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あやかしの棲む家  作者: 秋月瑛
其之肆 「紅い世界」
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其之肆 「紅い世界(4)」

 生まれてくる娘たちへ

 この手紙を読んでいるのが娘たちであることを願います。

 そして、この手紙がまだ存在しているということは、未だ一族は呪われたままであり、私の抵抗も成就せず、最悪の結果の代償として私は此の世にいないでしょう。

 万が一、あなたたちの前に母と名乗る存在がいたとしたら、今すぐにそいつを殺しなさい。そいつは私の皮を被った物の怪だからです。

 私の母もそうでした。私が生まれた時にはすでに遅く、母は母の皮を被った物の怪だったのです。そうと気づく前から私は母を疑っていました。それが確信へと変わったのは、本物の母が残した手紙でした。私は母に習い、あなたたちの手紙を残すことにしたのです。

 私は母と同じ場所にこの手紙を残しました。その場所がこの屋敷の中でもっとも安全な場所だからです。物の怪たちは例え手紙があの祠にあると知ることができても、直接手を出すことはできません。しかし、私の危惧するところは、間接的な方法を用いてこの手紙が物の怪の手に渡ってしまうことです。そうなれば、この手紙を残す意味も失われ、さらに最悪な事態を招いてしまう。過酷な運命をさらに私の娘たちに背負わせてしまうのではないかと、心が痛むと共に恐怖を感じるのです。

 あなたたちも知っての通り、我が一族は呪われています。それが自然によるものではなく、意図的なものであることは明白ですが、誰が何の為に呪いをかけたのかまではわかりません。原因を究明しようと今も奔走していますが、何の糸口も見つからない状態です。

 あなたたちが現在、どのような状況に置かれているか、それは現在の私にはわからないことです。しかし、この手紙があなたたちの手元、あるいはどちらか一方の手という可能性もありますが、そうであった場合、私の計画の一つは失敗した可能性が高いと言うことです。そこから導き出される未来の可能性は、一族が歩んだ道の繰り返しであろうということです。

 姉妹で殺し合いを命じられてはいませんか。もしそうであるならば、絶対それはしてはならないことです。それは呪いを繰り返すことにほかならないと私は考えるからです。呪い云々よりも、我が子が殺し合いをするなど私には耐えられない。どうかお願いですから早まった真似はしないでください。母の切なる願いとしてどうか聞き届けてください。

 双子の片割れを殺し、その肝を喰らわなければ数年と生きられないと脅されたと思います。残念ながらそれは事実です。死期を受け入れることが酷であることは十分承知しています。それでも姉妹で殺し合うなどということがあって良い筈がないのです。

 殺し合いを命じた者はあることをあなたたちに告げていないと思います。万が一、殺し合いが現実のものとなってしまった場合、生き残ったひとりはどうなのでしょうか。私はそれを知っています。急激な老化は治まりましたが、決められた死期は数年延びたにすぎなかったのです。たとえ殺し合いをしても、六年も生きることができないと忠告しておきます。

 なにもしなければ三年、殺し合いをしても六年。それが一族の呪いなのです。なぜ死期が決まっているのか、そこまではわかりません。もしかしたら、それこそが呪いを解く糸口なのかもしれません。だからあなたたちには最後まで諦めないで呪いを解く方法を探して欲しい。それを成就できなかった母を許して欲しい。この手紙が存在しているということは私の代で呪いを断ち切れなかったということ。本当に本当にごめんなさい。

 口頭でこの思いを伝えられていないということは、さらに早く六年も経たずに死んでいることになります。

 偽物の私があなたたちの前にいることを想像すると、悔しくて悔しくて


 静枝は書き途中の手紙を涙で滲ませた。

「こんな手紙!」

 破り捨ててしまおうかと思ったが、すぐに思いとどまった。

「こんな手紙……書きたくないわ」

 手紙は最悪の事態が起きた未来へ託すもの。まだその未来は訪れていない。抵抗の最中に、悲観的な未来へ事を綴ることに静枝は憤りを感じたのだ。

 しかし、静枝は手紙を書かなくてはいけないことを承知していた。母がそうしたように。自分にもしもことがあった場合、手紙を残しておかなければ未来は過去と同じ道を辿ることになってしまう。

「静枝さん、いるかしら?」

 部屋の外の廊下から慶子の声がした。

 静枝は書き途中の手紙をそっと隠した。

「どうぞお入りになられて」

 廊下に向かって投げかけると、慶子が部屋の中に入ってきた。

 机に置かれている墨の入った硯[すずり]と筆に慶子は気づいたようだ。

「また手紙を書いていたの?」

「ええ」

「今度の文通相手は誰ですの?」

「こないだも話した古本屋の店主よ」

「あなたに気があるっていう? 送ってきた写真を見る限り、いい男ですわよねぇ。あたくしもまた文通をはじめようかしら」

「それなら古本屋の店主は慶子さんに譲るわよ」

「嫌ですわ、静枝さんよりもいい男を見つけてみせますもの」

 慶子は笑って見せた。

 この屋敷の呪縛がある限り、外の人間とのやりとりは文通が有効な手段だった。

 笑顔の慶子とは対照的に、静枝は悲観的な瞳をしていた。

「聞いてもいいかしら?」

「世界の終わりみたいな顔をして、嫌ですわぁ。なんですの?」

「なぜこの屋敷に来てくれたのか今でも信じられないわ。あなたのようなひとが」

「手紙にも書きましたでしょう。どんな犠牲を払おうと、研究者として探求の欲望に勝てなかったからですわ」

「私は手紙にしっかりと、一度この屋敷に足を踏み入れれば決して外の世界には戻れないと――。外の世界で育ったあなたにとっては、不便以上に過酷であった筈だわ。それでもあなたは来てくれたわ」

 手紙のやり取りによって慶子はこの屋敷に来た。

 研究者と自ら言っていたが、その目的はなんだろうか?

 慶子は春の木漏れ日のような笑顔を浮かべていた。

「あなたには騙されましたわ。一生出られないと覚悟してきたら、それが嘘だっただなんて」

「たしかに容易ではないとはいえ、外に出る方法は存在しているわ。けれど外に出られない覚悟を持つほどの方でなければ、この屋敷ではやっていけないと思ったのよ」

「あたくしからも聞いてよろしい?」

「なにを?」

「なぜ静枝さんはこの屋敷を出ないんですの?」

 静枝は度肝を抜かれたように困惑した。

 俯いた静枝は数秒黙り込んだのち、口を開いた。

「一刻も早くこんな屋敷から逃げ出したいわ。けれどわたしは外の世界が怖いわ。わたしを受け入れてくれるのか、それよりもわたし自身が受け入れることができるのか」

「あたくしが連れ出してあげますわよ」

「なにもかも捨てられるものなら捨てて逃げ出したわ。けれどわたしにはこの屋敷でやるべきことがあるわ。そのためにあなたにも来て貰ったのですもの」

 慶子は自らの意思でこの屋敷に来たが、呼んだのは静枝だった。

 表向きの理由として静枝は菊乃や瑶子にこう話していた。生まれてくる子供たちの家庭教師よ――と。しかし、慶子を呼んだ真の目的は別にあった。

「何か用事があってわたしに会いに来たのでしょう。もしかしてなにか進展があって?」

 文通の話から広がってしまったが、慶子が静枝の部屋を尋ねてきた理由があるはずだった。

「正直、手詰まりですの。過去の文献や手紙など、この屋敷に何も残っていないのが不思議で仕方ないですわ。だってこんな重大な事、何かしらの形で後世に伝えるのが普通ですわよね?」

 何も残っていない。静枝は母からの手紙のことを慶子に伝えていないのだ。

「一族の呪いについては口伝でしか伝えられていないわ。それも偽物の母からしか」

 そう答えながら静枝も疑問を持っていた。

 母――智代と同じように後生に伝えようとした者はほかにいなかったのだろうか?

 いた可能性はあるだろう。ただし、智代がそうしたように、公に伝えることはできなかったはず。未だ見つからないままになっている過去からの手紙が存在しているかもしれない。

 もしくは――。

「処分されたと考えるのが妥当だわ」

 と、静枝は囁いた。

 偽りの母。それは真実を隠そうとする存在。そのような者が過去の手紙などを残しておくはずがなかった。

 静枝は唇を噛み絞めた。

「殺さないでもっと聞き出せばよかったわ。でもあの時はそんな余裕なんてなかったのよ」

 アレが一族に呪いを掛けた張本人だったのか?

 未だ呪いは解けず。

 母に成りすましていたアレを殺しても、なにも変わっていない。

 屋敷で生き残っている静枝は妊娠をした。

 なにも変わらないのであれば、双子を出産すると決まっている。

「過去を悔やんでも仕方がありませんわ。静枝さんは過去に干渉することができて?」

「過去は変えられないから未来を変えろといいたいのかしら? そうね、そうするつもりよ、生まれてくる娘たちのために」

 大きなお腹に手を置いた静枝を見つめる慶子。

「まだ聞いていないことがありましたわ」

「なにかしら?」

「なぜ双子の姉妹が生まれるかわからないんですの?」

「わからないわ」

「そこに呪いを紐解く糸口があると思いませんこと? 父親は誰ですの?」

「……父親」

 静枝は呟いて黙り込んだ。

 この屋敷に男はいない。

 文通相手や屋敷に町からの荷物を運んでくる者たち、その程度でしか静枝は男を知らなかった。

 静枝にとって男は非現実にも等しい存在だった。

 では、どうやって妊娠をしたのか?

「父親はいないわ。ある日突然妊娠したのよ。それが外の世界では考えられないことで、おろらく不気味な事とされるのは承知しているわ。けれど、この屋敷で過ごしてきた私にとって、外の常識など関係ないの。この屋敷で起こっていることがすべてなのよ」

 照らし合わせる常識がなければ、疑問の余地もない。

「本当に父親はいないんですの?」

「それは……」

「本当は何か心当たりがあるのではなくて?」

「…………」

 静枝は黙してしまった。

 そして、苦悶の表情を浮かべたのだ。

「生まれてくる子供が人間の子だと思う?」

 不安そうな眼差しで静枝は尋ねた。

 瞳に映っているのは慶子だったが、問うたのは自分自身かもしれない。

「なぜそう思うんですの?」

「外の常識なんて関係ないと言ったのは嘘よ。わたしは外の常識を恐れているだけ。だってわたしは人間なのよ、誰がなんと言おうと得体の知れないあんなモノたちとは違う。自分の子供が自分の子供とは思えない。わたしの躰から生まれてくるにも拘わらずよ。恐ろしいわ、なにが生まれてくるのか恐ろしくて堪らない。それとは裏腹にお腹が大きくなる度に、娘たちを愛おしく思うの。誰の子かなんて考えたくもない。わたしの子というだけでいいの。父親なんてはじめから存在しないほうがいいわ。もしも父親が……考えたくもないわ。そんなことあってはならないことなのよ」

 静枝の視線は泳ぎ、挙動不審になっていた。

 慶子は静枝の顔を押さえて自分に向けさせた。

「目を背けては何も変えられませんことよ。父親は誰ですの?」

「……わからないわ。本当にわからないの。ある朝起きたら、紅い血で汚れていたの。なにがあったのかは覚えていないのよ。わたしは怖くて、できる限り考えないようにした。でも月日が経って、妊娠を認めざるを得なくなった」

「父親は誰ですの?」

「わからないわ!」

 静枝は大声を張り上げて慶子を突き飛ばした。

 畳に腰を打ち付けた慶子を見ても静枝は治まらなかった。

「出て行きなさい、あなたの顔なんて見たくないわ! 消えなさい、消えるのよ!」

 鬼の形相をして怒鳴り散らした静枝。

 慶子は何も言わず部屋を出て、背中を向けてふすまを閉じた。

「父親が誰かなんて重要ではないわ。だってあんな顔をする女から生まれた子供が人間だと思って? うふふふふっ」

 小さく小さく呟いた慶子は嗤いながら廊下の闇へ消えた。

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