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あやかしの棲む家  作者: 秋月瑛
其之弐 「そこに棲むものたち」
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其之弐 「そこに棲むものたち(2)」

 なんとそこは浴室だった。

 裸の女がひとり。歳はおそらく三〇手前くらいに見える。

 女はたらいの湯を肩から流した。

 流れた湯の色が朱く染まる。

 それを見た克哉は出そうになった声を慌てて呑み込んだ。

 まさかと思いながら確かめようがない。

 怪我をしているのか?

 綺麗な肩をしている。背中にも傷はない。では朱いそれはいったい何なのか?

 女は浴槽から湯を汲もうとした。

 それを見た克哉は気づいた。

 湯船が朱い。

 その湯船につま先をつけた女。そのままゆっくりと朱の中へ全身を沈めていく。

 このとき克哉ははじめて女の顔を見た。

 顔の半分を埋め尽くす痛ましい痣。

 その痣を持つ者がこの屋敷にいることを克哉は事前に知っていた。

 この屋敷の当主――鬼塚静枝だ。

 事前に持ち合わせている情報がいくつかある。そもそも情報が一つも無ければ、こんな場所でこんなことをしているはずもない。

 鬼塚静枝は女だてらにこの家の当主であるという。噂によれば、そもそもこの家には男がひとりもいないらしい。少なくとも見たと話は聞かなかった。

 奇妙なこの屋敷の話。里の者が不気味がり、噂でも伝え聞いた情報によれば、屋敷の者はひとりを覗いて屋敷の敷地から出てこないのだという。

 妖しげに思った者が何度かこの屋敷を調べた結果、庭先で何人かを見ることができたという程度。ただし、屋敷の中に入ったという話は聞かなかった。

 敷地から出ないという行為は徹底しているらしく、住人が垣根越しに外の者と話しているのが目撃されたことがある。外に出ないだけではなく、外からも中に入れないという決まりもあるのかもしれない。

 中に入ったという話は聞かないが、実際こうして克哉は入ることができた。敷地に侵入するだけなら、あんな垣根くらい簡単に越えることができる。恐ろしがって今までだれも入ろうとしなかったのか――いや違う。

 今回、克哉がここに来た理由の一つ、それが行方不明者の捜索だった。

 数週間前、克哉の友人のルポライターが失踪した。克哉に言い残した最後の取材場所は、ほかならぬこの屋敷だったのだ。

 克哉が調べて見ると、過去にも同様の事件が起きていることがわかった。事件と言っても表沙汰にはなっておらず、噂程度のものだったが。

 知り合いのルポライターは、取材に来たのだから屋敷の中に入っているはずだ。正面から行って断られても、きっとあいつだったら忍び込むだろうと克哉は思っている。

 克哉はこの屋敷で知り合いのルポラーターの痕跡、そして足取りを見つけ出したかった。

 おそらく今すぐそこにいる当主である静枝がなにか知っているだろう。来たのであれば、そういう人物が来たという話くらいは聞いているはずだ。

 しかし、正面を切って克哉は静枝と話したいとは思わない。穏やかな噂を聞かないこの屋敷。不気味な屋敷の取材に来た知り合いが実際に行方不明になっている。

 実はまだほかにも克哉がもっとも危惧している悪い噂がある。

 屋敷の中に入ったという話を聞かないというのは、屋敷に入った者を見たという話ではなく、屋敷の中に入ったことがある者の話という意味だった。

 つまり屋敷の中に入る者は目撃されているのだ。

 ひとりを覗いて出入りをしていないということだが、もちろんその者のことを言っているのではない。

 月に一度ほど、この屋敷にまとめて若い少年が入って行くのが目撃されている。何度も何度も屋敷の中に入っていく。だが誰も出てこない。今では屋敷の中は若い少年で溢れかえっているはずだ。

 克哉がここに来てそんな気配しただろうか?

 まとめてどこかにいるにだろうか?

 噂によると、中に入った少年の数は優に百を越えているらしい。最近ではさらに加速して多くの少年が中に入っていくという話だ。

 そんな多くの少年を集めていったい何をしているのか?

 克哉は再び穴を覗いて湯船を見た。

 朱い湯が揺れている。

 静枝は腕をもみほぐしながら、その湯を練り込むようにしている。

 その悦に入る表情がなんと艶やかなことか。痣までも美しく見えてくる。

 それ以上見ることを克哉はやめた。

 気配を消して静かにその場から離れる。

 しばらく次の行動に移らず、ただじっと立ちすくんでいたが、一〇分ほど安いんで再び動き出した。

 床を注意深く探す。すぐにそれは見つかった。

 横に線が二本。おそらく『二』と書かれているのだろう。そしてまた丸で囲われた穴があった。

 次の穴を覗くのは少し勇気がいった。

 意を決して覗くと、そこは脱衣所だった。ちょうどそこには静枝の姿があり、着物に着替えている最中だ。

 すぐに静枝は着替えを終えて出て行く。誰もいない脱衣所を見ていても仕方がないので、眼を離そうとしたとき、また新たな人物が入ってきた。

 小柄な少女だ。おろらく格好からして侍女だろう。勝手口で見た侍女とはまた違う少女だ。

 艶やかな黒髪に陶磁器のような白い肌。仕事中だからかもしれないが、表情が無機質に乏しい。

 なぜか克哉はその侍女に心惹かれた。

 理由はさっぱりわからなかった。このような少女に何か思い入れがあるわけでもなければ、今まで付き合ってきた女も年上だけだった。それもだいぶ年上の女が多かった。

 侍女は服を脱がずに浴室へ入っていった。克哉は浴室の天井に移動した。

 先ほどは感じなかった後ろめたさ。

 静枝のときは嫌なものを見たという気持ちだったが、今は悪いことをしているという感情が湧いてくる。

 侍女はとくになにをしているというわけではない。浴室の清掃をはじめただけだ。それでも目が離せなかった。

 やがて清掃も終わり、脱衣所へ、そして廊下へ。移動する侍女を追いかけようとした。

 新たな穴を探す。

 穴はそこら中にあった。おろらく全ての部屋にあるのだろう。

 侍女を追って穴を覗いたが、そこは誰もいない部屋だった。

 次に見つけた穴は廊下を見ることができた。けれど侍女の姿はもうなかった。

 先を予想して穴を覗いたが、そこも人気のない廊下だった。

 克哉は侍女を追うことを諦めた。

 まずはいったん生活空間まで戻ろう。

 収穫は覗き穴の存在だ。それもおそらく屋敷のすべてを見ることができる。

 わざわざなぜそのような穴をつくったのか?

 覗くという行為は相手に知られないように観察するため。

 特定の人物を覗くのであれば、特定の部屋の上にだけ穴があればいい。これだけ網羅しているとなると、この穴を作った人物は屋敷のすべてを把握しようとしていたのだろう。

 その目的と、それを使用していた人物の特定はさておき、まずは穴の位置を把握することからはじめよう。

 克哉は懐から手帳とペンを取り出した。

 まずは大まかな屋敷の平面図を描く。そこに先ほど見た穴の位置と番号、部屋の見取り図を書き込む。

 この作業を続ければ屋敷の見取り図が完成するはずだ。

 屋敷の輪郭を調べようと壁沿いに歩いた結果、離れが三つ存在していることがわかった。ありがたいことに、離れに続く廊下にも天井裏が存在しており、どうやら本当にすべての部屋を網羅しているらしい。

 輪郭を描き終えたら、いよいよ一つ一つの穴を調べる作業だ。これはじつに骨の折れる作業である。

 ここで一服するか克哉は迷った。

 あと二本。

 吸いたくて堪らない。後先のことを考えるよりも、今だ、

 克哉は煙草を咥えライターで火を付けた。

「ふぅ……」

 残り一本になってしまった。

 最後の一本は屋敷を出たらと思ったが、その思いも長く続くとは限らない。

 煙草を吸い終えるとさっそく作業に取りかかる。

 まずは近くにある穴からだ。

 埃を払い番号を確認して、穴を覗く。

 ――眼。

「わっ!?」

 短く叫んで克哉は腰を抜かした。

 穴の先に見えた目玉。誰かがこちらを覗いていたのだ。

 凍えるほど寒く、全身が震える。

 汗が噴き出してきた。

 今のいったい?

 確かめるために再び覗く気にもなれない。

 偶然か?

 屋根裏の穴を知っている者がいたのか?

 しばらくすると天井を叩く音がした。何度も何度も天井を叩いている。先ほどの穴があった部屋だ。鬼気迫る勢いで猛烈に叩いている。

 音は移動している。棒か何かで部屋を歩き回りながら叩いているのか?

 確実に克哉の存在を気づかれている。そうでなければ、あんなにも威嚇するように天井を叩くものか。

 克哉は静かに後退った。

 その場を離れ、生活空間まで戻ると、机の上に登った。

 そして背は壁に付ける。

 克哉を捜しに屋根裏に誰かが来るか?

 瞬きの回数が減る。

 耳も研ぎ澄まされる。

 心臓の鼓動は加速して止まらない。

「大丈夫だ……大したこったない」

 小さくつぶやいた。

 早くも最後の一本を口に咥えた。まだ火は付けない。咥えているだけでもだいぶ安心する。

 屋根裏は静まり返っていた。

 ――誰も来ない。

 時間だけが過ぎていく。

 ――まだ誰も来ない。

 このまま誰も屋根裏に現れないのか?

 克哉は淡い期待を抱く。

 もしかしたら自分の存在を知られていないかもしれない。

 屋根裏は暗がりだ。向こうから覗いても、こちらのようすはよく見えなかったはず。

 克哉は首を横に振った。

 あのとき叫んでしまったし、腰を抜かしたときに尻餅までついて音を立ててしまった。

 ではなぜ屋根裏に来ない?

 屋根裏の入り口がわからないのか、それとも向こうも怯えて確かめに来られないのか。

 克哉はばれたことを前提に考えることにした。用心をして対策は練っておくべきだ。

 まずはいつ誰かが来るとも知れない屋根裏を抜け出したい。

 それには下のようすを探る必要がある。

 穴を覗いて確かめるのか?

 それとも確かめもせず下りてみるのか?

 ――下りられない。

 これは物理的にというより、精神がこの場に縛られてしまった。

 軟禁状態になってしまったのだ。

 下りられないなんて言って、一生ここにいるわけにはいかないのは明らかだ。

 ここには水も食料もないのだ。数日も保たないだろう。数日も待つ必要はないかもしれない。その前に誰かが屋根裏に登ってくる。

 すべては時間の問題だ。

 なにをそんなに恐れている?

 相手はたかだか人間だ。

 本当に人間なのか?

 噂を思い出せ。

 風呂場で見た静枝を思い出せ。

 そして、あの眼だ。

 あの目玉はいったい誰だったのか?

 今まで見た人物の中にいただろうか?

 勝手口で見た侍女。

 美花と呼ばれた少女と瓜二つのもうひとりの少女。

 当主である静枝。

 なぜか心を惹かれた侍女。

 あと何人くらいこの屋敷にはいるのだろうか?

 連れて来られている若い少年たちはどこに?

 また時間だけが過ぎていく。

 このまま屋根裏に誰も来ないのか?

 来ないのならそれに越したことはないが、来ないのならずっと緊張が解けない。

 机の上でじっとしたまま、恐怖を思い描きながら時間が過ぎていく。

 長い時間だった。

 やがて陽も落ちはじめた。

 このまま夜更けまで待って住人たちが寝静まるのを待つか?

 いや、逆にこちらが寝静まったのを見計らって、そのときこそ屋根裏に登ってくるかもしれない。

 いつになったら屋根裏から下りられるのか?

 このまま見つかってしまえば気も楽になるかもしれない。

 もしも見つかるなら誰がいいのか?

 静枝には見つかりたくない。

 ほかの者だって見た目にはわからない狂気を秘めているかも知れない。

「……すべて俺の妄想か?」

 じつは恐怖など存在していないのか?

 克哉が煙草に火を付けることはなかった。

 ただただ時間だけが過ぎていった。

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