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あやかしの棲む家  作者: 秋月瑛
其之弐 「そこに棲むものたち」
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其之弐 「そこに棲むものたち(3)」

 夕焼けが蒼く染まろうとしている。

 ついに克哉は動き出した。

 まだ穴を覗く気にはなれない。そこで音を頼りにすることにした。

 床の埃を払い耳を近づけ澄ませる。

 音が聞こえた。規則正しい何かを叩く音だ。

 もうしばらく聞いていると、女の声が聞こえてきた。

「菊乃さんまだですのぉ? わたしお腹が空いてしまったわ」

「申しわけございません慶子様。今日は捌く量が多かったものですから」

「静枝さんのせいね」

 会話の最中だったら覗いても平気かもしれない。

 克哉は意を決して穴を覗き込んだ。

 そこにいたのは心惹かれた侍女とはじめて見た女だ。眼鏡を掛けたこの女は二〇代後半くらいだろうか。

 どうやらここは台所らしい。

「静枝さんはすぐに玩具を壊してしまうものだから、わたしはもっと楽しみたいのに」

 声から察するにこちらが慶子と呼ばれたほうだろう。だとすれば侍女のほうが菊乃だ。

 二人はまだなにかを話している。だが、克哉の耳には遠い声に聞こえた。克哉の意識は別の場所にあったのだ。

 まな板に乗せられたあれはまさしく……。

「こんな物のどこが美味しいのかわたしには未だにわからないわ。わたしは殺すのが楽しみだから」

 慶子はそれを見てそう言った。

 身体の芯から克哉はぞっとした。

 菊乃はなんの躊躇いもなく、それから肉をそぎ落として調理する。

 それ以上は見ていられなかった。

 恐怖はあったがこの調子で別の穴も覗く事にした。

 まずは音を確かめる。物音と気配がした。けれど天井近くからではない。

 そっと穴を覗き見ることにした。

 どうやらここは食堂のようだ。

 勝手口で見た侍女が配膳の用意をしている。その脇に寄り添うようにいる幼女。克哉はその幼女の頭に目を凝らした。

 ――角だ、角が二本生えている。

 まるでその姿は鬼だ。

 角に見えるだけで瘤かもしれない。それにしても異様な位置にある瘤だ。

 ふっと角の少女が天井を仰いだ。

 克哉は眼があったような気がした。だがこんな小さな穴で眼が合うはずがない。

「どうしました、るりあ?」

 勝手口の侍女が角の少女――るりあに尋ねた。

「…………」

 るりあは何も言わず首を横に振って、天井から眼を離した。

 気づかれたのだろうか?

 ほかの住人は克哉に気づいているのか?

 気づいていて知らぬ振りをしているのか?

 まだ誰も屋根裏には来ない。

 油断を誘っているのか?

 不安はいくらでも生まれる。

 克哉は次の穴を覗いた。この穴は前に覗いたことがある廊下だ。

 廊下の向こうから少女の影がやってくる。

 美花か美咲、どちらかだろう。

 そのとき、廊下の横の部屋から激しい物音が聞こえてきた。

「うるさいわよ!」

 美花か美咲の少女は物音のした戸に向かって叫んだ。

 音は静かになる。

 克哉はさらに目を凝らした。

 物音がした部屋の戸に赤い札が貼られている。

 封印されている部屋に誰かいたのか?

 いたからこそ物音がしたのだろう。そして、美花か美咲の叱咤で静かになったのだ。

 ここで克哉はふつふつと恐怖が沸いてきた。

 蘇る恐怖。

 こちらを覗いていた眼。

 あの眼を見てしまった部屋だったのだ。

 赤い札のあった部屋はもう覗くまいと誓った。

 そして、屋敷の中を歩いたときの記憶をたぐり寄せた。

 赤い札のあった部屋はどことどこにあったのか?

 ――正確には思い出せない。

 穴を覗く前に赤い札の部屋を把握する必要がありそうだ。

 今の時点でほかに覗けそうな穴はないか?

 この屋根裏の入り口があった部屋だ。

 さっそく克哉はその部屋の穴を探した。

 屋根裏の来たばかりのころは気づかなかったが、やはりこの部屋にも穴があった。

 克哉は気配を探った。人の気配がするような気がする。話し声や物音は聞こえない。覗くか覗くかまいか迷うところだ。

 なにがあろうと驚かないと心に決め、深呼吸をしてから克哉はその穴をそっと覗いた。

 少女が机に向かって読書をしているようだった。美花か美咲か、瓜二つなので見分けは付かない。

 先ほど見た少女とこちらの少女。たしかに雰囲気が違う。姿形は同じでも、そこでどうにか見分けられるかもしれない。

 しばらくようすを伺っていると、戸の奥から声が聞こえてきた。

「美花さま、失礼してよろしいでしょうか?」

「どうぞ瑶子さん」

「はい、失礼します」

 勝手口で見た少女――瑶子は部屋に入ってきた。

「お薬がまだのようなのでお持ちしました」

 瑶子はそう言って盃が美花に渡そうとした。

 本にしおりを挟んで美花は怪訝そうな顔を瑶子に向けた。

「もう飲みたくありません」

「そんなことをしたらお体が……」

「本当にそうなのか、試してみなくてはわかりません」

「美咲さまも静枝さまも飲んでいらっしゃるのですよ?」

「そうですね、それが当たり前のように。わたしはこの家で生まれ、この家で育ち、何の疑問を抱かずそれを飲み続けてきました。しかし最近になって思うのです。それを飲む行為は正しいことなのか」

「そうおっしゃらずに」

 瑶子は盃に朱い液体を注いだ。

「飲みたくないと言っているでしょう。これからは食事もお母様やお姉様とは別の物にしてください。食事を摂るのもこの部屋です」

「そんなこと静枝さまがお許しになるはずが……」

「今日のところは具合が悪いとでも伝えておいてください。あとでお母様と話をしてみようと思います。どうぞそれを持って行ってください」

「失礼いたします。しかしこれは部屋の隅に置いておきますから」

 瑶子は部屋を出て、正座をしてから一礼して戸を閉めた。

 部屋の隅に置かれままになった盃と銚子。美花はそれを見つめ続けている。克哉も同じように見つめた。

 あの朱い液体はなにか?

 美花の躰が震えはじめた。

 視線は盃に注がれたまま美花は何かに葛藤しているようだった。

 拳を強く握り、歯を食いしばっている。

 それも長くは続かなかった。

 美花は盃と銚子に駆け寄った。

 そして注がれていた盃に手を掛けたのだ。

 美花は泣いていた。

 泣きながらその朱い液体を一気に飲み干した。

 さらに銚子から盃に朱い液体を注ぎ、銚子が空になるまで飲み干した。

 美花の口元から朱い液体が垂れている。

 指でそれを拭った美花は、しばらく眺めたあと、指事それをしゃぶった。

「……できなかった……我慢できなかった……意志ではどうにもならない本能なのね」

 美花はぐったりと壁にもたれかかった。

 あの朱い液体が克哉の想像するものであれば、それはおぞましい行為であった。

 しかし、今目の前で泣いている少女は、すぐにでも抱きしめてあげたかった。

 美花の葛藤は克哉にも伝わったのだ。

 静かに克哉はその穴をあとにした。


 陽が落ち、空は月明かりに照らされていた。

 椅子に腰掛け休憩をしていた克哉は蝋燭に火を点けた。

 克哉はその場を移動して食堂の穴を覗く事にした。

 食事の頃合いを狙うつもりだった。その時間であれば、この屋敷の住人が多くその場に集まっているはずだ。まだ知らぬ住人がいるかもしれない。

 まずは耳を澄ませてようすを探る。小さな物音がいくつか聞こえる。女の話声も聞こえてくる。

 克哉はそっと穴を覗いた。

 食卓を囲っていたのは静枝、美花か美咲のどちらか一方、前に聞いた話から察するに美咲のほうかもしれない。それに慶子を加え、侍女の菊乃と瑶子は傍でじっと立っている。新たな顔ぶれはない。

 当主の静枝、それを母とする美咲と美花の双子、侍女の二人。すると慶子とはいったい何者なのだろうか?

 それにるりあという角の生えた少女の姿もない。

 赤い札の部屋の住人。

 まだ姿を見ない少年たちの行方。

 そして、友人のルポライターはどこに?

 しばらく見ていると瑶子はいったん奥へと消え、再び戻ってくるとお盆に食事を乗せて戻ってきた。そのままほかの部屋へと移動する。

 克哉は先を見越して美花がいると思われる部屋の天井裏に向かった。

 そっと穴を覗く。

 美花は壁にもたれかかりうずくまっている。まだ泣いているのかもしれない。

 すぐに廊下から声がした。

「美花さま、失礼してよろしいでしょうか?」

「どうぞ瑶子さん」

「はい、失礼します」

 やはり瑶子の行き先はここだった。

「お食事をお持ちしました」

 白米と山菜、果物などで肉はない。

「ありがとう瑶子さん。あなただけ、あなただけ……本当にわたしのことを心配してくれるのはあなただけです」

「そんなことはありません。静枝さまだって美咲さまだって、慶子先生も、るりあちゃんも菊乃さんもきっと心配してますよ」

「……そうね」

「大丈夫ですか美花さま?」

「大丈夫、なにも心配いらないから、あなたも自分の仕事に戻って」

「……はい」

 瑶子はちらりと盃と銚子を見て、なにも言わずそれらを盆に乗せて部屋をあとにした。

 独りになった美花は沈んでいるようだった。

 机に向かって本を読もうとしているが、頁がいっこうに捲られない。

 すぐに美花は本を閉じて机に顔を伏せた。

「……外の世界にことなんて知らなければよかった」

 美花はそっと本を自分から遠ざけた。

 噂を克哉は思い出した。

 この屋敷の住人は外に出ない。唯一出入りをしているのはひとりの侍女だけ。

 出ない、それとも出られないのか?

 この屋敷が世界のすべてだったらと思うと克哉はぞっとした。

 突然、戸が開き美咲が入ってきた。

「瑶子に聞いたわ、どういうことか説明して」

「お姉様!」

「ねえ死にたいの?」

「そんな……死にたいだなんて」

「だってそういうことでしょう。死にたいのなら今ここで殺してあげましょうか?」

 克哉は戦慄した。美咲のその言葉が本気だと感じたからだ。

 狂ってる。

 胸を締め付けられるような狂気を美咲は放っている。

 美花は美咲を見つめたまま黙っていた。

 美咲もなにも言わず睨んでいる。

 しばらくして美咲が美花に向かって歩き出した。

 そして、細い手が美花の首へと伸ばされる。

「お姉様!?」

 眼を丸くして息を詰まらせる美花。

 美咲は嗤いながら美花の首を絞めていた。

「苦しいでしょう、死ぬのは苦しいのよ、死に近付くにつれてもっと苦しくなる」

「ううっ……やめ……お……」

「綺麗な顔……世界で一番綺麗なあなたの顔……大好きよ美花」

「く……うっ……くはっ!」

 首を解放され、一気に呼吸を取り戻した。

 美咲は背を向けた。

「死にたいのなら勝手になさい」

 そう言って美咲は咳き込んでいる美花を尻目に部屋を出て行ってしまった。

 美花の首にはくっきりと指の痕が残っていた。

 殺す気はなかったというのか?

 だとしても尋常な行為ではなかった。

 美花はじっと動かない。克哉は別の穴を探ることにした。

 廊下の穴を覗くと美咲と静枝がなにやら話しているようだった。小さな声でまったく聞き取れない。険しい顔をする美咲と涼しげな顔をする静枝。

「わたくしの部屋においでなさい」

 と、いう静枝の声だけは聞き取れた。

 廊下を歩き出す二人。

 見失わないように克哉は次々と穴を辿った。ほかの穴を覗かぬように、慎重に二人のあとを追わなくてはならない。

 そして、ついに静枝の部屋を突き止めた。

 部屋の中に消えた二人。克哉も部屋の天井の穴を覗いた。

 正座をして向かい合う二人。先に話を切り出したのは美咲だった。

「放っておけばそのうち死ぬわ。どうする気?」

「どうもしないわ。そうなればそれが定めなのよ」

「定めなんてくだらない」

「くだらなくても従わなければ生きていけないのよ、我が一族は」

「本当に嫌気が差す。わたしの代で全部終わらせてやる」

「それならなおのこと、あの子が死んであなたが次の当主になればいいわ」

「……当主なんて興味ない」

 美咲の眼は相手を殺さんばかりの眼だった。

 艶やかに微笑みながら静枝は受け流している。

「あなたの意志なんて関係ないのよ。必ずどちらかが当主になる。そして、この屋敷と共に生き続ける」

「今だってこの屋敷に縛られてるじゃない!」

「そう、それが続くだけ。あなたも、あなたの子も、あなたの孫も、永遠に……」

「子供なんて生まないわ!」

「わたしもそう思っていたわ」

「もういい!」

 美咲は立ち上がり部屋を飛び出した。

 残された静枝はひとりつぶやく。

「困った子だこと。でもああいう子が次の当主になるのよ、わたしのように……」

 克哉は静かに穴から目を離した。

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