何を知り、何を欲するのか
「着いたわね」
「ただのマンションにしか見えないんだが?」
倉空綾葉、入宮羽刈はあるマンションの目の前にいた。
「マンションの一室をそのまま事務所としてそのまま使ってるみたいね……はいこれ」
「ん?」
綾葉は肩にかけていたバッグから一枚の紙切れを取り出すと、隣にいる羽刈に手渡す。
受け取った羽刈は、余つ折にされたその紙を広げて、
「正義探偵事務所?」
顔を顰めた。
紙には、正義探偵事務所のホームページが印刷されていた。
しかし、如何にも手作りですという雰囲気がひしひしと伝わってくるようなとても安っぽい構築をされていて、とてもではないがこれを見て頼もうとは思えない。
「情報を集めるとは聞いてたけどさ、探偵に頼むかよ?しかもなんだこの名前……すごく胡散臭いんだが」
「腕は確か、みたいよ」
「自称じゃねえか」
サイトのトップにでかでかと書かれた『悩みを必ず、正義を以て解決します! 』の文字を見て、羽刈はため息を漏らした。
「百歩譲ってコイツを信用するとして、お前にそんなお金あるのか?探偵って、結構お金かかるんだろ」
「だからあなたを連れてきたんじゃない?」
「は?」
言われた意味が理解出来ず、羽刈は思わず素っ頓狂な声を上げた。
しかし、綾葉はそんな羽刈を気に止めずに続ける。
「あなたの力使って、"当たれば"強行。"外れれば"強行」
「どっちにしろ力任せじゃねえか……金、持ってきてねえんだな」
「この場に賭けるだけのお金はちゃんとあるわ」
揺るぎそうにない綾葉の様子を見て、羽刈は呆れながらも言う。
「じゃあ、出せよ」
「よろしくね」
僅かに微笑むと、綾葉は財布から千円札を六枚取り出した。
「こんなに必要か?」
しっかりそのお金を受け取りながらも羽刈は訝しむ。
「念の為よ、念の為」
「そうかい……まあ、稼ぎになるなら俺はなんだっていいけどな」
羽刈は手渡された六千円の内の半分を懐に収める。
そして、残された三枚を、
「はむ」
"口の中へと放り込んだ"。
瞬間。
羽刈を中心として、薄い膜のようなものがドーム状に音もなく広がり出した。
水中に入っていくかのような、包み込むような感覚を綾葉を襲う。しかし、それも一瞬だ。
綾葉を追い越して、瞬く間に膜は広がっていく。最終的にそ の大きさは、半径、高さともに三十メートルにも及ぶ巨大なドームになっていた。
"金は時成り"。
入宮羽刈の"匣"の力。
金を食い、その金額に応じた"新しい時間"を作り出す。
「やっぱ大き過ぎねえか?」
マンションをすっぽりと包み込んだドームの天井を見上げて羽刈は言った。
「いいのよ、大きさははアレかも知れないけど強行にどれだけの時間がかかるか分からないからね……それより、"反応"あった?」
「わーってるから、ちょっと待て」
綾葉に言われ、羽刈は目を閉じ"匣"へと意識を集中させる。
すると羽刈視界が、自らの身体を追い抜いて高く上がっていく。
ドームの最上部まで上がった視界で羽刈は包まれたその全体を俯瞰する。
今の羽刈の感覚をわかり易く言うのなら、VRヘッドセットを覗き込んでいる時に近いかも知れない。
民家、道路、小さな商店街。どれも羽刈の視界には小さく映り、覆われた街の中には人っとこひとり見当たらない。羽刈の目の中に映るのは、マンションの前で光る"赤い点"と、二人の前にそびえる、マンションの中で煌めく"赤い点"が、二つ。
「……あった」
マンションの中で光るそれに目を留めて、羽刈は呟いた。
「幾つ?」
「お前を抜いて二つ。こりゃあ"当たった"かもしれないなぁ」
嬉しいような嬉しくないような、羽刈はとても微妙な声音で呟きながら、光る点の場所へと視界を寄せていく。
「場所は?」
「今調べてる」
焦んな焦んな、とはやる綾葉は制しながら、羽刈は点のある部屋の前へと来た。
「五階の角部屋だな。例の探偵の事務所の場所は?」
「今確認するわ」
綾葉は急いで印刷したあの紙切れを取り出し目を通す。
「"当たり"ね」
そして、それだけ言った。
「ビンゴか、こいつはめんどくさい事になったかもなあ」
意識を現実へと戻し、羽刈は嬉しくないような嬉しくないような、なんとも微妙な声音で呟いた。
「何か不満?」
片眉を上げて問い掛けてくる綾葉の言葉で、羽刈は初めて表情に出ていたのかと自覚する。
説明しないと綾葉が納得してくれなそうなので、取り敢えず羽刈はその表情の原因を口に出した。
「よくよく考えてみたらだ、"当たった"ていうのはどっちかって言うとめんどくさいんじゃないか?だってそうだろ、強行に出るんだったら外れてた方が強行として成立させやすい。力ずくで行くんだったら、俺はそっちの方が懸命だと思うんだが?」
そんな長々とした羽刈の説明を、
「それは違うわね」
綾葉は一言で一蹴してみせた。
「な、何がさ」
儲かったからいい。そんな風に自分の中で割り切りながらも、意見を瞬殺された羽刈は何となく不服だったので食い下がる。
「簡単に言えば、今の状況で私と相手は対等になったのよ」
「どういう事だ?」
綾葉の言葉の意味を上手く理解することが出来ず、羽刈は眉根を寄せて聞き返す。
「貴方が特定するまで、相手は"当たり"だったか判らない。その状態で強行していって、もし相手が外れだった場合に私が力を使ったならばそれはもう犯罪よ?」
「お、おう……」
羽刈のリアクションには、素直に困惑の色が表れていた。
恐らく白眼視しているであろうと羽刈自身自覚していたが、目を向けられている綾葉はさして気にする様子もなく続ける。
「けれど、今の状況。あなたの力によって相手が"持っている"ことを証明された今なら話は別だわ。きっと相手も来るだろうと構えてる。戦闘を前提とした心構えになっている。そこを私が打ちのめす。そうすることによって、相手に負けを認めさせる事によって、正当に脅迫する事が出来るのよ」
「……お前、実はあんまり頭良くないだろ」
どことなくドヤ顔で長々と語った綾葉に向けて放たれた第一声はそれだった。
「なに、ここまで言ってまだ不満なの?それともなに、貴方にはお金を使わずに私達の目的を果たさせる良い方法が他にあるって言うのかしら?」
綾葉は羽刈を睨みつける。静かな調子でいいながらも、声音に確かな怒気が内包されていることを羽刈は感じ取ることが出来た。
「わ、悪かった、ないよ、そんなのない」
小さく狼狽しながら、羽刈は両腕をあげて降参のポーズ。
「なら、余計なことを言うんじゃないわよ」
毒づきながらも、綾葉は羽刈から視線を外してマンションを見上げた。
取り敢えず許されたのだろうか。結構単純な奴だな、と心に思い決して口に出す事はせず、羽刈も綾葉に倣ってマンションを見上げた。
「行きましょうか」
気合でも入れたのか、一つ息をついて綾葉は短く言い放った。
「俺は何にも出来ないけどな」
歩き出していく綾葉は背中を追いかけながら羽刈は言う。
「何言ってるの、盾くらいにはなるでしょ?」
肩越しに振り返り冗談っぽく言った綾葉だったが、その目は全く笑っていない。
「勘弁してくれよ……」
決してそんな事にはならないようにと願いながら、羽刈は只々項垂れる事しかできなかった。
×
「何事だ?」
正義探偵事務所。
窓際に置かれた大きめのデスクの前に座っていた正義は、言い様のない違和感に襲われた。
「変な感じがします〜」
キッチンからお茶を運んできたメディナも同様に異変を感じているようで、眉尻を下げて正義へと視線を送る。
「……静かすぎる」
違和感の一つに気づいた正義は、椅子から立ち上がると背後にある窓のブラインドを上げて外を覗き込んだ。
「なんだ、これは……」
「どうしたんですか〜?」
戸惑いの色を浮かべる正義を見て、メディナもその隣へと並んで外を見る。
「人が、いませんね〜」
正義達が事務所を構えているマンションは、別に大通りに面しているという訳ではない。だから、車が一つも走っていないなんてことは、別に無い話ではないのだ。
けれど、今二人の前に広がっている光景には車両の一つどころか、歩く人影すらない。もっと言えば、鳥の囀りも、木々の擦れ合う音も、何も無い。
無くてはならない、無くなるはずのない"雑踏"が、何一つとして存在していないのだ。
"無人の街景色"。
正義達の視界に広がっているのは、そんな有り得ない世界だった。
「どういう事だ」
外の光景を眺めながら、正義は顎に手を置いた。
「考えられる可能性としては、やはり……」
丸い眼鏡のブリッジを指で押し上げると、メディナは真剣な面持ちで、それでいてどこか確信を持った声音で正義を見た。
「"匣"か……」
"匣"。それは正義達にとっては少し久しい響きだった。
十一月。悪夢の様な夜を終えてからは大きな騒動はなく、触れる事も少なかった"異物"。
正義としても、メディナの見解はほぼ当たっていると思っていた。
一瞬にして街を無人に出来る力など、"匣"以外に有り得るわけがない。
「でも、どうして私達だけ?」
疑問符を頭に浮かべて、メディナは正義へ問い掛ける。
全く人の居なくなった街の中、何故か二人だけは取り残された。
正義とメディナ。残されるに値する共通項。それは、
「それもまた、"匣"が原因だろう」
正義とメディナのこの場における意味のある共通点。
"匣"。
「こうなると、我等を狙って力が使われたと思わざるを得ないな」
渋い顔をしながら正義は呟き、合わせてメディナの表情にも不安の色が表れ始める。
そんな時。
ピンポン。と、味気ない呼び鈴の音が部屋の中に響いた。
備え付けられたモニターに、カメラ付きインターホンからの映像が映る。
「こんにちは。正義探偵事務所はここで合っているかしら?」
聞こえてきた第一声はそんな女性の声だった。
上品でありながら強気を感じさせる凛々しい声。
女性は、内側からの返事がないことを気にしているか暫く無言を続けた。
だが、正義達が返事をしないでいると、
「はあ」
と短くため息をつき、カメラを真っ直ぐに見据えた。
「そっちだって分かっているんでしょうけど、居留守は無駄よ。二人いるのは掴んでる。三つ数えるまでに返事がなければ突撃します」
女性は淡々と言い切ると一つ呼吸を挟む。
「三…………二…………一…………はぁ」
またしてもため息。
「わかりました。こっちも穏便に済ませようなんて思っていなかったけど、そっちがその気ならこっちも最初から飛ばさせてもらうわよ」
先程と変わって強い調子で彼女は言うと、カメラに向かって手を伸ばし画面を掌で覆い隠した。
次の瞬間。
ガッ!と甲高いノイズ音と共に、モニターは何も映さなくなった。
「……来るか」
正義は廊下へと続く居間の扉を見つめる。
その扉が、ゆっくりと開かれた。
「お邪魔するわ」
「こんちわ」
現れたのは、細身の女性と背丈の小さな男。
「私は倉空綾葉。なんの取り柄もない大学生よ。それで、隣にいるのが入宮羽刈。私の協力者。まあなんて言うか、アホよ」
「余計なお世話だ」
簡素な自己紹介を済ませると、綾葉は軽くを会釈をした。隣に並んでいた羽刈と呼ばれた男も、遅れて首だけの会釈をする。
「何の用だね。穏便に済む話ではないのだろう?」
少し挑発気味に正義は問い掛け、綾葉は小さく唇の端を持ち上げた。
「穏便に済まない理由は話の内容じゃない。こいつの金銭的……」
「黙りなさい」
「がっ!」
羽刈の言葉で一瞬にして表情を殺した綾葉は、羽刈が何かを言い切る前にその鳩尾に拳を叩き込んだ。
「っえぇ」と、嗚咽を吐きながらその場に座り込む羽刈。
目の前で一連の茶番を見せつけられた正義は、微妙な表情を浮かべる事しかできなかった。
「結局、何の用なんだね」
軽く咳払いをして正義は逸れていた話を戻す。
「そうだったわね」
隣でうずくまる羽刈に見向きもせず、何事もなかったかの様に綾葉は振る舞い、言う。
「探偵事務所に来たんだもの、目的は他でもないわ。探って欲しい事があるの」
一歩踏み出す綾葉。
同時にジーンズのポケットからスマートフォンを取り出すと、幾らか操作した後に、画面を正義達へと向けた。
「ここに写ってる人物、及びその身辺調査を依頼したいの」
「っ……!」
「っ!?」
画面に映される画像。
どこで撮られたのか判断は出来ないが、その写真の中には3人の少女が写っていた。
それを見た正義とメディナは、互いに己の目を疑った。
一人は今目の前にいる倉空綾葉。そしてその内の"一人"には、とても見覚えがあったからだ。
「あらら。もしかしてその感じ、この子達のこと知っていたりするのかしら?」
しまった。そう思った時にはもう遅い。既に綾葉の顔には、嫌な笑みが貼り付けられていた。
「今日の私はとってもラッキーなのかも知れないわね。ねぇ入宮、あなたもそう思わない?」
「そう……ですね……」
高揚とした声音で問い掛ける綾葉に対して、未だうずくまる羽刈は掠れた声で応える。
「情けないわね」
「ふざけるな……」
綾葉は哀れみの眼差しを羽刈へと向けるが、羽刈はそれどころではないようで、顔を伏せたまましかし怒りを露にして言葉を洩らした。
「まあいいわ。取り敢えず貴方達には今知っていることだけでも話してもらうかしら。ま、どうせ後で調べてもらうことにはなるんでしょうけど」
視線を正義達へと向け直すと、綾葉は言った。
「大切な知人のことを、そう安々と売る訳がないだろう」
強い語気を込めて、正義は言い放つ。
「そうよね、そうだと思ってたわ。だからこそ私達はこの"土俵"を用意した訳だし」
一人で首を縦に振り頷く綾葉。正義は更なる警戒を高め、今すぐにでも"鉄拳制裁"を発動させられる様に意識を強める。
「貴方達があの子達と知り合いだったのは予想外だったけれど、やる事は変わりそうにないわね。だったら、早めに事を終わらせようかし……」
綾葉は自らの言葉を言い切る前に、その場に屈む。
「……らっ!!」
強く言葉を吐き出すとともに、綾葉は床に手を着いた。
その、瞬間だった。
「なっ!?」
赤く輝く"匣"の埋め込まれた掌を中心として、"床が波打ち始めた"。
本能が危機を察知した時には、遅かった。
波紋を広げていた床が、次の瞬間には掌を中心にして"液状化していたのだ"。
波は瞬く間に広がっていき、正義達の立つ場所も、まるで溶け出したアイスクリームの様にぐにゃりと形を歪め、正義達の足を飲み込んだかと思えば直ぐに液体へと姿を変えていた。
「まずいっ!」
「きゃっ!?」
一瞬にして足場を失った正義とメディナの体が、重力に従って階下へと落下していく。
正義は咄嗟にメディナを抱き寄せ、上を向く。
ドスッ!と、背中から打ち付けられた鈍い音が部屋中に響き、予想に反した強い衝撃が正義を襲う。
「かはっ!」
肺から一瞬にして酸素の抜けていく感覚。
空気を求め正義は噎せ返る。が、悠長に呼吸をしている時間は無かった。
眼前に、先程まで正義の利用していたデスクが降ってきたからだ。
「くっ!」
正義はメディナを抱き寄せたまま、勢い良く床を左に転がった。
ガズンッ!!と、一瞬前まで正義のいた場所にデスクの角が突き刺さる。
その他にも様々な家具などが階下へと落下していき、部屋中に轟音が響き渡った。
床には水が張られ、木片が散り、硝子が砕け、埃が舞う。綾葉の一撃で、階下の部屋は瓦礫の山と化していた。
濁ったカーテンに包まれる視界の中で正義は立ち上がる。
「大丈夫か?」
「……」
腕の中にいたメディナに問い掛けるが、返事がない。見れば、メディナは目を伏せたまま動かなくなっていた。
正義は急いで首筋に指を押し当て脈を診る。
「気を失っているだけか……」
命に問題ない事がわかって、正義は安堵の息を漏らす。恐らく、落下した衝撃によるものだろう。
気絶したメディナを傍に横たえさせ、正義は辺りを見渡す。
その時、
「あぶねーよ、殺す気か!」
「貴方なら死なないって信じてたから」
「身に覚えのない信頼ほど怖いものは無いな……」
茶色い幕の向こうで、怒号と冷淡な声が行き交う。
「致し方ないかっ!」
正義は、視界の遮られている内に"鉄拳制裁"を発動。
両の手の甲に埋め込まれた"匣"が赤く光を灯したかと思えば、肘の辺までを光の粒子が包ま込む。
粒子はやがて一つの塊となり、正義の両腕に、鋼色の篭手が姿を現した。
「そっちは大丈夫かしら?まさか、死んでたりなんてしてないわよね?」
どこか挑発的な声音で問い掛ける綾葉。
正義は声のした方向に首を向けて、
「これくらいで伏せるほど我も柔ではない。そんなことより、ここまでして、覚悟は出来ているのであろうな」
「今更何を言ってるの……よっ!」
言葉の終わりと同時に、綾葉は埃のカーテンを引き裂いて正義の目の前に現れた。
綾葉は正義目掛けて腕を伸ばす。
正義は放たれた腕を右の篭手で受け止めた。
がっしりと綾葉の手が正義の篭手を掴む。
「物騒ね」
不敵に綾葉は笑みを作り、その顔に赤い光が反射する。
「くっ!」
異変。
先程と同じ様に、篭手がぐにゃりと形を歪め始めた。
そして、弾ける様に篭手は液体へと姿を変える。その様子はまるで、水風船が割れていく姿に似ている。
掴んでいた物を失った綾葉の手が一瞬浮く。
その隙に、正義は空いていてもう一方の手で綾葉の胸元に掌底を放つ。
「んっ!」
勢い良く後方に吹き飛ぶ綾葉。苦しそうな顔をしながらも、宙空で一回転して、綺麗に瓦礫の山に着地した。
「痛いじゃい。これでも私、女の子なんだけれど」
「そう思うのならもう止めろ。我だって、女性に手を出すのは気が引ける」
「なら素直にお話して頂戴よ」
「それは出来ん」
「頑固なのね」
少し呆れたように正義を見ると、綾葉は再び動き出した。
真っ直ぐに、正義の元へ。
正義も"鉄拳制裁"を再度発動させ、前進する。
恐らく、彼女の能力は触れた物体を液体に変化させるもの。だったら、少々単純な答えかもしれないが、液体にされる前に事を終えればいい。
綾葉の能力の予想と、勝利への算段を頭の中で組み立てながら正義は彼女との距離を詰める。
「ん?」
あと一歩で腕が届く。そんな距離まで迫った所で、綾葉は徐ろに何も無い正義の目の前に腕を伸ばした。
正義の視線は、自然と向けられた掌へと動く。
その時だ、
「えいや」
綾葉の間の抜けた声。と同時に、
「っ!?」
掌の中で"小さく水泡が弾けた"。
正義の視界が、水色に染まる。
刹那の飛沫。
しかし、それは正義の注意を散らすには十分過ぎた。
「スキあり」
屈み込んだ綾葉は再び正義の腕に、纏われた"鉄拳制裁"に向かって手を伸ばす。
今度は鷲掴みにするわけではなく、優しく触れて見せる。
篭手は直ぐ様ぐにゃりと形を歪め、びちゃりと"鉄拳制裁"は姿を消した。
続けて綾葉は、がら空きになった正義の手を、握った。
がっしりと、指を絡める。
「何を!」
正義は咄嗟に残った腕を綾葉へと伸ばすが、彼女はそれを予想済み。
同じ様に篭手に触れては、"鉄拳制裁"を液体へと変えていく。
"鉄拳制裁"を失い、勢いの削がれた正義の拳を綾葉は簡単に掴みとった。
「っ!?」
握られた手から、正義に違和感が奔る。
見れば、握られた手が、その皮膚が、"波打っていたのだ"。
そう、初めに液体へと変えられた、あの時の様に。
「ふっ!」
正義は慌てて膝蹴りを繰り出し、
「っぶない」
危険を察知した綾葉は、すぐに手を離し後方へ小さく跳躍した。
「やっぱり人体は時間が掛かるわね。まあ、爪痕を残せたから、上々ってとこかしら」
満足気に言う綾葉。
そんな彼女の様子を訝しんだ正義は、掴まれていた手を、見た。
「……っ!」
其処には、"肉"があった。
本来見える筈のない、"筋肉"が見えた。
あるべき筈の皮膚が、"消失"していた。
「ぁあああああぁぁぁぁあ!!」
傷を認知してしまったことによる痛み。
止めどなく溢れ出す血液が掌から零れ、床に広がる水溜りを赤黒く染め上げて行く。
「"水疱に帰す"」
痛みに悶える正義を冷たく見つめ、綾葉は言った。
「触れた物質の何もかの"情報"を液体に変換する。空気であろうと、人体であろうと例外はないわ。ただまあ、広範囲だったり、人体だったりすると時間が掛かっちゃうのが難点かしら」
淡々と説明をして行く綾葉だったが、正義にはその言葉の半分以上が届いてはいなかった。
絶え間なく奔り続ける疼痛が、正義の思考を阻害させる。
だが、屈する訳にはいかない。
ここまでの脅威を認知しておいて野放しにするなど、正義を準ずるものとして許される事ではない。
何よりも、大切な友人に及ぶ危害を、みすみす逃すなど言語道断だ。
「っあああああああああああ!!」
雄叫びを上げ、自らを鼓舞し、正義は三度"鉄拳制裁"を解放する。
「っ!!」
剥き出しの筋肉に触れる篭手が、正義に更なる痛みをもたらす。
「退く訳には行かんのだ!!」
ダンッ!と力強く踏み込み、正義は一気に駆けた。
「なっ!?」
予想外の正義のスピードに、綾葉は目を見開く。
「もう容赦はせぬ!」
目の前まで迫った所で、正義は思い切り腕を引く。
次の一歩で、ケリをつける。
拳にギリリと力を込めて、正義は最後の一歩を踏み込んでいく。
「っもう!」
後数十センチ。数秒あれば拳を叩き込めるかの瀬戸際で、綾葉は急に身を屈めた。
そして、正義の足元。水浸しの床に手を着いた。
「"水疱に帰す"!!」
宣言と同時に綾葉の"匣"が強く輝きを放ち、床が丸まる"波打った"。
「くっ!!」
思い切り振られた拳は空を切り裂き、綾葉の頭上を越えて背後の壁をぶち抜いた。
木片が宙を舞う中、床は形を歪め、ズブズブと正義達の足を飲み込んでいく。
そして、
正義達を支えていた何もかもが、液体となり消失した。
突如として足場を失われた正義、そして綾葉の体が宙に浮く。
次第に引力に引かれ、落下する。
ズドドドドッ!!と今までにない轟音が正義の鼓膜をつんざく。
正義の部屋の物と、その階下にあった物。その全てが落下していき、視界は先程よりも凄惨なものへと仕上がっていく。
ベキベキッ、と何かが裂けていく様な音がしたのは、正義の着地と同時だった。
「まずい」
綾葉は表情を歪め、その場から立ち去ろうとしたが、遅かった。
音は一気に大きくなり、最後には、
「なっ!?」
着地した床が、轟音と共に剥がされていった。
一気に大量の重量、そして落下の勢いによって耐えられなくなった床が崩壊したのだ。
「メディナ!?」
先程の落下。更にこの崩落。気絶したままのメディナが無事で済むわけがない。
崩壊の勢いにふらつく綾葉に目もくれず、正義はその場で踵を返す。そして、メディナのいた場所へと駆け抜けていく。
「メディナッ!!」
幸いにして落下による大きな怪我は見受けられなかったが、この崩落を無傷で過ごせるとは思えない。
正義は今にも崩れ落ちそうな床からメディナを抱き上げ、その向こうにあった壁に目をやる。
「ぬぅっ!」
拳を勢い良く壁に叩き込み破壊。前のめりになった慣性をそのままに、正義は隣の部屋へと転がり込んだ。
そこには元から住人が居なかったのか、真っ更な空間が広がっており、正義は飛び込んだ勢いのままゴロゴロと床を転がっていく。
それと共に、一瞬前まで正義のいた隣の空間からけたたましい音が轟き、崩壊が始まった事を正義へと知らせる。
「間一髪……だったか……」
メディナを離し、正義は仰向けに倒れた。
自然と力が抜けていき、腕に纏われた"鉄拳制裁"の篭手も粒子になって霧散する。
「まず……い……」
意思による抗いは無力だった。
視界は段々と狭まっていき、次第には闇に包まれる。
最後まで堪えていた意識も、直ぐに消え去った。
×
「しくじったわね……」
場所にしてマンションの一階部分。その部屋だった所。見るも無残な瓦礫の山の上で、綾葉は身を起こした。
本来は存在していた壁や天井、その全てが瓦礫へと変わり綾葉の視界は壮絶その物だった。
五階から一階までの何もかもが落下した結果、被害は垂直下だけでなくその周りも巻き込み、一階部分の両隣の壁が無残にもぶち抜かれ、雪崩のように流れ込んだ瓦礫がその部屋も破壊し尽くしていた。
「そう言えば、あいつは?」
綾葉は戦いに夢中になって忘れていた羽刈の存在を思い出した。
未だに"金は時成り"が継続されているから死んではいないだと思いたいが、果たして彼の死後も力が続くのかどうか、綾葉には分からない事なので信頼性に欠ける。
「仕方のない……奴ね……」
立ち上がろうと、綾葉は近くの瓦礫に右手を置こうとした時だった。
「つっ!?」
徐ろに右腕を持ち上げた瞬間、燃えるような激痛が肘を通して綾葉の全身を駆け巡った。
「もしかして……?」
痛みに唇を噛み締めながら、綾葉は内側から疼く様な痛みを生む右腕に目をやった。
「っ!!」
肘の辺から赤黒く腫れ上がり、関節部からは出血が起きていた。
腕を伝い血液、は瓦礫の塵と混じり合い気色の悪い血だまりを作る。
恐らく落下時に被ったであろうその傷は、綾葉に断続的な鋭い痛みを与え続ける。
「兎に角、あいつを探さないと……」
なるべく衝撃を与えないように、空いた腕で右腕を抑え、綾葉はふらふらと立ち上がる。
崩落時に舞い上がっていた塵も今は沈み、クリアになった視界で辺りを見渡す。
元が何だったのかも分からなくなった木片や硝子、更には部屋を形作っていた屋根などの残骸なども積み重なり、一目見ただけでは羽刈が何処にいるのか、そもそもこの場所にいるのかすらも判断できなかった。
「手間、かけさせるんじゃないわよ……」
覚束ない足取りで踏み出し、瓦礫の山へ乗り出した時だ。
「それはこっちの台詞だよ」
綾葉の背後から、そんな声が聞こえた。
綾葉が肩越しに振り返ると、瓦礫による汚れまみれになった羽刈が立っていた。
「後先考えず力使いやがって、こっちは今度こそ本気の本気で死ぬかと思ったんだからな……ってお前」
呆れを感じさせる声音だった彼の言葉が、だらりと垂らされた綾葉の右腕を見て尻すぼみになる。
「お前が怪我してどうすんだよ」
「油断してただけよ、きっと大した事ないわ」
「いやいや、血ダラダラじゃん。折れてんのか?」
「恐らくね」
右腕に目をやる綾葉をの様子を見て、羽刈は羽織っていたスカジャンを脱いだ。
「何をしてるの」
「応急処置すんだよ。……痛いかも知んねえけど、腕上げろ」
「大した事ないって……」
「俺が嫌なの、ほら、じっとせんか」
渋々綾葉は、ゆっくりと右腕を胸の辺まで持ってくる。
それを見て羽刈は、脱いだスカジャンを入念に手で汚れを払い、ギプス代わりに綾葉の右腕に巻き付けた。
「これで少しは楽だろ」
どこか得意げな羽刈の声音。
それが何となく気に入らなかった綾葉は、
「まあまあね」
と、変にそっけない言葉を返した。
「で、これからどうするんだ。あいつら見失ったし、お前は怪我してるし」
「それについては何とかなるわ」
綾葉は自由に動く左手で、ジーンズのポケットに手を突っ込んだ。
なんだ?と羽刈がその様子を見ていると、綾葉は彼の顔の前で手を開く。
「……なんだよこれ」
手のひらの上には、一枚の紙幣。
「なにって、千円だけれど」
「だから何でだよ」
「延長料金」
すぱっと綾葉は言い切り、その表情も真剣そのもの。
羽刈は小さくため息をついて、その千円札を手に取った。
「この中で"更にもう一つ"張るなんてやったことないんだが?」
「なら、ものは試しよ。出来なかったら普通に探せば良いんだし」
「ブルジョアだよな、お前って」
妬ましい視線を綾葉に注ぎながら、羽刈は手に持った千円札を口に入れた。
「おっ」
羽刈を中心に、またしてもドーム状の膜が広がった。
半径十メートルの半球が、羽刈と綾葉を包み込む。
「で、あの二人は」
「今探すよ」
急かすなよ、と羽刈は言い、意識を"匣"へと傾ける。
瞳を閉じると、羽刈の視界が浮遊していく。
ドームの頂点。十メートルの高さから、包まれた世界を俯瞰する。
「いたぞ」
「どこ?」
羽刈は直ぐさまマンションの一室にかたまる赤い点を見つけ出す。
視界をその地点へと寄せていき、場所を確認。
「三階、お前がぶっ壊した部屋の隣だ」
仕事を終え、羽刈は意識を現実に戻した。
「それで、見つけたはいいがここからどうする。ごついおっさん、今のお前じゃ勝てないだろ」
「手は、考えてある」
懐に手を入れる綾葉。
何事かと羽刈がその様子を眺めていると、取り出されたものを見て、羽刈は怪訝な表情を浮かべた。
綾葉が手に持っていたのは、一本のカッターナイフ。
「作戦を変更するわ。少し、卑怯になってしまうけれど」
×
「……んっ」
硬質な肌触り、冷たい床の感覚と共にメディナな目を覚ました。
「ここは……っ……!」
身を起こそうとして、メディナは頭部にズキリとした痛みを覚える。
メディナはゆっくりと痛みの震源へと触れると、腫れが出来ているのがわかった。
「"修復"」
傷から僅かに手を離し、メディナは静かに力の名を唱える。
淡い緑色の光が手の平から生成され、粒子となってメディナの傷口へと流れ飲んで行く。
腫れが完全に引くとまではいかないものの、痛みは先程よりも殆ど感じられなくなった。
メディナは改めて上半身を起こしてあたりを見渡す。
そこは家具の一つも置かれていない真っ更な部屋だった。部屋の左側の壁には大きな穴が空けられており、その向こうに本来あるはずの隣部屋が消失して、崩れ去った残骸が目に映った。
「……?」
体を横に向けた事で、メディナは床に置いた手からヌラリとした感覚に襲われた。
「っ!?」
視線を床へと落とすと、目を伏せてと倒れる正義の姿があった。
右手の皮膚がごっそりと抉られ、剥き出しになった筋肉と血液が手のひらの中で混じり合っている。
メディナが触れたのは、そんな正義の手の中から溢れ出した大量の血液だった。
炎症を起こし始めている正義の傷口に、メディナは急いで手をかざす。
「"修復"!!」
"匣"の輝きと同時に緑色の光の粒子が正義の傷口へと注がれていく。
流血は止まり、炎症も僅かに消えていくの見たところでメディナは正義の肩に手を置いた。
「大丈夫ですか!目を覚ましてください!!」
強くそう叫び、正義の肩を小さく揺さぶる。
すると、
「……っ」
苦しそうに表情を歪めながらも、正義は細く目を開いた。
「良かった……っ!!」
床に広がる血溜りを気にもとめず、メディナは正義へと抱き着いた。
「なっ!?」
突然の抱擁に、正義は置かれた状況も忘れて素っ頓狂な声を上げる。
髪から漂う甘い香りが鼻孔をくすぐり、首に回された手の平は柔らかく暖かい。そして何より、見かけによらず豊かな胸部の感触が正義の内に謎の焦りを沸き立たせた。
「メ、メディナ、あの二人は何処に……っ!!」
慌てて起き上がった正義の右手に激痛が走る。
「無理に動かないでください。傷口が広がってしまいますから」
そうメディナは正義を嗜め、右手の傷にもう一度"修復"を唱える。
痛みは多少引いていったものの、それでも内側から襲いくる疼痛は止まらなかった。
「すまない、手間を取らせた」
「いえ、私こそ、足を引っ張ってしまって……」
礼の言葉を掛けられて、メディナは思わず俯いてしまう。
「そんな事は無い、メディナのお陰で傷の痛みも随分楽になった」
微笑みながら正義はメディナの頭にポンと手を置く。
だが、メディナは顔を上げることができなかった。
今の言葉が慰めるための上辺だけの言葉でないことは判っている。正義に、そんな器用なことができる訳がない。
それでもメディナは正義の言葉を上手く受け取ることができなかった。戦う力は持っているのに、それを行使する力量がない事を見せ付けられて、弱い自分に劣等感を抱かずにはいられなかったからだ。
「メディ……」
正義が新しく言葉を言いかけた時だった。
「っ!?」
天井から"大量の水"が降り注いできたのは。
「失礼するわ」
「おっじゃましまーす」
軽い調子で上から降ってきたのは、綾葉と、羽刈。
正義の上には綾葉、メディナの上には羽刈が。
ほぼ真上から現れた彼らは、佇む正義達を押さえつけようと飛び込んでくる。
正義は直ぐ様"鉄拳制裁"を発動しようとしたが、
「アウト」
遅かった。
「がっ!!」
開いた彼女の両膝が、正義の両肩へとめり込んだ。
落下の勢いが乗せられた綾葉ののしかかりは、正義の両腕を削ぎ落とさんとする威力で襲いかかり、耐えうることの出来なかった正義の身がその場で膝からズドンと崩れ落ちる。
正義の膝が床に叩き付けられるのと同時に綾葉は正義の肩から降りる。正義起き上がる前に、そのまま綾葉は彼の頭部を床へと押し付けた。
「きゃっ!?」
「お願いだから大人しくしてくれ」
首を横に向けられて押さえつけられた正義の視界に、羽刈に仰向けに押し倒されるメディナの姿が映った。
彼は片方の手でメディナの顔を押さえると、もう片方の手をメディナの首元に押し付ける。
その羽刈の手には、カッターナイフ。
「メディナ!!」
正義は思わず叫び、"鉄拳制裁"を発動させようと意識を傾ける。
しかし、
「貴方も動いてはダメ。暴れようとしたらその頭がなくなる事を覚悟して」
既に正義の頭には綾葉の手が押し付けられていた。そして、触れられている後頭部から不可思議な感覚が襲い来る。
「貴様っ!!」
「暴れないと約束して頂戴。じゃないともう時期"溶けるわよ"」
徐々に波打ってくるような感覚が後頭部から伝わってくる。
「……わかった」
正義が静かにそう言うと、波打つような感覚は薄らいでいき、押さえる綾葉の腕からも僅かに力が抜ける。
「最初に言っておくけれど、油断したところをってのも考えないで頂戴ね。貴方なら判ってると思うけど、その場合向こうの彼女の命はないわ」
「後、俺も緊張して今尋常じゃない程に震えてる。手元が狂う前に話を終わらせてくれ」
綾葉の警告に羽刈の懇願。更には押さえつけられて怯えるメディナの姿を見て、
「話を聞くしか、ないようだな」
正義は、諦めることしかできなかった。
「交渉成立ね」
綾葉は安堵のため息をつくと、正義の背中に馬乗りなったまま話し始める。
「今回貴方に依頼したいのは、さっき見せたあの子達についての調査よ。具体的には家の状況とか、通ってる学校とか、後は"匣"を宿しているかどうか、それに伴って"少女を身近に置いているか"」
「……?」
綾葉の最後の言葉に正義は疑問符を浮かべたが、当の本人は気づいた様子もなく続ける。
「ここまで依頼とかって言い方をして来てしまったけれど、はっきり言ってこれは命令よ。当然、向こうの彼女は人質としてこっち側で預かるから、変な気を起こしたりはしないで頂戴ね」
「……鬼だな」
そんな風に羽刈は呟いたが、綾葉は当然の如くスルー。
それと、と綾葉は付け足す。
「住処がないから、しばらくの間は貴方達のお住まいにお邪魔させてもらうわ。色々お楽しみとかあったかもしれないけれど、当分は御預けね」
「我らの家は、先程貴様らが壊してしまったではないか」
「そこは心配しなくていいわ。もう少ししたら、何もかも元通りだから」
「どういう事だ」
「すぐに分かるわ。とにかく一度ここを出るわよ、途中で時間が来たら大変だわ」
起きて、と綾葉は正義の背から降りて促す。
「お前もゆっくり起き上がれ、頼むから暴れないでくれよ」
合わせて羽刈もメディナのから身を下ろすと、倒れる彼女の手を引いて起き上がらせた。
「さ、行くわよ」
綾葉が正義の手を握り歩き出し、四人は空き部屋を後にした。
「後どのくらい?」
「もう一分くらいだな」
正義達四人は、マンションの外まで出てきていた。
外側から改めて崩壊した外観を眺めると、先程の戦闘がどれほど大きかったのかを知らしめられる。
逃げられぬ様にと常に正義の手を掴む綾葉が隣に並ぶ。更にその隣には、メディナと羽刈が並んでいる。羽刈は綾葉の様に手を掴んではいないが、ポケットに突っ込まれた手の中には今もカッターナイフが握られている。
「時間だ」
羽刈のその一言同時に、正義の景色に異変が訪れた。
「ん?」
瞬きを一つ。時間にしてはそれだけだった。
一秒にも満たないそんな瞬間の後には、マンションが元の姿に戻っていたのだ。
崩壊していたことなど嘘だと思わせるようないつも通りの景観がそこにはあった。
気付けば、周囲から様々な音が聞こえてくる。
人の話声、車の走行音、鳥のさえずり、無くなっていた雑踏が、一瞬にして帰ってきていた。
「ほら、心配いらないって言ったでしょ?」
「大掛かりな力だな」
「お金がかかっちゃうのだけが、とても難点なところね」
残念そうに綾葉は言い、恨めしそうに羽刈を見る。
「別に俺がしたくてこんな力にした訳じゃねえからな?」
怪訝な顔をして反論する羽刈であったが、綾葉には受け入れる気など毛頭なかった。
「取り敢えず、これからはお世話になって行くから、宜しくお願いするわね、探偵さん」




