其之弐 「そこに棲むものたち(1)」
屋敷に棲むものたちは怪奇にして異質。
目に見えるもの、目に見えざるもの。
今日も命の糸が絶たれる。
それは運命の糸を覗き見た末路。
男は尋ねた。
村人は答えず。
誰もが口を閉ざす呪われた一族の怪。
雑誌の取材だと説明すると、早く帰れと怒鳴られた。
そのような扱いをされると逆に興味がそそられる。
立川克哉はその屋敷に直接向かうことにした。
取材をしていた山里の小さな村からだいぶ距離があった。こんな場所に屋敷があっては不便だろう。狩人や農民であるなら自給自足もできるだろうが、立派な屋敷を見る限り、物資は遠方から運ばされているように思える。
そう考えると、新たな疑問が浮かんでくる。
こんな辺境でどのようにして生計を立てているのだろうか?
この辺りの土地を所有していて、あの里からの税収のような物があるのだろうか?
「……ったく、誰も取材に答えてくれないから、なんにもわからずじまいだ」
愚痴をこぼしながら克哉は屋敷に近付いた。
悪寒がした。
「嫌な感じの屋敷だ」
何がと問われると答えるのは難しい。大雑把に言えば雰囲気。普段は無邪気な子供の笑い声も明るく聞こえるが、ここでそんな声が聞こえてきたらぞっとする。
大きな正面門は固く閉ざされていた。克哉はそこから堂々と中に入る気がしなかった。門を開けてもらうには人を呼ばなくてはならないが、まだ屋敷の者とは会いたくない。
まずは屋敷に周りを歩いてみることにした。
背の高い垣根が続いている。
垣根は唐竹で作られた格子の物で、四つ目の隙間から中のようすを伺うことができる。
庭には草木一つなく、枯れた大地が深々と広がっている。
屋敷は平家建て、雨戸などはすべて閉められ、閉鎖的な印象を受ける。見通しのよい格子とは対照的だ。
さらに進むと竹林が広がっていた。鬱蒼としていて、あまり進んで入りたいとは思わない。
道を戻り逆方向から屋敷の周りを歩いてみると、今度は崖がありそれ以上は進むことができなかった。
克哉は垣根に足を掛けた。体重を乗せても大丈夫そうだ。そのまま垣根を登った。
折り返して下りようとしたとき、足に何かがぶつかり掬われた!?
「お…っと」
垣根から手足が離れた。
「うっ」
どしりと音を立てて克哉は腰から地面に落ちてしまった。
腰を押さえながら立ち上がって、周りを見回してみるが何もない。
見通しのよい何もない庭だ、屋敷の者が現れたらすぐに見つかってしまう。垣根を越えて入ってくるような真似をしたのだから、こんなところで住人に見つかっては意味がない。
小走りで屋敷に近付いた。
固く閉ざされた雨戸。中からの気配はなく、静まり返っている。
どこか中へ侵入する場所はないかと歩き出そうとしたとき――がたっ、がたがたがた!
騒々しい音が中から聞こえてきた。
耳を澄ますと、すぐに音は聞こえなくなってしまった。
もうしばらく耳を澄ませてみたが、もう音が聞こえてくることはなかった。
見切りをつけてほかの場所へと移動する。
窓の一つも開いていそうだが、まるで空き家のように閉ざされている。
しかし、先ほどの音からわかるように、中に何者かがいることは間違いないだろう。
屋敷の裏手まで来ると扉の開く音が聞こえ、克哉は慌てて身を隠した。
勝手口から出てきた侍女らしき少女。
機会は今しかないと思い、克哉は勝手口から屋敷の中に侵入した。
脱いだ靴を片手に持ち、早々に台所から立ち去る。
広い屋敷とはいえ、無闇に歩き回ればすぐに住人と鉢合わせしてしまうだろう。しかもまだ真っ昼間だ。さらに鉢合わせの危険性が高まる。
これだけ広い屋敷だ。あまり使われていない部屋があるに違いない。
廊下には余り長居をしたくない。気配がしたら近くの部屋に逃げ込みたいところだが、この場所ではそれも叶わないらしい。
部屋の戸には赤い札が貼られている。それもそこかしこの部屋の戸だ。剥がして中に逃げ込めば一目でわかる。
それにしてもこの赤い札はなんなのだろうか?
自然に考えれば部屋の立ち入りを禁止しているのだろうが、部屋の立ち入りを禁止すること事態が自然ではない。それもそこら中の部屋だ。
多くの部屋が開かずの部屋となっているとしたら、開いている部屋に入った途端に住人と鉢合わせ、という確立が高くなる。広い屋敷でも、まるで狭い家にいるようなもの。こうやって屋敷の中を歩き回る危険性も高くなるということだ。
一歩踏み出した廊下が酷く軋んだ。体重を乗せる度に静かな廊下に音が響き渡ってしまう。
その軋みが逆に克哉の身に危険が迫っていることを教えてくれた。
誰かが廊下を歩いてやってくる。まだ曲がり角の向こうにいるらしいが、このままでは鉢合わせだ。
慌てた克哉は辺りを見回した。札のない部屋だ。
この場に立っていて見つかるくらいなら、部屋に入った途端に住人がいても同じだ。
克哉は速やかに部屋の中に入り、静かに戸を閉めた。
少し安堵できた。部屋には誰もいなかったのだ。
しかし、安心してもいられないだろう。
廊下からはまだ音が聞こえてくる。この部屋に向かっているという可能性は十分に考えられるだろう。
隠れられそうな場所は押し入れしかなかった。
開けてみると布団などが収納されていた。葛籠などの箱がいくつか入っているが、少しどかしてやれば大人ひとりくらいなら入れそうだ。
克哉は急いだ。
部屋の前で足音が止まった。
靜かに押し入れがしまるとほぼ同時に戸が開いた。
克哉は息を呑んだ。
ほんの少しだけ押し入れを開けて、部屋のようすに目を凝らした。
入ってきたのは少女だ。花の刺繍が施された着物を纏った清楚な少女。
少女は部屋でなにかを探しているようだった。
そして、克哉が隠れている押し入れに近付いてきたのだ。
もう一巻の終りだと克哉は思った。
言い訳など役に立たないだろう。見つかったときは相手を押し倒して一目散に逃げよう、とまで考えて覚悟した。
だがそのとき、部屋の戸が開き新たな少女が顔を見せた。克哉はその少女の顔を見て息を呑んで驚いた。今部屋にいる少女と瓜二つなのだ。
「美花いらっしゃい、探し物が見つかったわよ」
探し物――少しどきっとする言葉だ。
美花と呼ばれた少女は、同じ顔をした少女と共に部屋をあとにした。
忘れていた呼吸を思い出し、克哉は大きく息を吐いた。
周りの気配を探りながら念のため少し時間をおき、それから押し入れから出た。
やはり屋敷の中を歩き回るのは難しい。せめて夜中になれば状況が変わるかもしれない。それまでどこかに隠れていようか?
押し入れに目をやる。布団が収納されていることから、寝室である可能性が高い。こんなところに隠れていては見つかってしまう。
克哉はさらに押し入れの奥を見た。押し入れの天井。天井裏なんて場所は人が来る場所ではない。いるとしたら鼠や蜘蛛くらいだ。
どうにか天井裏に隠れられないものか?
克哉は押し入れの2段目によじ登り、布団を掻き分けるようにして天井を調べた。
天井が動いた。
外れたというよりは、まるで戸のように動いたのだ。はじめから屋根裏に入ることを前提に作られているかのようだ。
その意図的な仕掛けに不安を感じながらも、克哉は屋根裏へと登った。
ライターの火を灯す。
遠くまでは暗くて見通せないが、屋根裏は思ったよりも広かった。屋根も高く立って歩けるくらいだ。
足下には埃が溜まっている。
暗がりで何があるのかわからないので慎重に歩く。足下だけでなく、頭も気をつけなくては
いつ梁にぶつかるかわからない。
少しずつ目が慣れてきたが、それでもライダーだけの灯りでは心許ない。
驚くべき物を見つけて、出そうになった言葉を引っ込めた。
そこにあったの部屋だった。いや、この屋根裏自体が巨大な部屋だったのかもしれない。
質素ではあるが家具一式が揃っている。どこれも埃を被っていて、長らく使われていないことは明らかだ。
ありがたいことにまだ使えそうな蝋燭もあった。すぐにライターから火を移した。
蝋燭に火を付けると、先ほどよりも見通しがよくなり、小さな雨戸を見つけることができた。
雨戸に手を掛けるがなかなか開かない。
「くっ……この……っ!!」
勢いよく開いた雨戸。全体重を掛けて開けようとしたため、開いた反動で克哉は転んでしまった。
屋根裏に響いた大きな音。
克哉は身の凍る思いをした。
今さら息を潜めるが、鳴ってしまった音は消すことができない。
すぐに屋根裏に誰か上がって来やしないか肝を冷やす。
誰にも気づかれていないことを祈るばかりだ。
仕方がないので克哉は気を取り直すことにした。この屋敷のどこにいても気は休まらないのだ。
雨戸を開けるとさらに屋根裏は明るくなった。
息を止めて椅子に乗った埃を静かに払う。山盛りの埃を手から落としてから椅子に腰掛けた。
自然と溜息が出る。
ズボンから出した煙草の箱は潰れてしまっている。残りは三本。いったん口に運んでから箱に戻そうとしたが、やはり口に咥えることにした。
ライターで煙草に火を付ける。
ふかした煙を雨戸の先に見える空に向かって噴き出した。
安堵と余裕が生まれた。
煙草を吸い終えたが灰皿がなかった。
まさか灰皿なんてないだろうと探してみると、別の物を見つけてしまった。
机の隅に黒く焼け焦げた箇所があったのだ。それは何度も熱源を押しつけた点の集合体で、まさかと思いながらも克哉はそこに煙草を押しつけてみた。すると同じような焦げ痕ができたではないか。
煙草を消すとちょうど手の届くところにごみ箱があった。空だった中身に煙草を放り投げる。
屋根裏に棲んでいた住人に思いを馳せてみる。
もしも煙草を吸う人物だったとしたら、灰皿くらい用意しろと思うところだ。不精者か何かだったのだろうかと思いながら、克哉は自らの顎に生えた無精髭を撫でた。
屋根裏の住人の人物像を探るにはまだ情報が少ない。
さっそく家具などを調べて見ることにした。
机には幾つもの引き出しがあった。全部鍵穴がついている。さらに鍵も掛かっていた。
箪笥も調べて見よう。
こちらも鍵穴があった。そして、どれも開かない。
こんな場所、滅多に人の来る場所ではない。屋根裏なんかにある家具に鍵など必要だろうか。
それほど重要な物が中に入っている――としても、この全部にだろうか。
本当に重要な物がたくさんあるのか、それとも相当用心深いのか。
灰皿も用意していない人物が?
開かない以上はどうしようもない。壊してもいいが、価値が生まれるかどうかは壊してみないとわからない。それに壊すには一苦労どころではない苦労をしそうだ。
克哉は別の物を調べることにした。
置かれていた寝具はベッドだ。埃が酷くて今すぐ寝る気にはなれない。
どのくらいこの屋敷にいることになのか。それはまだ克哉にもわからなかった。
そう考えると休む場所が必要だ。
静かにベッドの埃を払うことにした。なかなか骨の折れる作業だ。
だいぶ時間が掛かった。目で見える上に乗っていた埃払うことができたが、寝た瞬間に埃が舞い上がりそうな気がする。両手も酷く汚れてしまった。手を洗いたいところだが、屋根裏には水道までは用意してなかった。
そもそも、この屋敷自体に水道が通っているとは考えづらい。
克哉は普段の生活を思い出した。
三流ルポライターで狭い共同住宅に住んでいるとはいえ、水道くらいはちゃんとある。食べ物だって自給自足ではなく、お金を出して買う物である。
とは言っても、幼い頃は田舎に住んでおり、水はいつも井戸からくみ上げていた。そのくみ上げを仕事をさせられていたのが克哉だ。
克哉は煙草を再び吸おうとして、どうにか堪えた。あと二本しかない。
「……まあ、住めば都か」
こんな屋根裏でも、長く住めば都かもしれない。
ただ、そんなに長居をしたいとは思わないが。
克哉はほかの場所に移動することにした。この場所は生活空間だろう。屋根裏のほかの場所には、またなにか別のものがあるかもしれない。
手に持てる蝋燭台を見つけた。蝋燭も設置してある。雨戸を開けて日が入ってきたが、奥はまだ暗闇だ。蝋燭台を持って行くことにした。
雨戸はほかの場所にもあった。
今度は慎重に開ける。また大音を立てて肝を冷やすのはごめんだ。
徐々に屋根裏の全貌が明らかになってくる。
本当に広い屋根裏だ。おそらく屋敷とほぼ同じ大きさだろう。
もしかしてと克哉は思った。
屋根裏への道は意図的な作られていた。果たしてあの場所だけが出入り口なのだろうか?
この屋根裏からすべての部屋に行けるような気がしたのだ。
埃が邪魔で足下がよく見えない。
さすがにこの広い屋根裏を掃除する気にはなれなかった。
出入り口がほかにあったとしても、これでは探すのに苦労しそうだ。
這いつくばって床を調べるなら、掃除したほうが楽そうだ。
とりあえず足で少しずつ埃を払いながら進んでいく。
しばらくして、何やら床に書かれた白い模様を見つけた。
縦に三本の線。文字だとしたら『川』だろうか?
向きを変えて改めて見た。そうすると『三』のようにも見える。
さらにほかにも模様が描かれていた。ただの丸だ。これは見る方向を変えても丸は丸だろう。
目を凝らして丸を眺めていると、まるで夜空で微かに輝く星のような物が見えた。光が漏れている。埃を払って目を近づけた。
それは間違いなく穴だった。大きさは針穴よりは大きいが、だいたい錐で開けたくらいなものだろう。
さらに穴に目を目を近づけた。
見える!
かなり見づらいが部屋の中を見ることができた。
しかも部屋には誰かいるではないか!?
物音一つ立ててはいけない。
克哉に緊張が走った。