解放
「"漆黒の刃"・・・?」
隼人は、自らの手に握られたそれを見た。
降り注ぐ月光を鈍く跳ね返すそれは、全長一メートル弱の小物だ。
形状だけ見れば片刃に見えるが、何しろ得体の知れないものなので、本当にそうであるかは判らない。
そして、一番に注目すべきなのは、柄の中央に埋め込まれている"黒い立方体"だ。
男の物のように光を放ってはいないが、その立方体は紛うことく夢の中で少女に手渡されたのもだ。
「クッソがあ!」
男が強く刃を押し込むよう力を込めた。
「くっ!!」
隼人も反射的に刃を握る手に力を込めると、そのまま前方へと押し込むように男を払った。
「なっ・・・!?」
軽く押し退けられた男の表情は驚愕に染まっている。
しかし、それは隼人も同じだった。
隼人には剣道を嗜む趣味などないし、授業としても触れたことはない。やんちゃに棒を振り回すことだってしてこなかったし、修学旅行で木刀に心惹かれた事もない。
言ってしまえば、剣の心得など隼人は皆無なのだ。
そうであったのに、刃を握っている事に、体が違和感を唱えないのだ。手に馴染む、と言うよりは、最早体の一部と言っても過言ではない。
隼人の心の中に、希望の光が差し始めた。
いけるかもしれない。これなら、この場を乗り切れるかも知れない。
隼人の表情に、余裕が生まれ始めた。
「ニタニタしてんじゃねぇぞ!!」
男は大きく踏み込み爪を振り下ろす。
隼人は素早く刃を横に構えそれを受け止める。と、同時に刃を横薙ぎに振るい男の爪を払い除ける。
男は一歩後ずさるが引き下がらない。爪のリーチを活かし、その場から横薙ぎの一閃を繰り出した。
隼人は直ぐに構え直し、今度はそのまま弾き返す。
見える、見えるぞ!
先程は奇跡的に回避した男の爪の動きが、今の隼人にはしっかりと見えていた。
一撃一撃を、逃す事無く目で追うことができる。
次々と繰り出される攻撃を、隼人は易々と去なしていった。
「どう言う・・・事だ・・・!」
息を切らしながら男は呟いた。
数分前からの形成の変わりように、戸惑いを隠せてはいないようだった。
「これが僕の"力"、みたいだよ」
対して、隼人の表情には幾らばかの余裕が見える。息を切らした男に比べて呼吸も正常、疲れた様子が伺うない。
刃を手にしてから何故だか、体の中から力が溢れてくるのだ。
そんな不思議な感覚に違和感を覚えることはなかった。体が完全に、刃を受け入れているのだ。
「なんでさっきは嘘をついたんだ?保護者だ、なんてわかり易い嘘を」
「・・・あぁん?」
男の現れた数十分前の事を思い返しながら、隼人は口を開いた。
「お前には、この子を欲しがる理由があるんだろ?じゃなきゃ今までの事件の様に済んでいた筈なんだ。・・・・・・お前が、この子を求める理由はなんなんだ?」
「・・・・・・願いを叶えるためだ」
「・・・・・・は?」
男の言葉を一瞬理解することが出来ず、隼人は素っ頓狂な声を上げる。しかし、さして男は気にした様子もなく続けて話し出した。
「真っ暗な所でよぉ、そんな夢の中、そいつが俺に言ったんだ。"お前に願いはあるか"って、当然俺はあると答えたさ、そしたらそいつは言ったんだ"だったら、叶える機会をやる"って、・・・そして、この"匣"を受け取った」
隼人は、"匣"と呼ばれた、男の手に埋め込まれている小さな立方体を見た。弱い光を放ちながら、その存在を主張している。
「最後にそいつが言った。"願いを叶えたいのなら、私を探す事だな"ってな。それで目が覚めたら"匣"が手に埋め込まれてて、同時にこの"力"も使えるようになってたって訳さ。因みに、"匣"って名前はそいつに夢の中で言われたんだ。ご丁寧に解説聞かされた気がするが・・・・・・夢だったからかねえ、ほとんど覚えてねえ」
これで満足かよ。と、男は気だるげに呟いた。
隼人は、今しがたの男の話と、自らが今朝見た夢とを照らし合わせる。
置かれた状況と、登場する人物に違いはないのだが、内容が決定的に違い過ぎる。まず、隼人の夢の中では、この少女は話などしなかった。厳密には"話していたけれど声は聞こえなかった"だ。
"匣"と言う単語も、"願いを叶える"と言う言葉も隼人は初耳だ。
不思議な夢程度の認識であったのに、壮大な話に広がっている事に隼人は驚きを隠せない。
「なあ、今の話は本当なのか?」
隼人は思わず、傍らに立つ少女に目を向けた。
「・・・んとねー、ワかんないかも」
少女は全く心当たりがないようで、キョトンと首を傾げる。
「どういう事だ?」
男が怪訝な表情で疑問符を浮かべ隼人を見た。
「僕にわかるわけ無いだろ。この子とは、今日初めて会ったんだ」
「・・・あぁそうかい」
まあ、俺は夢を信じるさ。と、男は付け加え、
「で、そいつは渡す気になったかよ」
男は爪をジャラジャラと動かしながら言った。
「・・・まだ一つ、聞きたいことがある」
「なんだよ」
めんどくせぇ・・・、と、呟きながら、男は長い髪の間から鋭い視線を隼人に向けた。
「お前、最近この辺で障害事件起こしてる怪人だよな?」
「怪人なんてのは初めて聞いたがな、まあ、その通りだと思うぜ」
男は怪人と言うワードに対してはさして気にした様子もなく、事件について肯定した。
「なんで、そんな事をしたんだ?」
「なんで、ねえ・・・」
男は隼人の言葉を反芻した後、間を空けた。
だが直ぐに、
「理由は特にねえなあ、・・・"何となく"が、一番しっくりくる」
「何となく・・・だって・・・?」
男の答えに、隼人は思わず間の抜けた声をあげた。
「あぁ、何となくだ。もっと判り易く言うなら"むしゃくしゃしてやった"って感じだな・・・・・・、て言うかもうこんな話どうだっていいだろ。そいつを渡すか渡さないか、それだけ答えろ」
声のトーンを途端に下げて男は言った。持て余していた爪を隼人へ突き出す。
「・・・・・・っ」
息を飲み、隼人は傍らにいる少女を見た。
黒水晶のような瞳が、隼人の視線とぶつかる。
「キミを信じてるよ」
少女は静かにそれだけ言って微笑んだ。
「・・・判ったよ」
隼人は頷き、刃を持つ手に力を込める。
正直、状況を完全に理解したわけではない。寧ろ、分からないことが増えたと言ったっていい。
・・・だけど、この子を渡しちゃいけない、そんな気がする。
予感。頼りがいのない本能。
今まで信じてこなかったけれど、今回ばかりはそんな"理屈を超えた感覚"が、隼人の心を支配していた。
「結局こうなんのかよ、・・・時間を無駄に使った気分だ!!」
「っ!!」
隼人と男が同時に飛び出した。
男が掌を水平に伸ばし、爪による突きを繰り出す。隼人は身をひねりそれを回避。
捻った遠心力を利用して、隼人はそのまま横薙ぎの一閃を放つ。突き出した勢いを殺さずに、男は踏み込んだ足を軸にして全身を回転、素早く爪を垂直に立て刃を受け止めた。
漆黒の刃と長く伸ばされた爪がぶつかり合い、小さく火花が散る。
「まさに"急成長"だなぁおい」
「ありが・・・とな!」
体重を刃に預けて思い切り押し出す。爪を押し退け、隼人は押し出した勢いのまま男の懐へ踏み込んだ。
素早く手首を捻り、刃の柄を、男の鳩尾へと突き込む。
ぉあ・・・!!と、空気の吐き出される音が男の口から漏れた。と同時に、男の足は地を離れ、そのまま体が二、三地面を転がっていく。
「ちっ・・・くしょう・・・!」
男の掠れた声が静かな森に響く。突かれた鳩尾を押さえながら、男はゆっくりと立ち上がった。
「っ!」
男の動きに警戒しながら、隼人は刃を構え直す。
どうしたら、この戦いは終わる?
"匣"は身体を強化する。これは、隼人自身と男が、現在進行系で証明している。剣の心得のない隼人の動き、細い男から繰り出される強力な一撃がその根拠だ。
意識を奪えればと鳩尾へ叩き込んでみたが、効果はなかった。あれ以上の力でやってしまえば、きっと臓器が潰れてしまう。
「オラァ!!」
男は大きく爪を振り下ろす。隼人はこれを弾いて去なす。間髪入れずに男はもう一撃を放つ、隼人はそれを身を捻り回避。そのまま後ろへ小さく跳躍し、距離を取る。
男は、完全に隼人を"殺す気"できている。隼人の息の根を止めることによってこの戦いに終止符を打とうとしているのだ。
対して、隼人にそんな思考は一瞬も生まれていない。そもそも、"人を殺す勇気"が、一介の高校生に芽生える筈などないのだ。
見えない戦いの終着点。それは、少女の言葉によって導き出された。
「"漆黒の刃"で、匣から解放してあげて」
「・・・?」
隼人は一瞬、少女の言葉を理解することが出来なかった。
しかし、答えはすぐに生まれた。"予感"と言う形で。
「やるしか・・・ないよね!」
「何ブツブツ言ってんだ!!」
例の如く、男からの斬撃。隼人はそれを勢い良く弾き返す。
おっ・・・、と仰け反った男のがら空きになった体へと、素早く持ち替えた刃の峰を叩き込む。
「がっ・・・はぁっ・・・!!」
声にならない叫びを上げながら、男はゴロゴロと地面を転がっていく。やがて木の幹に体を打ち付けて男は項垂れる。
「・・・ぁ・・・ぉ・・・」
意識は未だあるようで、うめき声を上げなら男は蠢いていた。しかし、ダメージは深かったのか、立ち上がることが出来ていないようだ。
「よしっ!」
隼人は男の元へ立ち寄ると、"匣"の埋められた腕を思い切り押さえ込んだ。
「なっ・・・!?」
驚愕に染まる男を無視して、隼人は刃を逆手に持ち替える。
"匣を解放してあげて"
少女の言葉による予感は、"確信"へと変わっていた。
埋め込まれた"匣"目掛けて、隼人は刃を振り下ろす!
"匣"と、"漆黒の刃"が、触れた。
瞬間。
"匣"は白く光を放ち始め、男の長く伸びた爪が綻びサラサラと砂のように散っていく。
爪が全て散り終わると同時に、"匣"もまた、その姿を消していた。
「終わった・・・のか・・・」
戦いの終わりと共に体から力が抜けて、隼人は思わずへたり込んだ。その拍子で、刃が手をすり抜ける。隼人の影に落ちたそれは、そのまま影へと吸い込まれていった。
「大勝利!」
「のわっ!」
勝利の歓喜に舞い上がった少女が、隼人の背中に跳びかかる。
少女が何者であるのか、その答えは全く見えなくなったけれど、今は取り敢えずこれでいい。少女を守れた、その事実に今は浸ろう。と、隼人が勝利の余韻に浸かっている時だった。
「・・・ん・・・あ・・・?」
「っ!」
のそりと男が身を起こした。髪に隠れた目を擦りながら、男は当りを見回して、言った。
「ドコだここ、何で俺はこんな所にいる?」
「・・・?」
言葉の意味が判らなかった。いや、判るけれど、なぜそうなるのかが理解出来ない。
唯一、答えにたどり着く要因があるとするならば、それは、
"匣"の消失。
「よく分かんねぇけど、とりあえず帰るか」
ボリボリと頭を掻きながら、男はのそのそと歩き始める。
「あ、あの!」
「あぁん?」
隼人は思わず呼び止めて、男が肩越しにこちらを見た。
「何にも、覚えてないんですか?」
「・・・・・・」
隼人の質問に、男は顎に手を置いて答えた。
「ここに来るまでの記憶は全くねぇ。言うなればあれだな、長い夢を見ていた気分だ。・・・もういいか?俺は帰るぞ」
気だるげな態度で、男は林の闇の中へと消えた。
「・・・僕らも帰るか」
暫し放心状態に置かれていた隼人は、背中に張り付く少女を退かして立ち上がる。携帯を取り出して時刻を確認すると、既に夜の七時半を過ぎたところだった。
「この子、なんて説明したらいいんだよ」
なんて、どうでもいい事を口走りながら、隼人と少女も林を後にした。
風に揺れる葉の音だけが、静かな林に取り残された。