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あやかしの棲む家  作者: 秋月瑛
其之弐 「そこに棲むものたち」
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其之弐 「そこに棲むものたち(完)」

 朝食の風景を覗いた。

 集まっているのは静枝、美花、美咲、慶子、菊乃。瑶子とるりあの姿はなかった。

 食事を終えると美花と美咲は、あの本に埋もれた離れで慶子の授業を受けた。

 授業の内容は年齢相応ではなく、見た目相応。七歳という年齢は、見た目からも知能からも感じさせない。美花の言葉を信じるほか決め手がない。

 克哉にとって退屈な授業だったため、別の場所を覗く事にした。

 朝食が終わり、三人が同じ部屋にいるとなると、なにかありそうな部屋も限られてくる。

 静枝の部屋を選んで覗いた。

 部屋の中には二人が向かい合って座っていた。静枝と菊乃だ。

 先に聞こえてきた声は菊乃のものだった。

「はい、るりあが発見しました」

「状態は?」

「深手を負わされたようですが、そこまでする必要はございません」

 深手を負わされた?

 そこまでする必要?

 どちらも引っかかる言葉だ。

 少し間を置いてから静枝が口を開いた。

「屍体の痕跡は見つかったのかしら?」

「それはいつものことでございます。あれは骨まで食い尽くします」

「しかし、まさか深手を負わされるなんて……るりあは何か知らないのかしら?」

「知っていても答えません」

「そうね、とりあえずいつものように何事もなく済ませましょう。けれど、少し気がかりな点もあるから、美咲と美花はしばらく部屋から出さないように、慶子の部屋で見ていてもらいましょう」

「畏まりました」

 菊乃が部屋を出て行く。

 克哉にとって嫌な予感のする会話だった。

 頭に浮かんだのはあの大蜘蛛だ。

 さらに侵入者の存在が知られたのだ。

 今まで何度も存在を知られたと思い恐怖してきた。

 はじめは赤い札の部屋の眼だ。

 次は大蜘蛛との遭遇。

 さらに同じ晩にるりあ、美花。

 住人たちに幾度も見つかってきたが、幸運にも事は大きくならずに済んできた。

 しかし、静枝に知られた今、事は動き出した。

 屋根裏にいて平気なのか?

 いや、決してここは安全とは言えないが、ここ以上の場所が今はないのだ。

 もしも静枝が大蜘蛛を使って侵入者を殺させているとしたら、見つかれば克哉も殺されるのだ。

 屋根裏から脱出するときは、屋敷からも脱出するときだ。屋敷から出られなければ、なにも解決しないのだ。

 情報が足らない。

 美花は屋敷から出ないのではなく、出られない。ほかの者も同じで、出る方法を知らないかったとしたら、どうすればいいのか。

 そうだ、唯一出入りをしている侍女がいるらしい。菊乃か、瑶子か、ほかにいも侍女がいるのか。

 何かを調べるにしても、これ以上住人に顔が知れるのはまずい。侍女と話をするのなら、出入りをしている者を特定して話たい。

 美花と話ができれば情報がもらえるかもしれない。その美花は授業のあとも監視がつくことになってしまった。

 このままなにも手を打てずに時間だけが過ぎていくのか?

 克哉は煙草の箱を出して、溜息を吐くとそれを握りつぶして放り投げた。

「くそっ」

 深い呼吸をしてから克哉は机についた。

 手帳を広げる。

 屋敷の見取り図はまだ完成していない。まだ見ぬ部屋に希望を見いだすというのも、まるで藁をも掴むことだ。

 手帳には名前がひらがなで書いてあった。

 しずえ、みはな、みさき、きくの、けいこ、ようこ、るりあ。そこに赤い札のある部屋の『謎の男』を書き加えた。

 克哉は『しずえ』に丸を付けた。

 守るか、攻めるか。

 屋根裏に隠れているのは限界がある。

 静枝に丸をつけたのは、この屋敷でもっとも力を持っていると考えたからだ。

 手帳に新たな文字を加えた。

 ――人質。

 もっとも力のある権力を人質に取る。

 手帳を閉じて懐にしまう。

 すぐに克哉は静枝の部屋を覗いた。

 静枝はそこにいた。

 部屋で静かに正座をしながら佇んでいる。

 本当に作戦を実行するなら独りでいる今しかない。

 床を這いつくばって克哉はある物を探した。この部屋への入り口だ。きっとこの場所にも天井板が動く場所があるはずだ。

 がたっ。

 板が動いたが音を立ててしまった。

 慌てて克哉は開いた隙間から部屋を覗いた。

 静枝は動かない。どうやら気づかなかったらしい。

 そして、克哉も動けなかった。

 克哉は断念したのだ。

 動かした板すら戻せなかった。

 しばらくして静枝も部屋を出て行った。

 機会を失った。

 忘れていた呼吸を思い出して克哉は息を吐いた。

「……できるわけないんだよ」

 克哉は椅子に向かって歩きはじめた。

 陽はまだ高い。

 椅子に腰掛けた克哉は机に上に短剣を乗せた。

 鞘からゆっくり抜かれた刃。


 陽が落ち夜が更けた。

 ずっと克哉は動かず椅子に腰掛けていた。

 短剣は再び鞘に収められた。

 ついに動き出した克哉。

 まず覗いたのは離れの部屋だ。

 部屋は暗く静かなものだ。

 早々にその部屋を覗くことをやめ、次は美花の部屋だ。

 薄暗い部屋。

 静かに眠る美花の姿。

 すぐに天井裏から下りることにした。

 板を動かし、押し入れから、美花の部屋へ。

 そっと美花に近付き、肩を揺さぶった。

「美花お嬢様」

「……ううん……」

「起きてくださいお嬢様」

「……っ!?」

 声を上げそうになった美花の口を急いで克哉は手で押さえた。

「私です。声をあげないようにお願いしますよ」

 そっと口から手を放した。

「こんばんは克哉さん」

「寝ているところすみませんね、ほかに機会がなかったもので」

「わかっています」

「お話できますか?」

「はい、屋根裏に参りましょう」

 二人は押し入れから屋根裏へと上がった。

 ベッドに腰掛ける克哉と椅子に腰掛ける美花。朝と同じように、違うのは克哉から口を開いた。

「夜……ですね」

「それがなにか?」

「夜になると何かがこの屋敷を徘徊してますよね?」

「わかりません。夜に限らず、この屋敷は四六時中のことなので」

 四六時中――住人たちは当たり前のこととして、そういうものを感じているということだろう。

「あれをご存じない?」

「あれとはなんですか?」

「巨大なあれですよ。屋敷を守る狩人です」

「わかりません。ただ、夜は決して部屋を出てはいけないときつく言われています。おぞましい声が聞こえてくるのも、昼よりも夜のほうが多いようです」

 それがこの屋敷なのだ。当たり前のように、美花はおかしなことを口にする。本人には自覚がないのだろう。

 克哉はうなずいた。

「捜していた行方不明者の一部はどこに行ったか、だいたい検討がつきました」

「やはりこの屋敷で消えたのですか?」

「どうやら夜になるとこの屋敷には大きな蜘蛛、大きさは俺の躰よりも大きい蜘蛛です。それが人を喰らっているらしい。あなたのお母様の話を盗み聞きすると、まあそんな感じでした。それが行方不明者のすべてだとは思えませんが」

「そんなものが屋敷の中にいるなんて信じられません」

「なら、あなたのお母様が人を殺しているほうが現実的ですか?」

「…………」

「黙りましたね?」

 追求されて美花は椅子から立ち上がった。

「もうお話することはありません」

「俺がここに来た本当の理由……話しましょうか?」

 美花は立ったまま、そこから動かず克哉を見つめた。

 黙る美花を見つめながら克哉が続ける。

「殺しに来たんです」

「だれをですか!」

 屋根裏中に響き渡る叫び声だった。

「それが来るまではわからなかったんですよね」

 間が抜けたような口ぶりだった。

 普段は穏やかな表情をしている美花が怖い顔をして克哉を見つめている。

 克哉は宙を仰いだ。

「来てからも未だに判断が難しくて、あなただって可能性も捨てきれませんが、俺にあんたは殺せない」

「私を……殺す?」

 まさか自分の名前が挙がるとは――美花は青ざめて言葉を詰まらせた。

 さらに克哉は言い続ける。

「あなたを殺すなら、当然あなたのお母様もお姉さんも殺すことになるでしょう」

「そんなことさせない!」

 今の美花はまるで美咲のようだ。恐ろしい鬼気を纏っている。

「落ち着いてくださいよ。今はもうあなたの家族を殺す気なんてありませんから」

「どうして、どうして、殺されなければならないんですか!」

「だから落ち着いてください。可能性があったというだけで、もしそうだったとしても、もう殺す気はないと言ってるんですよ」

 その言葉を信じたどうかはわからないが、美花は静かに椅子に腰掛け直した。

 美花と克哉の視線が並んだ。

 克哉は頭を掻いた。

「どうして殺さなくてはならないのか……という質問でしたよね?」

「……はい」

「死にたくないからですよ」

「私の家族が殺されなくてはならない理由と繋がりません」

「自分では手を下さないまでも、あなただって生きるために多くの命を奪っているはずだ」

 お互い沈黙した。

 克哉の言葉は通常の意味以上の意味を美花に問いかけたのかもしれない。

 時間が過ぎる。

 その沈黙を破ったのは克哉だ。

「まあ、その話は今はどうでもいいんですよ。俺が今望んでることは、この屋敷から逃げ出すこと、それが叶えば今はそれでいい」

「できないことです」

 きっぱりと言い放った美花に克哉は笑って見せた。

「そんなことはやってみなきゃわからないさ」

「できますか?」

「それはだからやってみなきゃわからないさ」

「……そうですね」

 美花はうつむいてしまった。

「だからあなたに協力して欲しいんだ」

 それに美花は答えず、うつむいたまま。

 克哉は返事を待った。

 静かな夜更け。

「……っ?」

 急に克哉は驚いた顔をして辺りを見回した。

「美花ちゃん、なにか臭わないか?」

「なんでしょう……焦げ臭い」

「火事……なんてことはないよな?」

「そんな、早く皆に知らせないと!」

 本当に火事なら屋根裏に隠れているわけにもいかない。

 すぐに出口から――。

「きゃっ!?」

 美花が叫んだ。

 暗がりで蠢く巨大な怪物。

「大蜘蛛だ!」

 叫んで克哉はすぐさま短剣を抜いた。

 大蜘蛛が飛び上がった。

 飛び上がったのは克哉のほうが早い!

 大蜘蛛の上に飛び乗った克哉は、その勢いで短剣を背に突き立てようとした。

 克哉の足下が揺らいだ。

「くっ」

 短剣を刺す前に躰が振り落とされそうになる。

 大蜘蛛の背を滑り落ちながら克哉は短剣を突き立てた。

 恐ろしい物の怪の絶叫。

 克哉は膝に両手をついて床に立っていた。

「はぁ……はぁ……仕留めたのか?」

 短剣を突き立ったままの大蜘蛛はぴくりとも動かない。

「……これで俺は生きられるんだ」

 心からしみ出した克哉のつぶやき。

 克哉は震えて動かない美花に顔を向けた。

「俺が殺さなきゃいけなかったのはこいつなんだ。ほかにもいるかもしれないが、今はどうでもいい。これで俺はしばらく生き延びることができる」

「どういう……ことでしょうか?」

「俺の親父も同じだった。人外を殺して全国を回ってたんだ。理由は死にたくないからさ」

「殺さなくても、わざわざ危険な目に遭わなくても、ひっそりと暮らしていればいい!」

 ひっそりと暮らす。それは自分に向けられた言葉だったのだろう。

「そういうわけにはいかないんだ。定期的にこういうモノを殺さないと、明らかに体調が悪くなっていくんだ……本当にそのまま死ぬかどうかわからない。けど、試してみるなんて真似、怖くてできるわけないだろう、俺は死にたくないんだよ、誰よりも」

 刹那、まだ息のあった大蜘蛛が克哉に飛び掛かってきた。

 武器はない。大蜘蛛の背に突き刺さったまま。逃げる隙すらもなかった。

 ぶんっと何かが風を切った。

 血を噴き出しながら大蜘蛛のが吹っ飛んだ。

 そして、斧を持った少女の姿。

「お逃げください。もう長くは保ちません」

 克哉を救ったのは菊乃だった。

「どうぞこちらです」

 菊乃は二人を隠し階段まで案内した。屋根裏には隠し階段も備わっていたのだ。菊乃ははじめからその存在を知っていたのか?

 屋根裏の一部が崩落し、煙が一気に昇ってきた。

 本当に火事だった。

 屋敷全体が燃えているのだ。

 階段を駆け下り、廊下から雨戸を開けてすぐに外へ出た。

 克哉に手を引っ張られていた美花が立ち止まった。

「皆が、皆を助けないと!」

 燃えさかる屋敷。

 菊乃は屋敷か出ようとせずにそこでじっと佇んでいた。

「火の手は皆様から上がりました。もう助かりません」

 どういうことだ?

 誰が火を放った!?

 美花は膝から崩れた。

 克哉は菊乃に手を伸ばした。

「あなたも来い!」

「はじめの言いつけを守り、わたくしはこの屋敷に残ります」

「なにを言ってるんだ早く!」

 その目の前で屋敷が崩落した。

 瓦礫と共に炎の中に呑み込まれた菊乃の姿。

 克哉は歯を食いしばって美花の手を強引に引っ張った。

 火の粉が風に流れる。

 屋敷から離れ庭を走っていると、後ろから少女の影が追いついてきた。

「美花!」

 それは美咲だった。

 美咲は克哉から美花を奪って抱きしめた。

「捜したのよ美花。どうして部屋にいなかったの!」

「お姉様……みん……な……炎の中に……」

「そうね、みんな焼け死んでしまったわ」

「どうして……」

 そんな二人に克哉は声を掛けようとした。

 しかし、美咲に睨まれたのだ。

「あなたが侵入者ね。でもあなたのことなんてどうでもいいわ。だからあなたもわたしたちに構わないで、一生ずっと……」

 美咲は美花を支え歩き出した。

 その方向は正面門。

 美咲の手によって門が開かれた。

 そして、二人は出て行ったのだ――外の世界へ。

 何が起き、何があったのか、克哉がそれを知ることはなかった。


 そこに棲むものたち(完)

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