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ヒカリと影と  作者: 洒落頭
42/43

新たな変化

「なん……なんだ、お前ハァ!?」

 倒れていたアイゼルが身体を起こし、眼前に立つ龍馬を睨み付ける。

「何もクソもねぇ、こっからが本番だって言ったろ。さっきまではお遊びに過ぎなかったんだよ」

 龍馬は気だるそうに首を回し、細めた目でアイゼルを見下ろす。口元には、余裕を感じさせる薄い笑みがあった。

「どうなってんのサ」

 口内に鉄の苦味を感じながら、アイゼルは悠然とした彼の姿を観察する。

 龍馬の体は確かにボロボロだった。アイゼルによって与えられた傷によって、制服は汚れ、破け、流れだ血によって赤黒い染みも目立つ。

 傷が消えた訳では無い。今も尚彼の顔から流れる赤がそれを証明している。

 では、

「何が起きたのか分からないって顔してるな」

 笑みを僅かに濃くして、龍馬は言う。

 嘲笑にも見える彼の表情に、アイゼルの顳顬(こめかみ)がピクリと疼く。

 アイゼルの反応に気付いているのかいないのか、龍馬は浮べた笑みを残したまま言葉を続ける。

「お前、ヒーローって知ってるか?」

「ア?」

 それは、唐突な問だった。

 意図の掴めなかったアイゼルは、眉をひそめ、この場にそぐわない素っ頓狂な声を上げる。

 ―――ヒーローだっテ?

 思わず疑問符を浮べたアイゼルだったが、龍馬は彼の答えを待とうとはしなかった。

「正義のヒーロー、正義の味方、悪を滅ぼす英雄ってやつ。少なからず、子供の頃だったらテレビとかで見たこと無かったか?」

 まるで小さな子供に問い掛けるかのような穏やかな声音。

 それはアイゼルの神経を逆撫でることとなる訳だが、果たして龍馬は意識しているのか。

「それが、今何の関係があるっていうんだヨ」

 苛付きの混じった語気の強い言葉。眉間に寄った皺も、一層深くなってゆく。

 対して龍馬は、余裕のある表情を崩すこと無く、

「俺はさ、ヒーローが好きなんだよ」

 張り詰めた雰囲気を無視した、明るい笑顔が飛び出した。

 へへ、と言ってから照れたのか、微かに頬を染めて彼は頭を掻く。

「ハァ?」

「えっ?」

 そんな、空気を完全にスルーした龍馬の発言に、対峙するアイゼルどころか、背後に立っていたエイゼルもこれには困惑の色を浮かべた。

「ヒーローってすげえんだよ。どんなに追い詰められても、どんなに傷付けられても、悪には絶対に勝つ。人間離れした動きで市民に疎まれても、絶対に見捨てない。市民どころか、時には優しい怪人にだって手を差しのべる。見て呉れなんて関係ねえ。"心の優しさ"にいつも味方してくれる"ヒーロー"が、俺は大好きなんだ」

 拳を握り、笑みを消し、熱い眼差しをアイゼルへと彼は向ける。

 先程までは感じられなかった、赤い、闘気のようなものが彼の周りを漂い始める。

「だから俺は願うんだ。そんな"ヒーロー"になりたいってな」

 "起死回生(ヒーローイズム)"。

 それは、悪党に追い詰められた"ヒーロー"が如く。

 誰もが諦めかけたその時に、真価を放つ"力"なのだ。

「……そんなデタラメガ、あってたまるかヨ!!」

 アイゼルの怒号。そして、大地を蹴り飛ばす音が聞こえた。

 彼の手には、一瞬の内に形成されていた"空気創造(エアクラフト)"による剣。"嬲り殺し"から"瞬殺"へと、アイゼルの思考がシフトした証拠だった。

 数秒で龍馬へと肉薄したアイゼルは、彼の懐へと刺突を放つ。アイゼルの内に湧く勝利への確信。唇を弧に歪めた彼の表情は、しかし、ふと消え失せた。

 目の前にいたいた筈の龍馬の姿が、忽然と無くなっていたから。繰り出した剣先に、何の手応えも返ってこなかったから。

「ナッ!?」

 虚空を突いたアイゼルの剣。標的を見失い、咄嗟に首を左右に回そうとした時だ。

「遅ぇんだよ」

 耳元を掠める龍馬の声。

 ―――いつの間ッ、

 だが、アイゼルには驚く隙すら与えられない。

 代わりに彼を襲ったのは、鳩尾を叩く、野太い衝撃だった。

「ゴゥッ!!?」

 足は地を離れ跳ね上がり、視線は急速に地面へと向けられた。

 衝撃地点を支点にくの字に折れた、など本人が理解する間もなく、地面は上方へと流れゆき次の瞬間には背中への列痛が迸る。

「ァッアゥ……ッ」

 手足に力が入らない。だらりと両腕は地面に向かってぶら下がり、口内からは幾らばかの鮮血が垂れ流された。

 乾いた地面に地が混じり、薄汚れた血だまりを彼の元へと作り出す。意識は微睡み、魂ごとその血溜の中へと吸い込まれて行きそうだ。

「思い知ったか」

 そんな混濁したアイゼルの意識を繋ぎとめたのは、上から降り注いだ龍馬の声だった。

 唇の端から鮮血を零しながら、アイゼルは上目に龍馬を睨む。

 ―――殺ス。

「ピンチになったヒーローは絶対に負けない。それが法則、決められたルールだ。だからお前はもう絶対に勝てないんだよ。分かったら諦めて、反省しろ」

 ―――殺ス。

 アイゼルは何も応えず、虚ろな眼差しで龍馬を睨み続ける。

 だが龍馬は、そんな彼を無視して地面に座り込む彼に向かって、徐に手を差し伸べる。

「お前の実の妹を前にして、少しやり過ぎちまったかもしれねえと、俺も反省してんだ。だからな、俺と一緒に謝ろう。そんでま、お前ちゃんとあいつと―――」

「殺ス!!」

 龍馬の言葉を遮って、突如として放たれた怒号。

 差し伸べた龍馬の腕はビクリと跳ねて、遠目に見ていたエイゼルの心にも不安が過ぎる。

「お前、まだそんな事言って―――」

「殺ス殺すころすコロス……殺す殺す殺す殺ス!!!」

 まるで壊れた玩具の様に、あるいはまじなう呪文の様に、アイゼルは何度も何度も紡ぎ叫ぶ。

 龍馬は伸ばしていた腕を引き、警戒と恐怖の入り混じった表情で後退る。

 対して、叫び続けるアイゼルの中には、不可思議な感覚が芽生え始めていた。

 彼を恨めば恨むほど、憎めば憎むほど、嫌えば嫌うほど、呪えば呪うほど、アイゼルの中に、力が湧いてくるのだ。

 止めどなく溢れる負の感情が、頭から足の末端まで、彼の全身を駆け巡る。刺すような痛みが神経を揺さぶり、意識が覚醒していく。

 気付けば、腹部と背中を襲っていた痛みは無くなった。足先に、拳に、力が戻ってくるのを感じる。

 自らの唇が大きく弧を描き始めていた事を、アイゼルは気付いていない。

 龍馬を殺意で睨むその瞳に、"朱"が交わり始めている事を、アイゼルは気付いていない。

「絶対に、コロス……」

 倒れた操り人形を起き上がらせるかの様な不格好な挙動でアイゼルはユラユラと立ち上がる。呪詛の様に唱えられたアイゼルの言葉は、もはや龍馬には届いていない。

「なん……なんだ……」

 不気味に破顔するアイゼルを見て、龍馬はまた一歩後退る。

 アイゼルの眼差しの中に、確かな"殺意"とは別の"何か"が内包されている。正体の見えないその感情に、龍馬は珍しく純粋な恐怖を抱き始めていた。

「何かおかしい……あんなのアニキじゃない!」

 龍馬の後方から悲鳴にも似た叫び声。

 声の方へと、龍馬は首だけで振り返る。

「どういう事だよ!」

「わかんない!でもおかしいの!あんな怖い姿、見たこと無いよ……まるで、人間じゃないみたい……」

「人間じゃ……ない……」

 エイゼルの言葉を飲み込み、改めて前方に首を向けた時だった。

「殺ス!!」

 三日月の様に口を歪め、アイゼルが突進を始める。

 くうに向けて開かれた彼の両手には、既に風が渦を巻いて集合していく。

 瞬く間に龍馬との距離を詰めたアイゼル両手には、空気によって形作られた剣。

「チッ!」

 龍馬から見て右、振り上げられたアイゼルの腕を目視した龍馬は、咄嗟に身体を左へと流す。身を移した瞬間、龍馬がいた地点を、空気の剣が走っていった。判断がもう少し遅かったら、今頃龍馬は二枚に卸されていただろう。

 だが、一撃躱しただけで安堵できる訳じゃない。

「アァッ!!」

 案の定、動きを見せていなかったアイゼルの右腕が動いた。

 風を唸らせ突き進んでくるそれは、龍馬の脇腹を串刺しにするルート。

「っ!」

 剣を捉えた直後に龍馬は、背後へ、アイゼルの視点からして右側へと身を倒す。

 背中から地面に向かって吸い込まれる様に倒れていく龍馬。空を見上げる形となった彼の視界を、横一線に剣が駆け抜ける。

 そして、剣が彼の視界を横断した直後。

 龍馬は地面に対して後ろ手に手を付いた。肘を曲げながら勢いを殺し、刹那、一気に伸ばす。

 さながらバネの様に身体を跳ね上がらせた龍馬は、脚を垂直に振り上げる。

 爪先はアイゼルの腕を捉え、

「ガアッ!?」

 彼の腕は真横へと跳ねた。

 手放された剣は円を作りながら地面にて霧散。

 驚愕と怒りを掛け合わせた表情が龍馬を睨む。

 その"紅き"瞳は野性的な暴力に支配されており、例えるならば獣のそれに近いと言えよう。

 アイゼルはすかさず残っていた剣を逆手に持ち替え、寝そべる様な姿勢になっている龍馬にその剣先を突き立てんと振り翳す。

「っべ!」

 龍馬は振り上げていた脚をそのまま自らの頭上へと運ぶ様に倒し、頭を胸元へと引っ込めて、素早く後転。

 剣は地面に深く突き刺さり、龍馬は慌てて立ち上がる。

 アイゼルと、再び向き直る龍馬。

 彼は地面に突き立てた剣を手放し、既に新たな剣の生成に移っていた。

 ―――明らかに、動きが違ぇ。

 額に浮かび上がった汗を拭いながら、龍馬は対峙するアイゼルを見て思う。

 "起死回生(ヒーローイズム)"の効力で、身体的な動きは彼に追いついた筈だった。寧ろ、追い抜いていたと言っても過言ではない。けれど、"あの眼"になってからは、違う。

 衝動的な破壊のみを感じさせる彼の瞳は、その動きにも反映されていた。どこまでも速く、力強い。例え"起死回生(ヒーローイズム)"があっても、回避する事が精一杯に思える。

「どうなってやがんだ……」

 そんな風にボヤいたのも束の間。

 アイゼルは再び、動き出した。

「コロスッ!!」

 彼の両手にはまたしても剣。だが、先程よりも少し短いか。

 踏み出したアイゼル。今一度間を詰めるのかと警戒した龍馬だったが、否だ。

 一歩踏み出した時、アイゼルは右手を後方へと運んでいた。上半身をスライドさせる様に前へと張り、右腕も弧を描く。

「まさか―――っ!」

 そう直感した時には遅い。

 ブンッ!!と、轟音が龍馬の耳元を掠った。

 鼓膜を叩く余韻だけが残り、龍馬は数瞬、動くことが出来なかった。

 その間にも、アイゼルはもう一方の腕を振り上げる。

 視界に映ったそれが龍馬の危機意識を引き戻し、

「まずっ―――!」

 龍馬は咄嗟に左へと跳躍。

 龍馬の右側面を、轟音と土煙を巻きたて空気の剣が走り去っていく。剣はそのまま彼の後方の木にぶち当たり、その表面を深く抉った。

 あの剣がどれ程の威力だったのか、過ぎ行ったあの様を見れば、嫌という程に思い知る。

 龍馬の全身から嫌な汗が吹き出す。巻き起こされた風を浴びただけの右腕が、体の内からピリリと痺れる。

 ―――あんなのまともに喰らったら、やべえぞ……。

 引き攣った笑みが自然と浮かび上がらせながら、龍馬はアイゼルを注視する。

 彼の手には既に剣。

 体勢は投擲のモーションに入り込んでいた。

「くっそっ!!」

「ッ!!」

 声もなく、アイゼルは剣を投擲。

 ゴオッ!と、弾丸が如く迫るそれを龍馬は横っ跳びで回避する。

 龍馬の脇をスレスレで通り過ぎっていった剣は、地面へと突っ込み、その先端でシャベルの様に地を削っていった。

 が、命の危機迫る今の龍馬にその様を見届けている余裕はない。

 避けたと思い着地した頃には、アイゼルの手は次の剣を構えていた。

 龍馬の元に休む暇なく新たな剣が迫る。

「っ!!」

 龍馬は同じ様に跳躍で回避。

 剣は地面を四散させ、穴を開けては消えていく。

 アイゼルの手元から、次々と飛来する、剣、剣、剣。

「これじゃ、埒が明かねえ!」

 まるで隙のないアイゼルの攻勢。

 唇を噛み締めながら龍馬は、絶え間なく生産され続けるそれを躱す事しか出来ない。

 ―――どうしたらいい!?

 龍馬の"起死回生(ヒーローイズム)"には生憎、遠距離戦をサポートしてくれるような力は備わっていない。

 ヒーローとして例えるならば、"起死回生(ヒーローイズム)"は強化フォーム等ではなく、絶体絶命時に発動する精神的な力の底上げ。折れない心が力に変わった、という至極曖昧な定義に位置づけられているのだ。

「ッ!!」

 飽きること無く剣を投げ続けるアイゼル。

 見ている限り、体力切れを待つなどと悠長な作戦が通用しそうな雰囲気では無い。むしろ、こちらの体力が先に底をつく事になるだろう。

 ―――一発で決めるしかねえ。

 その為には、どうするか。

 絶え間ない攻撃、と言っても隙がゼロな訳ではない。現に今は、"回避するだけの"隙はある。目視して、予測して、当たらないようにするだけの余裕はある。

 そこから、"攻撃に転じるまでの隙が無い"に過ぎないのだ。

 ならば、答えは単純である。

 相手の攻撃のスピードを、僅かにでも超えられればいい。

 回避して、そこから攻勢に移るまでの隙を自らが作ればいい。

「燃えるじゃねえか」

 起死回生の一発逆転。

 彼の為に存在するかのような、その言葉を実現させるには、

「うごぅぁっ!!?」

 目の前に飛来してきたアイゼルの剣を、龍馬は"懐で受け止めた"。

 グサリと、深々と龍馬の腹部に突き立つ剣。

 見えざる剣を中心に、彼の制服は遠目にでも分かるほどに赤黒い血痕が出来上がっていく。

「ナッ!?」

 思わぬ龍馬の行動に、次の投擲用に構えていたアイゼルの腕が止まった。

 戸惑いの色を過ぎらせるアイゼルを前にして、龍馬を襲い来ていたのは、脊髄を迸るもの言えぬ激痛だ。

 貫通はしていないまでも、刺されるという事がこれ程までに痛いものだったとは、と何処か客観的な感情さえも抱かせる。

 脊髄を通して全身に回った痛みに龍馬は膝を着く。苦いものが食道を込み上げてきたかと思えば、唇をこじ開けて鮮血が飛散した。

 ―――痛ぇ痛ぇ痛ぇ!

 意思を無視して溢れ出してきた涙に視界が滲む。腹部を押さえる手は震えている。

 しかし、それでいい。

 その痛みが、その震えが、その鮮血が、"力"に変わるのだから。

 龍馬の唇の端が、僅かに持ち上がる。

 手の震えは、既に収まっていた。

「いつまで座ってんのサ!!」

 留めていた腕を再び振りかざすアイゼル。

 龍馬は痛みを忘れ、脚部に力を取り戻す。

「ラァッ!!」

 ミシリッ、と握り締める音を立てながら、アイゼルは腕で円弧を描き、投げた。

「へっ」

 見える。

 今なら見える。

 剣を躱し、地を踏み蹴り、彼に拳を叩き込む、ビジョンが!

 極限まで引き伸ばされた龍馬の感覚。その視界はまるでスローモーション。唯一研ぎ澄まされた直感だけが、龍馬を突き動かす。

 僅かに身を倒す。

 剣は彼の耳元をスレスレで抜けていき、舞い上がった髪の先端が切り落とされる。

 身を低めたまま、一歩。

 その姿勢はまるでクラウチングスタート。拳をぎゅっと握り固める。

 ダッ!!と、龍馬は全体重をかけて地を蹴り飛ばした。

 一歩か二歩か、その程度だった筈だ。アイゼルの懐にまで到達したのには。

「ッ……!!?」

 驚愕に目を見開くアイゼル。驚嘆の声は、間に合っていなかった。

 アイゼルを見上げて、龍馬は腕を後ろに引く。

 決着だ。

 懇親の力を込めて、龍馬は拳を、放つ。


「――― 吹 っ 飛 べ !!!!」


 形容し難い音がした。

 人体を叩く、生々しく刺々しい、轟音がした。

 アイゼルの懐に、龍馬の拳は文字通りめり込んだ。貫かんばかりに押し込まれ、アイゼルの身体はくの字を通り越して"つ"の字に折り畳まれる。

「ッ!!!!???!!!??!!」

 悲鳴は無い。

 彼の口から吐き出されたのは、息と胃酸と血液のみ。

 しかしそれは時間にして恐らく数秒と言える。

 刹那には、アイゼルの身体は校舎の壁に叩き付けられていたのだから。

 飛んで行く勢い、そして壁にぶち当たったその衝撃で周囲には塵芥が舞踊り、アイゼルの姿を覆い隠す。

「"お兄ちゃん"!!」

 想像外の状況に、エイゼルは思わず悲鳴を上げる。

「やり過ぎた……か……?」

 想像外だったのは龍馬もまた同じ。肉を叩いた感触がこべり残った拳に目をやると、微かではあるが震えていた。

 自らの力の大きさに、興奮と一抹の恐怖を覚えながらも、土煙の停滞するアイゼルの方へと、龍馬は恐る恐る視線を移す。

 舞い上がっていた粉塵は徐々に地面に向って沈んでいき、隠れていたアイゼルの姿が顕になる。

「なっ!?」

「うそ……?」

 塵は晴れ、全貌が見えたアイゼルは、"立っていた"。

 腕を力なくぶら下げて、もたげた顔からはダラリと血を流して、それでもアイゼルは、二本の足で確りと立っていた。地に足を、着けていた。

 想像外の想像外。

 どうして彼は立てている?

 あれ程までの衝撃を受けて、どうして彼は立っている?

 生々しい感触が、抉りとるようなまだこの手には残っている。

「どう……なってんだ……?」

 疑問には、誰も答えてくれなかった。

 その代わりか、俯いたままのアイゼルの肩が、ピクリと跳ねた。

「ッァ……!」

 呻きを上げ、徐に、アイゼルは首を持ち上げる。

 そうして見えた彼の表情は、"無"だった。感情を測ることが出来ない、強いて言葉を足すと言うならば、何処か穏やかな雰囲気を放っている。

 無表情でアイゼルが見つめていたのは、目の前に立つ龍馬、ではなく、龍馬の背後に立つエイゼルだった。

「どうしたの……?」

 視線を感じたエイゼルは、静かに佇む兄を見つめ返して問い掛ける。

「……」

 アイゼルは何も答えなかった。

 代わりに、彼女に向ってゆっくりと手を翳す。

 そして、アイゼルの唇が微かに揺れた。

「まさか―――!?」

 考えるよりも先に、龍馬の体は動いた。

 身を翻し、咄嗟にエイゼルに向って飛び掛る。

「えっ―――!」

 龍馬の行動を理解する前に、エイゼルの体は倒れていた。視界は気付けば空へ、覆い被さる様に龍馬の体があった。

 何が起きたのか。

 その疑問には、今度こそアイゼルは答えてくれた。

 視界を縦に走り去った、"剣"によって。

「お前、何考えてんだ!!」

 跳ぶように身を起き上がらせた龍馬が、アイゼルに向かって叫ぶ。

 エイゼルも上半身を起こし、今しがた剣を飛ばして来たアイゼルを見やる。

「仕様がないだロ」

 未だエイゼルに手を向けたまま、起伏の無い声でアイゼルは言う。

お前(龍馬)が消せないなラ、エイゼルを消すしかなイ。お前(龍馬)に取られるくらいなラ、エイゼルを殺してボクも死ヌ」

 感情無き彼の言葉は、理解し難い理論であった。

 しかし、感情が見えない故か、その言葉を偽りだとは思えない。

「殺すって……お前家族だぞ!この世に一つしかない大切なもんを、そんな簡単に殺すなんて言うなよ!失ったら二度と帰ってこねえんだ、それを分かって言ってんのかよ!!」

「分かってるヨ、そんなことは十二分にわかってル。エイゼルはたった一人の妹で、たった一人の愛おしい人。だからこそ殺すんだヨ。家族だからこそ殺すんだヨ。ボクの中で永遠にする為ニ、ボクの手の内から二度と離さない為ニ」

「お前って……奴は!!」

 龍馬の中から込み上がる怒り。それはまた、彼の力になっていく。

 ねじ曲がったその理論。家族を人を、蔑ろにする其の精神。

 "ヒーロー"として、見過ごす訳には、いかない。

「その根性、叩き直してやるよ!」

「お前、ホントに邪魔だよネ」

 アイゼルが忌々しげに呟くと、彼の手の平の上に、今一度空気が吸い込まれ始めた。

「ボクとしては全くと言っていいほど気が乗らないけド、お前とエイゼル、一緒に殺すしかないみたいダ」

 しかし、そこで"異常"が起こった。

 剣を生成する為に集約されて行く空気のうねり。その量が、膨大に変化し始めたのだ。

 彼の手の平の前に作られた"空気の蠢き"。剣を作り出す空気の塊が、アイゼルの周囲に幾つも生まれ始めた。

 何十と作られた"空気の蠢き"は、アイゼルの手の内にある剣と同じ物を素早く生成し、その切っ先を龍馬、そしてエイゼルへと向けた。

「なっ!?」

 予想外なアイゼルの"力"の圧力に、龍馬は息を飲み込んだ。

 背後にいたエイゼルも、兄の異常な"力"の大きさに、言葉を発する事が出来ない。ただ主張し続ける"違和感"だけが、彼女の中で警鐘を鳴らす。

「ごめんよエイゼル」

 彼の声は、とても穏やかだった。

「"向こう"に行ってかラ、しっかり"こいつ"を殺し直すからサ。今ハ、許してくレ」

 音はなく、静かにアイゼルは、翳していた手の平を前に倒した。

 ゴッ!!と、風を切るにして些か太すぎる低音が轟いた。

 アイゼルの周囲に形成されていた剣達が、龍馬とエイゼルの居た地点へと降り注ぐ。

 次々と射出されていった剣達は風を舞い起こし、彼等の周辺一帯を茶色い膜が包み込んだ。

「後は、ボクが死ぬだケ……」

 爆心地を見つめて、"自分用"の剣を作り出そうとし時だった。

 舞い上がった土埃が沈み、視界の晴れたその場所には、

「誰モ、居なイ……?」

 剣によって抉られた、穴だらけになった地面には、"何も残っていなかった"。

 龍馬の死体も、エイゼルの死体も。

 余りの威力の大きさに、木っ端微塵にでもなったのか?

 否、そうであったとしても小さな肉片や血痕位は残る物だ。文字通り"跡形も無く"消え去るなんて、アイゼルがあの威力で吹き飛ばしたって有り得るものではない筈だ。

「逃げたカ……」

 アイゼルは、自分でも不思議に思える程に冷静だった。

 憎き"男"と、愛する"妹"が殺した確証なく消えてしまったというのに、だ。

「逃げられる可能性としてハ……」

 恐らく、あれしかない。

「ダメだなあの子ハ、しっかりと"お仕置き"をするべきカ」

 薄く笑って、アイゼルは歩き出す。

 瞳に、"紅"を灯したまま。

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