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あやかしの棲む家  作者: 秋月瑛
其之参 「土蜘蛛」
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其之参 「土蜘蛛(2)」

 朝食が終えると、次に瑶子は屋敷の中を菊乃に案内された。

 屋敷は広く、たった三人にはあまりある大きさだ。これから家族が二人増え、家庭教師も来ると言う話だが、それでもあまりある。

「あの、この赤い札のお部屋は?」

 瑶子は不思議そうに尋ねた。

「開かずの間でございます。あなたも決して開けてはなりません」

「なぜですか?」

「そのうちあなたも感覚が磨かれ、おのずとそれでなんであるかわかるでしょう」

 突然、赤い札の部屋の中で物音がした。

 さらに戸が激しく揺れる。

 驚く瑶子。

「なんですか!?」

「戸を開けさえしなければ、強風と同じでございます」

 部屋の中から低い唸り声が聞こえてきた。

 それに対しても菊乃は涼しげな顔で応じる。

「風も同じような音を立てるでしょう?」

「はあ、そうですね」

「少し騒がしいかもしれませんが、馴れれば気にも留めなくなります」

 そういうものなのだろうか?

 屋敷の端から端までやって来て、壁の前で菊乃は足を止めた。

「近い将来、この壁が壊され、廊下が造られる予定でございます」

「そういうことは、この先に部屋ができるのですか?」

「家庭教師を迎えるための離れになります。洋風とのご注文で、今回は少し建設に時間が掛かっているようで」

「今建設中ということですか?」

「ええ」

「なら大工さんたちのお世話もあたしたちの仕事ですね!」

 はりきって仕事に精を燃やそうとした瑶子だったが、菊乃の次の一言は思わぬものだった。

「それに関してわたくしたちの仕事はなにもございません。なぜなら、建設はわたくしたちの知らぬところで勝手に進んでいくからでございます」

「勝手にですか?」

「わたくしたちはわたくしたちの仕事をすればいいのです」

「まだ自分の仕事についてよくわからいのですが?」

「常時するべき事はご家族のお世話。それには掃除洗濯炊事などの家事が含まれております。加えて静枝様のお言いつけを守ること。そして、自分自身のなすべき事をやること。最後の事は自然と見えてくるものなので、あえてわたくしがお教えする必要のないこと」

 また『ご家族』と言った。

 瑶子は菊乃の言葉をすべてなぜだか納得できた。

 過去の記憶がなくとも、やはり瑶子もこの屋敷の住人。外の者が不可思議に思う内容の話でも、そういうものなどすぐに納得してしまう。

 二人は来た道を引き返した。

「次はどこへ行くのですか?」

 瑶子は興味津々の顔で尋ねた。

「機織り室に参りましょう」

「あたし機織りは大好きです!」

「今日のところはあなたに任せられる仕事は夕げまでございません。それまでの間、機織りでもしているとよいでしょう」

 部屋に向かって歩いている途中、ふと菊乃の足が止まった。そこにあったのは赤い札が貼られた部屋。

「近々、この部屋を開放することになります」

「開けてはいけないって?」

「双子のご息女のお部屋が今はございません。ここと、隣の部屋が間取りもよいのです。解放の際にはあなたにも手伝ってもらうかもしれません」

「手伝うってなにを?」

「それはそのときにお話しします」

 二人はこの場をあとにした。

 織機のある部屋にやって来た瑶子はさっそく織物をしようとしたが――。

「あの、どうやって使うのでしょうか?」

 たしか機織りが好きと自分で言った筈だが?

 とくに不思議がることなく、菊乃は淡々と説明をはじめる。

「まずここに踏み板がございます。踏み板を踏むと――」

 この後、説明を一通り聞き終わると、瑶子はすぐに織機が扱えるようになった。その動きは手慣れたものだ。

 機織りを瑶子に任せ、菊乃は自分の仕事をするため去っていった。

 調子よく鳴り響く織機の音。

 緊張をほぐして、瑶子は童謡を歌いはじめた。

 歌いながらそれがなんの歌だったか、どうして自然に口ずさんでしまったのが疑問に思う。


 とおりゃんせ とおりゃんせ

 ここはどこの細道じゃ

 はりてい様の細道じゃ

 ちょっと通してくだしゃんせ

 ごようの無いもの通しゃせぬ

 この子の七つのお呪いに 御札を納めに参ります

 いきはよいよい かえりは怖い

 怖いながらも とおりゃんせ とおりゃんせ


 その歌詞は一般的なものとは違うものだった。自然に口ずさんだ瑶子は、それをそうとも知らぬのであろう。

 しばらく機織りを続けていた瑶子だったが、次第に疲れてきたので休憩するこのにした。

 自然と足は庭の外へと向かっていた。

 清々しい空。

 瑶子は青空を見つめた。

「とっても綺麗」

 まるではじめて空を見たような感嘆。

 昨日、この屋敷で目を覚ましてからはじめて庭に出た。

 あれ以前の記憶は失われている。

 そもそも記憶などはじめからなかったように、何もかもが目新しい。それでいて、何もかもすんなりと受け入れることができる。瑶子はすでにこの屋敷に溶け込んでいた。

 屋敷に沿って周りを歩くと、木材などが置かれている、建設中の離れを見つけた。

 静かなもので、だれもその場にはしなかった。

 今日はたまたま建設が休みなのか?

 菊乃は言っていた。

 ――建設はわたくしたちの知らぬところで勝手に進んでいく。

 それはいつなのか?

 瑶子は建設現場をあとにした。

 屋敷の裏手のほうまで来ると鳥居が見えてきた。

 小さな鳥居から伸びる細道――その先には祠がある。

 鳥居の前に立った瑶子は不思議なものを見つけた。

 黄金に輝く細い糸。

 その糸は鳥居からずっと先の祠まで伸びていた。

 瑶子はその糸を握った。

 ぴんと張り詰められた糸。

 少しずつ手繰り寄せる。

 重い。

 何かが糸の先にある。

 動かないものではない。

 しかし、重い。

 重いというより逆側から引っ張られているような感覚だ。

 やがて糸の先に何かが見えてきた。

 蠢いている。

 それは塊だった。

 毛のない猿のようなものが、糸その先に群がって引きずられてくる。

 そんな不気味なものを自ら手繰る者がいようか?

 しかし、瑶子は手繰り続けたのだ。

 その群れの中に微かに見えた少女の顔。

 少女はしっかりと糸を掴んでいる。不気味なものどもは、少女の躰にしがみついているのだ。

 瑶子は糸を手繰り寄せながら、その場を動かない。自ら糸の先に近付くことはしない。そのほうが早く糸の先にたどり着けるだろう。だが、瑶子は鳥居の手前から手繰り寄せ続けたのだ。

 おそらく瑶子の行動は本能的なものであったのだろう。

 不気味なものの一匹が、少女の躰からずり落ちそうになった。それでも不気味なものは、あがいて少女の髪に捕まった。

 少女が浮かべる苦痛の表情。

 髪が引っ張られ、その髪を掴む不気味なものも、細道の先になにやら引っ張られているようだった。

 少女の躰にしがみついていなければ、来た道を戻されてしまう。そんな感じが見受けられた。

 あと少しで少女の躰が鳥居をくぐる。

 瑶子は足に力を入れ、地を踏みしめながら最後の力を振り絞った。

 少女の上半身が鳥居をくぐった。

 不気味なものどもは、まるで見えない壁に阻まれるように、ずるずると脱落していく。

 少女の躰から落ちた不気味なものは、瞬く間に還される。その先には祠は見えず、代わりに真っ暗な闇があった。

 奇声をあげながら、一匹、また一匹と、闇の中に不気味のものが呑まれていくのだ。

 少女の躰はあと足のみを越して鳥居をくぐった。

 最後の一匹となった不気味なものは、少女の足首に捕まり、最後の最後まで抵抗するのだ。

 不気味にものに掴まれている足首は血まみれだった。

 鋭い爪が足首に食い込み、今にももがれそうなほど痛々しい。

 瑶子にできることは糸を手繰り寄せること。

 足首の皮膚が削げ落ちる。

 不気味にものが落ちていく。

 深い闇へと落ちていく。

 ついに少女は鳥居をくぐり抜けた。

 瑶子の手元から糸は消えていた。

 そして、細道の先には闇などなく、小さな祠が元のように存在していた。

 か細い息をしている少女を瑶子は抱きかかえた。

「だいじょうぶですか?」

「…………」

 返事はなく、少女は睨むような眼で瑶子に訴えている。

 この少女の髪の間からは、二つの角のようなものが生えていた。

「お名前は?」

「…………」

 やはり返事はない。

 瑶子は少女を背負うことにした。それに対して抵抗はなかった。

「傷の手当てをしてあげます。だいじょうぶですよ、怖がらなくても」

 少女の躰は酷く震えていたのだ。それが背から伝わっていた。

 ゆっくりと歩き出す瑶子。

 その背中で小さな声がした。

「……る…りあ」

「えっ、なんですか?」

「るりあ」

「それがお名前ですか?」

「…………」

 また無言になってしまった。


 少女――おそらく『るりあ』という名の少女の手当を済ませ、瑶子はとりあえず菊乃を探すことにした。

 るりあの手を引き屋敷の中を歩き回る。

 廊下を歩いていると、急にるりあが瑶子の背に隠れた。すると、すぐに菊乃がやって来た。

「あなたの背に隠れている『それ』は?」

「すみません菊乃さん。祠の近くで見つけたのですが、怪我をしていて、それで……」

 どう説明していいのか瑶子は困った。

「祠……で見つけたと?」

「はい、そこで見つけた糸を引っ張ったら、この子が引きずられてきて……」

「今までに類を見ない出来事が起きてしまいましたね」

 この謎めいた屋敷にあって、類を見ないとは――。

 菊乃はるりあを静かな瞳で見つめた。

 睨まれていた。

 背に隠れるという動作は怯えだが、その眼は好戦的だ。

 菊乃は睨まれたことは気にも留めていないようだ。

「『それ』がなんであれ、まずは静枝様にご報告いたしましょう」

 三人は静枝の元へ向かった。

 静枝は自室で大きな腹を摩りながら、静かに時を過ごしていた。

 部屋に入ってきた三人を見ても、静枝は特に表情を崩さない。

「その子は?」

 静枝が滑らせた視線の先で、先ほどと同じように睨んでいるるりあ。

 瑶子は慌てて口を開こうとしたところ、菊乃が先に口を開いた。

「祠で瑶子が見つけたそうでございます」

「あの場所に……里の子……ではなさそうね」

 静枝の視線はるりあの角に向けられていた。

「どうなさいますか?」

 何をとは言及せず菊乃は尋ねた。

 少し間が置かれた。

 未だにるりあは瑶子の背に隠れている。

「客人としてもてなし、お世話は瑶子に任せましょう。頼んだわよ」

 静枝の言いつけを守ること。

 その言葉に従い瑶子は、目覚めてはじめての言いつけを承けた。

 静枝は言葉を続けた。

「さあ、客人を連れてお行きなさい」

 瑶子はそそくさとるりあと部屋を出て行った。だが、菊乃は部屋に残った。残れと直接言われていないが、菊乃は静枝の視線でそれを察していた。

「なんなりとお申し付けください」

「まずは、あれがなんであるか……菊乃も知らないの?」

「はじめて見ました。しかし、おそらく鬼女の子。だとするならば、この家にまつわるモノかと思いますが、古い資料を調べて見ましょう」

わざわいとは、鬼のなすわざのさま。なにかの前触れかしらね」

「…………」

 菊乃は黙っている。

 静枝は菊乃を見つめている。なにかを菊乃に促しているのは明らか。だが、菊乃は口を開かず。

 沈黙を破ったのは静枝だった。

「下がりなさい」

「失礼いたします」

 静かに菊乃は部屋を出て行った。

 残された静枝は大きな腹を摩った。

「何か変わるのかしらね。あなたたちはどう思う?」

 腹の中からはなんの反応もなかった。

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