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ヒカリと影と  作者: 洒落頭
39/43

我儘と、我儘

「行きます!」

 先に動き出したのは、隼人だ。

 刃を半回転させ峰を表に向けると、両手で柄をギッど握り直し、隼人は綾葉に向かって駆けた。床に広がっていた水が、小さな音を立てて跳ねる。

 迫る隼人、まずは上段から一閃。峰は風を裂き音を立て、綾葉の頭頂を狙う。

 綾葉は後方に小さく跳躍することでそれを回避し、刃は誰もいなくなった空間を引き裂いた。しかし隼人はすぐ様一歩前進。刃の届く範囲まで来たところで、今度は下からの切り上げを放った。

 胸に迫る刃の峰を捉えた綾葉は、上半身を僅かに背後へと逸らす。素早い縦の剣閃が、彼女の眼前を走った。

「今度はこっちの番」

 上方へと流れていった刃を見送った綾葉は、逸らしていた上半身を元に戻すと、そのまま前屈みにも近い体勢になり、踏み出す。

 頭の高さにまで持ち上がっていた隼人の左手首を、綾葉は下段からひっ攫うが如く掴み取る。その勢いに負けて隼人の手から刃は離れ、弧を描いて地面に落ちたそれは霧散した。

 隼人の表情が険しくなる。彼女の力を知っている今、この状況がどんな結果に繋がってしまうのかが分かっているからだ。

 綾葉が次の行動に移ってしまう前に、彼は斜め右へと勢い良く跳躍。綾葉の身体も彼の跳んだ方向へと強制的に動かされる。

 廊下の壁面に足を付けたかと思えば、勢いに任せて隼人は掴まれた左手首を中心にして壁を走った。合わせて綾葉も円を描くように回り、約九十度進んだ所で、今度は壁を土台にして上へと跳んでみせた。

「っ!」

 突然の跳躍に綾葉の身体は追いつかない。上方へと腕だけが引き上げられ、綾葉の肩が悲鳴を上げる。

 一方隼人は左手首を掴まれている影響で、重心は自然に下方へと傾く。ほぼ綾葉に支えられているという状態で、足は上へ、頭は下へと回転する。彼女の頭上を宙返りにも近い体勢で隼人は飛び越えていった。

 後方へと引っ張られた綾葉の肩に痛みが走り、耐えられる事無く隼人の手首は解放される。

 自然と背中合わせの状況になりながら、隼人は着地。同時に膝を曲げ、すぐ様次の"漆黒の刃(シャドウブレイド)"を逆手に持つ。

 引き抜きと同時に右足を軸として身体を回転。刃の峰で横薙ぎに綾葉の脇腹を狙っていく。

 綾葉は刃の進行方向に手の平を滑り込ませて、それを受け止める。バシッ!と肉を叩く鋭い音が響く。衝撃地点を中心に痛みが綾葉の腕を這い上がってくるが、そんなものは無視だ。

 受け止められた刃は一秒も掛からずに"水疱に帰す(リターン・ブルー)"によって隼人の手から消え去った。

 ガラ空きになった隼人の首目掛けて、綾葉の腕が伸びていく。

 隼人は横目で彼を狙う腕を捉えると、真正面に向かって、綾葉の視点からは左へ。彼女の視界の外へと抜けていくように跳躍する。

「逃がさないわよ!」

 距離を取られる前に、綾葉は再び地面へと手を付けた。

「"水疱に帰す(リターン・ブルー)"!」

 走る隼人の足元に不自然な波が襲い来る。地上にいる時には、決して感じることのない波紋。

 違和感を感じ取った隼人は左側、階段の踊り場に向けて転がり込むように跳ぶ。倒れ込むと同時に、今の今まで隼人が駆けていたリノリウムの廊下は液体となって消えた。

 隼人を逃し二階へと下ってしまった綾葉は、すぐ様隼人の逃げ込んだ階段の方へと走る。上へ逃げた所で、四階の階段前にあった廊下も先程液体へと変わった。今の彼に、まともな逃げ場は存在しない。

 彼を追い、綾葉は三階へと続く階段を駆け上がる。

 しかし、その途中。踊り場を過ぎた辺りで、彼女の視界に影が差した。

「っ!?」

 綾葉は慌てて上を見る。そこには、手摺りを飛び越え上段から彼女に振り注ごうとする隼人の姿が。手に掴まれた刃の峰は、彼女の頭蓋を完全に捉えている。

 水泡を展開するには間に合わない。

 彼女はその場で、予備動作なくバク宙。長い髪が、弧を描いて舞う。

 綾葉はそのまま背後にあった踊り場の壁に、標的を失った隼人は刃を階段に向けて思い切り打ち付けた。

 だがそれは同時ではない。僅かだが、綾葉の着地の方が早かった。

 重力が彼女を引き摺り下ろすよりも早く、綾葉は膝をバネにして真正面へとダイブ。着地したての隼人に、ロケットの如く接近していく。

 接近を感じ取り首を横に向けたが、もう遅い。

「がッ!?」

 勢い良く突進された隼人の体は、踏ん張りもきかず背中から階段へと叩き付けられる。

 骨が軋むような音が聞こえた。肺からは空気が無理やり失われた。反射的に呼吸しようとした彼の喉には鉄の匂い。吸い込み、咽る。彼の口から鮮血が跳ねた。

 馬乗りになった綾葉は、隼人の顔面を鷲掴む。

 階段の角に頭を叩かれ、目の前に迫る綾葉の顔が歪んで映る。

「あなたは、何がしたいんだ」

 階段に全身を押し付けられたまま、隼人は掠れた声で問い掛けた。

「何なのかしら。私にも、良く分からないわ。ただ現実から逃げていく人を見るのが嫌なの。私が今からやろうとしていることは、無理やり目の前の現実から引き剥がすことなのに……。可笑しいわよね、覚悟してここまで来たはずなのに、心がまだ、追い付いていないなんて」

 彼女の顔に浮かぶのは、嘲笑にも似た儚い笑み。彼女の持つ強さの隙間にある、小さな弱さが垣間見えている気がした。

「あなたの覚悟は……」

 隼人の手が、彼の顔を押さえつける綾葉の手首を掴んだ。

「あなたの覚悟は、本当に"覚悟"なんですか?あなたが何をしようとしているのかは判りません。ただ、あなたの言った覚悟は、"これしかない"って決めつけた、諦めなんじゃないですか?」

「―――っ!?」

 隼人を拘束する腕の力が、一瞬だったが緩んだ。

 その隙に、片手で頭を押さえる腕を払い除け、自由になった上半身を起こす勢いを乗せて、彼女の腹を押す。

「ぅっ!!」

 ただ腹部を押されただけとは思えない痛みが綾葉を襲う。彼女の体は反射的によろけて、踊り場の壁にもたれ掛かった。

 ―――昨日の傷ね……。

 "キューブ"による強化はあっても、一日で完治するものではなかった、という事か。

 拘束を無くし、立ち上がった隼人は言う。

「"諦め"じゃなかったら、そんな悲しい顔にはなりませんよ。これは、願いを叶えて絶対に"ハッピーエンド"になる戦いなんだから。"救う"なんて大見え切った僕が言うのも違うかもしれませんけど、あなたこそ、まだ"諦める"には早いんじゃないんですか?」

 彼の言葉は、正しいのだろうか。

 確かに彼女は、あの日あの時、"こうするしかない"と、一つの答えしか見えていなかった。目の前で心倒れる姿を見て、独りでに責任を取ろうとしていた。

 きっと、間違いでは無いのだろう。

 けれど、それじゃあ、今までの自分は何だったのだろうか。

 ここまでやってきた事は、全て無駄だった?

 信じて来た行動に、意味など無かった?

 否。

 ―――私は、貫いてきたこの意志を、無下にはしたくない。

 "正"がどちらで、"誤"はどちらなのか。

 それはどちらもが"正しく"、どちらもが"誤り"。

 それぞれの答えは、それぞれの中で善であり悪であるが故。

 ならば、どうすればいいか。

「貴方は、やっぱり"お兄ちゃん"なのよね」

 ―――変に言い当てる所が、そっくりよ。

 綾葉は微笑を浮かべ、隼人を見上げる。

 彼と彼女の"正義感"を、絶対的な"正義"へと昇華させる事。

 導き出した"諦め"を諦め切れない彼女と、諦めかけていた意思を再び立ち上がらせた彼の、衝突。

「"斬手(ハンドメイド)"」

 彼女はポツリと呟いた。すぐ近くにいる隼人にも聞こえない程小さく、迷った声で。

 そして唐突に、綾葉の腕に変化が訪れる。

 細く綺麗な、華奢とも捉えられる彼女の腕は、一瞬の内にその質を変化させた。変色した。ギラリと明かりを反射するその様は、人肌の柔らかい物ではなく、金属的なそれだ。両手の指は溶ける様にその姿を消し、一つの塊と成す。

 その姿はまるで、剣だ。

「っ!?」

 目を疑った。隼人の中に浮かび上がった感情はその一つのみ。

 だが彼が驚いたのは、突如として変化し変色し鋼の剣の様になった"事ではない"。

 何故ならば、今この時、この場において"そうなる事"は"キューブ"の力であると皆目見当がつくからだ。

 問題は、"何故二つ目の力を有しているのか"。

 驚き戸惑う隼人を気に止めず、綾葉は言う。

「お願い……"諦め切れない"私を、どうか砕いて。半端な私を、断ち切って。こんなものは、私の我儘だなんてことは判ってる……だけど、私は私を見限れない」

 悲しそうな彼女の視線に対して、隼人は刃の切っ先を向けるだけ。

 なぜ彼女が二つの力を持っているのか。そんな物は今、些細な話だと思った。

 彼女を"救う"と決めたのだ。

 だから、この時だけは、彼女をしがらみから解放することだけを、考えよう。



 ×



「やっと見つけタ!!」

 静かな校舎裏にアイゼルの甲高い叫び声が響いた。

 彼の視線が捉えているのは、愛しの妹エイゼル。

「うっ」

 ターゲッティングされたエイゼルはと言えば、苦い表情をして龍馬の背中に回り込む。

 何事か、と龍馬は首だけを背後に回す。

「どうし―――」

「会いたかったヨー!オシッコしたいって言ってから消えちゃったもんだかラ、お兄ちゃん超心配したんだからナ!」

 龍馬を遮って発せられたアイゼルの言葉は、

「っ!?」

「……」

 エイゼルの肩を跳ね上がらせ、龍馬の動きを止めた。

 見る見るうちに顔を赤く染め上げていくエイゼル。掛ける言葉が見つからず、微妙な顔を作ることしかできない龍馬。首を傾げて、キョトンとしているアイゼル。

「……」

「……」

「……」

 三人の間に、変に重たい沈黙が流れた。

「知らない……」

 先に静寂を破ったのは、エイゼルだ。

 龍馬の背中に身を隠して、アイゼルの顔を一切見ようとせずに彼女は言う。

「私、こんな人知りません。いきなり何ですか?見つけたとか会いたかったとか、もしかしてストーカーの方ですか。変態ですか?」

「な、なにヲ……?」

 あからさまに狼狽えているアイゼルの声音。龍馬が首を向けると、既に彼の瞳の中から雫のようなものが伺えた。

 ―――何だ、どうなってる?

 間に挟まれた龍馬は、入り込むタイミングを見失い疑問符を浮かべるしかない。

 エイゼルは龍馬の背中に隠れたまま、俯いて言葉を続ける。

「それに、オ、オシッ……なんて、何の話ですか!人のことそんな風に見て……ホント……気持ち悪いです!」

 いつの間にか龍馬の制服を握りしめていた彼女の手に、ギュッと力が篭った。

「おいおい……」

 背後のエイゼルも、対面のアイゼルの顔も見ることができず、誰もいない宙空を見つめる彼の表情に緊張が走る。

 又しても、流れる沈黙。

 そんな中アイゼルが、無言のまま一歩前へと踏み出した。

 乾いた土を踏む掠れた音。背中越しにエイゼルが震えたのを感じ、龍馬はゆっくりと前方に目を向けた。

 アイゼルと目が合った。けれど、彼の目は龍馬は見ていない。捉えているのは、龍馬の背中にいる彼女だけ。

 彼の、アイゼルの瞳には涙があった。そして、彼の浮かべるその表情は、怒り。

 眉根を寄せて、鋭くこちらを睨み付ける彼の視線には、言い様のない、黒い感情が内包されている。

「オイ」

 静寂を破ったアイゼルの声。静かでありながら、ドスの効いた彼の声は、エイゼルだけでなく龍馬にも恐怖の切れ端を伝播させた。

「エイゼル」

「……」

 彼の呼び掛けに、エイゼルは無言で答えた。アイゼルの片眉が、ぴくりと跳ねる。

「エイゼル」

 アイゼルは、もう一度彼女の名を呼ぶ。

 けれど、

「……」

 エイゼルは、やはり何も答えなかった。

 土を踏む小さな音。彼はまた一歩前へ出た。

「お兄ちゃんはサ、本当に心配したんだヨ。突然いなくなっちゃっテ、消えちゃったんじゃないかって本気で思ったんだヨ。それなのにサ、エイゼル……オマエは……一体どう言うつもりなんダッ!!」

 優しく語りかけるようだったアイゼルの声音は、突如として爆発した叫びへと姿を変えた。

「心配して、探してあげたのに何だその態度ハ!自分が何をしたか分かってないのカ!?判ってないよナァ!!」

 彼が一言叫ぶ度に、制服が強く握られるのを背中に感じる。

 荒く言葉を吐き続ける彼の瞳には、はっきりとした殺意が滲み出ていた。

「ダメなんだヨ、家族は一緒にいなくちゃサア!バラバラになるのはサ、あっちゃならないんだヨ!!だからモウ、帰ってこイ!!」

「イヤ」

 彼の言葉を待ち、やっと出てきたエイゼルの言葉はとても短く、冷たい物だった。

「ワタシはもっと、自由になりたい。……アニキに縛られてばかりの人生何て―――」

「フザケルナ」

 エイゼルの言葉を遮り、飛び出した彼の言葉は、腹の底に届くようなとても重たい圧力があった。開いた瞳孔で、背中に隠れるエイゼルを睨み付ける。

「フザケルナフザケルナフザケルナフザケルナ!自由なんて要らなイ、そうやって皆離れていク。ずっと一緒に居ればイイ!ボクと一緒にいればイイんだヨ!!」

 アイゼルの手の甲が赤く輝き出す。かと思えば、彼の周囲で空気が蠢き出し、アイゼルの手の中へと集約して行く。蠢き渦巻き形作られていったそれは、細長い棍棒だった。

「いうことが聞けないって言うのなラ、無理矢理にでも連れて帰ル」

 実体の見えない、空気の棍棒をこちらへと突き付けてきた時だ。


「ちょっと待てよ」


 何も言わず、見届けていた龍馬が、声を挙げた。

「ア?」

 アイゼルは顔を顰め、"真の意味"で龍馬の事を視界に捉える。

「誰だオマエ」

「ずっと目の前にいたのに、そんな事言われるとはな。……まあいい、そんな事よりだ。お前こそ、自分が何しようとしてるのか判ってんのか?」

 肩をすくめて、龍馬は呆れた様子で問い掛ける。

「お前とこいつの関係が、どんな事情の中にあるのかは判らねえ。だけどよ、嫌がってる奴を力ずくでどうこうしよってのは、何か違くねえか?それも兄妹、家族って言うのなら尚更だ。なんて言うかさ、もうちょっと向き合ってやれよ」

「何様なんだよテメエはサ。勝手に割り込んできやがっテ。ボクたちの、何がわかるって言うんだよ!」

 エイゼルに向けて突きつけていた棍棒を、今度は真正面の龍馬に"向けて"突き付ける。

「だから言ったろ、何も判らねえよ。だがな、家族だって言うんならしっかり理解し合っとくもんだ。じゃないと絶対、後悔する」

「ゴチャゴチャ五月蝿いナァ。……まさか、オマエの所為じゃ無いだろうナ。いや、そうだ。……そうに違いない……オマエだ……オマエがエイゼルをたぶらかしたんダ」

 か細い声で言葉を垂れ流しながら、アイゼルは遂に、殺気までもを龍馬へとシフトした。瞬間に、龍馬の背筋にビリッとした悪寒が走る。

「お前、何言って―――」

「ダマレ!!」

 龍馬の言葉に聞く耳を持とうとせず、手にした棍棒を力強く握り締める。眉間に皺を寄せ、尖った視線が龍馬を射抜く。

「ちょっと待ってよアニキ、どうしてそんな事」

「いいんダ、エイゼルは離れてなさイ。このクソ野郎は、今ボクが片付ける。それで、二人で一緒に帰ろう」

 先程とは打って変わって、とても柔らかい声音だった。まるで赤子に語り掛けるかの様なその調子に、エイゼルは、尋常じゃない違和感を覚えた。

 ―――何か、変。いつものアニキじゃ、ない気がする。

 根拠は無い。けれど、兄妹として、家族として過ごしてきた彼女だからこそ抱いた違和感。

 何が、違う?

「お前もエイゼル(こいつ)も、どちらもはっきりと悪と判断出来なかったが、今なら出来る。お前は今、"悪"だ。だから、ここでお前が棍棒(それ)を引かないって言うんだったら……判るよな?」

「……ッ!!」

 挑発的な声音で、アイゼルに問い掛ける龍馬。彼を睨むアイゼルの眉間の皺が、更に深くなった。

「ちょっとアンタ何言ってんのよ!"アレ"が何だか判ってるの!?アンタに解決できる問題じゃ無くなってるのよ!」

 龍馬の明らかな挑発行為に対して、エイゼルは兄の持つ棍棒を指さして龍馬を押しのけようとする。

 しかし龍馬は、

「判ってるよ。"キューブ"ってんだろ。知らなかったら、風がビュンビュン動き出した時点で腰抜かしてるよ」

 軽く笑って、彼を追い越そうとするエイゼルを、腕を広げて食い止めた。

「アンタまさか……」

「まあそういう事だ。俺も"キューブ"って奴が使えるんでな。お前は安心して隠れてりゃあいい」

「でも―――」

「ヘエ……テメエも"キューブ"がネエ……。だったら、手加減する必要は無いってことだよネ?……いや待てヨ、だけどすぐ殺しちゃうんじゃあボクの気が収まらないカラ、やっぱりゆっくり嬲り殺していく事にしよウ」

 唇だけを三日月に歪めて、怒りと笑みの入り交じった不気味な表情でアイゼルは龍馬を見る。

 対して、龍馬も拳を合わせると、口元に微笑を浮かべた。

「明確な悪だって判ってんなら、俺だって手は抜かねえさ。さっ……本気で、行かせてもうぜ」

 言い切ると同時に、龍馬は、駆け出した。

 龍馬とアイゼルの間には、大した距離はなかった。龍馬が三歩程踏み込んだ時点で、既に拳の間合い。

 駆け込んだ勢いを上乗せして、龍馬はアイゼルの顔面目掛けて拳を放つ。

「遅イ」

 だがアイゼルは、その拳を首を傾けるだけで易々と回避すると、突っ込んできた彼の額に向かって自らの頭を叩きつけた。龍馬が走り込んでいた事で、鈍い衝撃音が離れていたエイゼルにまで届いた。

「がっ!」

 龍馬の上半身は後方へと反り返り、頭蓋を尋常ではない痛みが襲う。脳はグラグラとシェイクして、共に視界も霞んでいく。

「がら空き……ダ!」

 無防備になっていた龍馬の腹部に向かって、アイゼルは踏み込みと同時に膝蹴りを叩き込んだ。

 海老反りになっていた龍馬の身体は、一瞬にしてくの字へと折れ曲がる。酸味が、龍馬の食道を登っていく。

 れた龍馬の身体から、一歩アイゼルは距離を取ると、今度は手にしていた棍棒の先端で、龍馬の腹部を突き刺した。

「っ!!!!?」

 "く"よりも"つ"の字に近い形に彼の身体は折り畳まれ、そのまま後方へと吹き飛んだ。酸味と共に鉄の苦い味が口内に溢れ、赤を撒き散らしながら龍馬の身体は地を転がる。

「―――ッ!!?」

 引き攣った悲鳴を上げて、駆け寄ろうとするエイゼルを、龍馬は倒れた姿勢のまま腕を伸ばして制止した。

「心配すんな、大丈夫だ」

 額から、口から、ダラダラと血を垂れこぼしながら、龍馬は弱々しく立ち上がった。

「なんだテメエの力ハ、何にも変わった気がしないゾ?」

 鼻で笑い、アイゼルは嘲笑を浮かべ肩をすくめた。

「当たり前だろ、何たって俺はまだ"力を使ってない"からな」

「ア?」

 龍馬の一言に、アイゼルの表情は一変。笑みを消し、憎悪が表情を支配する。

「手加減しないっテ、テメエ言ってなかっタ?オイオイ、まさかとは思うケド、イイ格好見せようとしてウソを吐いたわけじゃないよネ?」

「手加減はしてねえよ。今だって、"出せる分の力"は出し切ってる」

「何言ってるカ、良くわからないんですけド。取り敢えズ、バカにしてるって事でイイよネェ」

「まあそう慌てんな。まだ"その時が来てない"ってだけだ。お前がその調子なら、すぐ見ることが出来るだろうよ」

 又しても、挑発的な物言い。

 対面するアイゼルの中で、何かが音を立てて切れた。

「上等だゼ!」

 叫び、アイゼルはノーモーションで手にしていた棍棒を投擲。

「っ!?」

 龍馬が飛来して来るものを感知した頃には、もう遅い。

 右肩から、何かがぶつかる金属音がしたかと思えば、龍馬の身体は九十度以上回転していた。

 そして襲い来る、痛み。

「がぁぁぁぁぁアアアア!!!?」

 右肩の神経が、外に曝け出されたかの様な猛烈な激痛。しかしそれでいて、右肩への感覚はまるでない。無くなってしまったのではないかと、錯覚する。

「やるじゃ……ねぇ―――っ!!」

 ダランと右肩をぶら下げて、振り向き直った瞬間だ。

 アイゼルの右ストレートが、龍馬の左頬に食い込んでいた。

 龍馬の視界が目まぐるしく回る。捉えられたのは、鮮やかな赤だけ。

 足先から力が抜けて、龍馬の身体は背中から地面へと倒れ込んでいく。

 仰向けに倒れ、不可思議な色をした空を収めた彼の視界は、逆光を浴び、薄暗に染められたアイゼルの顔にすり替えられた。

「テメエが本気になってるとかなってないとかは、もう関係ナイ。今ココで―――殺す」

 一発、龍馬の鼻を拳が叩く。

 更に一発、右頬を抉るように拳が走る。

 更に一発、二発、三発、四発五発六発七発八発九発十発。

 龍馬の顔面を、アイゼルの拳が絶え間なく殴り続ける。

「―――もう止めてよ!!」

 もう一発と振り上げたアイゼルの拳が、止まった。

 アイゼルは、声のした方向へとゆっくりと首を持ち上げる。

 そこには、悔しそうに涙を流しす、エイゼルがいた。

「もう帰るから……一緒に、帰るから……止めて……もう、見たくない……!」

「やっとその気になってくれタ!嬉しいナァ、やっぱりお兄ちゃんはオマエがいないとダメなんだヨ」

 彼女の言葉を聞き、ぱっと表情を明るくするアイゼル。

 だが、

「だけど、止めることは出来ないヨ。もうボクは、コイツを殺すって決めたからネ。だからゴメン、もうちょっとだけ待ってくれるかナ」

「そんな、待って―――ッ!」


「待たせたな」


 そんな、声が聞こえた。

 刹那。

「ガッ!!?」

 馬乗りになっていたアイゼルの顔面に衝撃。

 一撃で、彼の身体は背中から吹き飛んだ。

 土煙が舞い、エイゼルの視界を茶色が遮る。

「何が……起きたの?」

 少しずつつ晴れていく視界。その中に、一つシルエットが浮かび上がる。

 その影は、"両肩"を回し、小気味よい音を立てる。

 土煙は消え去り、アイゼルは上半身を起こして、何が起きたのかと前方を見据える。

 そこには、エイゼルとアイゼルの視界の先には、大地を踏み締めて確りと立ち上がる善祇龍馬の姿があった。

「ここからが俺の本番」

 口元に笑みを浮かべて、龍馬は言う。

「"起死回生(ヒーローイズム)"の、真骨頂だ」

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