始業式。
人の流れに沿って歩くと、校舎の前に人だかりができていることに気付く。生徒がわらわら集まっているのは掲示板の前だ。ああ、クラス代えね。いちいちクラスメイトが入れ替わるくらいで一喜一憂する気持ちがわからん。誰がクラスメイトになっても同じ、そう、誰にでも平等に接する俺こそ人間の進化の理想系だろ。友人募集中です。
「あっ、クラスわからないじゃん……」
自分の名前がわからなくてクラスを把握できないとか新しすぎる。しょうがないので携帯を取り出し、妹に通話。もしかしてアドレス入ってないんじゃないかとドキドキしたのはここだけの秘密だ。まあ、妹と両親のしか入ってなかったけど。
「もしもし? クラスわかんねーんだけど。俺の名前教えろよ」
『誰が聞いてるかわからないし、ダメだよ? クラスはあの子と同じじゃないかな? じゃあね』
アッサリ切られた。あの妹、俺に協力する気あるのか? 一応重要な情報は得られたので、A子の名前を探すことにした。A子A子……って、A子の名前も知らないんですけど。
どうしようかな、もう一度かけるかな……と逡巡していると、掲示板から少し離れた場所で、ちょっとした騒ぎが起こってることに気付いた。
「ふーん、結衣も同じクラスになったんだね、よろしくぅ」
「何その言い方。喧嘩売ってるわけ?」
喧嘩……か? 女子生徒が向かいあって、何やら嫌悪な雰囲気で会話をしている。恐らくだが、友好的でない奴と同じクラスになったので牽制するとか、そんな所か。
威嚇するような瞳を向けるのは、頭の悪いギャルっぽい女子。それに対する女子は黒髪ロングの正統派美少女という出で立ちだ。その子が後ろで怯えている女子、多分結衣って子を庇っている構図だ。
これもイベントの一環なのか? と、ギャラリーに紛れて様子を伺う。口論は尚も激しくなっていった。
「そのオドオドした態度が気に食わないからからかっただけじゃん! 笹原には関係ないっしょ!」
「そういう言い方がこっちは気に食わないの! 朝宮みたいなのと話してると結衣が汚れる! 近寄らないで!」
お、名前が出てきた。こっそりと手帳を取り出し、人物一覧のページを開く。朝宮と笹原……っと。あった。朝宮は……主人公に突っかかる嫌な奴。かませ犬。笹原は……主人公の親友。好感度とかを教えてくれる。……もうこの雑さには突っ込むまい。
となると、笹原と呼ばれた女子の影に隠れるアレが、A子? 注意して見てみると、それっぽいな。
「も、もういいよ麻奈ちゃん……。私は気にしてないから……」
怯えたようなアニメ声。やっと伏せていた顔を上げた結衣はーーー可愛くなっていた。目元を覆っていた部分の髪だけ切り取られ、ぱっちりとした柔和そうな瞳が顕になっている。
ゲーム補正でそうなっているのか、元々そうだったのかは俺には判断がつかない。だってアイツに興味なかったし、注目したことがなかったから。華奢な割に胸元を押し上げる塊もそれなり。露出している肌も白くてきめ細かい。普通に美少女だ。
「こういう奴は黙ってると付け上がるだけなの! 一度、痛い目見せてあげようか?」
「はっ! やれるもんならやってみろよ!」
「あぅ……」
当の本人が俯いているというのに、そっちのけでガチバトルを始めようとする二人。おいこれ、本当に必要なイベントなのか? 胸糞悪いな。ちなみに、笹原は格闘技の有段者という曖昧でふわっふわな設定が載っている。有段者って、一般人と喧嘩したらいけないとかいう決まりがなかったっけ……。
今にも喧嘩を始めようとする二人。固唾を飲んで見守る群衆、と俺。本来なら、博愛精神を発揮した主人公が止めるとかそういうシーンなのだろうが、コミュ障の結衣は役に立ちそうもない。さてどうするか、と思案したところでーーー異変が起こる。
俯いた結衣を中心として、ノイズのような物が走り始めたのだ。あの時、神菜を中心として起こった光に酷似した何か。……またこの展開かよ。唐突すぎるのは勘弁してくれと、自称神の神菜にちゃんと言っておくべきだったかな。
ノイズは徐々に広がっていくが、誰もそれに気付く様子がない。世界が歪み、視界がぐるぐると回る。それが限界まで高まった瞬間、プツリとテレビの電源を落とすように、俺の意識も肉体から切り離された。
● ● ●
「知らない天井だ……」
というか天井が無かった。今日も晴天である。さて、意識を失うとベッドに送られるというのはお約束ではないらしい。俺は棒立ちで突っ立ったまま、掲示板の前に居た。もしやこれがクイックロード……なのか? 肝心な時に居ないとか、実に使えない妹だ。
辺りを伺ってみるも、喧嘩らしきことをしている生徒も群衆も存在せず。朝宮に絡まれる前に戻った……?
「同じクラスだよ、やったね結衣ー!」
「う、うん。苦しいよ麻奈ちゃん……」
と、百合百合しながら俺の前を通り抜けていく二人が視界に入る。さて、今回はどうするんだ?
ストーカーさながらに、過剰にベタベタする二人の後をこっそりと追う俺。そろそろ、さっきのシーンで絡まれた位置に到着する。お手並み拝見……と見守っている。が、朝宮は現れない。あれ、もうちょい先だったかな?
首を傾げながらも尾行を続行。やはりベタベタする笹原。もしかしてそっちの気があるんじゃないの? と笹原百合説を唱え始めたところで、二人は校舎の中へと消えていった。消えていった、いった……んんっ!? 朝宮は!?
突然のシナリオ変更に困惑する俺。どうなっている? 朝宮との遭遇フラグを回避したのか? いや、それにしては戻る時間が短かったぞ……?
「な、なあっ?」
動転したままの俺は、隣を歩いていた二人組の生徒に話しかけた。確かこの二人は、さっきの群衆にもいたような気がする。顔がぱっとしないので、自信はないが。
「あ、俺? 君は、えっと……」
「俺の名前はいい、質問に答えてくれ。朝宮って生徒を見なかったか? 探してるんだ」
「朝宮……? そんな生徒、ウチに居た? もしかして、新入生なのかな?」
なんて、ことだ……。不意に、足元が抜けていくような感覚に陥る。アイツは、結衣は。クイックロードという機能を使ったのではなく、物語を改変してしまったのだ。朝宮という邪魔者を消して。
ゾッとしない想像に、膝から崩れ落ちてしまいそうになりながらも、グッと堪える。まだそうだと決まったわけじゃない、これはあくまでも最悪の想像に過ぎない。このままこうしていても仕方ないし、妹に一度連絡しよう。見知らぬ男子生徒に礼を言おうと口を開きかけ、それはもう一人の男子に遮られる。
「あ、朝宮さん? 俺知ってるよ」
「あ……! そっ、そうだよな! いくらなんでも消すなんて……。で、何組か覚えてる?」
「え? 何組っていうか、高校が違うじゃん。俺、あの人と同じ中学だったからさ。確か今は……近くの女子校に通ってるんじゃなかったかな?」
「……あ、そう。ありがとう……」
それで会話は終わり、二人の男子生徒は去っていく。
なるほど、そう来ましたか……。言われてみれば、あの臆病な結衣に人を消すなんて大それた真似が出来るとも思えない。過去を丸ごと改竄する能力、か……。やはり、妹に連絡を取ってみるべきだ。というか、あれだけ派手な能力を使ったのに、あっちから連絡がないのがおかしいだろ。携帯を取り出し、コールする。
「もしもし?」
『もしもし? どうしたの?』
「いや、どうしたのって……」
『あ、まさか名前を教えてくれってこと? ダメだよ? 誰が聞いてるかわからないんだから』
何言ってんだコイツ。その話はさっきしたばかりじゃないか。生後三ヶ月で痴呆とか、成熟が早すぎるというかもう腐ってるまである。話が噛み合ってない気がしたので、端的に用件を伝えた。
「結衣……お前がこの世界に送った奴が、能力を使った。それについていくつか質問ーーー」『え!? あの子が!? どういうこと!?』
うおっ! 耳がキーンとした!
電話越しに、神菜の驚いた様子が伝わってくる。この驚きようはなんだ? 能力を与えたの神菜なんじゃないのか?
『……すぐに昇降口へ向かうから。君も向かってくれる?』
「ああ」
そこで電話はプツリと切れる。お兄ちゃん呼ばわりを忘れるほど焦っているらしいってことは伝わった。さて、どうなることやら。結論は神のみぞ知る……いや、神菜もわかってない風だったし、誰がが知っている。何これ、名言がすげー適当になっちゃったよ。
● ● ●
「お待たせ。さあ、話して」
「今来たとこだ……性急だな」
ちょっと言ってみたかったワードなのに……とふざける暇もない。一刻を争うといった様子の神菜に急かされ、先ほどの出来事を掻い摘んで説明する。聞き終えた神菜は顎に手を添え、真剣な表情で何かを考え込んだ。
「……なあ? あの能力はお前が与えた物じゃないのか?」
「ううん、違う。巻き戻しの能力は、本来ならボクが持っていて、彼女が持っているのは戻った時間を知覚する能力。つまり、君が持っている能力の筈なんだ」
「ん? つまり、神菜の能力を結衣が持っていて、結衣の能力を俺が持ってる……って認識でいいのか?」
「うん。ここまで来る途中でもしかして、と思って試してみたけど使えなかったから、まず間違いないと思う」
「なんでそんな、能力を二つに分けるような面倒な真似をしたんだ?」
いっそ自分で使わせた方が早かったんじゃないかと思うが。しかしその考えは早計だったようで。
「君も体験したでしょ? 世界を自分の思い通りに動かせるようになったら、滅茶苦茶になっちゃうって。だから、この能力はボクが管理して、時間を巻き戻すだけに留めておくべぎだったんだ。なのに……」
朝宮は消えてしまった。厳密には別の高校に行ってしまったわけだが、物語から除外されたことには違いない。確かに無茶苦茶だな。
「それと、能力が移ったって考え方が合ってるとしたら、厄介なことになるよ。現に、ボクは世界の変化を知覚できなかったもの」
「どう厄介になるんだ?」
「それは、あの子……結衣さんも、世界の変化に気付けないってことさ」
その言葉の意味を少し考えてみるが、どうにもしっくり来ない。
「例えば今回のことなら。麻宮さんが別の高校に行っちゃったんだよね? 人一人の人生を変えるって大変なことだと思うよ? 普通の人が、そんな重圧に耐えられるかな?」
「まあ……だろうな」
ただでさえ、結衣は臆病に見えるし。そこは俺も引っかかってたところだ。
「けれど、結衣さんは朝宮さんを消しちゃったことを覚えていない。だって、その能力を持っているのは君だけだから。状況から判断して、無意識に使ったってこともあるかも」
「あっ……」
そうか。現時点で、結衣にとっての麻宮の印象は中学卒業と同時に別の高校に進学した同級生、程度でしかないのか。いや、中学が別だとしたら、そもそも知らないということも有りうる。能力を使う前の世界に戻ってしまったのだから、無意識だろうが意識的だろうが、使ったことなんて覚えているわけがないのだ。
「……とにかく。これ以上歴史を改変されたら、どうなっちゃうかわからないよ。どんな小さなことでも変えさせないようにしないと。君はバタフライエフェクトって単語を知ってる?」
「一応な。小さな変化が巡り巡って大きな波になるかも、って意味だろ? その理屈だと、朝宮が消えたのも不味くないか?」
「あー、彼女は……大丈夫じゃないかな? 重要なイベントには全く絡まなかったし」
哀れ、朝宮……ガチで噛ませ犬だった。死んだわけではないが、合掌しておく。
「やっぱり、名前は出さないようにしないとね。下手に覚えられて不興を買っちゃうと、両親と一緒に海外に行っちゃった、なんてことにされるかも」
「洒落にならねえ……」
三年前に海外に連れていかれたという設定にされたとする。そうなると本来なら外国語を覚える期間があるはずだが、俺の記憶だけは今のまま。本来居た時間に上書きされるわけだ。つまり、あちらの人間からすると急に話が通じなくなる。まあ、話し相手が居れば、の想定だが。
「うーん、でも、変化を知覚できるのが君だけである以上、ある程度近くに居る必要はあるし……。さじ加減が難しいね。これからの行動を考え直す必要があるみたいだ」
「頼むぜ……気付いたら世界が消えてましたなんて、ホント勘弁だ」
「む、人任せばっかりじゃなくて、君もちゃんと考えてよね? お兄ちゃんでしょ?」
少し調子が戻ったようで、めっ! と人差し指を向けて俺を嗜める神菜。妹歴数時間のくせに、生意気な……。
「方針が固まるまでは目立たないようにすること。特に、結衣さんには接触しないように。できる?」
「はっ、目立たないとか人と話さないとか、俺を誰だと思ってるんだ? 呼吸するより簡単だ」
「頼もしい言葉なのに、なんだか悲しくなってくるよ……」
わかってても言うなよ……指摘されるとより辛くなることもあるんだぜ。