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あやかしの棲む家  作者: 秋月瑛
其之弐 「そこに棲むものたち」
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其之弐 「そこに棲むものたち(5)」

 陽が昇った。

 屋根裏にも日が差し込む。

 克哉は一睡もしてなかった。こんな屋敷で寝られるわけがない。

 不気味な住人たち、屋敷を徘徊する怪物、屋根裏とて安全ではない。

 そんな中で、美花の存在は克哉にひと時の安らぎを与えた。

 常識に照らし合わせれば、美花とて……それでもこの屋敷に染まりきっていないと感じた。

 克哉は美花のようすを見に行くことにした。

 穴を覗く。

 安らかに眠る美花の姿。

 この屋敷で育てばそれが普通か。恐怖など微塵も感じさせず、深い眠りに就いている。

 克哉は隣の部屋も確認することにした。隣は美花の部屋と繋がった美咲の部屋だ。

 余り気を入れず覗いたせいで、少し克哉は驚いてしまったが、声は呑んだ。

 美咲はすでに起きていた。

 なにをしているのか?

 よく見えない。

 克哉は目を凝らした。

 それでもよく見えない。

 机の上でなにか細かい作業をしているような感じだ。

 小さなものが動いた。

 美咲の手についているのは朱いものはなにか?

 駄目だ、細かい上に美咲が影になって余計に見えない。

 美咲はなにかを壺の中に詰めはじめた。

 一瞬、朱いなにかが見えたような気がする。

 詰め終わると壺にふたをした。

 そして、机の上を手ぬぐいで拭くと、何事もなかったように片付いてしまった。

 壺は押し入れの奥へと仕舞われる。

 それがなんであるか疑問は浮かぶが、克哉はあえて見ようとは思わなかった。

 この屋敷には見なくてよい多すぎるのだ。

 次に美咲は鏡台で髪を梳かしはじめた。これは得に変わったようすもない光景だ。と思ったのも束の間だった。

 鏡に一瞬、部屋にいないはずの女の顔を映ったような気がする。

 あの顔は誰かに似ていたような気がする。

「おはようおば様」

 美咲が独り言を言った。

 いや、それは本当に独り言なのだろうか?

 まさか鏡に一瞬映ったなにかに言ったのではあるまい。そうならば、本当に映っていたことになる。

「今日はどうしたのかしら? なにか心配事でもおありになられて?」

 美咲の独り言は続いていた。もちろん答える者などいないのだ。そう、いないのだ。

「さようならおば様」

 美咲は櫛を置いて鏡に布を被せた。

 独り言だとしても、そこに登場した『おば様』とは、いったい誰のことを言っていたのだろう。

 美咲は部屋を出た。

 克哉も移動することにした。

 次は静枝の部屋を覗いた。

 静枝は部屋のどこにもいなかった。

 場所を移動して食堂、台所と続けて覗いた。

 食堂には誰もいなかった。台所では菊乃が朝食の準備をしているようだった。

 台所での作業はあまり見る気がしない。きのうのことを思い出してしまう。

 念のため脱衣所と風呂場も覗いたが、誰もいなければ変わった点もなかった。

 そして、廊下も見た。

 これで覗ける場所は全部だろうか?

 昨晩のうちに赤い札のある部屋を把握するつもりだったが、大蜘蛛の襲われただけで作業はなにもはかどらなかった。

 そう言えば、大蜘蛛に追い詰められたとき、離れの入り口まで行った。あの部屋にはなにがあるのだろうか?

 さっそく克哉は離れの一つを覗くことにした。

 その部屋は西洋風の作りであった。置かれている家具も足のある椅子やそれに合わせたテーブルなどである。ベッドから何者かが起き上がった。

 手元の眼鏡を探して、掛けた姿は慶子だった。

 部屋を見回して克哉は舌を巻いた。それにしても多い本だ。壁一面が本棚になっており、それが天井まで伸びている。本棚に入りきらない本なのか、山積みになっている物もある。

 膨大な本だが、この屋敷から出られないのなら、読む時間はいくらでもあるのだろう。

 慶子は着替えをはじめた。

 服を脱いだその姿は、全体的に肉付きがよく健康的で、胸は豊満で柔らかそうだった。

 克哉は生唾を呑み込んだ。

 年上の女性は克哉の好みだ。あの躰付きも好い。

 この屋敷で唯一洋服を着用している姿も、見慣れていて安心できる。

 慶子は下着を一切身につけず、スカートを穿いた。

 これでこの屋敷の住人でなければ……と克哉は溜息を吐いた。

 町で会えば声も掛けたくなるいい女だが、今はあまり深い関係にはなりたくない。

 克哉は穴を覗くのをやめた。

 そろそろ美花のところへ戻ってみよう。

 美花の部屋を覗くと、すでに布団が片付けられていた。当の美花は着替えの最中だ。克哉は穴から目を離した。

 しばらして覗き直すと、美花の姿が部屋から消えていた。

 機会を逃したと思って克哉が穴から目を離そうとしたとき、ちょうど美花が部屋に戻ってきた。

 すぐに克哉は屋根裏から下りることにした。

 布団を掻き分けて押し入れを開ける。

 そのとき見た美花の表情は少し眼を丸くしていた。

 克哉は小声で話しはじめた。

「驚かせてすまないですね。美花お嬢様おはようございます」

「おはようございます、そう言えばまだお名前を伺っておりませんでした」

「立川と言います。ここで話すのもなんですから、お時間があるなら屋根裏に参りましょう」

「はい、朝食までの時間なら」

 こうして二人は屋根裏に向かった。

 美花は屋根裏にはじめて登ったらしく、だいぶ驚いたようだ。まさかこんなところに家具が置いてあるとは、さらにその家具から察するに、だいぶ昔にここを使っていた者がいたということだ。

 克哉は椅子を勧めた。

「汚いところですが、今は私の城です。どうぞ椅子に腰掛けて」

 と、克哉はベッドに腰掛けた。椅子は一つしかなかったのだ。

 椅子に座った美花は、自分から話を切り出した。

「あなたはいったいどこのどなたで、どのような目的でこの屋敷にいらっしゃったのですか?」

 当然の質問だろう。美花は忍び込まれた当事者だ。

「改めて自己紹介といきましょう。立川克哉、歳は二七、職業はルポライターをやってます」

「ルポライター?」

「平たく言えば雑誌記者ですよ」

「取材などをなさる?」

「そう、それで飯を食ってます」

「それにしては、色白であまり日に焼けてないのですね」

「体力がなくて外回りが苦手なもんで」

 克哉ははにかんで見せた。

「それで目的はなんでしょうか?」

 先ほどの質問を美花は促した。

「この屋敷を記事のネタにしようと思いまして、だいぶ常識から外れていると噂を聞いたもんで」

「記事にされるのは困ります。多くの人に晒されたら生きていけなくなります」

「でしょうね。俺も記事にするつもりはありませんよ」

「ならほかに目的があるのですか?」

「ずばり言いますよ。友人がこの屋敷の取材の最中、行方不明になりました。ほかにもこの屋敷に関わった者が何人も行方不明になってます。この屋敷に住んでるあなたなら知ってるでしょう?」

「……ごめんなさい、なにも知りません」

 嘘か誠か、皆葉は辛そうな表情をしている。

 美花はうつむいて口をきつく縛ってしまった。話題を変えた方がいいかもしれない。

「なら、赤い札が貼ってある部屋はなんです?」

「幼い頃から決して開けてはならないとお母様などにきつく言われてきましたが、それ以上のことはなにも知りません。お母様に聞けば、もしかしたらお姉様、菊乃さん……知らないのは私だけかもしれません」

 もしかしたら行方不明者がそこにいるのではないかと克哉は考えていた。

「じつは、あの部屋の中を見たんですよ」

「そんなこと、どうやって?」

「この屋根裏には穴がありまして、覗き穴です。おそらくすべての部屋が覗けるようになってるんですよ」

「私の部屋も?」

「いやいやいや、決してあなたの着替えやそういう場面は見てませんよ!」

「私の着替えがなにか?」

「いや、べつに」

 着替えを見られると恥ずかしい。という感覚がこの閉鎖された屋敷で育ったせいでないのかもしれない。

「どこにありますか、開かずの間の覗き穴は?」

「見る気ですか?」

「はい」

「本当に?」

「はい、あの部屋になにがあるのか私も気になっていましたから」

「そこまで言うのなら教えてあげますよ」

 あのときの恐怖はまだ拭えていない。それを人に勧めることも躊躇われる。しかし本人が見たいと言っているのだ。

 克哉は穴を指差した。

「そこの丸の中に小さな穴があります」

「わかりました」

 美花は手と膝をついてその穴を覗いた。

「……薄暗くて……なにかあるようには……ただの部屋……みたいです」

「本当に?」

 替わってもらい克哉が穴を覗き込んだ。

 薄暗くて何も見えない。だが、徐々に部屋が蒼白く見渡せるようになってきた。

 ――部屋に誰かいる。

 部屋の中心で蹲っている男の姿。

 あの男はいったい誰だ?

 行方不明者なら声を掛ける方法を考えたほうがいいかもしれない。

 そのとき、男が鬼の形相で振り向いた!

「久しぶりだな克哉」

 おぞましく頭の中に木霊した声。

 克哉は声を詰まらせそのまま後ろに倒れてしまった。

「どうしましたか?」

「……い……だれか……いた……しかも俺の名前を呼びやがった」

「本当ですか?」

 美花は穴を再び覗いた。

「なにも見えませんし、だれかいるような気配もありませんけど?」

「そんな馬鹿な。あんただって俺の名前を呼ぶ声を聞いたろ?」

「いいえ、なにも」

「嘘だ……たしかに俺の名を……」

 なぜ克哉の名前を知っていたのか?

 もしかしてあれが知り合いのルポライターだったのか?

 克哉はそんなことはないと首を横に振った。あの形相は人成らざるモノだった。怪物だ、怪物の顔だった。

 蒼い顔をする克哉に美花は心配そうに寄り添った。

「大丈夫ですか?」

「もう駄目だ。もうこの屋敷を出たいよ。じつは記事の話も、行方不明者捜しも、全部表向きの理由なんだ。本当はもっと大切な目的があったんだが……それも命あってのことだ」

「本当の目的?」

「ちょっと口を滑らせちまった。言えないんだ、ちょっと風に当たるか」

 克哉はよろよろと歩きながら開いた雨戸に向かった。

 美花もついてきた。少し厳しい顔をしている。

「本当の目的とはなんでしょうか?」

「なあ、美花ちゃん。もしもこの屋敷から出られたらどうする?」

「絶対にありえないことですから」

「俺も今は出られない。でも出られたらどうするって考えたことないのか?」

「そんなこと考えても悲しくなるだけですから……。もし出られたとしても、別の呪いが私を……外では生きていけません」

 外に出るだけでは救われない。

「呪いのこと聞いていいかい?」

「…………」

「なんだか薬飲まなきゃいけないみたいだけど、飲むのを拒んでるんだろ?」

「そこまで……そうですか。私いくつに見えますか?」

 いきなりの質問に克哉は少し戸惑いを浮かべた。

「いきなりなんだ……う〜ん、一五前後だろう?」

「お母様は?」

「三〇はいってない。もしかしたら二五前後か」

「私とお姉様は七歳です。そして、お母様は一九歳です」

「それが呪いか……」

「あまり驚かれないのですね」

「世の中にはもっと驚くことが多いもんで」

 さらに克哉は続ける。

「早死にするとわかってて、それを食い止める方法がわかってたらすがりたくなるよな」

「わたしはいつ死んでも構いません。でも薬への渇望が抑えられない」

 美花は今にも泣きそうな表情をしていた。

 克哉は手を差し伸べて抱きしめてやりたいと思った。

 だが、美花は背を向けて歩き出した。

「もうすぐ朝食の時間です。私がいないとわかれば、家の者が探すことになるでしょう。そうなる前に行きます」

「朝食のあと話せるかい?」

「朝食後は授業がありますから、午後過ぎなら時間があると思います」

「授業?」

「慶子先生に勉強を教えていただいているのです」

「じゃあ、また」

「はい、失礼します」

 美花は屋根裏から去っていった。

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