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あやかしの棲む家  作者: 秋月瑛
其之参 「土蜘蛛」
22/47

其之参 「土蜘蛛(完)」

 激痛と共に瑶子は目覚めた。

 自然と腹に手を伸ばすと――。

「きゃっ、血!?」

 じゅくじゅくと痛む腹の傷。深い傷はまるで刃物で斬られたようだ。

 そして、これはいつのことなのだが、寝る前に着た服が朝になると脱げてしまっている。菊乃に相談すると、寝相の悪さを指摘されたが、この傷は寝相の悪さだけでつくようなものではない。

「ううっ……とりあえず菊乃さんを探そう……」

 薄衣を羽織った瑶子は廊下に出た。

 菊乃は瑶子よりも早く起きているらしく、今の時間も自室ではなくどこかで仕事しているはずだった。

 とりあえず台所へ向かっていると、その途中で菊乃を見つけることができた。菊乃は廊下の拭き掃除をしている最中だった。

「おはようございます菊乃さん」

「おはようございます」

「あの……」

「血でございますね」

 菊乃の視線は瑶子の薄布に滲んだ血に向けられていた。

 ぱたりぱたりと、瑶子の足下に血が落ちる。まだ血が止まっていないらしい。

 菊乃は瑶子の足下を拭きはじめた。

「掃除したばかりなのですが……」

「ご、ごめんなさい! 自分で拭きますから!」

 瑶子は菊乃が持っていた雑巾を奪うように借りて床を拭きはじめた。けれど、拭いている最中も血が床に落ちてしまう。

 いつも表情の乏しい菊乃だが、今はその無表情さが呆れている顔に合致している。

「切りがございません。まずは傷の手当てをしましょう」

「ご迷惑おかけしてすみません」

「いつものことでございます」

 瑶子は菊乃に連れ添われて自室に戻った。

 全裸にされ横になった瑶子の傷口を菊乃は観察した。

「寝ながら料理でもしたのでしょうか?」

「あたしそんなに器用じゃありません」

「器用ではないから怪我をしたのでしょう。本当にあなたは寝相が悪い」

 寝相が悪いことは自覚をしている。起きると自室から離れた廊下などにいることはしょっちゅうだ。だとしても『斬られた傷』がつくだろうか。

「本当に寝ながら料理してたのでしょうか?」

「なにを料理するつもりだったかは存じ上げませんが、きっとそうでしょう」

「そうですかぁ?」

「そうです」

 納得はできないが、菊乃は言い切っている。真面目なそうな表情をいつもしているので、冗談なのかもわからない。

 瑶子の傷口に薬が塗られる。

「いたたた、それ染みます」

「傷が染みるのは当たり前でございます。傷は塞がりはじめているので、薬を少し塗り込んで布を当てておくだけにしましょう」

「痛いです、とっても痛いです、なにもしないほうが痛くなかったですよ」

「傷口が化膿するよりはよいでしょう?」

「……はい、そうですね」

 瑶子は押されるとなんでも認めてしまう。そういう性分だった。

 傷の手当てが終わると、早々に菊乃は部屋をあとにしようとした。

「それでは失礼いたします」

「もう行っちゃうのですか?」

「ご家族が起きてくる前に廊下を掃除しなくてなりませんから」

「それならあたしが……うっ」

 立ち上がろうとした瑶子だったが、傷口がずきりと痛んだ。

「痛みが治まるお休みください」

「いえっ、でも掃除させてください!」

「仕方がありませんね。しかし、あさげの支度はわたくしひとりで行います」

「すみません」

 こうして菊乃は朝食の準備を、瑶子は廊下の掃除に向かった。

 床に残っている血痕をすべて拭き取る。

 まだ乾いてない新しいものだ。

 しかし、その中にすっかり乾いて大きな血痕があった。

「あれ……これってあたしの血?」

 瑶子は濡れた舌を伸ばして、床の血痕を舐めた。

「やっぱりあたしの血じゃないなぁ」

 血の味でわかるものなのだろうか。もし本当に瑶子の血でないとしたら、いったい誰の血なのだろうか。

 掃除を終えた瑶子は雑巾を洗って干すと、やることもなくなり部屋に戻ろうとした。

 その途中で美花と出会った。

「おはようございます美花さま」

「おはようございます」

 そのまますれ違おうとしたが、急に瑶子は腹が痛んだ。

「うっ」

 小さな声だったが、美花は気づいたようだ。

「どうかしましたか?」

「いえ……ちょっと怪我をしてしまって……」

「怪我!? それは大変、少し見せてください」

「もう菊乃さんに手当はしていただいたので平気ですよ」

「自分で手当てできないほど酷い怪我だったのですか、どうしてそんな怪我を……」

「どうしてなんでしょう……起きたら怪我をしていて、寝相が悪いのはいつもことなのですけど」

 怪我の原因はまだはっきりとしない。

 美花は心配そうな顔をしていた。

「お部屋でお休みになってください。早く良くなってくださいね」

「菊乃さんからも休みようにいわれてますから。美花さまは本当にお優しいですから、そんなに心配しすぎないでくださいね、本当に平気ですから。それでは失礼します」

 長く話し込んでも美花を心配させるだけだと思って、瑶子は笑顔でその場を早々に立ち去った。

 自室に戻ってきた瑶子は、布団で横になることにした。

 じっとしていることは嫌いではないが、菊乃に仕事をすべて任せてしまったり、だれかに心配をかけることは申し訳なく思う。かと言って無理をして元気に見せ、もし悪化してしまったら逆に周りに迷惑をかけることにしなってしまう。瑶子は静かに休むことにした。

 まぶたを閉じると広がる闇。

 視覚が閉ざされると聴覚が研ぎ澄まされる。

 気配がした。

 屋根裏からの気配だ。

 その気配は移動を続けながら、押し入れで静かな物音を立てた。

 瑶子は目を開けてそちらを見た。

「おはようございます、克哉さん……でしたよね?」

「休んでるとこすみませんねぇ。なにか病気ですか?」

「ちょっと怪我をしてしまって」

「寝こむほどの怪我?」

「そんな大したことないんですよ。ただみなさんが休むように言うので、心配をお掛けしたくないので安静にしてして早く直したいだけです」

 克哉は一定の距離を保ちながら、その場で立ったまま話を続けてきた。

「それでどこを怪我したんで?」

「お腹が切れちゃってて、なんで切れてしまったのかわからなくて、菊乃さんは寝相が悪いからだなんて言うんですよ」

「ちょっと傷を見せてもらってもいいですか?」

「嫌ですよぉ」

「ですよね。怪我人なら休んでてくださいよ、ではまた」

 克哉は再び押し入れから屋根裏に戻ろうとした。

 そのとき、瑶子は克哉が手に巻いている布がふと見えた。朱い何かが染みていた。きっと血だろう。

 不思議に思いながらも、瑶子は深く考えずに目を閉じた。

 躰が傷を治すためだろうか、なんだかとても眠くなってきた。

 そのまま瑶子は自然に身を任せることにした。


 ――アツイ、アツイ、アツイ。

 そして、無数の叫び声。

 泣き叫んでいる。

 何かが何処かで絶叫をあげている。

 大量の汗を掻きながら瑶子は飛び起きた。

 部屋は暗い。

 胸騒ぎがした。

 瑶子は蝋燭台を持って廊下に出た。

 静かな廊下。

 すでに夜更けになってしまったらしい。

 ――タスケテ、タスケテ。

 瑶子の頭の中で言葉が木霊した。

 呼ばれている。何かに呼ばれている。

 廊下の先で轟々と燃え揺れる灯り。

 それが火事だと瑶子はすぐに悟った。

「なぜ、どうして……火事なんて……」

 ――アツイ、アツイ、カラダガモエル。

 また声が聞こえた。

 目の前の火事も気になったが、呼ばれている場所はそこではない。

 瑶子は廊下を掛ける。

 火の手は一つや二つではなかった。屋敷のあちらこちらから火がついている。

 普段は近付かない細い廊下。その先には離れの一つがある。鍵の掛かっている筈の扉が、今は開かれ中が赤く輝いていた。

 すぐさま瑶子は部屋の中に飛び込んだ。

 そこら中から絶叫が聞こえた。

 部屋中に張り巡らされていた糸が火の橋を描いている。

 繭玉が燃えている。

 いくつもある繭玉が燃え、中から黒こげになった何かが這い出してくる。

 それは這って瑶子の足下まで来た。そして、溶けて崩れかけている顔を上げたのだ。

「きゃあぁぁぁぁっ!!」

 瑶子は絶叫をあげた。

 見てしまった。

 醜く崩れた自分そっくりな顔。

 他の繭からも『瑶子』たちが燃えながら這い出してくる。

 業火に焼かれ苦しみ悶える自分と同じ少女たち。

 瑶子は助けることも見ていることもできす、その場から必死に逃げ出した。

 絶叫が木霊する。

 ――イカナイデ、イカナイデ。

 呪詛のように降りかかってくる言葉。頭の中でいつまでも響く。

 なにが起きたのかわからない。

 ただ、屋敷中に火が放たれ、このままでは屋敷が崩れ落ちるだけはわかる。

 瑶子はこの場所からもっとも近かった静枝の部屋に向かった。

 まだ静枝の部屋までは火の手が回っていなかった。

「静枝さま!」

 叫びながら部屋に飛び込んだ。

 そこで待ち受けていたのは瑶子には信じがたい光景であった。

 包丁を握った美咲が怯える静枝の元へにじり寄っている。

 静枝は眼を剥いてわなわなと唇を振るわせている。

「嗚呼、やはりお姉様はわたしのことを……靜香お姉様、お姉様、お姉様ーっ!!」

 静枝は息を呑んだ。

 心臓をひと突きした包丁。

 傷口から垂れてきた血が美咲の手を穢した。

 ぶしゃあああああっ!

 包丁が抜かれると同時に迸った黒い血。

 血に彩られた美咲は振り返った。

「あなたも今すぐ殺してあげる」

「ど、どうして……美咲さまが……」

 後退る瑶子。

 酷く躰が震えた。それは内からの振動。鼓動が激しく脈打っている。

 瑶子は心臓を押さえた。

 熱い。

 打ち震える心臓が熱い。

 呼吸もだんだんと荒くなっていく。

 耐え難い動悸。

 美咲は艶やかに嗤いながら近付いてくる。

「来ないで……くださ……い」

 今、自分を殺そうとしている者への恐怖ではなかった。

 瑶子が恐れていたものは――。

 まるで内側から喰い破られるように、瑶子の躰から毛の生えた八本の脚が飛び出た。

 美咲が飛び掛かってきた。

 しかし、脚の数でも、その長さでも瑶子が優っていた。

 美咲の躰は宙に持ち上げられながら八本の脚で捕らえられていた。

 今の瑶子には人間の二本の手と足が残っている。だが、もうそれらに感覚や機能は残っていない。

 それはまさに脱皮であった。

 瑶子の背が開かれ、中から巨大な大蜘蛛の尻が出た。

 それが元の躰のどこに収まっていたのか、瑶子の躰を遥かに凌ぐ大きさの大蜘蛛が姿を見せた。

 美咲は必死な抵抗を見せた。

「この化け物めっ!」

 振りかざした包丁が大蜘蛛の脚を一本落とした。

 怯むだ大蜘蛛は美咲を解放してしまった。

 すかさず美咲は再び大蜘蛛に飛び掛かろうとした。

 だが、そのときだった!

 燃える小蜘蛛たちの群れ、群れ、群れ。

 全身を赤く燃やした小蜘蛛たちが美咲の躰に群がった。

「ぎゃああぁぁぁぁっ!」

 小蜘蛛と共に炎に呑まれた美咲の断末魔。

 それを聞きつけ部屋に飛び込んできたのは克哉と美花だった。

「出たな大蜘蛛!」

「そんな……お母様、そこで燃えているのはまさか……」

 美花は立ち眩みがして床にへたり込んでしまった。

 短剣を抜いた克哉が大蜘蛛に襲い掛かる。

 糸が吐かれた。

 嗚呼、糸までも燃えている。

 炎を纏った糸が克哉の腕に巻き付いた。

「くっ、こんなやられ方って……」

 克哉を捕らえようとしたのは糸だけではなかった。

 足下から躰に登ってくる燃える小蜘蛛たち。

 大の大人の人影が燃え上がる。

 それは影絵か陽炎か。

 炎による虐殺の終幕。

 生き残った美花はその場から動けない。動かなければ、いつかは火に焼かれる。

 不気味な絶叫が木霊した。

 それは大蜘蛛の叫び。

 大蜘蛛のが背中に激しい衝撃を受けて床に腹をついた。

 噴き出す血が天井を彩る。

 大蜘蛛の背は巨大な刃によって叩き斬られていた。

「美花様さえ生き残れば、因果は続くのです。まだここで糸を断ち切られるわけには!」

 斧を振りかざす菊乃。

 だが、まるで刃のように鋭い大蜘蛛の脚が菊乃の胴を貫いた。

 菊乃は表情ひとつ変えなかった。

 そのまま斧は大蜘蛛の脳天を割った。

 大蜘蛛は息絶えた。斧が脳に達した刹那だった。

 菊乃の胴には脚が突き刺さったまま。どうにか抜こうとするが、引っかかって抜けない。

 火の手は広がり続けている。

 手を伸ばして菊乃は斧を握った。そして、胴に刺さる大蜘蛛の脚を切断した。

 そして、すぐさま美花に掛けようとしたときだった。

「美花様!」

 焼け落ちた天井が美花を押しつぶした。

 菊乃の瞳の奥で赤い炎がゆらゆらと揺れている。

 もう助からないかもしれない。瓦礫の衝撃、身を焼く炎、そうだとしても菊乃は美花を助けようとした。

 炎の中に手を突っ込み、瓦礫を退かして放り投げる。

「美花様、美花様!」

 瓦礫の隙間から美花の顔を見えた。

 ここまで来て菊乃は思わず手を止めてしまった。

 美花の顔半分を覆う火傷――それはまるで静枝の生き写し。

 動きを止めた一瞬が命取りになった。

 再び崩れ落ちてきた炎に包まれた瓦礫。

 菊乃までも潰され炎の餌食となった。

 それでもなお、微かな声が響いてくる。

「み……は……な……」

 屋敷が崩れ落ちる。

 炎が焼くのは住人だけではない。

 この屋敷の歴史も焼き払う。

 庭から業火に包まれる屋敷を見つめている女がひとり。

「結局、いつも最後は破壊で終わってしまうのね」

 つぶやいたのは慶子だった。

 その手には透明な小瓶が持たれており、その中には小蜘蛛が一匹入っていた。

 いつの間にか、この場にはるりあの姿もあった。

 るりあの視線は小瓶に注がれている。

 慶子は微笑んだ。

「欲しいならあげるわ」

「…………」

 るりあは奪うようにして慶子から小瓶を取り、そのまま駆け出して姿を消した。

「大事にするのよ」

 と、慶子の呟き声が響いたが、そこにはすでに慶子の姿はなかった。

 炎はまだ燃え続けていた。

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