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あやかしの棲む家  作者: 秋月瑛
其之参 「土蜘蛛」
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其之参 「土蜘蛛(4)」

 来る者は拒まず、去る者は逃がさず。

 またも誘われた若者がひとり。

 このまま囚われれば、捕食者によって狩られるだろう。

 弟が謎の失踪を遂げた。

 その当日の昼まで、連日に及び弟はある場所に通い詰めていた。

 里の者は無闇には近付かない。

 親から子へ、子から孫へ、幼い頃から言い付けられてきた。

 里の者が謎の失踪をしたと知れたとき、確証も証拠もなかったが、暗黙の了解として皆それを認識した。

 そして、兄の言葉によって、弟と屋敷の関わりが明らかになると、失踪した弟が咎められて自業自得とだれも口を揃えた。

 ある者は『なんてことをしてくれた』と、兄や残った家族を罵った。

 触らぬ神に祟りなし。

 類が及ぶことを恐れている。特に迷信深い老人たちは、残った家族を里から追い出せと言う者もいた。

 若かった兄はそれらに納得できなかった。

 弟がいなくなった悲しみや不安はだれも心配してくれないのか。それどころか、迫害まで受けている。

 あの屋敷がなんだというのだ。

 やがて兄の感情は怒りに染まり、ついに屋敷へ忍び込む決意をさせた。

 夜も更けた。

 垣根は難なくよじ登って越えることができた。

 問題は屋敷の中にどのようにして入ることができるのか。

 勢いに任せてしまったため、なんの準備も下調べもしてこなかった。

 しかし、玄関の戸に手を掛けると、静かに開いたのだ。

 それがまさか弟のときを同じとは知らず、兄は屋敷の中へと誘われた。

 弟をなんとしても連れて帰る。

 住人に見つかってしまったら仕方がない。住人と揉み合いになっても、住人を人質にしてでも、弟を捜し出す決意を兄はしていた。

 周りの者にはなにも言わせない。弟の心配をしてくれなかった者たちの心配などしない。ほかの者のことなど構いはしない。弟さえ無事に帰ってきてさえくれればそれでいいのだ。

 青年は廊下を進んだ。

 そして、妖しげな部屋を見つけた。

 赤い札で閉ざされた部屋。

 不自然なその部屋を見つけて、兄はこの中に弟が閉じ込められているのではないかと考えた。

 赤い札を剥がそうと手を触れた瞬間、火花が散って兄は大きく後ろに吹き飛ばされた。

 部屋の向こうから恐ろしい風の音が聞こえた。

 がたがたと激しく戸が揺れる。

 腰を抜かした兄は床を掻くようにして逃げ出した。

 しかし、前に進まない。

 藻掻けば藻掻くほど躰が何かに絡め取られる。

 恐ろしい気配で兄は寒気を覚えた。

 闇の向こうで何かが蠢いている。

 八つの眼がこちらを見ている。

「ぎゃああぁぁぁっ!!」

 兄は弟と同じ運命を辿るのか。

 大蜘蛛が兄のようすを伺っている。

 今宵の餌食はすでに巣に捕らえられ、逃げることも叶わない。

「た、助けて、助けて……」

 ぐしゃぐしゃの顔で涙を浮かべて兄は懇願した。

 大蜘蛛はすぐそこまで迫っていた。

 蠢く触肢。

 このままでは消化液が体内へと流されてしまう。

「この虫野郎……こうやって……こうやって弟のことも喰い殺したのか!!」

 大蜘蛛の動きが一瞬止まった。

 刹那、赤い札が破け飛び戸が開くと同時に強風が吹き荒れた。

 大蜘蛛が叫び声があげながら切り刻まれる。

 かまいたちだ!

 大蜘蛛は天井まで飛び上がり張り付いた。

 廊下の闇の中で『何か』が蠢いている。

 禍々しい鬼気を兄も感じていた。

 大蜘蛛にも勝るとも劣らない、『何か』恐ろしいモノがいるのだ。

 その『何か』と大蜘蛛が目の前で敵対している。おちらが勝つのか兄にはわからない。そして、どちらが勝っても運命は同じだと悟っていた。

 死に手招きされている。

 廊下の先から静かな足音が響いてきた。普段なら聞こえなかっただろうが、死を目前にした兄は感覚が研ぎ澄まされ、それを知ることができたのだ。

 やって来たのひとりの少女――菊乃。

「侵入者……まさか封印まで解けるとは厄介ですわね。本来なら解けるはずのない封印が解かれるとは、以前から綻んでいたとしか考えられない。だとするならば、それに築かなかったわたくしはなんたる過ちを犯したのか……ご主人様に申し訳が立ちません」

 菊乃は大蜘蛛と『何か』よりも先に、兄の前に立った。

「助けてくれ!」

 無意味と承知で兄は懇願した。

 しかし――。

 振り下ろされた斧。

 そして、鮮血が廊下を彩った。

 顔に迸った血など気にも止めず、菊乃は廊下の先に広がる『何か』を見つめた。

「どの道、近々あの部屋は開ける予定でございましたが――道理、すなわり理には道があるとのご主人様の教えでございました」

 斧が大きく振られた。

 ――束の間。

 その出来事は束の間で終わりを迎えたが、収集までには至らなかった。

 やがて時は経ち、朝を迎える。

 そこに『何か』の気配も大蜘蛛の姿もない。

 しかし――。

 起きてきた静枝はそれを見つけた。

 ぐったりとして死んだように動かない菊乃の姿。眼を見開き、瞬きすらしなかったが、その口が言葉を紡ぎ出す。

「申しわけございません静枝様。お見苦しいものをお見せしてしまったことは深くお詫び申し上げます」

「酷い有様ね」

「躰がまったく動きません」

「そうね、少しでも動くのなら、こんなことにはなっていないものね。こんなに散らかった廊下、はじめて見たわ」

 静枝の視線の先に広がる光景。

 血みどろ廊下と、生首を抱きかかえたまま動かない瑶子の姿。

 その瑶子の瞳が濡れていたことにはだれも気づかなかった。


 その部屋は少し湿気を帯びていた。

「素晴らしいわ。もうすぐ生まれそうね」

 嬉しそうに言ったのは慶子だった。

「ええ、もうすぐよ」

 答えたのは静枝。

 しかし、静枝の腹は大きくはなく、生まれるのは別のモノ。

 部屋に張り巡らされた糸。

 巨大な繭玉がいくつもそこにはあり、ときおり中で何かが蠢いている。

 そこは巣ともいうべき場所だった。

 一番大きな繭玉が激しく動いた。

「嗚呼、生まれそう!」

 慶子の声とほぼ同時だった。

 みしみしと内側から破られる繭玉。か細く蒼白い人の手が出てきた。まだ精気の感じられない手だ。

 その手は紛れもなく人間の手だが、このような繭から生まれ出るものが人間なのか?

 不気味な繭の中から裸の少女が這い出してくる。

 生まれたときにはすでにその姿――瑶子。

 繭玉の中から生まれ出たのは、姿形は紛れもなく瑶子だった。

 静枝は近くで待機していた菊乃に目をやった。

「生まれたばかりでお腹がすいていることでしょう。餌をやってちょうだい」

「畏まりました」

 菊乃は大きな麻袋を引きずり瑶子の近くまで移動した。そこで麻袋の中から大きなものを引きずり出した。

 出されたのは血の気を失っている裸の少女。

 その少女も――瑶子。

 まさかこの世に瑶子が二人?

 そして、おぞましい出来事が待ち受けていた。

 瑶子が瑶子を喰らう。

 無我夢中で生まれたばかりの瑶子は自分と同じ姿形の餌を喰らった。

 血みどろになりながら、むしゃむしゃと音を立てながら、肉を喰らっている。

 その光景をうっとりした目つきで静枝を見ていた。

「わたくしも肉が食べたくなってきたわ。ねえ慶子さん、これからすぐにやりませんこと?」

「もう少し調教したかったけれど、あなたがそういうなら仕方がないわね。うふふ、欲望に忠実なあなたが大好きよ」

「わたくしも貴女と知り合えた本当によかったわ。貴女がやって来るまでは本当に虚しいばかりの生活だったもの」

 二人は連れ添って部屋を出て行こうとした。その途中で、静枝は菊乃に顔を向けた。

「落ち着いたら娘たちに悟られないように運んでおくのよ。あとのことはわかるわね?」

「すべて心得ております」

「ならいいわ」

 菊乃にあとのことはすべて任せ、静枝は部屋を出た。

 慶子と廊下を二人で歩いていると、前から幼い少女が駆け寄ってきた。

「おかあさま、おかあさま!」

「どうしたの美花さん?」

「ようこはまだ帰ってこないの?」

「もうすぐ元気になって帰ってくるわ。けれど、病気のせいで記憶を失ってしまったみたいなの」

 幼い美花は驚いた顔をして、すぐに悲しい顔をした。

「わたしのこともわすれちゃってるの?」

「そうよ、しばらくすれば昔のようにこの屋敷で働けるようになるけれど、記憶だけはどうしても戻らないのよ」

 美花は今にも泣き出しそうだ。

 慶子がそっと美花の頭を撫でた。

「記憶を失うなんて本当に些細なことでしかないわ。またいっぱい遊んでもらって、たくさん楽しい思い出をつくればいいだけの話よ」

「……けいこせんせい……うん、わたしそうするね!」

「うふふ、本当に美花は良い子ね。さあ、行きなさい」

 慶子は美花の背中を軽く押した。

 駆けて行った美花の姿が見えなくなると、慶子は静枝と話をはじめた。

「ところでお肉を捌くとき、まずはわたくしに任せてくれないかしら?」

「なにかおもしろいことでもあるのかしら?」

「どこまで生かすことができるのか、挑戦してみたいのよね」

「それは楽しそうだわ。いつも殺すことばかりで、思いつきもしなかったわ」

 二人は笑いながら廊下を歩いて行った。


 荷物を麻袋の詰め終えた菊乃は、それを台車に乗せて瑶子に顔を向けた。

「捨ててきてください」

「はい、わかりました!」

 元気よく瑶子は返事をした。

 瑶子が記憶を失った状態で目覚めたのは数年前のこと、今では屋敷での仕事をなんでもこなすことができる。

 台車を押しながら屋敷の外に出ると、ちょうど出くわしてしまった。

 すっかり成長して、このごろは女らしくなってきた双子の姉妹。歳は七つだが、その見た目は一五前後で瑞々しい。

「す、すみません!」

 慌てて瑶子は来た道を引き返そうとした。

「気を遣わなくていいわ。美花は嫌がるでしょうけど、私はなんとも思わないから」

 美咲の視線は麻袋にあった。

「そうですか、それでは失礼します」

 瑶子は頭を下げて急いで台車を押した。

 屋敷の裏手には大きな穴がある。

 その中に瑶子は麻袋の中身を放り出した。

 大量に積まれていたその山が崩れる。

 骨骨骨、血がついたままの頭蓋骨。

 穴から溢れんばかりの骨がそこにはあった。

「わぁ、もうすぐいっぱいになりそう。静枝さまにお知らせしておかなきゃ」

 ごみ捨てを済ませて、急いで戻ろうとすると、その袖が何者かによって引かれた。

 瑶子が振り向くと、そこにはるりあの姿があった。

「どうしたのるりあちゃん?」

「…………」

 るりあは心配そうな顔をしてなにも言わない。

「もしかしておやつですか?」

 るりあは首を横に振った。

「なにか悩み?」

「ようこ心配」

「あたしのことが?」

「……嫌な感じがする」

「またですか?」

 瑶子はこれまでのことを思い出した。

 るりあが『嫌な感じがする』と言うと、必ず何かが怒る前触れなのだ。

 先月は大雨で庭の真横にある崖が大きく崩れた。被害がこれといってなかったのは幸いだった。

 今回は瑶子と具体的な名前まであがっている。

「あたしなら平気ですよ。病気一つしませんし、いつも元気いっぱいですから!」

「禍はどんな状況でも起こる」

「そういう不吉なこと言ってると呼び込んじゃうんですよ」

「………」

「ああっ、ごめんなさい。別にるりあちゃんのこと責めてるわけじゃなくて、心配してくれるのはありがとうございます。でも本当に平気ですから!」

「……ようこのばか」

 るりあは駆け出して行ってしまった。追おうと思ったときには、もう姿がない。

「ああ、るりあちゃんに嫌われちゃった。あとでこっそり果物をあげて機嫌を直してもらおう」

 肩を落としながら瑶子は台車を押した。

 屋敷に戻ってきた瑶子は台車を片づけて台所に向かった。るりあにあげる果物を探しにきたのだ。

 台所までやってくると、目を丸くした美花と目が合った。

「美花さま……こんなところでどうかなさいましたか?」

「えっ、べつに……なんでもありません!」

 慌てたようすで美花は背中になにかを隠した。

 じいっと瑶子はその背中に視線を向ける。

「なにか隠しましたよね?」

「だからべつに……あの……」

 口ごもる美花。

 瑶子は美花の背中に回ってそれを見た。

「あ、おなかすいちゃいました?」

 瑶子が見たのは果物の山だった。今にも落ちそうなほど持たれていた。

 見つかってしまった美花は、果物の山を胸に抱きかかえ直した。

「すみません……盗み食いみたいな真似をしてしまって……」

「ぜんぜん気にしないでください。美花さまは育ち盛りなのですね」

「お返しします」

「ここにある物はすべて美花さまたちご家族の物なのですから、どうぞ自由に持ってってください」

「ありがとうございます」

 頭を下げた美花は慌てたようすで走り去ってしまった。

「あんなにいっぱい美花さまひとりで……あっ、美咲さまといっしょに食べる気だ。やっぱりなんだかんだ言っても仲のよい姉妹なんですね!」

 ひとりで納得して瑶子は大きくうなずいた。

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