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あやかしの棲む家  作者: 秋月瑛
其之肆 「紅い世界」
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其之肆 「紅い世界(3)」

「どうかなさいました静枝様?」

 部屋に入ってきた菊乃が見たものは、蒼い顔をした静枝だった。

「なんでもないわ。少し疲れているようね、いつの間にか寝てしまって悪夢を見るなんて」

 静枝の顔は蒼いだけではなかった。少し頬がこけている。目の下には隈がある。疲労は今にはじまったことではなく、蓄積されているものようだ。

「あまり無理をなさらぬように、生まれてくる子供のためにも」

 そう言ってお辞儀をして部屋を出て行こうとする菊乃に、少し驚いた顔をして静枝が呼び止める。

「貴女には冷たい印象を受けていたけれど、そういう気遣いもできるのね」

「静枝様に冷たい態度を取った覚えはございませんが?」

「表面的にはそうかもしれないわ。仕事をそつが無くこなし、わたしの身の回りの世話もしっかりしてくれている。気が利くほうだとも思うわ。けれどそれらすべては、感情を交えず規則どおりに物事を処理しているように感じていた」

「不愉快な思いをさせてしまったのなら、申しわけございません」

「別に謝らなくてもいいわ。貴女はそういうものとして見ているから。けれど先ほどの貴女からは感情が伺えたわ」

 今の菊乃は無表情だった。

「仕事がございますので失礼いたします」

 それはまるで逃げるような立ち去り方だった。

 静枝は微笑んだ。

「菊乃にも照れると言うことがあるのかしらね、知らなかったわ」

 静枝は机の本を少し持ち上げ、その下に隠してあった手紙をそっと滑らせ抜き取った。

 手紙は最近書かれたものではなく、静枝が書いたものでもない。記されてした署名は智代の名だった。

 同じ家にいながら手紙を書く理由は、口頭では伝えづらい、あるいは伝えられないことを形として残すため。

 いったい智代は何を伝えたかったのか?

 この手紙は誰に宛てた物だったのか?

 手紙の文末には署名。冒頭には宛名が書かれていた。

 ――生まれてくる娘たちへ。

 冒頭にはそう書かれていたのだ。

 つまりこれが書かれたのは、静枝が生まれる以前である。そして、双子が生まれることを承知していたことになる。

 手紙の上に置かれた静枝の指の間から見える文字。

 ――これを読んでいるのが娘たち、もしくはその子孫で。

 ――私は此の世に。

 ――呪縛から逃れる術を。

 手紙は数枚に及ぶ長いものだった。

 静枝は手紙を元の通りに折りたたんで、本の間に挟んだ。そして本は机の引き出しへとしまわれた。さらに引き出しは鍵を厳重に掛けられ封じられた。

 大きく膨らんだ腹を抱えて、静枝はゆっくりと膝を伸ばして立ち上がった。

 おぞましい寒気。

 恐怖に顔を引き攣らせながら静枝は素早く振り返った。

「きゃぁっ!」

 短く悲鳴をあげた静枝が見たものは、畳にできた血溜まりだった。

 それは決して幻覚などではなかったが、血溜まりにはほかになにもない。血を流したモノがいないのだ。

 静枝は目を閉じ、ゆっくりと目を開けた。

「よくもわたしを殺したなッ!」

 眼前に飛び込んできた血みどろの狂気に駆られた女の顔。

 思わず静枝は腰を抜かして尻餅をついてしまった。

 その一瞬の間に女の顔は消えた。

 脂汗を拭った静枝は急いで立ち上がり部屋を飛び出した。

 そのまま屋敷も飛び出し、壁に立て掛けてあった鍬[くわ]を土などを運ぶ深型の荷台がついた一輪車に乗せ、ある場所へと向かった。

 屋敷からだいぶ離れた場所――広大な庭の片隅に七五三縄[しめなわ]の巻かれた岩があった。

 静枝は両手で力一杯岩を動かし、その地面を鍬で掘り起こしはじめた。

 なにかに取り憑かれたように、妊娠した躰に鞭打ちながら静枝は黒土を掘り起こす。

 鍬が硬い物に当たった。

 黒土の隙間に見える白いもの。

 次々と出土するそれを静枝は掘り出した。

 それは骨だった。

 人間の骨――いや違う。

 放り出され転がっている頭蓋骨が人外であることを示していた。

 角だ、額から小さな角が二つ生えている。

 そして、この人外の死因はおろらくこれだろう。側頭部にある陥没した打撃痕だ。

 静枝は一輪車に骨を乗せて屋敷へと戻る。

 勝手口の前に一輪車を止めた静枝は屋敷の中に入り、しばらくすると大風呂敷と鉄槌を持って帰って来た。

 骨は大風呂敷の上にぶちまけられた。

 鉄槌を振り上げた静枝が一心不乱に骨を砕く。

 砕く!

 機械的にその作業をこなしているわけではない。

 ぞっとするような強烈な恐ろしさを込めながら鉄槌を振り下ろしているのだ。

 作業は数時にも及んだ。

 その間、静枝はひと時も休まず重い鉄槌を振り続けた。

 砕いた骨は台所へと運ばれた。

 かまどに火が付けられると、骨の欠片がその中に焼[く]べられた。

 火は古来から破壊と清浄の象徴である。

 骨は灰とまではならなかったが、それでも静枝は満足したようだ。炎の消えたかまどから骨を取り出して風呂敷に包んだ。

「まだよ」

 呟くと静枝は駆け出してどこかへ向かった。

 静枝の消えた台所に現れる影。

「存在していないモノへの怯えは、灰にしようと変わらない」

 女の眼が眼鏡の奥で妖しく輝いた。

「慶子様、夕餉[ゆうげ]の準備はまだしてございませんが?」

 菊乃の声が響き、慶子は柔和な顔をして振り返った。

「少しお腹が空いてしまって。育ち盛りなのかしらねぇ」

 おどけて見せる慶子は自らの豊満な胸を持ち上げた。

 軽い足取りで台所を出ようとする慶子。

「やっぱり夕飯まで我慢するわ。では」

 慶子の背中を見つめる菊乃の瞳は無機質だった。

 そして、すぐに静枝が壺を抱えて戻ってきた。

「そこを離れなさいすぐに!」

 いきなりの怒声。

「申しわけございません」

 頭を下げた菊乃は素早くその場から離れた。

 少し離れた場所から静枝を見守る菊乃。

 一心不乱の静枝は先ほどの風呂敷包みを壺に押し込めていた。

 すでにこのとき、静枝の眼中に菊乃はなかった。

 壺のふたが閉められると、そこに御札で封をされ、さらに布で壺を覆うと麻紐で厳重に縛られた。

 これで終わりではない。

 壺を抱えた静枝は再び外へと向かったのだ。

 行き先は先ほどと同じ場所。

 盛り上がった土の横に穿たれた地の底に壺が収められた。

 壺に土が次々と被せられる。

 重労働を苦ともせず、休まず静枝は穴を埋めた。

 埋めた穴は全力を持って踏み固められ――いや、蹴り固められた。それほどまでに力が走っていた。

 夕暮れの朱色が静枝の顔に差す。

 何時間にも及んだ作業はついに終わりを迎えようとしていた。

 静枝は全身の体重を掛けて岩を動かした。

 岩は埋められた穴の上へ。

 七五三縄の巻かれた岩が最後の封となった。

 大きく息をついた静枝。

 歩き出した静枝は屋敷には戻らず、鳥居に向かっていた。

 石で築かれた鳥居の先には祠がある。

 祠の中は広く、天然の洞窟を元に作られたらしい。

 静かで冷たい空気に満たされている。

 静枝は祠の奥へと進み、祭壇までやって来た。

 祭壇は石造りで、その上には銅鏡と香木が備えられていた。

 よく見ると祭壇の脇には引きずったような跡がある。この祭壇は動くのだ。

 静枝は祭壇を力一杯押した。

 その下に現れた空洞。子供がひとり膝を曲げて入れるくらいだろうか。

 中にはいくつかの物が収納されていた。

 額に入れられたセピア色の写真。そこに映っていたのは和服を着た一〇代後半とおぼしき女。なんと女の額には二本の角が生えていた。

 屋敷の閉ざされた部屋に貼られている御札と同じ物の束。

 そして、なぜか入っている煙草の空き箱。

 ほかにもいくつかの物が入っているが、静枝はその中から短剣を取りだした。

 祭壇の上にある香木を短剣で削ぐ。欠片は手ぬぐいで包み懐に収められた。

 短剣と祭壇を元に戻すと、静枝は早々にこの場から立ち去った。

 祠を出ると、東の空が蒼く染まっていた。

 屋敷へと戻った静枝は自室に籠もり、香を焚く準備をはじめた。

 香炉に入った灰の中心に穴を開け、そこに炭団[たどん]を熾した物を入れ灰を被せる。

 銀葉と呼ばれるものを灰に乗せ、さらにその上に香を乗せる。銀葉とは雲母の板で、雲母は絶縁体であるために、香が燃え上がらないように直接熱を伝えにくくする。銀葉と炭団の位置を調節することで、香りの量を決めることが可能だ。

 香は不浄を払い、心を鎮めるために用いられることがある。西洋では振り香炉が宗教で用いられている。

 静枝の表情は鎮まりとはほど遠く、恐ろしく歪んでいた。

「母の皮を被っていたモノは死んだのに、一族の呪いは未だ続いているのはなぜ?」

 自らに問う独り言。

「なぜ双子が生まれ、なんのために……繰り返す運命の糸をどこかで切らなくては。すべては生まれてくる愛しい子らのために」

 静枝は机に向かって筆を執った。

 書こうとしているものは手紙であった。

 宛名は――生まれてくる娘たちへ。

 その書き出しは智代からの手紙とまったく同じだった。

 手紙を書いていると、廊下から声がした。

「失礼いたします静枝様。夕餉の準備が整いましてございます」

「すぐに行くわ」

 筆を置いて書き途中の手紙をその場に残し静枝は立ち上がった。

 香り纏いながら静枝は部屋を出た。

 食卓に着くと食事の準備はひとり分――静枝の物だけ。

「慶子さんは?」

 と静枝が尋ねると菊乃が、

「忙しいので自室に食事を運ぶように仰せつかりました」

「そう」

 短くうなずき静枝は席に着いた。

 その後ろではなにやら瑶子が菊乃に耳打ちをしていた。

「あの……急に気分が優れなくなってしまって」

 顔色が悪く今にも倒れそうだ。

「わかっております。もう今日は仕事をせず、部屋で休んでください」

「ありがとうございます。では一足先に休ませてもらいます」

 菊乃に言われ部屋を出て行く瑶子。

 そして、静枝が呟く。

「香に当てられたのね」


 美咲は自室に美花を連れてくると香を焚きはじめた。

 香りが部屋に漂いはじめると、美花は少し眉をひそめて苦しそうにした。

「どうしたの美花?」

「急にのどが苦しくなったような気がして。ごめんなさい、この匂い苦手です」

「私もよ」

「え?」

「私もこの匂いを不快だと思うわ。好きで焚いているわけではないのよ。邪魔者を寄せ付けないため」

 邪魔者とは何か?

「美花も気づいているでしょう? この屋敷に棲み着いた得体の知れないモノどもがいることを」

「物音や気配のことですか?」

「ほかにもいるわ――この香に反応するモノたちが。瑶子もお母様も鬼の子も、この匂いが苦手みたい。唯一なんともないのは菊乃だけみたいね。慶子先生はわからないけれど」

「それではほとんどみんな反応することになるのではないですか? だって、わたしやお姉さまだって」

「香にたいしてどのような反応を示すのが正常なのか、それはわからないわ。無反応の菊乃は明らかに可笑しいと思うもの。重要なのはどの程度の反応をするかよ」

 香を嫌う得体の知れないモノども。

 香を嫌う表の住人たち。

 だれもが嫌うものならば、それが正しい反応だと思えてしまう。

 美咲は薄ら笑いを浮かべて静かな面持ちで美花を見つめた。

「お母様や瑶子は、得体の知れないモノたちと同じくらいこの匂いが嫌いみたい。この意味がわかる?」

 意味はわかるが美花は否定せずにはいられなかった。

「そんなこと……瑶子さんやお母様は普通の人間……もしそうだとしたら、子供である私たちはいったいどうなるのですか!」

「私はこの屋敷でずっと育ってきたわ。外の人間のことなんて知らない。私は私でしかない」

「…………」

 美花は外の世界と接してきた。

 周りの人間たちと自分との比較を美花はしてきた。

 疎外感や恐怖心、自分がいったい何者であるのかという疑問が付き纏わない日はなかった。

 美咲は机の中から一通の手紙を取りだし、それを美花に手渡した。

「読むといいわ」

 手紙の宛名は――生まれてくる娘たちへ。

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