死さは痛いほど伝わってくる。

 静枝は肩を落とした。

「あなたは何を頑[かたく]なに守っているの。なにが目的なの?」

「わたくしに与えられた使命は、生まれてくる子供たちを見守り続けることでございます」

「双子の姉妹が殺し合いをしようと、見守り続けるだけなのかしら?」

「はい、わたくしは能動的に干渉することができません」

「あなたの行動は制限されているということ? 誰の意思で?」

「…………」

 また黙ってしまった。

 静枝は考えた。

「能動的と言ったわね。とても意味深な言葉だわ。誰かの働きかけがあれば、あなたは行動することが可能ということよね? けれど、私がいくら頼んでも口を割ってくれない。わたしの命令では駄目なのね。あなたにとってわたしは仕える主人ではないということでしょう?」

「わたくしの主人は静枝様でございます」

「でも何でも言うことを聞いてくれるわけはないのでしょう。名ばかりの主人だわ」

 屋敷にいることが当たり前のように菊乃は存在していた。静枝が生まれたときにはすでにいた。いつから菊乃が屋敷にいるのかはわからないが、それはあまりに当たり前すぎる流れの中で、静枝はいつしか菊乃の主人となっていた。

 菊乃はいつ静枝を主人と認めた?

 それは智代が此の世からいなくなってからか?

「わたしはいつからあなたの主人になれたのかしら?」

「此の世に生を受けた瞬間からでございます」

「えっ」

 静枝は驚いて息を呑んだ。彼女が予想していた答えとは違ったのだろう。

「わたしはてっきり母が死んだときだと思っていたわ」

「そのとおりでございます」

「あなたの答えでは矛盾が生じるわ。けれどあなたが嘘をついているとは思えない。……母はいつ死んだの?」

 その質問は静枝にとって認識の崩壊をもたらすものだった。

 この目で見てきた母、自分を育ててくれた母、生まれた時にそこにいた母。菊乃の言葉によって、思い出したように理解してしまったのだ。あれは母ではなかったと。

 静枝は大きな誤解をしていた。

 主人となったのは母の皮を被ったアレが死んだときではなかった。

「先代の智代様は静枝様と静香様をご出産して間もなく、お亡くなりになりました」

 菊乃の答えに静枝は戦慄した。

「なにが原因で死んだのか言いなさい!」

 出産による死亡事故と考えるのが普通だが、この屋敷で起きていたこと――母が母ではなかったことを考えると、そこに因果関係を見いだそうと考えてしまう。

 答えない菊乃をさらに静枝は大声で問い詰める。

「あの化け物に殺されたのでしょう! そして母はあの化け物に取って代わられたんだわ!」

「それは断じて違います」

「だってそうでしょう、そうとしか考えられないじゃない! 何が目的なの、あなたもあの化け物の仲間なの!」

「それも断じて違います」

 取り乱す静枝と、淡々とする菊乃。

 あまりの温度差の違いに静枝も冷静さを取り戻そうと、顔を押さえて瞳を閉じた。

「そうね、わかっているわ。あなたがあの化け物の仲間ではないことは、化け物に殺されそうになった静香を救ってくれたことを考えれば。本当に嫌な世界だわ、なにを信じていいのかわからないわ。仇なす者と当たり前のようにいっしょに暮らしてるなんて。あなたも瑶子も、明確に仇なす者とわかったら殺しているところよ」

 静枝は呼吸を置いた。

「話を戻しましょう。母がなぜ死んだのか答えて頂戴」

「自らの意思でございました」

「生んだばかりの我が子を残して死ぬなんてわたしには考えられないわ」

「そうしなければならなかったのでございます」

「なぜ?」

「…………」

「大事なところでは黙ってしまうのね。それは生まれて来た子供に関係することかしら?」

「…………」

「本当に隠そうとするのなら、黙さずに嘘をつけばいいわ。それがあなたにできる最大限の譲歩と受け取ればいいのかしら」

 ふっと静枝は静かな笑みを浮かべた。

 急に哀しげな表情をした静枝は自らの大きなった腹を擦った。

「わたしが生まれたばかりの我が子を残して死ぬとしたら、それは我が子のためだわ。こんなにお腹が大きくなっているのに、まったく動かないのよ……不思議よね」

「…………」

「生まれてくる娘たちが死産であることと関係があるのかしら?」

「…………」

 静枝の衝撃的な発言。表情を崩さない菊乃は、知っていたのかいないのか。

 懐から手紙を出した静枝はそれを菊乃に手渡した。

「母がわたしたち姉妹に残した手紙よ。この祠で見つけたわ――〝香る枝〟の下で」

 菊乃は受け取った手紙の中身を確認しはじめた。呼んでいる最中も表情は変わらない。手紙に書かれている内容、果たして菊乃はどこまで知っているのか。

 手紙を読み終えた菊乃はそれを静枝に返した。

「ここに書かれているとおり、智代様も出産を不安がり、死産を恐れておりました」

「それで実際に死産だったのかしら?」

「お聞きになられたらどうなさいますか?」

「あなたにしては珍しい返答ね。わたしはそれでも娘たちを生むわ。そして、もしものことがあれば最善の方法を探すでしょう。これで満足なら訊かせて頂戴」

「死産でございました」

 静枝は驚くことはなかった。悲しい表情もしなかった。受け入れる覚悟はできていたのだろう。冷静だった。

「生まれてきたわたしたちは死産だったのに、なぜわたしは生きているのかしら。なぜ母は死ななければならかなかったの、なぜ母の化けの皮を被ったモノが現れたの、それらは糸で結ばれるのかしら?」

 菊乃は何も答えず静枝は言葉を続ける。

「ここであなたの知る全てを聞き出せれば、呪いは解くことはできるのかしら?」

「残念ながら、静枝様に呪いを解くことはできません」

「断言するのね。できないと言えると言うことは、あなたはやはりいろいろと知っているのね。そして、知っているにもかかわらず、あなたの知ることを聞き出せても解くことができない。それは絶対に呪いは解けないという事かしら?」

「わたくしは解けると信じております」

「でもわたしには無理なのね。だとしたら、誰なら解けるのかしら?」

「わたくしに与えられた使命は、生まれてくる子供たちを見守り続けることでございます」

「あなたの目的が見えてきて良かったわ。ありがとう。もっと早くあなたと向き合えば良かったわ。ここでの暮らしは本当に嫌になるわ、毒されていくことにも気づけなければ良かったのに」

 静枝は優しい笑みを菊乃に送った。

 菊乃は相変わらずいつもと同じ表情だったが、今の静枝には別人のように映っていた。

「静枝様に呪いを解くことはできませんが、その行動が未来を変えることになるのでございます」

「そんな言葉をもらわなくても、わたしは最期まで抵抗を続けるわ。けれど、わたしに万が一のことがあった場合、頼まれて欲しいことがあるの……うっ!」

 静枝の腹が波打ちように揺れた。

 地面に落ちた大量の水。

 それは静枝の股から垂れ流れてした。

 静枝が動こうとすると、再び股から水が――破水だった。

 すぐに菊乃が静枝の体を支えた。

「出産の準備をいたします」

「まだよ、話が先よ、絶対に今言わなければ手遅れになるかもしれない!」

「これだけの破水の量、時間はあまりございません」

「わたしに万が一のことがあった場合、娘たちを――」

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