不穏
「お兄ちゃーーん!!起きてーー!!」
「ハヤトーー!!おきろーー!!」
翌朝。
いつも通り目覚まし時計にがん無視を決め込んで、ミノムシの如く布団にくるまる隼人の元へ、いつもより文字通り倍のけたたましいボリュームの声が隼人の部屋で響いた。
「わかった……わかった起きるからもう止めて五月蝿い!」
くるまっていた布団を取り払い、ベッドの上に立ち上がると隼人はそう叫んだ。
そんな隼人の姿を見て、摩耶は溜め息を、ヒカリは「おきたー!」と喜んだ。
「すごいマヤ姉ホントに起きた!」
今のどこにそこまで喜んでいるのかと疑問に思えるほど嬉しそうにするヒカリは、歓喜の声を上げながら摩耶の服を引っ張る。
"ハヤト"、"マヤ姉"と言うヒカリの隼人達に対する呼び名は昨晩のうちにいつの間にか定着しており、"ハヤ兄"でないことに隼人は密かに不満を抱いていた。
「昨日のことがあったから今日も、もしかしたらって思ったんだけどお兄ちゃんを信じたアタシが馬鹿だったなあ」
摩耶は、心底呆れたと言わんばかりに肩をすかして見せる。その目には若干の軽蔑が含まれているような気がするので、隼人は目を合わせずに言った。
「こんなに寒くてこんなに布団の暖かいの環境が悪いんだ。決して僕が悪いわけではない」
「お兄ちゃん、夏にも同じような言い訳するよね…………、兎に角ほら、朝ご飯食べようよ。冷めたら勿体ないよ」
そう言って摩耶は、ヒカリと共に部屋を後にした。
ご飯を冷ます理由などどこにも存在しないので、隼人も急いでそのあとを追っていった。
リビングへ行くと、三人分の朝食が湯気を立てて食卓に並べられていた。今までにない光景に、隼人は新鮮味を覚えつつ朝食の並ぶ炬燵へと足を伸ばした。
摩耶の隣にヒカリ、そしてその向いに隼人という席順で朝食を囲む。
隼人と摩耶は箸を、ヒカリはスプーンを握って、
「「「いただきます!」」」
と、元気良く挨拶する。
ヒカリを外国人だと思い込んでいる(もしかしたら本当に外国人かもしれない)摩耶は、案の定何も知らなかったヒカリに対して昨晩のうちに色々と教えこんでおり、"いただきます"と言うのも昨日教えられたばかりだった。箸の使い方も教えようとしていたが、流石に直ぐ覚えられるようなものではなかったので、今朝はスプーンを使うことになったのだ。
「そう言えば、例のお手伝いさんは何時頃来るの?」
今日の朝食の一品であるわかめ入りの味噌汁を啜りながら摩耶は言った。
「八時頃来てくれるようにお願いしてあるよ」
「アタシ達大体家を出る時間だね」
「あんまり早く呼んでも仕様がないかなって思って」
「そう?お家の案内とかした方が良いんじゃないの?」
「その必要はないと思う」
隼人の言葉に摩耶は「?」と首を傾げた。隼人はそれを気に止めず、テレビに映されたニュースを流し見しながらミートボールを口に放り込んだ。
「ねえヒカリちゃん、どう、美味しい?」
摩耶は直ぐに隼人からヒカリに視線を移して言った。
「うん!すごいオイシイ!」
スクランブルエッグにかけられていたケチャップを口の周りに付けながら、ヒカリは応えた。
「良かったー、朝頑張って作った甲斐があったよー」
口の周りのケチャップを拭きながら言う摩耶はとても嬉しそうだった。
そんなこんなで朝食を終えて、いつもの様に各々の身支度を整え終えた頃、
ピンポーン、と家のチャイムが鳴らされた。
「来たかな?」
隼人はインターホンに取り付けられたカメラの映像を表示する画面を見た。
そこには、巫女服を着こんだ麗の姿があった。
「なっ!?」
「隼人くーん、来ましたよー?」
「今行きますから待ってて」
隼人はマイク越しに返事をして玄関へと向かう。
「今インターホンの鳴る音したけど、もしかしてお手伝いさん来たの?」
その途中、着替えを終えた摩耶がそれについて行ったヒカリと共に下りてきていた。
「丁度良いな、摩耶も挨拶しときな」
「判ってるわよ、ほら、ヒカリちゃんもおいで」
「うん」
摩耶がヒカリを連れ、隼人の隣に並んだ。横目に摩耶を見ると、少し緊張しているのか表情が硬い。ヒカリはと言えば良くも悪くも何時も通りだった。
「どうぞー」
隼人が外に向けてそう言うと、
「はーい」
と、呑気な声と共に麗が姿を現した。
「えっ……!?麗姉!?」
「麗お姉ちゃんですよー」
麗を見るやいなや驚愕に表情を染めて、キッと鋭く隼人を見た。
「な、なんだよ摩耶、そう睨むなって。ちょっとしたサブライズだよサプライズ」
「お兄ちゃんそうやって何時も大事な事は言わないんだから!……もう、無駄に緊張して損したよ」
怒鳴りはしたものの、摩耶は直ぐに表情を緩める。
「でも良かった。麗姉なら安心して任せられる」
「ありがとう摩耶ちゃん。私も嬉しい……ところで、面倒を見て欲しいと言うヒカリちゃんはどこですか?」
「ココだよ!」
麗がキョロキョロと辺りを見回していると、ヒカリが元気良く摩耶の前に躍り出て手を挙げた。
「あなたがヒカリちゃんね。私は三ヶ峯麗、これから宜しくお願いね」
「うん!」
麗はヒカリに歩み寄り、優しくその頭を撫でた。ヒカリは嬉しそうに頬を緩める。
「そう言えば、なんで麗さん巫女服なんだ?」
隼人は、家の雰囲気ににつかわない麗の姿を見てそう質問した。
麗は三つも歳が上という事もあり、大人びた雰囲気を纏った女性だ。端正な顔立ちをしており、くりりとした大きな瞳だけが妙にあどけなさを醸し出している。腰辺りまで伸びた長い髪を二又に結いて胸元に垂らしている。所謂お下げと言う奴だろうか。そして何より凄いのが、白い巫女服を下から押し上げる大きな胸だ。
前にいる摩耶なんかと比べると比べると悲しい現実を見る事になる。
「ちょっと隼人くん、どこを見ているんですか?」
麗のその言葉で隼人の意識は現実へ引き戻される。隼人は麗の山になっている胸元を見て固まっていたようだった。麗の声音にトゲを感じたのはその為だろうか。
「いやや、何でもない。ところでさっきの質問の答えは?」
「朝、境内の掃除を済ませてそのまま来たんです。着替えるのも面倒くさかったので」
「麗姉、しっかり巫女さんやってるだね!凄いなあ、それにすごい似合ってる」
と、感心したのは摩耶だった。
「跡を継ぐ者としては、確りしなければなりませんからね。当然のことです。…………それで、あの、こうやって歓談をするのはとても楽しいことですけど、お二人方は学校があるんじゃないんですか?」
「「あっ」」
珍しく、天井兄妹のシンクロした瞬間だった。
「お兄ちゃんのせいで遅刻ギリギリになっちゃったよ!!アホーー!!」
「お前だって楽しそうに話してたじゃないか!!バーーカ!!」
上高と下中とを分ける坂道で、隼人と摩耶は、騒々しく別れを告げた。
ヒカリのことを詳しく説明も出来ずに、麗に任せて家を飛び出した二人は、全速力で登校経路を駆けていった。結果として遅刻ギリギリに到着出来たものの、代償として突然の運動に身体中が悲鳴を上げていた。
ヘロヘロとした動きのまま坂を登り学校の教室へたどり着いた隼人。ほぼ倒れ込む様にして席についた時に違和感に気づいた。
「真が、まだ来てない……?」
真はいつもかなり早く登校をする人間で、遅くなったとしても何時も隼人が登校する時間くらいには来ているのが普通だった。今日の隼人はいつもの登校時間よりもかなり遅くなっているので、真が登校していないのはかなり珍しい事だった。
「まあ、いつか来るだろ」
隼人は疲れを癒す為に、そのまま机に突っ伏した。
そして結局、朝の予鈴が鳴っても、真は登校してこなかった。
「おっはよー」
一限目の終わったあとの小休憩の時間に、結城は教室に現れた。
「おはよ、古枯。今日は随分早いんだな、それでも遅刻だけど」
「なんだか今日は調子が良くってさー!例え遅刻だとしても、早く来れたことを褒めて欲しいね」
えへんっ、と微妙にしかない胸を張る古枯。麗の後だとなると、どれもこれもがどこか物寂しい。
「天井くんその目は何、なんかイヤらしいよ」
「何でもない何でもない、気にするな…………と言うか古枯、真のこと、なにか聞いてないか?」
未だ空席の真の席を横目に見ながら隼人は言った。その視線を追うように、結城も首を動かす。
「草理くん、まだ来てないんだ。珍しいね、…………んー、でも私は何も聞いてないなー」
「そうか…………」
隼人は何か連絡が入っていないかと確認の為にスマホを見る。しかし、案の定新着のメッセージも不在着信も入っていなかった。
確認を終え、隼人がスマホをしまおうとした時だった。古枯が隼人のスマホを見て、
「あっ、そう言えば」
と、声を上げた。
「昨日の夜、草理くんから変な電話が来たよ」
「変な電話?」
古枯の言葉に、隼人は疑問符を浮かべ首を傾げる。
「最初は無言が続いてたんだけど、暫くしてからなんか音が聞こえてね……誰かの声って感じだった。それで、聞こえてきたって思ったらすぐに切れちゃったの」
「何だそれ」
「わかんない、だから変な電話って言ったじゃん」
結城は頬を膨らませながら、席について次の授業の準備を始めた。
「あ、そう言えば」
「どうかした?」
何かを思い出したようにスマホを改めて確認する隼人を見て、結城は一度準備を止める。
「僕も真から、電話着てたんだった」
昨夜、夕飯と風呂を済ませいざ寝ようという時に真から着信があったことに気づいた。折り返し電話をかけたものの、幾ら待っても真が出ないので、諦めてそのまま寝てしまったのだ。
「天井くんにも来てたなんて…………何かあったのかな?」
昨日のことについて聞き終えた結城は不安げな声音でそう言った。心情的には隼人も同じだ。不自然な電話に不審な音、"何かあった"と考えない方がおかしい。
「今日、見舞いにでも行ってみるか」
「そうだねちょっと心配だし、行ってみよ」
隼人の提案に、結城は頷いた。
そして、丁度話がまとまった頃に、次の授業開始を表すチャイムが鳴り響いた。
「じゃあ古枯、真ん家行こうか」
「おっけ」
何事もなく一日の課程を終了した放課後。
結局真は最後まで学校に来なかったので、当初の予定通り真の家に見舞いに行くことになった。
「そう言えば古枯、今日部活は出なくていいのか?」
「あー、それはねぇ」
学校前の坂道を下りながら、隼人は言った。結城は陸上部のエースで、冬の大会の近づいている今は忙しい筈であるのだ。
「ちょっとだけ、足痛めちゃったんだよねー、あはは」
言って、結城は自分の右足を見た。
「大した怪我じゃないんだけど、無理して酷くするよりは、安静にしてすぐに直した方がいいかなって」
「大事な時期に、何やってんだお前」
「大事な時期だからこそ、ちょっと焦っちゃったんだよね、…………でもすぐ治るだろうから大丈夫だよ、心配しないで!」
「お前の事だからそんなに心配してなかったや、ゴメン」
「なにおー!!」
と、他愛もない話をしている内に上高と下中とを分ける坂道の分岐点にたどり着いていた。さらにそこから、下中へと続く坂道を下っていく。
下中を通り越して更に歩いていくと、閑静な住宅街へと入り込んだ。暫くそこから歩いた住宅街の角。広めの庭に大きな駐車場のある立派な一軒家が、真の家だ。
「草理くんの家に来るのって何だか久しぶりかも」
大きな家をまじまじと眺めながら結城が呟いた。
「確かにそうかもね、中学の頃はよく遊びに行ってたんだけどなあ」
懐かしき日々を思い返しながら、隼人はインターホンを鳴らした。
ピンポーン、とよく聞く電子音が鳴り響く。しかし、しばらく待っても誰かが出てくる気配はなく、インターホンに取り付けられたスピーカーからもなんの音も聞こえてこない。
「留守かな?」
「一応、もう一回」
失礼とは思いながらも、隼人はもう一度インターホンを押した。
しかし、結果は先程と全くとして同じ。誰かが出てくるような雰囲気を感じることが出来なかった。
「留守、なのかもな」
「病院行ってるとか、だよね、きっと。…………今日はもう無理そうだし、また明日来よう?天井くん」
「そう、だな」
担任に渡されていたプリント類をポストに入れて、隼人と結城は、真の家を後にした。
去り際に結城は振り返る。すると、
「?」
二階のカーテンの隙間から、誰かが見ていたような、気がした。
「どうした古枯?」
「ん?」
隼人に呼ばれ、結城は意識を前に戻す。
念の為にともう一度振り返ったが、そこにはなんの気配も感じなかった。
「気のせいだよね、気のせい」
「だから、何かあったのか?」
「あぁいやいや、なんでもないよ!早く帰ろ!」
「お、おぅ」
腑に落ちていない隼人を気にとめず、結城はそそくさと歩き出した。
心配ない。と、心に言い聞かせながら。