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ヒカリと影と  作者: 洒落頭
30/43

非日常の、一歩前

 十二月半ばの深夜。

 終電ギリギリの電車に乗って、上ノ山駅のホームに降り立つ二つの人影があった。

 一つは女性。もう一つは男性だ。

 女性は腰の下まで伸びた黒く艶のある髪を、後頭部で一つに結いていた。所謂ポニーテールである。鼻筋をすっとしていて、薄いピンクの唇に乗っている艶からは少女にはない大人の色気を感じさせる。凛とした双眸の中には、力強い光を灯していた。整った顔立ちの中に凛々しさを感じさせる、どこか男前な雰囲気を漂わせていた。

 そんな女性は、お気に入りの短めのベージュのトレンチコートを羽織り、体のラインのはっきり出るピッチリとしたジーンズを履いていた。両手は黒い革の手袋に覆われ、寒さのためか自らの両肩をさすっている。

 となり並ぶ男は、ちょこんとした背丈で、整えることを微塵も知らないようなボサボサな髪をしていた。

 しかし、顔立ちにこれと言った特徴は少なく。強いて何かを上げるならば、常人より少し細目なくらいだろうか。

 男は、無駄に刺繍(ししゅう)の凝られた虎の描かれたスカジャンを羽織り、両手はそのポケットに詰め込まれている。だぼだぼとした灰色のチノパンを履いたその様相は、言い様のないだらしなさを感じさせた。美麗な女性の隣に並ぶことによって、その格差は否応なく現れる。

 彼女らが電車から降りると同時に、背後でその扉がプシュッと音を立てて閉じられた。客の少ない電車が、ゆっくりとホームを抜けて行く。

 遠くなっていく電車を見送りながら、男の方が口を開いた。

「寒すぎんべ」

「我慢しろ。ホテルを駅前にとってあるから」

 深夜の外気はとても冷たく、会話を交わす二人の口元からは常に白い息が零れていた。

 特に、女性の方は寒さが苦手なのか歯の根が合わせられずカチカチと音を鳴らしている。

「ホテルねー?なかなか大胆じゃん?」

「は?」

 何を言っているのかわからない。女性の方は素直に怪訝な顔を作る。

 対して男の方は、抑えきれず溢れだしたイヤらしい笑みを顔面に張り付けていた。

「なかなか良いサービスだな。それならこの後のこと、少し安くしてやってもいいぜ?」

「なんだ、そんなことか」

 セクハラとも捉えることのできる男の発言を女性は対して動じる事もなく応じる。言っている意味を理解した。ただそれだけを相手に示したとてもシンプルな応答だった。

「いらん心配をする必要はないよ。部屋はしっかり二つとってある」

 女性は男に向き直り、指を二本立ててみせた。

 それを見せ付けられた男は、

「なっ……!?」

 この世の終わりと言わんばかりに顔から血の気を引き、項垂れた。

「そりゃないぜ……今夜はお楽しみだと思ったのによ」

「残念だったな。お前はあたしの好みからかけ離れてるんだよ」

「どうしたら一緒してくれんだよ」

「そうだねぇ……」

 顎に手を置き、女性は男をまじまじと見つめる。

 そして、

「少なくとも、あたしの身長を追い抜いてからにしてくれ」

「無茶言うなよ!てかそんなに考える時間必要なかったよね!?」

「ちょっとでも期待を抱かせてあげようかと」

「逆効果だよ!!」

「夜遅くに叫ぶなよ。近所迷惑だろ」

 男の嘆きを適当にあしらうと、女性はそそくさと歩き出した。

「畜生!」

 誰もいない駅のホームに、男の怒号が響き渡った。



「ふぅ……」

 場所は駅前のビジネスホテル。

 八階建てのビルの五階。五〇五号室。

 女性――倉空綾葉(くらからあやは)――は、シャワーを浴び、バスローブだけを纏い窓からの景色を眺めていた。

 因みに、先程まで一緒にいた男――入宮羽刈(いりみやはかり)――は、四〇四号室。綾葉のいる部屋の斜め下の部屋だ。隣室だとベランダを通して侵入する恐れがある。上の階でもその可能性を否定し切ることができない。その為に下の階。それも真下ではなく斜め下。よじ登る事が難しいだろうと思い、この采配にしたのだ。

 本当は一階や二階など、もっとはなした距離に置いておきたかったのだが、"もしも"の場合を考慮して、最低限の距離に収めたのだ。

 そこまでする必要はないと思われてしまうかも知れない。実際ここまでする必要性を綾葉自身も感じていない部分もあるのだから。

 羽刈にベランダを渡ってまで部屋に侵入する度胸があるかと言われれば、恐らくない。ここまでする理由を問われれば、シンプルに、生理的に嫌いだから。それだけだ。

 外を眺めながら、綾葉は溜め息をつく。

「戻ってきたよ」

 誰に向けた言葉なのか、判断はつかない。ただ、その声音にはどこか穏やかな雰囲気を感じさせた。

 細く長いしなやかな手を、窓にあてる。

 その手の甲には、"キューブ"。

 外の風景からピントをずらし、自らの手に埋められた"キューブ"へと視線を向ける。

「"また"こんなことになるなんて」

 先程とは違う、悔恨の混じった言葉。

 暫く"キューブ"を見つめたまま綾葉は思う。

 必ず"この時"が来るとは思っていた。

 いつ来るのかと、むしろ待ちわびていたと言っても過言ではない。

 "あの時"の後悔を、悲劇を、覆すんだ。

「……寝よ」

 窓から手を離し、綾葉は傍らのベッドに身を投げ出した。

 移動やら何やらで、今日は疲れが溜まっている。動くのは、明日からでも遅くないだろう。

 休む言い訳を作りながら、綾葉は瞼を閉じる。

 それだけで一気に体から力が抜けていき、綾葉の意識は、簡単に落ちていった。



「疲れたぜ」

 羽刈はベッドに横たわり、手の甲の"キューブ"を眺めながら呟いた。

 服装は既に寝巻きで、これから睡眠に入ろうという所だった。

 倉空綾葉と入宮羽刈は、仲がいいというわけではない。

 通っていた大学、その中のサークルで一緒だっただけだ。特に話したことはなく、今回の状況もほぼ初対面に近い様な状況だと言えよう。

 そんな二人が、何故今共に行動しているのか。

 それは、全て"キューブ"に起因する。

 だからと言って、何か深い理由があったわけではない。

 大学の中で、たまたま羽刈の力を綾葉に見られてしまったのだ。

 羽刈の力の性質上、"見られてしまう"事自体がなかなかに特殊な状況な訳だが。

 何にせよ、そこで目を付けられた羽刈は、綾葉と行動することになった訳である。

 羽刈としては綾葉のルックスはとても魅力的で、是非とも一度はこの手の中に収めたいと思っているところなのだが、如何せん綾葉からは距離を置かれている。

 そこでこの遠征だ。

 惚れさせる、とまでは行かなくとも気になる程度にまでは彼女の中の興味を引き上げたいと、羽刈は考えているわけである。

「やる気でてきたー!」

 いつか手の内に入る彼女の四肢を妄想しながら、彼は叫んだ。



 ×



 最近、兄の元気がない。

 これは、天井摩耶の心の隅に住み着く妹心から生まれた憂いである。

「お兄ちゃーん!起きてー!」

「おきてー!」

 ある朝のこと。

 天井家に住むホームステイ(摩耶中ではまだそうなっている)のヒカリと共に、朝に弱い兄である隼人を起こそうと、彼の部屋へと乗り込んで行った。

 それはいつもの光景であり、摩耶にとっても日常の一部なのだ。

 片手にフライパン。もう片手にはお玉を握り、カンカンカンと甲高い騒音をけたたましく鳴り響かせながら部屋へと入る。

 そこには、一度も効果を発揮したことのない目覚まし時計が音を立て、全く起きようとしない隼人が布団に潜り込み、またなのか、と摩耶が溜め息をつく。筈なのだ。

「おはよ」

 だけど、そうはならなかった。

 意気揚々と部屋に乗り込むと、いつもの五月蝿いアラームが聞こえない。布団に潜り込んでいるはずの隼人は、上半身を起こして摩耶の方を見ていた。

「おは、よ……」

 摩耶の求めていた光景のはずなのに、答える彼女の声からは良い感情を受け取れない。

「おはよーハヤト!今日も早起きなんだね!」

 いつも通りに元気なヒカリが、隼人のいるベッドの方へと走っていく。

「あぁ、最近なんだか調子がいいんだ」

 寄ってきたヒカリの頭を優しい撫でながら、隼人が答える。その表情には柔らかい微笑みが浮かんでいて、撫でられたヒカリも合わせて、とても嬉しそうな笑顔をみせていた。

 嘘だよ。

 対して摩耶の心には、そんな影が落ちる。

 優しそうな隼人の笑顔。それは摩耶から見て、とても儚く見えていた。明確な、根拠はない。強いて理由付けをするのならば、彼に一番近い、家族としての感情だけだ。だけど摩耶には、その思いが間違っていると、否定し切ることが出来ないでいた。

「もう、朝ごはん出来てるのか?」

 ヒカリから視線を外して隼人が言う。

「う、うん。もう出来てるから、冷めないうちに早く食べよ」

「わかった。じゃあヒカリ、ご飯食べよう」

 上の空になっていた摩耶は、ぎこちなく言葉を返す。しかし隼人はさして気にした様子もなく立ち上がり、ヒカリの手を引いて部屋を後にした。

 誰もいなくなって静かになった部屋の中、隼人達の出ていった扉を、摩耶は一人で見つめる。

 ここの所、隼人はいつもあんな調子だった。

 初めはいつだっただろうか。たしか、『はしゃいで怪我』とかなんとか理由を付けられて麗におぶられて帰ってきた、翌日だ。

 摩耶はいつもと同じ様に早朝に起き、朝食を作って、隼人を起こしに行く時間になった。

 億劫だ。と、表情を歪めながらも、摩耶自身も気付かぬ所でそんな当たり前の日常に安堵を思い浮かべていた。

 摩耶と一緒に早起きなヒカリを引き連れて、フライパンとお玉で音を鳴らしながら、隼人の部屋へと入っていくと、

「おはよう、今日も五月蝿いなそれ」

 今日の様に、普通に目を覚ます彼の姿があったのだ。

「……おはよ」

 摩耶にとってそれはとても珍しい出来事で、拍子抜けしてワンテンポ遅れた返事をしてしまった。

 この時は、そんなの偶然だと思った。

 いつかの日みたいに、悪い夢でも見て早く目を覚ましただけ。そんな風に思っていた。

 だけど、次の日も、その次の日も、その次の日も次の日も、彼はいつも通りの時間に摩耶に起こされる事なく、目を覚ましていたのだ。

 普通に考えればそれは、何も悪いことではない。寧ろ、喜ばしい事のはずだ。煩わしい朝のひと時がなくなって、摩耶にとっては望んでいた出来事だ。

 だけど何故だろう。そんな毎日が続いて行って、摩耶の中に生まれてきたものは一抹の寂しさだった。

 そして、ひとりでに目を覚まして、朝日に照らされる彼の横顔を見るのが何故だかとても辛いのだ。

 彼の見せてくれる何もかもから、小さな壁を感じてしまう。

「お兄ちゃん、何かあったの?」

 それはある日の晩のこと。

 麗も帰り、ヒカリも眠り。二人きりのリビングで、その日のニュースを読み上げるキャスターの声だけが垂れ流される空間の中、摩耶はそう声に出していた。

 摩耶の視線の先。炬燵に足を突っ込んでいた隼人の背中が微かに震える。

「……」

「……」

 沈黙が流れた。

 抑揚の少ないキャスターの声だけが嫌に大きく聞こえてきて、摩耶は次なる言葉を探す。

「お兄……っ」

「何にもないよ」

 辛うじて見つけた摩耶の言葉を遮って、隼人はきっぱりと言い放った。

 とても短い言葉だったけれど、それ以上の追求を許さないような何かを感じられて、摩耶は言葉を返すことができなかった。

 消え入ってしまいそうな、寂しそうな後ろ姿を見つめることしか、出来ない。



 ×



「はぁ」

 エイゼル=ウェイダラーは、浅くため息を吐いた。

 場所は、エイゼル達の住むう屋敷の収められた倉庫、の屋根の上。

 一応無駄に広い屋敷の中には、一人一人の部屋が用意されているのだが、倉庫の中にあるという事があり如何せん日の光が全く当たらないのだ。

 ジメジメとした空間に閉じ込められるのがイヤなエイゼルは、こうしてよく屋根の上に登っては日の光を浴びるのである。

 十二月ということもあり多少寒くはあるが、あの薄暗い屋敷の中にいるよりは全然マシだった。

「……暇ね」

 平日のお昼。団地跡はいつでも騒がしくなることはないけれど、この時間はさらに静けさが増しているように感じられる。

 雲ひとつない晴天を見上げながら、白い息と共にエイゼルは言葉を吐き出す。

 先ほどのため息の理由も、現状の退屈が原因だった。

 エイゼルは歳にして十六となるが、学校には通ってはいなかった。通う事が出来ないでいた。、の方が正しいかも知れない。兎に角、学校に通っていればこんな退屈はないのかもしれないけれど、エイゼルは余り勉強が好きではない。だから、今の状況に不満を覚えている訳ではない。ただ、学校という空間に憧れがないのかと言えば、それは嘘になってしまうのだが。

 学校に通っていないからと言って、何も全く勉強をしていないわけではない。

 一応基礎的な勉強の時間が設けられていて、今はその休み時間だったりする。

「はぁ」

 何度目かわからないため息をついて、その場に寝転んで昼寝でもしようかと思った時だった。

「そんなに暇なら、仕事をやるよ」

 エイゼルは倒しかけていた体を起こし、声のした方へと顔を向ける。

 コツコツと、傍らの梯子を音を立てながら登って現れたのは、御神楽火煉。

 軽く息を切らしながらエイゼルの元へと寄っていくと、そのまま隣に腰を下ろした。

「仕事って何よ?」

「慌てるなよちょっと休ませろ。ここ高いんだよ無駄に」

 エイゼルの問いを火煉は片手で制し、ゆっくりと深呼吸をする。

 因みにエイゼルは"キューブ"の力で登ってきたので、彼の疲労に関しては全く共感できていない。

「これを見てくれ」

 ある程度息を整えたところで、火煉はポケットからスマートフォンを取り出すと幾らばかの操作をしてエイゼルに渡した。

 大きめのディスプレイの中には、文章だけが並べられた簡素な資料が映っていた。

 余り長くはない文章にさらっと目を通したエイゼルは、

「めんどくさ」

 とだけ言ってのけた。

「そう言うなよ。こういう作業に関してはお前が一番適任なんだから」

「でもこれ結構仕事量多くない?暇だとは言ったけど、あんまり忙しくなるのもイヤなのよね」

「我が儘すぎるぜガールよ」

 火煉は肩を竦めて、続ける。

「まあいいじゃないか、どうせ二人で作業することになるんだし。それに、仕事してる分は勉強しなくてもいいんだぞ?」

「むむむ……」

 勉強をしなくても許させる。そのワードだけで、エイゼルの心は半分以上傾く。

 しかし、一つ気になることがあった。気持ちが完全に倒れなかったのはそれがある故だ。

「"二人で作業"って、どういうことかしら?」

「そりゃあお前、お前を愛してやまない"狂気の妹依存症マッドシスターコンプレックス"さんがいるじゃないですか」

「はぁ!?」

 火煉の発言に、エイゼルは目を見開いた。

「イヤよ!何でアニキと一緒しないといけないの!?」

「お前さんが嫌って言ったって"狂気の妹依存症マッドシスターコンプレックス"さんは勝手に付いてくると思いますよ。なんてったって"狂気の妹依存症マッドシスターコンプレックス"ですからね」

「むむむ……」

 エイゼルは顔を顰めた。

 火煉の言っていることを否定することが出来ない。アニキなら勝手に付いてくるだろうと、エイゼル本人が容易く想像出来てしまったからだ。

「取り敢えず、"狂気の妹依存症マッドシスターコンプレックス"と呼ぶのはやめてちょうだい。妹としては、結構悲しくなってくるから」

「愛されてる証拠だろ?」

「うざいだけよ」

 呆れながらぼやくと、エイゼルはスマートフォンを火煉に返して立ち上がった。

 合わせて、火煉も服の汚れを払いながら立ち上がる。

「ま、受けてくれるってことでいいんだな?」

「選択の余地があったみたいな言い方するけど、どうせ受けるまで引き下がらなかったんでしょ?」

「良く分かってんじゃん」

 絶妙に気に障る表情を作り上げると、火煉はその場で身を翻した。

「それじゃよろしく頼むぜ。あんまり時間かけないようにな」

 ヒラヒラと手を振りながら、火煉は登ってきた梯子から降りて行った。

 一人残されたエイゼルは、

「勉強するよりマシだよね」

 まるで自分に言い聞かせるかのように、一言呟いた。



 ×



「元気か?」

「体調は結構いいかな」

 天井隼人は、古枯結城の御見舞のために町にある病院の一室にいた。

 結城の横たわる大きなベッドの傍らに椅子を置いて、隼人は腰を下ろす。

 結城の怪我は、はっきり言って大怪我だった。

 あの時メディナによる素早い治療がなければ、命を落としていてもおかしくなかったらしい。結果として命に別状はなかったけれど、抉り取られた肉や皮膚の完全な再生には時間がかかるらしく、十二月に入った今もこうして入院生活を送っているわけである。

 今はもう順調な回復を辿っているようで、医者曰くあと一週間もすれば退院は出来るらしい。ただ、退院したからといってすぐに激しい運動を出来るわけでもないし、深く付けられた傷痕は完璧に消えることは無いそうだ。

 しかし、結城にしてみればそれは、

「これは、私の過ちの証だから。消えない方がいいんだよ。寧ろ、消えてもらったら困る」

 忘れてはいけない記憶。

 後悔の念を、そして二度とこんな悲しみを生んではいけまいという覚悟の証でもあるのだ。

「これ、差し入れ。もう食べれるんだろ?」

 隼人は手に持っていたビニール袋から、もうひとつ小袋を取り出し結城に手渡す。

「なになに?お見舞いの品?……って、これなの?」

「えっ、もしかして古枯嫌いだった?」

 受け取った結城が微妙なリアクションを取り、隼人は慌てて聞き返す。

 結城が見舞いの品として渡されたのは、ハッピーターン。それもお得用の増量版だ。

「いや、嫌いなんてことはないけど、お見舞いの品にハッピーターンってどうなの。普通はこう、お洒落なケーキとか、シンプルに果物とかじゃない?」

「最初はそういうのにしようと思ったんだけど、古枯の好みとか知らなかったし、それなら失敗しないかなと考えたんだけど。それにほら、自分が貰って嬉しいものをあげなさいみたいな言葉もあるじゃん」

「言葉の内容ちょっと違う気もするけど、天井君はハッピーターンお見舞いで貰うと嬉しいんだね……」

「当たり前じゃん。美味しいもん」

 きっぱりと言い切った隼人の言葉に対して、

「わかりました。じゃあ、今度からは駅前のケーキ屋さんでモンブランを買ってきてもらえると嬉しいかな……」

 と、ため息混じりに言った。

「学校は、どう?」

 バリバリと袋を開いて、包装された一つを取り出しながら結城は問い掛ける。

「いつも通りに、戻りつつあるのかな」

 少し含みのある言い方に、結城の手は止まった。

「初めはいつまで来ないんだろうって、みんな心配したり噂建てしたりしていたけど、今じゃもう居ないのが当たり前って言うかさ、あいつのいない毎日が日常として浸透しつつあるんだよ」

「そっ……か……」

 具体的な名前を出さずとも隼人が誰のことを話しているのか、結城にはすぐに理解出来た。

 草理真。

 かつては二人の友人であり。隼人からしてみれば親友のような存在だった少年。

 十一月のある夜に、その命を奪われてしまった少年。否、"奪ってしまった"と言っても、隼人にとっては過言では無い。

 彼が既にこの世にはいないという事実は、全くとして表には出てきていなかった。世間の中では行方不明どころか、ただの不登校として扱われている。

 なので警察が大きく動き出すことはなく、呼び戻そうという学校側の働きかけも多くはなかった。

 草理真は学校休んだことはなく、これと言って病弱な体質などてもなかったお陰で、最初の内はソワソワとしていた教室もいつの間にか来ないことが常識であり日常へとすり変わり、誰も進んで彼の存在について語ろうという人は居なくなっていた。

「……どうして」

 ぽつりと、隼人が零す。

「どうして僕は、あいつを助けられなかったんだろう」

「……」

 隼人の言葉に対して、結城の視線は自然と落ちる。

 何も、言葉が浮かんでこなかった。

 それは、答えの出せない問いであるから。

 陳腐な慰めも、言葉だけの気休めにも意味は無い。

 後悔してもどうしようもないということ、そもそも後悔などしてはいけないということは、結城は、勿論隼人だって判っている。

 理解し難い"力"の発動。想像を超えた真達の力。そして、予期せぬ乱入者。

 どれもこれも、最近までただの学生だった隼人達にしてみれば止めるどころか予想も出来なかった事象の連続だ。

『あれは仕様がなかった』と、誰もが慰めの言葉をかけるだろう。

「僕がもっと、ちゃんと力を判っていれば……!」

 けれど、後悔せずにはいられない。

 救う力が手元にあって、救う手立てを見い出せていて、それでも助けられ無かった命。

 何故今彼がここに居ないのかと、思わずにはいられない。

「……きっと、天井君のせいじゃないよ」

 結局見つけ出した結城の言葉は、そんな、"陳腐な慰め"だった。

「ごめん。僕はもう帰るよ」

 俯いたまま隼人は立ち上がり、身を翻す。

「うん……」

 結城は止めることが出来ず、去っていく彼の後ろ姿を見つめる事しかできなかった。

 病室の中に、いつもよりも大きく静寂を感じる。

「またねって、言えなかったな……」

 彼の出て行った病室の扉を見つめ、結城は独りごちる。

 冬の乾いた空気は、彼等にぽっかり空いた心の穴には、冷た過ぎた。

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