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あやかしの棲む家  作者: 秋月瑛
其之弐 「そこに棲むものたち」
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其之弐 「そこに棲むものたち(4)」

 夜は更けて、草木も眠りはじめた頃、克哉は再び活動をはじめた。

 廊下の覗き穴の近くを入念に探す。

 もしかしたらここにあるかもしれないという勘が的中した。

 天井の板が動いたのだ。

 開いた入り口に手を掛けてぶら下がった。床との距離はさほどないが音を立てないように慎重に。床に落ちたと同時に屈伸して衝撃を和らげた。

 どうにか廊下に出た克哉は天井を見上げた。

 入り口が開いたままだ。

 下りるのは容易だったが閉めるのは一苦労だ。

 何度か飛び跳ねながら板を元に戻す。棒かなにかあれば楽だっただろう。

 板を戻し終えた頃には息が切れた。

 美花と静枝が寝ていることは穴を覗いて確認済みだ。おそらくほかの者も寝てるとは思うが、用心には用心を重ねて慎重に行動しなくてはならない。

 克哉は迷っていた。

 いつ屋根裏から脱出できたのだ。

 このまま捜索を続けるのか?

 それとも屋敷から逃げてしまおうか?

 心が揺れ動く。

 とりあえず懐から蝋燭を出し、ベルトに挟んであった蝋燭台に乗せて火と点けた。

 さらに手帳とペンを取り出した。

 部屋の見取り図を描きはじめた克哉。まだ調べる気なのだ。

 注意しなくてはいけないのは赤い札のある部屋だ。

 廊下を歩きながらしばらくして、なにやら気配がした。

 蝋燭をすぐに消して、静かに息を潜める。

 何も見えない闇だ。

 微かな光さえない。

 神経が研ぎ澄まされた。

 気配はない。

 気のせいだったのだろうか?

 蝋燭を灯して再び歩きはじめる。

 細い廊下だ。両端に部屋はないらしい。きっと離れに続く廊下だろう。

 行き止まりにあったのはドアだった。純和風の屋敷の中で、この扉は西洋風だった。やはりここは離れなのだ。

 この先に何があるのか、興味はあっても今は開ける必要はない。危険に自ら飛び込む必要もあるまい。

 引き返そうと振り返ったとき、克哉は言葉を失った。

 巨大な何かがそこにいる。

 天井に逆さになってそれはいくつもの眼でこちらを見ている。

 その眼の持ち主は一匹だ。

 なんと天井には克哉の躰を越える巨大な蜘蛛がいたのだ。

 克哉は背に手を回してドアのノブを回した。鍵が掛かっている。

 逃げ場を塞がれた。

 もし逃げられるとしたら、大蜘蛛の下を駆け抜けるしかないだろう。

 それとも――大蜘蛛を仕留めるか?

 克哉は隠し持っていた短剣を抜いた。

「ったく、こんな奴とは出くわしたくなかった」

 物音を立てない――そんなこと構っていられなかった。

 克哉は床を蹴り上げ全速力で走った。

 大蜘蛛が落ちてくる。

 紙一重で大蜘蛛よりも先に抜けた。

 だが、大蜘蛛の尻から糸が噴き出された。

 なんと強力な糸か!

 粘糸は克哉の腕に絡みつき、さらには壁にまで固定されてしまった。

 封じられた腕は短剣を握っていた右手だ。

 力を込めて引っ張るがびくともしない。もし外れても肉ごと持って行かれそうだ。

 大蜘蛛が迫ってくる。

 迷っている暇などなかった。

 克哉は蝋燭の火で絡みついた糸を燃やした。

 腕が焼ける。

 苦痛を浮かべながら克哉は耐えた。

 酷い火傷を負おうとも、生きたまま食われるよりはましだ。

 糸が焼けて取れた瞬間に克哉は走った。

 大蜘蛛が大きく跳んで襲い掛かってきた。

 状況など確かめてもいられない。

 とにかく克哉は逃げた。

 廊下に響き渡る足音。

 恐怖が追ってくる。

 振り向かずにただひたすらに逃げる。

 確実に迫ってくる気配。

 玄関が見えた。

 克哉は焦りながら玄関の鍵を開けて外に飛び出した。

 当然靴など履いている暇などなかった。

 庭を駆け抜けて垣根を目指した。

 あの垣根を登れば外に出られる――そう信じていた。

 だが!

「わっ!?」

 なにが起きたのか理解できなかった。

 垣根を眼と鼻の先としたとき、なにか見えない力によって克哉は押し飛ばされたのだ。

「嘘だろ……本当に出られないっていうのかっ!」

 地面に倒れながら克哉は振り返った。

 ――いなかった。

 見通しのよい庭のどこにも大蜘蛛の姿はない。

 庭までは追ってこなかったの……か?

 見えないからと言って安心はできない。

 一刻も早く逃げ出したい。

 克哉は立ち上がると空間を調べた。

 手を添えるとそこには見えない壁があった。

 移動しながらその壁を触ってみるが、延々と垣根に沿って続いているように思えた。

「来る者は拒まず、去る者は逃がさずか……中に入ったという話を聞かないはずだ」

 それが目の前の現実。

 克哉は地面に胡座を掻いて、残してあった最後の一本を吸うことにした。

 煙草を口に咥え、手を添えながらライターで火を付ける。

「ふぅ……煙草は吸いたいときに吸うに限るな、本当は」

 空を見上げると星が輝いていた。

「いつも見る星は綺麗なもんなのになぁ。今は不気味に見える」

 最後の一本を短くなるまで味わい、克哉は決意を固めた。

「さて、仕事の続きでもするか」

 煙草を地面に投げていつも癖で足で消そうとしたが、靴を履いていないことに気づいてすぐにやめた。

 さっき見えない壁にぶつかった拍子に落としてしまった蝋燭台を拾う。消えてしまっていた蝋燭に火を点け直した。

 今ままで月明かりで明るいが、火が灯っていた方が気持ちの足しになる。

 本当に外に出ることはできないのか?

 克哉は見えない壁を触りながら歩き出した。

 途切れることなく続く見えない壁。

 高さはどのくらいあるのだろうか?

 試しに克哉は小石を拾い上げ、天高く投げ飛ばしてみた。

 放物線を描いた小石は垣根の遥か上を越えて屋敷の敷地を飛び出して行った。

「上は平気なのか?」

 再び小石を拾った克哉は、今度は垣根に向かって投げてみた。

 小石は垣根の隙間を通って外に飛び出して行った。

 今度は蝋燭台を壁に見えない壁に近づけてみた。

 壁のある場所を蝋燭台は通り抜けたのだ。

「生きてる者が駄目ってことか……死んでから出られてもな。死んでも出られるかわからんが……」

 しばらく進んでいると小さな鳥居が見えてきた。その先には祠がある。

「神様と言っても八百万、友好的とは限らんからな」

 静かに鳥居に近付く。

 気配など微塵もなかった。

「お前誰だ?」

「っ!?」

 克哉は驚きの余り蝋燭台を落としそうになった。

 鳥居の影から出てきた幼女。謎の角を持つるりあだ。

 克哉は冷静に振る舞った。

「お嬢ちゃんこそ誰ですかい?」

「聞いたのはおらだ」

「名乗るほどのもんじゃありませんよ。お嬢ちゃん……もしかして鬼?」

「…………」

 急にるりあは走り出してしまった。

 すぐさま克哉は腕を掴んだ。

「待ってくれ!」

「離せ!」

「離したら俺……私のことほかのみんなに告げ口するでしょう?」

「お前なんかに興味ない!」

 るりあは克哉の腕に噛み付いた。

「いたっ!」

 克哉の手を逃れてるりあが走って逃げた。

 あまりの痛さに克哉は蹲った。噛み痕もまるで牙でも生えていたような深い傷だが、なによりも噛まれた場所が火傷を負った傷痕だった。

「っくそ、餓鬼のくせに……けど邪気は感じなかったな。本当に鬼だったのか?」

 ここで克哉はこの家の名字を思い出した。

 ――鬼塚。

 塚とは土を盛って気づいた墓。

 首塚とは首を埋葬した塚。

 鬼塚とは?

「やっぱり鬼だったのか? あの餓鬼が何者にせよ、逃がしたのは失敗だった。家中に俺のことが知れるのも時間の問題……もう知れている可能性もあるが」

 このあと垣根沿いを一周回ったが、見えない壁が途切れている箇所は見つからなかった。

 屋敷に戻るか?

 祠もまだ詳しく調べていない。

 克哉は隠し持っている短剣を確かめた。

 父から受け継いだ短剣だ。父は祖父から受け継ぎ、その祖父はまた曽祖父に……から受け継いだらしい。

 武器はこの短剣のみ。

 克哉は屋敷に戻ることにした。

 玄関は開きっぱなしになっていた。

 屋敷の中に入り、玄関を閉めて鍵も掛ける。

 神経を研ぎ澄ませる。

 廊下は静かだ。

 怖いくらい静かだ。

「出たな大蜘蛛」

 克哉は囁いた。

 闇の向こうに潜んでいた大蜘蛛。

 短剣が抜かれた。

 大蜘蛛が飛び跳ねた。

 一撃で深手を負わさなければ、次の相手の攻撃で逆に深手を負うことになる。

 腹だ。跳んだ大蜘蛛が腹を見せている。

 短い刃でどこまで貫けるか!

 克哉が大蜘蛛の腹に潜り込んだ!

「っく、そ」

 大蜘蛛の足のほうが長い、このままでは短剣が届かない!

 しかし大蜘蛛の本能か、獲物を足で抱え込んで捕らえようとしたのだ。

 捕らえられたことが逆に功を奏した。

 世にも恐ろしい叫び声。

 軟らかい肉に刺さった短剣。

 大蜘蛛の口が克哉の目の前で蠢いている。

 克哉は短剣を上げて腹を裂いた。

 大蜘蛛の足から力が抜ける。

 その隙に克哉は逃げ出して難を逃れた。

 大蜘蛛の糸が宙を翔ける。

「怯んだだけで、弱ってないってのか!」

 克哉は紙一重で糸を躱した。

 初手と同じ手は使えないだろう。あれは一か八かの賭けだったのだ。

「俺は誰よりも死が怖いんでね」

 無我夢中で克哉は逃げ出した。

 目に入った戸を開けて中に飛び込む。

 すぐに戸を閉めた。

 冷静でなかったと克哉はやったあとに後悔する。部屋に逃げ込んでも逃げ場を失うだけではないのか?

 さらに部屋の中には誰かが寝ていた。

 その顔はどちらだ――美花の部屋だったのか!?

 大蜘蛛は来ない。

 気配はまだ外にある。

 なぜ来ない?

 美花が寝返りを打った。

「うん……ううん……」

 起きてくれるなと克哉は願った。

 やはり大蜘蛛は来ない。

 あんなモノと同居している住人たち。そう考えると、住人たちは襲われないのかもしれない。そうでなければこんな無防備に寝ている筈がない。

「うう……ん……」

 美花がゆっくりと目を覚ました。

「きゃっ!?」

 飛び起きた美花は掛け布団を抱きしめた。

 克哉はすぐに短剣をしまった。

「お嬢ちゃん、俺……じゃなかった、私は妖しいもんじゃありません。この状況じゃ、物取りか変質者に思われるもしれませんが」

「誰か!」

「静かに!」

 慌てて克哉は美花の口を塞ぎ、仕方がなく短剣を首元に突きつけた。

「静かにしてくださいよ。あなた美花お嬢様ですよね?」

「…………」

 口を塞がれたまま美花はうなずいた。

「あなたに危害を加えるつもりはないんですよ。その証拠に今から手を放しますから、絶対に騒がないでくださいよ」

 そっと手を放した。

「…………」

 美花は騒ぎもせず、無言のまま約束を守った。と言っても、短剣を突きつけられたままでは、相手に従うほかないだろう。

「人間相手に、ましてやお嬢ちゃんにこんな物騒な物を突きつけたくないんですが、状況が状況でして」

「殺したいのならどうぞ」

「死を覚悟している人間にこんな真似しても無駄か。俺もあなたのこと殺したくないですし」

 克哉は短剣をしまった。

 美花の視線を克哉の腕に向けられていた。

「酷い怪我ですね、今はこれで我慢してください」

 そう言うと美花は引き出しから手ぬぐいを取り出し、簡単な傷の手当をはじめた。

「まさか侵入者の俺がこんな手厚く手当をしてもらえるなんて、ありがとうございます美花お嬢様」

「悪い方には思えませんから」

「あっはは、よく言われます」

「それにあなたが誰であれ、外の方とお話できたのは久しぶりで、本当に嬉しくて」

「やっぱりあなたも外に出られないんで?」

「ご存じなのですか? そうですね、わざわざこのような場所に出向くのですから、なにも知らないというわけではないのでしょうね」

 傷薬などはなかったので、傷口を縛ることしかできなかった。そのままにするよりは幾分かましだろう。

「どーも」

「どうしたしまして」

 克哉と美花は顔を見合わせた。

 静かな面持ちをしている美花と不思議な表情をしている克哉。

「本当に騒がないんですね、あなたは」

「騒いだ方がよろしいですか?」

 真顔で尋ねてくる美花に克哉は大きく首を振って見せた。

「とんでもない、騒がれたら困ります」

「騒げば人が来ますものね、呼ばれたら困りますか?」

「それはもう」

「なら黙って置いてあげます」

「本当に?」

「ええ、ただしわたしの話相手になってもらえたら……」

「もちろん!」

 大きく返事をした刹那に感じた気配。

 突然、ふすまが開き、隣の部屋から美咲が顔を見せた。

「どうかしたのかしら美花?」

「いいえ、お姉様」

「そう、幻聴だったのかしら。本当にうるさい奴らだわ」

 美咲は怒った顔をしてふすまを閉めて自分の部屋に戻った。

 ふとんに潜っていた克哉がゆっくりと首を出す。

 隣が美咲の部屋だったとは迂闊だった。絶対に見つかると思ったが、寝起きで観察力が散漫になっていたのかもしれない。どうにか美咲に見つからずに済んだ。

 美花が克哉の耳元で囁く。

「また明日話しましょう」

 同じく克哉も美花の耳元で答える。

「ではまた明日。実は俺、屋根裏に棲まわせてもらってるんで、いきなり現れても驚かないでください」

「まあ、屋根裏に!?」

「それから、何も食べてなくて、そこの果物少しもらってよろしいでしょうか?」

「ええ、全部持って行って構いませんよ」

 それは美花の夕食だった。まったく手を付けていなかったらしい。美咲とのことが尾を引いてのどを通らなかったのかもしれない。

 克哉は果物をお盆ごと取った。

 食料を調達するにしても、台所を漁る気にはなれなかった。変な物が出てこないとも限らない。ここで食料をもらえたのは本当によかった。のどが渇いているところに果物というのも嬉しい。

 克哉は頭を下げて、押し入れを開けた。

 それを見た美花は目を丸くしている。

 克哉は声を発さずに「おやすみなさい」と挨拶して押し入れを閉めた。

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