GW前編
『どんなに辛いことがあっても、明日は必ずやってくる』
さて、この言葉を受けて、君はどんな想像を働かせるだろうか? 辛いことを引き摺ったまま翌日を迎えるか、それとも逆に翌日はいいことがあるはず、と希望を持つか。どちらを選んだかにより、その人となりがわかってくる。
ちなみに俺は前者。昨日嫌なことがあったからって、今日いいことがあるわけないのだ。幸福の平均値、だったかな。今辛い目に遭うと、未来の自分はその分幸せになれる。ーーー馬鹿か。そんな先の見えない幸福になんて縋れるかよ。むしろ後々不幸になっても構わないので、今幸せになりたいまである。それくらい、今の俺は不幸だった。
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翌日。どんよりとした眼で登校する。ただでさえ陰気臭いと言われる(陰口)顔が、二割増しくらい酷いことになっていた。それも、一晩中説教をかまして下さった妹様のお陰だ。実に無意味な時間だった……が、俺の歩みが遅れるのは、寝不足だけが原因ではない。
神菜は本格的にへそを曲げてしまったらしく、笹原の件を手伝ってくれない宣言をされてしまったのだ。オマケに期間まで設けやがった。それが、
「GW、か……」
そう、ゴールデンウィーク。学生にとって嬉しい連休のゴールデンウィークは、この手のゲームのプレイヤーにとっても例外ではない。
特別な日には、特別なイベントを。このゲームのGWは、その時点で一番好感度の高い対象とデートをするイベントが発生する。これで必ずしも攻略キャラが確定するわけではないが、好感度の上がり幅はかなり大きい。このイベントを飛ばすと、ほぼ選択肢のミスが許されなくなるというのだがら、なんとしても成功させたいところだ。
一応、誘う相手も決めてはある。同じクラスの西条だ。なんでも、このゲームの主人公は肉食系だったようで、他学年の対象の好感度を稼ぐ場合、その対象の教室まで押しかける必要がある。まあ、結衣には無理だよな。要するに消去法だ。
俺に課せられたミッションは二つ。乱入を防ぐため、笹原を当日に排除、もしくは仲間に引き込む。それと、西条と遊びに誘える程度には仲良くなる、あるいは結衣と親密にさせる。期限はGWまでの約一ヶ月間。無理難題すぎる……。
とにかく。二人を注意深く観察してみよう。何か弱点を晒すかもしれないし。敵を知り、己を知らば百戦危うからず。弱点を知り、弱みを握ればどんな相手も怖くないという古語である。え、違う?
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こうして、俺の観察生活はスタートした。人間、人に言えない弱みの一つや二つや十や二十、軽く持っているものだ。あっという間にボロを出してくれるさ、という俺の見立ては甘かった。俺はすっかり忘れていたのだ。彼等が元々、二次元の住人だということを……。
正統派シミュレーションゲームの主要人物である彼等に、汚い心があるはずがなかったのだ。西条は西条で誰にでも分け隔てなく優しいし、笹原は結衣が絡むと豹変することを除けば、女子に対しては優しい。男子は結衣を狙う害虫とても勘違いしているのか全く寄せ付けないが、その潔癖さが周囲には好印象に映っているようだ。
一週間ほど経過して、何の成果も得られなかった。頭を悩ませながら帰宅する。リビングのソファに座って唸っていると、背後から声をかけられる。
「お兄ちゃん、調子はどう?」
「さっぱりだ」
両手を上げて降参の意を示す。初めの内は怒って口も利いてくれなかった神菜だが、そろそろ機嫌が治ってきたようで、こうして普通に話しかけてくれるようになった。今後チンチクリン発言は控えるとしよう。
神菜は「はい、これ」とテーブルにコーヒーを置き、俺の隣に腰掛ける。三人掛けで広さもあるというのに、密着するような距離だった。反射的に端に寄ると、その分の距離を詰めてくる。ふわりと、女の子っぽい甘い香りが鼻をくすぐる。何これ、瓶に詰めたら絶対売れる。
「……金ならないぞ」
「ボクはどういうイメージで見られてるのかな……。そうじゃなくて、お兄ちゃんだけに頑張らせてるからさ。せめて労おうかなって」
そう言うと、神菜は小さな手で俺の頭をくしゃくしゃ撫でてくる。なんだかこそばゆくて、恥ずかしい。こういうのは普通、兄の役目じゃねーの?
「……金ならないぞ」
「だから……っ! はあ、まあいいや。お兄ちゃんがツンデレなのはもう知ってるし」
子供を見るような呆れた様子に、顔が熱くなる。ぐっ、照れ隠しを見破られてしまったか。だが、なすがままにされるというのも歯痒い。
「……労うくらいなら、仕事を変わってくれよ」
「うん、それなんだけどねー」
ダメ元で頼んでみたわけだが。神菜は俺の頭から手を離し、真面目な表情で続けた。
「笹原さんと西条さんには、ボクが当たることにするよ。最悪、西条さんの方は一年の子で代用できるから。ま、こういう言い方をしちゃ失礼だけどね」
「は……なんだよ、それ」
まさかの全部引き受けてくれる発言である。いや、望んでいた展開ではあるのだが、唐突すぎて喜びより驚きが勝った。
「だってさ、元々はボクの責任でしょ?」
「あー……そういやそうだったな」
「ほら、そういうとこ。ボクが悪いのにちっとも責めてくれないし、だから甘えちゃってたって気付いたんだ。妹って立場に浮かれてたのかな……」
たはは、と寂しげに神菜は微笑む。そんな様子は見受けられなかったが、これでも責任を感じていたらしい。
「これからはボクが引き受けるから。お兄ちゃんは危険な橋を渡る必要はないよ」
「でも、名前のあるお前は危険だって言ってたじゃないか」
「そこはどうにかするって。ほら、ボクは神様だからね」
その神様アピールは、今までで一番力がない。消え入りそうで、儚げな一言だ。そんな妹に俺は、
「……いいや、お前にこの仕事はやらん」
と、自分でもビックリな発言をしていた。責任感のせの字も知らない俺の口から出た言葉とはとても思えない。バイトも初日でバックレるのに。
「え……? 急にどうしたの?」
驚いたのは神菜も同じらしい。共同生活を始めてまだ一週間ほどだが、俺のクズっぷりを把握しているからだろう。なんなら今の発言を取り消したいまである。しかし、俺の口は意に反して言葉を紡いでいく。
「男ってのはな、可愛い女の子の前では見栄を張る生き物なんだよ。それが義理の妹っていう鉄板ポジションなら尚更な」
「あ……うん」
ぽかーんと口を開けたまま、神菜はそれだけ口にする。俺も内心ぽかーんとしていた。なるほど、それが理由か。意識せずに口から出た言葉が、意外なほどしっくりきてしまった。特に後半の、妹が以前使った言葉を引用したあたり、ちょっと格好つけてて見苦しい。やだ、死ぬほど恥ずかしい……!
神菜の顔を見ていられなくなり、明後日の方向に顔を逸らす。それから少しの間が空いて。こてんと、俺の肩に軽い感触が乗ってくる。これは……神菜の頭、か?
「ふふっ……君がお兄ちゃんで良かった、って初めて思えたよ」
「……なあ、それよく聞いてみると全く褒めてないからな?」
「気にしなーい。お兄ちゃんってばチョロインすぎて困っちゃうなー。やっぱりボクが付いてないとダメみたい」
チョロインはお互い様だろ、という言葉は飲み込む。俺の顔が赤いのは間違いないが、振り返って確認する余裕はなかったのだ。クスクスと小悪魔チックに笑う神菜。将来悪女になりそうな予感がヒシヒシとするぜ……。
「それじゃ、任せるからね?」
「おう。だが、無理っぽいと判断したら即投げるからな。世界丸投げ選手権とかあったら金メダル取れる男だぞ俺は」
「今、ちょっと格好良かったのに台無しだよ……」
確認するまでもなく、神菜はガッカリした表情をしているだろう。こんなとこだけ以心伝心な兄妹ってのも嫌だな……。
● ● ●
観察生活、再開だ。乗り気ではなかったが、妹から発破をかけられてしまうと頑張るしかあるまい。こんな自分の単純さが嫌いじゃない。
今まではどちらともつかずに観察していたから失敗した。今度は片方ずつ、確実に攻略していく。本当に最悪の場合、一年男子を使うという切り札があるので、笹原を優先して対処しよう。
始業式の翌日に行われた席替えによって、俺達の配置は変わっていた。廊下側最後尾が俺。俺の二つ前が結衣、その隣が笹原。西条は窓側最前列、かなり遠い距離だ。結衣にとって好都合すぎる配置になっている。友人と隣だし、まだ仲良くなってない西条は遠く。
まさか、こんなことのために力を使ったとは考えたくないが……。さておき。この距離は、観察するにはもってこいなのだ。今も、
「結衣ー、これ見て、可愛くない?」
「う、うん。そうだね……」
何やらファッション雑誌を見せあっているらしい。デートイベントを発生させるにはお膳立ても重要だが、結衣のパラメータを強化する必要もある。魅力値が上がるなら大いに歓迎するが……その程度では温いな。
ファッション誌を読むだけで魅力的になれるなら、誰も苦労しないのである。というかあの雑誌、本当に役に立つのか? かつて、俺もあの手の雑誌を勇気を出して購入し、見出しになっていた『この夏のモテファッション!!』で全身を包んだことがあるが……結果は控えさせていただく。
不意にピローン♪ という音が脳裏に響いた。あれ、なんか結衣がキラキラして見える……。えぇー、マジすか結衣さん。ファッション誌読んだだけで魅力上がるとかチョロっ。ガチでヌルゲーじゃないっすか、パネー。
「あ、あのっ!」
このゲームのしょうもなさにチャラ男風味で不貞腐れていると、勇気を振り絞った男子生徒が二人に声をかける。ヒソヒソとざわめくクラスメイト。やれやれ、またか。
結衣を背中に隠し、威圧的な視線を向ける笹原。その瞳は、さっきまでの楽しげな雰囲気を微塵も感じさせない。
「なに?」
底冷えするような声音である。それには結衣との楽しい時間を邪魔された苛立ちも含まれていた。もうアイツ、マジでそっち系なんじゃないの。
気圧された男子生徒は言葉に詰まるも、意を決したように真っ赤な顔で叫んだ。
「大事なお話があります! 笹原さん!」
これだけ条件が揃ってれば、どれだけ鈍臭い奴でも気付くだろう。告白だ。何故か笹原はやたらモテている。主人公そっちのけでモテすぎる親友とか斬新だな。相手はモブだけど。
「……はあ、しょうがない。結衣、ちょっと待っててくれる?」
「あ……うん」
これから行われるであろう告白を想像したのか、真っ赤になって俯いてしまう結衣。それにニッコリと笹原は微笑みかけると、次に男子生徒に向ける顔は能面だった。アシュラマン並の表情変化ですね……。
傍から見ている俺ですら「ごごごごめんなさい……」と謝ってしまいそうなほどに恐ろしい表情をしているのに男子生徒は諦めず、笹原を連れて教室を出る。俺もこっそりその後を追った。
あまり休み時間もないということで、今回の告白は教室から近い、中庭で行われることとなる。今回は、ということはつまり前回もあったわけで、この一週間で笹原は五人ほどの生徒から告白されていた。
「僕と付き合ってください、お願いします!」
「私、今は恋愛よりも大事なことがあるから。用件はそれだけ? じゃあね」
「あっ……」
あっさりと玉砕してしまう男子生徒。ここまでがテンプレ。笹原は毎回同じセリフで相手を振ってしまうのだ。この男子嫌いこそ、俺が直接笹原と接触できなかった最大の理由となる。
しかし、今回は頑張ると妹に約束してしまった。何か手を考えないと……。
他の奴はダメだったが、案外俺なら行けるかもしれないという楽天的な思考はできない。そんなの、あそこで灰になってる男子生徒の二の舞になるだけだ。今日まで観察して、弱点らしい弱点も見付からなかった。一発勝負でそんな愚を犯せるわけがない。
俺だけが持っている、他の男子と違うアピールポイントは……笹原のことを、知っている? だからって、それが優位に働く状況なんてーーーあっ。
唐突に、閃きが走った。さきほどの笹原の言葉。恋愛よりも大事なことがある。それの意味を、俺は知っている。俺だけが知っている。まさか友人を守っていくために恋愛はしない、なんて子供じみた答えを出す奴はいないだろう。『親友』というポジションに縛られて暴走しているなんて、誰が思いつくのか。
これは……使えるぞ!
光明が見えた俺は、嬉々として計画を立てていく。決戦は放課後。確実に落としてみせる。